第3話 あらゆるテンプレに備えよう
連載中の
『怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う』
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もよろしくお願いします!
前世の記憶と転生特典を手に入れた翌日。体調が戻ったのを確かめてから、俺は学院の個人練習室を借りた。
まずは、使い慣れた火の魔法。
今までは決められた詠唱をし、何とか火を出していた。
だが、《全属性魔力操作》LV1へ意識を向けると、胸の奥にある温かい流れが、はっきり分かる。
それを指先へ通す。
少しだけ。細く、途切れないように。
小さな炎が灯った。
言葉は、発していない。
「本当に、無詠唱か……」
この世界の魔法は、詠唱の最後に魔法名を唱えて発動するのが普通だ。その次が、必要な言葉を減らす詠唱短縮。何も唱えずに発動できる者は、熟練した魔法使いの中にもめったにいない。
昨日まで火を灯すのにも苦労していた俺が、その無詠唱で魔法を使っている。
普段と同じ火を、半分以下の魔力で出せていた。
これまでは、穴だらけの桶で水を運ぶような使い方をしていたのだろう。流れが見えるだけで、無駄を減らせる。
次に、授業で習った水の魔法を試した。
手順も詠唱も覚えていたが、俺には使えなかった魔法だ。
掌の上に、水玉が浮かぶ。
俺はしばらく、それを見つめた。
8歳の頃から、何度試しても作れなかった水玉だ。
あの時、魔法が使えたらよかったのにと思ったことがある。
左の袖を少しまくる。
肘の下に、薄い傷痕が残っていた。
両家で出かけた帰り道、馬車が魔物に襲われたことがある。護衛たちが戦う間に、転んだシルヴィアのところへ、1匹が回り込んだ。
逃げたかった。足も、歯も震えていた。
けれど、転んだ彼女は立ち上がれない。俺まで逃げれば、1人になる。
拾った枝を両手で握り、目をつぶりそうになるのをこらえて、彼女の前へ出た。
左腕を引っかかれ、声を裏返しながら叫んだ。
『俺の後ろから出るな!』
駆けつけた護衛が助けてくれるまでの、ほんの短い時間だった。
そのあと、安心した途端に泣いてしまった。シルヴィアより大きな声で。
翌日、見舞いに来た彼女は、俺の寝台の脇へ焼き菓子の箱を置いた。
『助けてくださったお礼ですわ。残さず召し上がって、早く治しなさい』
礼を言いながら、食べる量まで指定してくる。あの頃から、そういう子だった。
それで自信がついたわけではない。そのあとも、前世を思い出すまでは気弱なままだった。
それでも、あの1度だけは、怖いまま動けた。
俺は袖を下ろし、掌の水玉へ目を戻した。
「……できたな」
嬉しかった。
強い魔法だからではない。
ずっと届かなかったものに、やっと手が届いた気がした。
俺は水玉を、的の前に置かれた桶へ落とす。
次は風。土。それから、2つの魔法を同時に扱う練習。
すべてが1度で成功するわけではなかったが、流す魔力の量と向きを直し、もう1度試す。《全属性魔力操作》の熟練度が、少しずつ伸びていく。
形が崩れなくなり、狙った場所へ飛ばせるようになる。
昨日までの自分なら何日もかかった進歩が、その日のうちに起きた。
小さな水玉を浮かせたまま、風の形を整えてみる。
ここで《並列思考》が役立った。水玉へ流す魔力を一定に保ちながら、もう一方の意識で風を細く絞れる。片方に気を取られて、もう片方が崩れることが減った。
ただ、魔力は両方で使う。頭が2つ分働いても、魔力の残量は1人分だ。
俺は最後に、風を細くまとめ、石の的へ放った。
乾いた音。
的の表面に、1筋の傷が走っていた。
指先に火を灯すだけだった俺が、離れた場所へ攻撃を届かせたのだ。
思わず拳を握る。
その瞬間、目の前に文字が出た。
【魔力残量:1/18】
「……喜ぶ前に、座ろう」
能力を手に入れても、魔力切れで倒れたら同じである。
俺は壁にもたれ、呼吸を整えた。
しばらくすると、残量が2に増えた。練習の手順を振り返っているうちに、3になる。
いつもより、回復がわずかに早い。
《魔力回復促進(極小)》。今は小さな差だが、休憩を重ねれば練習できる回数も変わる。《体力回復促進(極小)》もあるとはいえ、立ちっぱなしの脚のだるさは、すぐには消えなかった。
これなら、練習の合間に休めば、次を早く始められる。
ただし、回復する以上に使えば尽きる。今の最大値は、18しかないのだ。
消費した魔力を補う、魔力回復ポーションもある。最大魔力量が増えるわけではないが、戦闘中に悠長に休めない時には頼りになる。
普段の練習は、この回復速度を頼ろう。ポーションは緊急用だ。毎回飲んでいたら、レベル上げより先に財布が空になる。
翌日からは、残量を視界の隅に出しておくことに決めた。
失敗は1回で済ませれば、経験になる。
寝台の件も、そういうことにしておこう。
*
夜は、帳簿を読んだ。
借金は、残り金貨600枚。
3か月後には、そのうち60枚の返済期限が来る。
思わず窓を開けた。
空気が足りなかった。
借金の始まりは、数年前の水害だった。
長雨で川があふれ、畑が沈み、街へ通じる橋まで流された。父は備蓄を開き、家の蓄えも使って食料を買い、橋と街道の復旧を急いだ。
父は借金をして、資金を補った。食べるものにも困っている家から取り立てるわけにはいかないと、年貢も減らした。
今では橋も架かり、畑にも作物が戻っている。ただ、我が家の借金は残った。
