第31話 成長の実感
肩が、つかえた。
Dランクへ昇格した日の夜。湯で体を拭いて寝間着へ着替えようとした俺は、袖へ通しかけた腕を止めた。
布を引けば着られる。だが、少し前まで、こんなに窮屈ではなかった。
また服を脱ぎ、姿見の前へ立つ。
記憶が蘇る前の俺の体は細かった。
だが今は肩幅が広がり、胸板に厚みがある。剣を振る腕にも、腹にも、筋肉の形がはっきりと浮かんでいた。
1回り、いや、それ以上か。
少しずつ体が良くなっているのはわかっていたが……
大幅なレベルアップの影響か……
「……仕立て直しも、予算に入れるか」
レベルは62。
昨日の100体との戦いで、随分上がった。最後は疲れ切っていて、喜ぶどころではなかったが。
今日は迷宮へ行かず、食事と休息を取った。《体力回復促進(中)》と《魔力回復促進(中)》のおかげか、夕食を終える頃には、体の重さもほぼ抜けていた。
眠らなくていいわけではない。傷を治してくれる能力でもない。それでも、休んだ分が早く戻るのはありがたい。
寝る前に、ほんの少しだけ。
俺は壁や家具から離れ、掌を開いた。
昨日手に入れた《闘気》を意識する。
身体強化では、魔力を体の内側へ巡らせる。今度はそれを手の表面へ広げてみた。
淡い白い光が、拳を薄く包む。力が湧くというより、手の外側にもう1枚、守りをまとったような感覚だった。
そのまま、木剣の柄を持つ。
白い光が柄から刀身へ這い上がる。だが、途中まで広げたところで輪郭が崩れ、ほどけるように消えた。
「なるほど。こっちも練習が要るな」
数呼吸しか保っていないのに、魔力が思ったより減っていた。光を広げようとして、余分に流しすぎたらしい。出し続けるより、打つ瞬間に合わせる方が、今は使いやすそうだ。
それだけ確かめて、木剣を置く。
強くなったからといって、休養日に夜通し鍛えるのは違う。明日は2人と第6層へ行くのだ。
ベッドへ横になる前に、もう1度、自分の手を見た。
握った時の力強さも、指を開く速さも、記憶にあるものと少し違う。
明日は、どこまで動けるだろう。
*
「オスカー、制服、きつくない?」
翌朝、教室へ入って早々、エステルに言われた。
「分かるか」
「肩のところ。前は、そんなふうに張ってなかったよ」
シルヴィアも俺を見ていた。視線が肩から胸へ移り、それから慌てたように顔へ戻る。
「お直しを頼んだ方がよろしいですわね。剣を振る時に困ります」
「制服では振らないぞ」
「腕を上げる時にも、です!」
エステルが笑った。
「でも、たくましくなったよね。毎日会ってるのに、今日はなんだか違って見える」
そう言われると、こちらまで落ち着かなくなる。
隣の席の男子が、自分の上腕をつかんだ。もう1人が無言で肩を回す。
「昼休み、腕立てするぞ」
「今朝もやっただろ」
「足りなかったんだよ」
何の相談かは、聞かないでおいた。
授業が終われば、すぐ白晶へ向かう。明日からは2日間の連休だ。今日、第6層の道を確かめておけば、明日はさらに先へ進める。
*
第1層の角狼が、牙を剥いた。
床を蹴る直前、後ろ脚が沈む。《思考加速》でその動きを捉え、俺も踏み込んだ。
狼が跳ぶ。
俺は、その横へ抜けていた。
すれ違いざま、喉元へ刃を通す。着地した時には、背後で魔物が光へ崩れ始めていた。
速い。
相手が遅くなったのではない。見てから動き終えるまでの時間が、短くなっている。
以前なら避けて、構え直し、次を待った。今は避ける1歩が、そのまま攻撃になる。
「……今、身体強化、使った?」
エステルが聞いた。
「いや。まだ使っていない」
「素の速さで、あれ?」
彼女は狼がいた場所と、俺の足元を見比べた。
シルヴィアも、杖を構えたまま動かなかった。
「以前より、踏み込む距離も長くなっていますわ。それでも、すぐ次の動きに移れるんですのね」
「ああ。俺も、そこは驚いてる」
力だけが増えたら、勢い余って転ぶ。だが、足を受け止める膝や腰も強くなっている。鍛えてきた足運びに、体が追いついてきたのだ。
