第35話 2人のいない1週間
学院の前に、馬車が並んでいた。
朝の光を受けた窓の向こうで、女子たちが席を選んでいる。荷物を積む音と、名前を確かめる教師の声。いつもの登校時間より、ずっと賑やかだった。
「オスカー君、見送り?」
窓からアニエスが顔を出した。
「ああ。気をつけてな」
「任せて。帰ってくる頃には、わたしたちも強くなってるから」
隣からマリオンも手を振る。コレットは膝の上の筆記具を確かめ、ノエミは地図を広げようとして、狭いと笑われていた。
別の馬車の前では、ブルーノがリネットへ何かを渡している。
「予備の包帯だ」
「持っていますよ」
「こっちは予備の予備だ」
「……ありがとうございます」
彼女が笑うと、ブルーノの背筋が伸びた。
それを見ていたフェリクスが、何も言わず彼の肩を叩く。ヴィンセントはそっぽを向いていたが、口元が少し緩んでいた。
「オスカー」
シルヴィアが来た。
旅行用の外套を腕へかけ、髪をいつもよりしっかりまとめている。その後ろから、エステルが小走りに近づいた。
「間に合った。もう来てたんだね」
「ああ。出発前に顔くらい見ておこうと思って」
「わたしも。ちゃんと話してから行きたかったの」
エステルはそう言って、右手を上げた。
人差し指には、あの青い石の指輪が光っている。
「これも持ってきたよ。研修でも使うつもり」
「役に立つといいな」
「うん。オスカーにもらったものだし、大事に使ってくる」
「わたくしも持ってきましたわ」
シルヴィアも右手を上げる。
同じ青い石が、朝の光を受けて輝いた。
「俺も、腕輪を使わせてもらう」
左手を上げると、シルヴィアが笑った。
「守ってもらうために、わざと攻撃を受けないでくださいね」
「そんなことはしないよ」
「あなたなら、確認と言ってやりかねませんもの」
否定しきれない顔をしていたのだろう。2人が同時に笑った。
王家のマジックバッグは、エステルが持っていく。今回の班で使う物を運ぶためだ。
俺の分の共同備品は昨日分け、薬や包帯、水、灯りは手元に残してある。収納へ全部しまわず、すぐ取り出す物は腰の袋へ入れた。
準備を確かめ合うと、教師が集合を呼びかけた。
「じゃあ、1週間後」
エステルが言う。
「帰ったら、また3人でね」
「ああ」
シルヴィアが馬車の段へ足をかけ、振り返った。
「食事も、きちんと取ってくださいませ」
「料理なら任せてくれ。腕は知ってるだろ?」
「1人の時ほど、手を抜きそうですから」
料理ができるかどうかではなく、訓練に夢中で食事を後回しにするな、ということか。
それは、少しだけ胸に刺さった。
「分かった。ちゃんと食う」
馬車が動き出す。
窓から2人が手を振った。俺も手を上げ、その姿が門の向こうへ消えるまで見送った。
隣でブルーノが、長く息を吐いた。
「静かになったな」
「これから授業だぞ」
ヴィンセントが言った。
俺たちは、いつもより男子の声が響く校舎へ戻った。
*
空いた席は、思ったより目についた。
教師が説明をしている間は、いつもどおり聞ける。だが、書き終えて顔を上げると、隣から覗き込む顔がない。
昼休み、練習室へ向かう途中で、いつものように隣へ話しかけそうになった。
今日は、教える相手も、教わる相手もいない。それでも、1人で確かめたいことはある。
俺は練習室の扉を開けた。
木剣を持ち、床の印へ立った。踏み込んで斬り返し、斜めに引いて構え直す。前へ出る時も、引く時も、足は軽かった。
肩や腕に力がつき、剣の戻りも速い。
以前なら構え直していたところで、もう1度斬り込める。まずは素振りで、どの剣筋なら無理なく次へつなげられるか確かめていく。
速くなった自分を、ちゃんと使えるようにする。
印から印へ、短く動く。
踏み込みに身体強化を使い、剣を振る瞬間に闘気を重ねてみる。
1度に両方を強くすると、魔力の配分が乱れ、肩へ余計な力が入った。
身体へ巡る魔力を整えれば、剣の白い光が薄れる。闘気を保とうとすれば、今度は身体強化の出力が落ちる。
身体の内側と、外側。違う流れを同時に整えるのは、思った以上に難しい。
普通なら、片方を意識せずに保てるまで、繰り返し身体へ覚え込ませるのだろう。熟練者が平然と併用しているのも、そうした積み重ねがあるからだ。
……待て。
俺は、剣を振りながら魔法を使う時、どうしていた?
