第36話 雷帝
青白い光が、訓練場を横切った。
次の瞬間、金髪の青年が標的の前に立っていた。振り抜かれた剣から火花が散り、硬い表面に斜めの傷が刻まれる。
俺は、入口で足を止めた。
今のは、何だ。
速い、だけでは片づかない。踏み込んだと思った時には、もう剣を振り終えていた。
女子たちの研修旅行、2日目の放課後。
昨日の探索で気になった足運びを確かめに来た俺は、木剣を抱えたまま、訓練場の奥を凝視していた。
ユリウス・ヴァルシュタイン。
ヴァルシュタイン公爵家の令息。高等部4年の生徒会長で、学院最強と評される8人の冒険者パーティ《栄光の翼》のリーダー。
ギルドでレオノーラたちが帰還した時に、姿は見ている。
穏やかそうな人だと思った。
今、あの人の剣から、雷が出ていた。
「天を裂く雷光よ、我が魔力を受けて集え。刃に沿いて走り、立ちはだかる敵を断つ力となれ――《サンダー・エッジ》」
剣身へ、青白い雷が絡みつく。
細い光が刃を巡り、切っ先へ集まった。乱れているようで、柄の手前には火花1つ落ちない。
先輩が、ゆっくりと剣を振る。
次は、速く。
横薙ぎから、返す刃へ。雷は動きに追いつき、銀の剣に青白い尾を引かせた。
思わず、木剣の柄を握り直した。
格好いい。
いや、今はそういう感想より、魔力の流れを見ておくべきだ。せっかくの機会なのだから、どうやって刃に保っているのか――。
先輩が剣を返し、火花が弧を描いた。
……やっぱり、格好いいな。
前世のゲームや物語では、雷は最強格の魔法の定番だった。圧倒的な速さと威力。剣にまとわせても、空から落としても、見せ場になる。
全属性適性があると知った時から、いつか使ってみたいと思っていた。
ただ、まずは四属性の基礎を固めてから、と後回しにしていた。
目の前で青白い刃が閃く。
落雷も使ってみたい。だが、剣を握る自分の姿に重ねてしまうのは、あの青白い刃と、間合いを消すような踏み込みだった。
……そのうち、では待てない。
今日、試したい。できれば、今すぐに。
「一瞬を駆ける雷光よ、我が身を巡りて力となれ。踏み出す脚を導き、我が歩みを解き放て――《ライトニング・ステップ》」
足元が白く光った。
今度は、動き出すところから見る。
沈む膝。わずかに前へ傾く肩。
地面を蹴った。
そこまでは追えた。
次の瞬間には、3つ先の標的の前にいた。
「……うわ」
声が漏れた。
しかも、靴の先は地面の印にぴたりと重なり、剣先は標的の直前で止まっている。体が前へ流れていない。その姿勢から、もう次の方向を向ける。
俺も、この1か月で速くなった。
脚に力がつき、肩も腕も1回り以上たくましくなった。魔物の攻撃を避けてから反撃するまでの間が、確実に短くなっている。
その変化を喜んでいたところへ、これだ。
悔しい。
だが、それ以上に、知りたい。
今の1歩を、自分の体でやれたら、どんな感じがするのだろう。
先輩が剣の雷を消し、奥の標的へ手を向けた。
「雲海に眠る裁きよ、ひと筋の光となりて地を穿て――《ヘヴンズ・ボルト》」
頭上に光が集まる。
落ちた。
轟音が胸へ響き、標的を青白い光が包んだ。防護柵へ火花が走り、焦げた匂いが風に乗って届く。
俺は口を開けたまま、煙の上がる標的を見ていた。
雷帝。
少し大げさな異名だと思っていたが、今なら名づけた生徒と握手できそうだ。
「……そんなに見つめられると、少し照れるね」
穏やかな声がした。
先輩が、こちらを向いている。
「す、すみません。勝手に見てしまって」
「見学は構わないよ。柵の外にいてくれれば」
慌てて自分の足元を確かめる。ちゃんと外だ。
先輩は剣を収め、近づいてきた。金色の髪をかき上げ、額の汗を布で拭う。その何でもない仕草まで様になっていた。
「オスカー君だね。白晶攻略、おめでとう」
