第32話 温かい昼食
「朝から、なんかいい匂いがする」
待ち合わせ場所へ来たエステルが、俺の袖へ顔を寄せた。
「朝食は食べてきたんだろう?」
「食べたよ。それと、これは別」
その理屈は、前世でも聞いた覚えがある。
連休初日の朝。俺は寮の料理人に許可をもらい、空いている厨房の隅で、3人分の食事を作ってきた。
肉は塩で下味をつけて焼き、蜂蜜と果汁、少しの酢を煮詰めて絡めた。醤油はないが、甘辛い照り焼きを思い出して作ったものだ。
野菜と豆を煮たスープもある。
出来上がった鍋や肉の包みは、すぐ《無限収納》へ入れた。俺に残っているのは、袖へ移った匂いだけのはずなのだが。
「今日は昼食を用意した。後で食べよう」
「あなたが、作ったんですの?」
シルヴィアが目を丸くした。
「口に合うかは、食べてから判断してくれ」
「楽しみが増えたね」
エステルは杖を抱え、弾むように歩き出した。
城へ届けた帰還予定は、夜。今日は1日、白晶へ使える。
*
第1層から第6層までは、昨日より早かった。
地図へ残した曲がり角を辿り、必要な道だけを選ぶ。魔物がいれば俺が位置を伝え、3人で倒す。
俺が早く敵の横へ回り込めるようになった分、2人も魔法を放つタイミングを変えていた。
「そのまま右へ!」
エステルの声に合わせて走る。
「風よ、刃となれ――《ゲイル・エッジ》!」
背後を風が抜けた。残った1頭へ俺が届く。振り返れば、彼女はもう杖を下げていた。
俺の速さに、2人も合わせてくれている。
昨日は、俺の動きが変わったことに驚いていた。今日は、それを使っているのだ。
第7層への階段を降りると、通路は幾つにも枝分かれしていた。
資料の大まかな図を参考に、分岐を確かめて進む。近づくにつれ、《探索マップ》に新しい道が描き足されていった。
「左に3つ、動いてる。広い所で待とう」
現れたのは、刃のような爪を持つ大きなカマキリだった。
資料にあった鋼刃カマキリだ。長い前脚のせいで、見た目より遠くまで攻撃が届く。
俺は手前の爪が振り下ろされるのを待った。
床へ刺さる直前、横へ踏み込む。長い腕の内側へ入れば、次の振りかぶりが遅い。
関節を斬って前脚を落とし、続けて首へ刃を通す。
俺を追う2匹目へ、シルヴィアが杖を向けた。
「その歩みを、この場に繋ぎ止めよ――《フロスト・チェイン》!」
足元から伸びた氷が、その脚を捕らえた。
止まった一瞬に、エステルの水槍が胸を貫く。
最後の1匹には、俺の剣が届いた。
余裕はある。
資料で知っていても、間近で振るわれる前脚は長かった。次からは、最初の間合いをもう少し広く取ろう。
*
第8層へ降りた頃、昼になった。
行き止まりの小部屋を確認し、入口の見通しが利く場所で休む。出入り口は1つ。俺は周囲の反応へ気を配りながら、低い石へ布を敷いた。
ほかの探索者がいないことを確かめ、鍋を取り出す。
蓋を開けると、湯気が上がった。
「朝に作ったのに、まだこんなに熱いんだ」
エステルが、湯気の上がる鍋を覗き込んだ。
「時間を止めるなんて神話みたいな力を、お弁当に使うんだね」
「便利だろ。昼も温かいものを食べられる」
「うん。今、すごくありがたみが分かった」
彼女は嬉しそうに器を受け取った。
シルヴィアへも渡す。肉の包みを開き、切れ目を入れたパンへ挟んだ。
焼き目のついた肉から、甘い香りが立つ。
「手で食べていいの?」
「ああ。パンと肉を、一緒にかじってくれ」
エステルが1口かじった。
止まる。
次に、目が大きくなる。
「……おいしい」
2口目は、かなり大きかった。
「外側が香ばしくて、中が柔らかい。甘いけど、甘いだけじゃない。何を入れたの?」
「蜂蜜と果汁、それに少し酢だ」
「酢? 酸っぱくないよ」
「酢はほんの少しだよ。蜂蜜だけだと甘すぎるから、味を見ながら足したんだ」
シルヴィアは小さくかじり、ゆっくり飲み込んだ。それから肉を見つめる。
「屋敷で出してもらった料理とも、違いますわね。……もう1つ、いただいても?」
「もちろん」
彼女の頬が緩んだ。
その顔を見たら、早起きした甲斐があったと思えた。
前世では、学生の頃に居酒屋の厨房でバイトをしていた。最初は皿洗いと仕込み。慣れるにつれ、唐揚げや煮物も任されるようになった。