第2層の石甲トカゲにも、足を止める必要はなかった。
硬い背へ剣を叩きつけず、振り向く前に側面へ入る。脚の付け根へ刃を通し、頭がこちらへ向く時には、もう反対側へ抜けていた。
「ちょっと待って。わたし、撃つところがなかったんだけど」
「すまん。確かめたくて」
「怒ってないよ。ただ、昨日は1日休んでたのに、こんなに動きが変わるんだね」
「一昨日の戦いで、いろいろ身についたんだと思う。あの後は疲れ切ってたから、確かめる余裕がなかったけど」
「じゃあ、これが今のオスカーの速さなんだ」
自分でも、走るたびに驚いている。100体との連戦の成果を、ようやく体で実感できていた。
第3層から先では、俺が敵の位置を伝え、2人の魔法でまとめて倒しながら進んだ。
「風よ、刃となれ――《ゲイル・エッジ》!」
エステルの風が、通路へ飛び出した魔物をまとめて倒す。
シルヴィアの氷も、後続の脚を正確に止めた。2人の魔法には、相変わらず惚れ惚れする。
指輪の青い石が、杖を持つ右手で光った。
「魔力が戻るの、やっぱり早いね」
「ええ。移動している間にも回復するので、次の戦いがずいぶん楽ですわ」
第5層までの道は、記録済みだ。分岐で悩まず、必要な戦いだけを終え、前回見つけた下り階段へ向かう。
第6層への階段の前で、エステルが冒険者証のDの文字を指でなぞった。
「今日は、ここで引き返さなくていいんだね」
「ああ。正式に、ここから先へ行ける」
エステルが嬉しそうに先を覗いた。
*
第6層へ降りると、黒い牙を持つ大きな猪が鼻を鳴らした。資料にあった鉄牙猪だ。
その後ろにも2頭。
「正面は俺が。エステルは右、シルヴィアは左を頼む」
「任せて」
エステルが杖を向け、シルヴィアも詠唱に入る。
「氷よ、我が魔力を受けて集え。鋭き槍となり、眼前の敵を貫け――《フロスト・ランス》!」
氷槍が、左の1頭を貫いた。
正面の猪が突進する。俺は身体強化を脚へ薄く巡らせた。
1歩。
床が後ろへ流れる。
突進を横へかわし、猪の首へ剣を走らせる。刃が触れる直前、昨夜の感覚を呼び起こした。
腕から剣へ、一瞬だけ闘気を通す。淡い白い光が刃を縁取り、振り抜くとすぐに消えた。
抵抗が、軽い。
硬い肉へ刃が通り、俺は猪の側面を抜けた。振り返る頃には、エステルの風も右の1頭を倒していた。
「今の、闘気?」
エステルの声が跳ねた。彼女の目は、白い光が消えたばかりの刀身へ向いていた。
「まだ覚えたばかりだ。長くは続かない」
「それも使えるようになったの!?」
シルヴィアが近づき、俺の腕を確かめる。
「痛めてはいませんね。……もう、目で追うだけでも大変ですわ」
その声には、安心と驚きが混ざっていた。
俺は剣を下げた。
今の速さなら、前より多くの隙へ届く。闘気も合わせれば、硬い相手に通せる。
ただし、レオノーラが同じ隙を見せるとは思わない。
あの人なら、この1歩をどう迎えるだろう。
考えると、次に試したいことが増えた。
帰還時刻から逆算し、探索を続ける。通路を記録し、何度か戦ったところで、《身体強化》がLv4へ上がった。
力を出す時と抜く時。その切り替えが、少し滑らかになっていた。
やがて、地図の端に、下へ続く形が現れる。
「階段だ」
実際に角を曲がり、足元へ続く段を確かめた。
第7層。
この先は、まだ俺たちが歩いていない階層だ。
レベルは67になっていた。
「明日は、朝から来られるね」
「ああ。ここから続きをやろう」
エステルは階段を見つめ、それから俺たちへ笑いかけた。
「楽しみすぎて、眠れなかったらどうしよう」
「そこは、寝てくださいませ」
「シルヴィアだって、楽しみでしょう?」
「……それは、もちろん」
帰り道を示す地図を開く。
今日、初めて通った道が、もう俺たちの道になっている。
明日は、その先へ。
手になじんだ剣の柄を、俺は握り直した。
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