「ありがとうございます。俺のことを、ご存じなんですか」
「号外が出ていたからね。それに、レオノーラからも聞いている」
それは、どのような内容だろう。
お祝いを言われた直後なのに、急に背筋が伸びた。
「……何と?」
「妹を連れ回している男がいる、と」
「一緒に計画を立てて探索しています」
「うん。だから、僕もそう言っておいた」
先輩が笑う。
どうやら、反論するところまで予想されていたらしい。
「彼女、号外を何度も読み直していたよ」
「何か問題が?」
「妹の名前が1番大きくないのはなぜだ、と」
気にしているのは、そこか。相変わらず妹が好きすぎる。
「でも、その後は君たちの判断を褒めていた。余力があっても1度帰って、翌日ボスへ挑んだんだろう?」
「はい。帰還予定もありましたから」
「そういうところは、きちんと見ている。君に直接言うかどうかは、別としてね」
あの人らしい気がした。
先輩の話すレオノーラは、俺の前で木剣を構えた剣姫より、少しだけ身近に思えた。
「それで、どれが気になった?」
「全部です」
答えてから、少し早すぎたと気づいた。
先輩が目を丸くし、それから声を立てて笑う。
「うん。いい返事だ」
「特に、移動です。あの速さで間合いへ入られたら、受けるだけで精一杯だと思います」
「速く動けるのは、大きな強みだね。でも、速くなる前に分かることもあるよ」
「前に、ですか?」
「剣を振る前に、肩へ力が入ったり、狙う場所へ目が動いたりする。その合図が見えれば、剣が来るより先に備えられるんだ」
先輩は通常の練習区画へ目を向けた。
「言葉だけだと、分かりにくいかな。少し試してみようか」
「お願いします」
区画へ移り、向かい合って木剣を構える。
「1度、受けてみて。雷は使わないよ」
先輩は、剣を軽く前へ出して立っている。
肩にも、顔にも、力が入っていない。
いつ踏み込むのか。
そう考えた時には、切っ先が胸の前へ来ていた。
慌てて剣を合わせる。間に合わず、胸元を軽く突かれた。
「……え?」
「もう1度」
今度は、ただ驚いて終わりたくなかった。
《思考加速》を使う。
先輩の動きを追うための時間が、意識の中で引き延ばされる。さらに《並列思考》で、一方は剣先を、もう一方は肩と足の動きを追った。
剣を引かない。肩も、先に持ち上がらない。
足が前へ運ばれるのと一緒に、切っ先が近づいてくる。
見えた。
俺は木剣を合わせにいく。
その動きを見た先輩の手首が、わずかに返った。切っ先が俺の剣の横を抜け、肩の手前で止まる。
……そこから変えるのか。
剣先を追っていた思考には、かわされた軌道が残っている。もう一方で見ていた肩にも、足にも、打ち出す前の大きな溜めはなかった。
最初の一撃で俺が待っていたのは、剣が来る前の合図だ。
その合図を見つけられないうちに、攻撃そのものが始まっていた。
今度は動き出した剣を捉えられた。だが、それに合わせた俺の剣まで、先輩は見ていた。
速さだけを真似しても、同じことはできない。
構えた位置からどう出すか。こちらの反応を見て、どこへ通すか。短い一撃の中に、知りたいことがいくつもあった。
「剣を引かずに、足と一緒に出しているんですね。俺も、試していいですか?」
先輩の目が、わずかに開いた。
「……うん。僕の胸を狙ってみて」
今見た動きを思い返し、同じつもりで踏み込む。
あっさり外へ流された。
違う。俺は、足を出す前に肩を上げた。剣も少し引いている。
《並列思考》の一方で先輩の動きと比べ、もう一方で自分の腕と足の動く順番を確かめる。
身体強化は、保ったまま。
肩を下げ、握り込んでいた指を少し緩めた。構えた位置から、そのまま剣を出す。
また受けられた。けれど、さっきより剣を引かずに済んだ。
「今度は、足を出す前に肩が動かないようにしたね」