体は変わっても、何皿も作った手順は覚えている。店長に味見をさせられては、塩を足しすぎるなと叱られたものだ。
こちらの食材でも、味を確かめながら工夫すれば、覚えている料理に近づけられる。
そうして作った料理を、異世界の王女と令嬢が夢中で食べている。
日本の料理を振る舞って、美味しさに驚かれる。
うん。これもテンプレだ。
そして、おかわりを頼まれると、想定よりずっと嬉しい。
次は唐揚げか。いや、柔らかいハンバーグもいい。手に入る食材で何を作れるか、今度、市場を覗いてみよう。
「料理まで教わることになるなんて」
エステルが、空になった器を見た。
「オスカー。帰ったら、作り方を教えて。わたしも作ってみたい」
「わたくしにも、お願いします」
「もちろん。材料の分量も書いて渡すよ」
うなずくと、2人が顔を見合わせて笑った。
俺もスープを飲む。
温かいものが腹へ落ちると、肩までほぐれる。休む楽しみがあれば、先へ進む時間も楽しくなる。
片づける頃には、体力も魔力も、随分戻っていた。
「じゃあ、続きを見に行こうか」
エステルが立ち上がる。
「うん。今日は、まだ先がある」
*
第8層では、硬い甲殻を持つ大クモがいた。
剣で無理に割らず、水で糸を押し流し、脚を崩す。俺が体を引きつけ、エステルが腹の下へ風を通した。
大クモが光の粒子になり、魔石と糸の束を残した。糸を袋へ収め、先へ進む。
第9層は、足場の高低が増えた。
石の段を跳び越えると、思ったより遠くへ着く。俺は着地の時に膝を緩め、前へ流れそうな体を止めた。
「速くなった分、先へ行きすぎないでね」
「分かってる」
敵を追って走りすぎれば、2人の援護が届かなくなる。周囲を確かめて2人のもとへ戻り、歩調を合わせて進んだ。
戦いの合間に、レベルが70へ届いた。
【成長恩恵】
《疲労耐性(小)》を獲得しました。
長く歩き、戦う時にはありがたい恩恵だ。次の休憩で、どれくらい余力が残っているか確かめてみよう。
水を飲み、2人の様子も見る。
顔色はいい。足取りも崩れていない。魔力回復リングのおかげで、魔法を使った後の余裕も保てていた。
「わたし、狙ったところへ魔法を当てるの、前よりうまくなった気がする」
エステルが指先を開いた。
「さっきのクモも、硬い背中を避けてお腹を狙えたでしょう? 大きな魔法を使わなくても倒せるから、魔力も節約できるね」
「わたくしも、凍らせる場所を絞れるようになってきましたわ。次に踏み出す脚を止めれば、体勢を崩せる相手もいますもの」
俺たちは、それぞれ違うところで伸びている。
自分の画面へ目をやると、《全属性魔力操作》はLv6になっていた。闘気も、出す時と消す時を繰り返した結果、Lv2へ上がっている。
まだ1瞬ずつ。それでも、狙った時にまとえる回数が増えた。最初は途中でほどけていた淡い白い光が、今は剣先まで細く揃う。力を解けば、白い輪郭も静かに消えた。
*
第10層への階段を見つけた時、エステルが小さく拳を握った。
「来たね」
「ああ。あと1層だ」
最深部でも魔物を倒しながら進み、やがて大きな扉へ辿り着いた。
牛の頭を思わせる彫刻。左右には、巨大な斧の意匠。
資料に載っていた、ボス部屋の扉だ。
レベルは76。
ここまで戦っても、剣を握る手は重くない。2人の足取りも軽かった。
「今からでも、戦えそうだね」
エステルが言った。
「ええ。魔力も残っていますわ」
俺は携帯時計を確かめた。
帰り道を辿り、届けた時刻までに戻るには、そろそろ引き返す頃だ。
「明日にしよう。今から戦うと、帰りが予定より遅くなる。朝から来れば、時間を気にせず挑めるだろ」
「うん。明日は、ボスとの戦いにたっぷり時間を使おう」
エステルは扉へ向き直り、少しだけ近づいた。
「また明日」
中の相手へ挨拶するような声だった。
その横顔を見て、俺は笑う。
ここへ辿り着くまでに、どれだけ大変な思いをするか。そう考えていた日もあった。
今は3人とも、自分の足で立ち、明日の戦いを楽しみにしている。
帰路はもう、地図にある。
俺たちは大きな扉へ背を向け、来た道を戻り始めた。
明日は、この扉の向こうで白晶攻略を果たす。
◇
明日10月10日AM11:40から
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