帳簿には、家財を売って返済に回した記録もある。屋敷の修繕も後回しだ。それでも、領地の収入が戻るより先に、次の支払いがやってくる。
……なるほど。事情は分かった。
父が守った領地ごと、立て直せばいいわけだ。
家の収入から返済や領地の維持費を引くと、金は少しずつ減っていく。ラングレー伯爵家の支援があるから、何とか支払いを続けられていた。
その支援があっても、3か月後の返済はかなり厳しい。資金が尽きる。担保の農地まで失えば、家を立て直すのはさらに難しくなる。
その前に、俺が金を稼ぐ方法を作る必要がある。
そこで、机に3枚の紙を並べる。
家の収支。冒険者ギルドの依頼報酬。そして、素材の買い取り価格。
俺はFランク冒険者で、放課後や休日に活動する学院の許可もある。
この世界には、各地に迷宮がある。王都には、小迷宮の《白晶迷宮》と、大迷宮の《黒曜大迷宮》がある。そこで得られるドロップアイテムは、冒険者たちの収入源にもなっていた。
白晶は全10層で、最深部にはボスがいる。黒曜にも10層ごとにボスがいて、どちらも討伐すればドロップを狙える。
黒曜の歴代最高到達は59層。制覇した者は、まだいないという。
いかにも冒険心をくすぐる話だが、Fランクの俺が単独で入れるのは、小迷宮の白晶の第1層までだ。強くなるだけでなく、ギルドに実績を認めてもらう必要もある。
王族も貴族も、若いうちに例外なく迷宮へ入る。俺たちのように、学院へ通いながらパーティを組む者も珍しくない。
剣で大物を倒せなくても、採取や小型の魔物の討伐なら始められる。
しかも、今の俺には《物品鑑定》と《無限収納》がある。
安い素材も捨てずに運び、品質のよい薬草を選んで持ち帰れる。
今すぐ600枚は無理だ。
最初は、自分の生活費を稼ぎ、仕送りを減らす。成長して高い報酬の依頼を受けられるようになれば、家へ送れる額も増やせる。その間に、領地の収入がどこまで戻っているか、返済の負担を減らす方法はないか調べる。
順番に進めれば、手はある。
「よし……」
ようやく、息がしやすくなった。
ただし、大きな問題が1つ。
今のパーティにいたら、無理だ。
俺が所属する《銀翼の鷹》は、学院の貴族仲間4人で組んだパーティである。
俺は4人の中で家格も実力も低く、荷物運びや道具の準備を引き受けていた。戦う時にあまり役立てない分、せめてそれくらいはと思っていたのだ。
活動日はリーダーのヴィンセント次第。地味な採取は嫌がられ、俺が拾おうとした安い素材も、置いていけと言われれば諦めていた。
皆で決めたことに従うのと、自分の希望を1度も言えないのは、違う。
収納を知られて、他家の仕事まで押しつけられるのも困る。家を助けるために動く時間が欲しいのだ。
まずは1人で動き、能力を使いこなし、どれくらい稼げるか確かめよう。
誰と組むかは、そのあとで考えよう。
俺は新しい紙を取り出した。
1人で受けられる依頼、買い足す道具、返すべき共同備品。
それらを書き出してから、別の項目を付け足す。
婚約破棄。パーティ追放。
毒。盗難。迷宮での遭難。路地裏での揉め事。冒険者ギルドで絡まれる。貴族からの決闘の申し込み。身分を隠した王族との遭遇。
考え始めると、際限がない。
「……魔王の復活は、次の紙だな」
そこで紙が尽きた。
世界の危機に備える前に、文房具屋へ行かなくては。
とりあえず、予備の食料と水。新しい傷薬と包帯。回復ポーション、魔力回復ポーション、解毒ポーションも少しずつ。あとは縄。暗い場所で使う灯り。それから、人を呼ぶための笛。
この世界が、知っている小説やゲームと同じだという証拠はない。俺は、自分の未来を知らない。
それでも、薬や食料なら、予想が外れても役に立つ。使わなければ、収納に入れたまま次に持ち越せばいい。
いい家族がいる。学べる場所がある。やりたいことだって、まだ山ほどある。
今度こそ、仕事だけで一生を終えるのはごめんだ。
家の借金を返したら、のんびり旅もしたい。せっかくだから、この世界を全て回ってみたい。美味しいものを食べて、眠くなったら眠りたい。
何か起こるたびに慌てるより、「おお、準備しておいてよかった」と笑って済ませたい。
「よし。あらゆるテンプレ、定番の展開は、ひと通り網羅しておこう」
俺は紙の1番上に、大きく書いた。
――あらゆるテンプレに備える。
*
そうして、前世を思い出してから8日が過ぎた。
授業の合間に修練を重ね、必要な品を買い、家へ手紙を書いた。《全属性魔力操作》はLV2へ上がり、同じ水玉を保つのに使う魔力も減った。いくつか失敗もしたが、出発前に気づけたことは収穫だ。
道具屋では、3種類のポーションの値段を見比べ、まずは1本ずつ買った。自分の財布で買った緊急用だ。共同の備品とは分けておく。
命は大事だ。だが、ランニングコストも無視できない。幸い、《無限収納》なら買った薬を傷ませずに持ち越せる。使うべき時には使い、無駄にはしない方針でいこう。
そして今日、予想していた婚約破棄が、実際に起きた。
想定内だ。
支援が止まる場合のことまで考えてあったから、慌てずに返事ができた。
中庭を離れた俺は、実習棟へ足を向ける。
これからは、稼ぐために時間を使いたい。
事情を説明して抜ける場合も、向こうから出ていけと言われる場合も、行き先は同じだ。
できれば、穏便に済ますことができれば助かるのだが。
俺は、実習棟へ続く廊下を曲がった。
さて。
まずは、あのパーティから抜けるか。