「はい。先輩の剣と比べると、俺は余分に動いていたので」
先輩はすぐには答えなかった。俺の剣から足元へ視線を移し、それから小さく笑う。
「見せただけで、そこまで自分で直していくんだね」
少し、驚いたような声だった。
「まだ、全然同じには動けませんが」
「それは、これからだよ。今の一撃なら、あとは出す直前に息が止まっていた」
そんなところまで。
俺が自分の胸を見ると、先輩が頷いた。
「全部を一度に直さなくていいよ。まずは肩。腕も脚も、もう十分に動くんだから」
もう1度、構える。
見て分かったつもりでも、自分で動くと違う。強く打とうとするほど、準備が大きくなる。せっかく速くなった身体で、攻撃の合図を送っていたわけだ。
呼吸を続けたまま、肩の力を抜く。
何度目か。
構えた剣を引かず、そのまま胸元へ伸ばした。
先輩の木剣が、これまでより体の近くで俺の剣を受ける。
「今のは、よかった」
「……今の、ですか?」
「うん。肩から先に動かなかったね」
受けられたことは同じだ。
だが、先輩の反応が、ほんの少し遅れた。
前世で聞いた、無拍子という言葉が浮かぶ。動き出す前の合図を見せず、自然な姿勢から攻撃へ移る。目の前の剣は、そういうものに思えた。
見えなくなるわけでも、必ず当たるわけでもない。実際、今も防がれている。
それでも、同じ速さの剣が、さっきより深く届いた。
「もう1回、見ていただけますか」
「もちろん」
今度は意識しすぎて、また肩が上がった。
先輩に指摘され、2人で笑う。
力を抜くというのは、思っていたより難しい。けれど、たった今できた感覚は、まだ腕に残っていた。
嬉しかった。
褒められたことも、できなかった動きが今はできたことも。
「君は、練習が好きなんだね」
「……どうしてですか?」
「さっきから、失敗しても楽しそうだよ」
そんな顔をしていたのか。
だが、否定はできなかった。
*
水を飲んで一息ついたところで、気になっていたことを聞いた。
「レオノーラ殿下にも、今のような動きで勝ったんですか」
「彼女が1年生、僕が2年生の時の話かな」
先輩は少し懐かしそうに目を細めた。
「あの時は、僕の方ができることが多かった。勝てたのは、その差があったからだと思う」
「今、戦ったらどうですか?」
「どうだろう。僕も、負けるつもりはないけれど」
優しい声のまま、答えは揺れなかった。
この人も、勝ちたいと思って剣を振っている。
そのことが、妙に嬉しかった。
「対戦した後で、仲間になってほしいと頼んだんだ。あれほど悔しそうに次の勝ち方を考える人となら、一緒に強くなれると思ってね」
先輩は、仲間の成長を楽しみにしている顔で笑った。
前世では、俺も会社を経営していた。人に仕事を任せ、失敗を一緒に引き受ける難しさは、身に覚えがある。
自分の失敗を笑って話せる余裕。後輩が上達した時の、嬉しそうな顔。かつて負かした相手の成長を認め、今も学び合おうとする姿勢。
この人は、器が大きい。
前世の俺より若いからといって、年下扱いする気にはなれなかった。教わりたいことが、剣の振り方以外にもある。
レオノーラが仲間になったのも、負けたからだけではないのかもしれない。この人となら、とあの誇り高い剣姫にも思わせたのだろう。
俺が出会った先輩の中で、最も尊敬できる人だ。
「それで、《栄光の翼》に」
「うん。実際、退屈する暇がないよ。最近は、妹の話も増えたし」
「そこは、苦労が想像できます」
言ってから、少し踏み込みすぎたかと思った。
先輩は吹き出した。
「君とは、話が合いそうだ」
俺も、笑った。
「レオノーラとの決闘の条件は、聞いているよ」
先輩が、練習用の木剣へ目を向けた。
「正直、彼女には負けてほしくない。抜けられたら、僕たちも困るからね」