《並列思考》。
一方の思考で、全身へ巡る身体強化を保つ。もう一方で、腕と木剣を覆う闘気の厚さを整える。
まずは、出力を落として1歩。
脚へ巡る魔力が乱れない。
木剣を振る。白い光は、刃の輪郭に沿って残っていた。
おお。両方とも保てている。
調子に乗って続けざまに振ると、切っ先の光が膨らんだ。慌てて抑える。制御する思考が増えても、闘気の扱いそのものが上手くなるわけではない。
魔力の減りも早い。扱いやすくなっても、使い続けていいわけではなさそうだ。
次は闘気を薄くする。内側の流れを保ったまま、外側だけを調整する。腕の周りで揺れていた白い光が、肌に沿うほどの薄さへ収まった。
踏み込み、振って、構えへ戻す。
腕を返しても、木剣を覆う白い光は薄れなかった。
まだ、単純な動きだけだ。相手の攻撃を避け、剣筋を変えながら保てるかは、これから確かめる。
もう1度。
うまくいった、と顔を上げてから、1人だったことを思い出す。
帰ってきたら、2人にも見せよう。
*
放課後、ギルドへ探索予定を届けた。
「本日は、お1人ですか?」
エマさんに聞かれ、研修旅行のことを説明する。
「今日は第6層までです。帰還時刻も、いつもより早めにします」
「承知しました。ご自身のペースを確かめてきてください」
初めから、最深部まで1人で行くつもりはない。
3人で倒した相手でも、1人なら違う。背後の警戒も、敵を足止めして攻撃の隙を作ることも、自分でやらなければならない。
ただ、考える材料は十分にある。
白晶へ入り、剣を抜いた。
*
第1層の魔物には、相変わらず苦労しなかった。
角狼が跳ぶ前に横へ入り、首を斬って走り抜ける。2頭目の進路へ土を盛り、跳び越えた瞬間を斬る。
剣を振る腕より、次の相手へ向かう足の方が忙しい。
第3層では、横道から近づく反応を地図で捉えた。
前へ出ず、広い場所まで戻る。
3頭が姿を見せてから、端の1頭へ風を当てた。倒すほどの威力は要らない。隣と離れれば、それでいい。
離れた1頭を先に仕留め、残る2頭には横へ回り込む。同時に飛びかかられない位置を保ち、順に斬り伏せた。
思ったより、動ける。
剣を振った後に、すぐ足が出る。振り向いて構えるまでの間が短いから、魔物がこちらを向く頃には、もう次の位置へいる。
俺は息を吐き、背後を確認した。
誰もいない。
シルヴィアが立つ場所を空ける必要も、エステルの魔法へ道を譲る必要もない。動ける範囲が広い分、全方向へ気を配る必要があった。
楽なところと、難しいところが違う。
そこを覚えるのが、今日の目的だ。
第5層では、囲まれそうになる前に通路へ引いた。
盾を持つ魔物の足元へ土を盛り、体勢を崩す。後ろから続く1体には水をぶつけ、前の敵を倒す時間を作った。
昼に試したように、《並列思考》で身体強化と闘気の制御を分ける。踏み込む脚の魔力を保ちながら、刃へまとう分だけを厚くした。
傾いた盾の脇へ刃を通し、1体目を倒す。
できた。
ただ、次の相手へ向き直る時には、刃の光が揺れた。いったん闘気を解き、剣と足運びだけで残る1体を仕留める。動きながらの併用は、まだ練習が必要だ。
身体強化と闘気を、ずっと使い続ける必要はない。
速く近づく時、硬いところへ通す時。
そこだけに絞れば、次の戦いまで余力を残せる。
*
第6層の鉄牙猪を倒した後、周囲に魔物の反応がないことを確かめ、小部屋で休んだ。
水を飲み、収納から朝作った肉と野菜の包み焼きを取り出す。包みを開くと、まだ温かな湯気が上がった。
1口食べて、少し笑った。
「ちゃんと食ってるぞ」
返事はない。
いつもどおり、うまくできている。けれど、3人で食べた時のように「おいしい」と笑う声はない。
食事をしながら交わす話も、楽しみの1つだったのだと気づいた。
画面を開く。
【レベル85】
【《身体強化》Lv5】
昼の練習と実戦が、熟練度にもつながったらしい。全身の強化を保ちながら、攻める時には出力を上げ、間合いの外では抑える。その切り替えにも慣れてきた。
《魔力消費軽減(小)》のおかげもあるのか、魔力にはまだ余裕がある。身体の疲れも軽い。
まだ先へ行けそうだった。
だが、今日はここまでだ。1人でも第6層まで余力を残して戦えた。それだけで、十分な収穫だった。
片づけを終え、鉄剣を布で拭いた。
刃の小さな傷へ、指を近づける。
店で研いでもらったばかりだが、魔力を強く通す時には、以前より気を遣うようになっていた。俺が出せる力が増えても、剣まで強くなったわけではない。
道具も含めて、次を考えよう。
*
地上へ戻ると、空にはまだ夕方の色が残っていた。
今日の探索を報告し、素材を預ける。単独の収入は、共同の財布と分けて記録した。
帰り道で、学院の塀が見える。
実技場の方から、剣を打ち込む音が聞こえてきた。
俺は少し立ち止まった。
迷宮では、昨日までの練習を使う。練習では、迷宮で気づいたことを直す。
その繰り返しが、俺をここまで運んできた。
1週間あれば、まだ練習できる。
2人が帰ってきた時、また驚かせたい。
ただ速く走れるだけでなく、その速さで2人を助けられるように。初めて見た技に、足を止めずに応じられるように。
俺は手を握り、開いた。
たくましくなった腕に、夕日が当たる。
昨日よりできることが増えた。その続きを、明日も作ろう。
まだ、この体で試していないことは、いくらでもある。