「……それなのに、教えていただいてよかったんですか」
先輩は俺を見ると、少し笑った。
「なにかを少し教えたくらいで勝てるほど、彼女は甘くないよ」
さらりとした言い方だった。
だが、さっきまで隣で動きを見てくれていた人の言葉だ。今の俺に何ができるかを知った上で、そう言っている。
「もちろん、今日の練習は役に立つ。その積み重ねは大事だ。ただ、それを何年も続けてきたのがレオノーラだからね。僕も一緒に訓練していて、何度も驚かされる」
あの雷を操る先輩に、そこまで言わせるのか。
木剣を握る手に、少し力が入った。
「でも――」
先輩の口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「彼女が驚く顔は、少し見てみたいかな」
「驚く顔、ですか」
「うん。君が予想以上に上達していたら、どんな顔をするだろうと思ってね」
ずいぶん余裕のある本音だ。それだけ、仲間の強さを信じているのだろう。
……なら、まずはその顔を引き出すところからだな。
「君も、準備したことを出し切るといい。彼女は、手加減される方が怒るからね」
「はい。今日教わったことも、きちんと身につけます。ありがとうございます」
頭を下げる。
顔を上げると、先輩が少し笑った。
「もう1度試したい、という顔だね」
「……分かりますか」
「木剣を握り直して、さっきの印を見ていたからね」
俺は木剣へ目を落とし、照れ笑いを浮かべた。
*
その日は迷宮へ行かず、足運びの練習と、雷魔法の資料を読む時間に充てた。
借りた本を開いても、あの青白い剣が浮かぶ。
全属性適性がある。
俺にも、雷を使えるはずだ。あとは、その扱い方を覚えたい。
《思考加速》を使い、難しい箇所は図と照らして読み返す。少しずつ仕組みが分かるのが嬉しくて、頁をめくる手が止まらなかった。
今すぐ試したい。
ただ、寝具の横で火花を散らして、翌朝の号外になるのはごめんだ。
寮の灯りを消し、続きは朝へ回した。
翌朝、授業前。
雷魔法の練習に使える訓練区画で、2つの金属端子を備えた小さな標的へ向き合う。
端子の間へ、魔力の道を作った。
何も起こらない。
もう少し、強く。
途中で、形が崩れた。
「……そっちは、違うか」
先輩の剣を思い出す。派手に見えても、光は刃から外れていなかった。
まずは、狭く。短く。
端子の間を指1本分まで縮め、細い道を保つ。
ぱちっ。
青白い光が、弾けた。
それきり、消える。
俺は動かなかった。
今のは、見間違いではない。
もう1度、と手を上げかけたところで、授業前の鐘が鳴った。
「……鳴ってしまった」
標的を見る。校舎を見る。
もう1回くらい。
いや、それで成功したら、絶対にもう1回やる。
俺は道具を片づけ、教室へ急いだ。
歩いているつもりが、いつの間にか小走りになっていた。
指1本分の、小さな火花。
あの雷帝の剣には、遠く及ばない。
それでも、俺の魔力が雷になったのだ。
これを2人が見たら、どんな顔をするだろう。
エステルは目を丸くして、それから「もう1回!」と身を乗り出してくるに違いない。シルヴィアは言いかけた小言を忘れて、口を開けたまま固まるかもしれない。
……見たいな、それは。
すぐにでも話したい。だが、もう少し秘密にしておこう。
レオノーラ戦で使えるところまで仕上げられれば、知られていない雷は切り札になる。あの剣姫にも、1瞬の隙を作れるかもしれない。
うん。2人に披露するなら、その時だ。
そう考えたところで、窓に映った自分と目が合った。
ずいぶん、楽しそうな顔をしている。
……なるほど。
確かに、隠し事には向いていない顔だった。
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