第29話 教室から始まる冒険
「150体だって聞いたぞ」
「俺は200体って。最後には、普通のオークの3倍もある王が出たとか」
「それを3人で? 白晶の第5層だろ?」
教室の扉を開けた瞬間、そんな声が聞こえた。
倒したのは100体のはずなのに、噂の中ではもう倍になっていた。
この調子なら、昼には1000体になるかもしれない。
「あっ、オスカー!」
こちらに気づいた男子生徒が声を上げる。何人もの顔が、一斉に向いた。
「昨日、隠し部屋を見つけたって本当か?」
「最後の王は、どうやって倒したんだよ」
「待ってくれ。まず鞄を置かせてほしい」
俺は右肩を回しながら席へ向かった。よく眠ったが、まだ身体の奥に疲れが残っている。
今日は迷宮も本格的な鍛錬も休む。ただ、静かな1日にはなりそうもなかった。
「おはよう、オスカー」
銀色の髪が揺れた。
エステルが、にこにこしながら右手を持ち上げる。
「……今日も、つけてきたよ」
人差し指には、青い石の指輪。
朝の光を受けて、小さく輝いていた。
「おはよう。気に入ってもらえたなら、よかった」
「うん。すっごく」
返事が早い。
その隣で、シルヴィアがこほんと咳払いをした。
「わたくしも、使わせていただいていますわ。常に身につけていた方が、魔力の回復にも役立ちますもの」
そう言いながら、教本の端を右手で押さえる。
こちらにも、同じ青い石が光っていた。
「ああ。2人とも、よく似合ってる」
エステルの笑みが、ぱっと大きくなった。
シルヴィアは教本へ視線を落とし、少し遅れて、小さくうなずく。
「……そう。ありがとう」
ただ、そのあとの2人の動きが、少し気になった。
シルヴィアは、机の上に右手だけを置いている。
エステルも、椅子を寄せて話しながら、同じ机に右手だけを置いている。
2つの青い石が、きれいに並んだ。
窓からの光が、よく当たる位置に。
……なるほど。
さりげなく、のつもりなのだろう。
シルヴィアが左手だけで教本をめくろうとして、2枚まとめてつまんだ。
エステルは、話の途中で右手を少し傾ける。
指輪が光る。
2人とも、ちらりとそれを見て、口元を緩める。
全然、さりげなくない。
*
「シルヴィアさん、その指輪……!」
最初に気づいたのは、前の席から振り返った女子生徒だった。
その声に、近くの女子たちも顔を向ける。
「まあ、きれい。昨日はつけていなかったわよね?」
「エステル殿下も? お揃いですの?」
「見てもいい?」
「もちろん!」
エステルが、待ってましたとばかりに手を差し出した。
シルヴィアも、落ち着いた表情を作って手を上げる。
「ええ。どうぞ、近くでご覧になって」
落ち着いた声とは裏腹に、差し出す手は早かった。
あっという間に、机の周囲へ女子生徒が集まった。
「青が澄んでる。エステル殿下の銀の髪に、すごく合うわ」
「シルヴィアさんにも似合ってる。瞳の色と同じね」
「2人ともきれいだから、余計に素敵に見えるのよ」
「そんなこと……」
否定しかけたシルヴィアの頬が、緩む。
慌てて口元を引き締めたが、指輪へ目を落とした途端、また戻った。
エステルは最初から、嬉しそうに笑ったままだ。
「それ、昨日の宝物?」
「うん。魔力回復リングだよ」
「魔力回復リング!?」
1人が声を裏返らせた。
「魔道具の本に載っていた、あれ? 身につけると、魔力が戻るのが早くなるっていう……」
「そう、それ。ギルドでも確かめてもらったの」
「本物、初めて見た……」
身を乗り出す女子たちに、エステルは嬉しそうに手を傾ける。
「オスカーがくれたんだ」
こちらへ向いた視線の数が、急に増えた。
「2人に、1つずつ!?」
「いいなあ……!」
「素敵っ!」
「3人で見つけた宝ですわ」
シルヴィアが、頬を赤くしながら補足した。
「オスカーが、自分の取り分をわたくしたちへ譲ってくださったの。これからの魔法に役立つからと……」
そこで、また口元が緩む。
「シルヴィアさん、説明している間も笑ってる」
「そ、そんなことはありませんわ」
「エステル殿下も」
「だって、嬉しいんだもん」
「エステル!」
「シルヴィアは嬉しくないの?」
「……嬉しくないとは、言っていません」
小さな返事に、女子たちの歓声が上がった。
指輪を贈れば話題になる。それくらいは考えていた。
だが、本人たちがここまで嬉しそうに話すとは。
俺まで顔が熱くなり、鞄から教本を取り出すふりをした。
*
「お前、本当にあの2人へ指輪を贈ったのか……」
正面の男子生徒が、机に両手をついた。
質問は魔物の話だったはずだが。
「2人に使ってもらうのが、1番役に立つからな」
「それを普通の顔で言うなよ」
「羨ましい。指輪じゃなくて、お前が」
そんなことを言われても困る。
「それで、魔物は何体だったんだ?」
「最後のオークキングを入れて、100体だ」
「100……」
聞き返した生徒の表情が変わる。
「父の知り合いが、昨日ギルドでお前たちを見たらしくてさ。噂が大げさになってるんだと思ってた」
「3人だけで100体なら、十分大げさみたいな話だろ」
「1度に全部と戦ったわけじゃない。何度かに分かれて現れたんだ。途中で魔力を補充して、配置を変える時間もあった」
「その間に、外へ逃げられなかったのか?」
「入口が封じられていたからな。薬を使ったのも部屋の中だ。最後の王を倒すまで、外へは出られなかった」
質問した生徒が、真剣な顔になる。
「そんなにいたら、囲まれないか?」
「囲まれないように、まず誰がどちらを見るか決めた。シルヴィアが氷で敵の通り道を狭めて、エステルがまとめて倒す。そこを抜けてきた敵は、俺が止めるんだ」
手帳を出す者まで現れた。
「エステル殿下の魔法って、味方のすぐ近くでも使えるのか?」
「使っていた。俺の後ろから来た水の槍が、曲がって敵に刺さったよ」
「曲がる?」
「撃ってから?」
少し離れたところで聞いていたフェリクスが、眼鏡を直した。
「しかも、別々に動かせるんだ。2本の水の槍を、それぞれ違う方向へ。僕も、この目で見たよ」
ヴィンセントとブルーノも一緒だった。
3人とも噂を聞いて、話の輪に加わったらしい。
「1本だけでも難しいのに、2本同時なんだ」
真剣な顔で言うフェリクスに、ブルーノがうなずく。
「シルヴィアさんの回復魔法もすごかったぞ。あれだけの傷が……」
ブルーノにつられ、フェリクスも女子たちの方を見た。
その間から指輪が見えたらしく、ヴィンセントの眉が、ぴくりと動く。
「……指輪まで」
「何か言ったか?」
「何でもない。それより、王の斧をどう止めた」
露骨に話を戻された。
「まともには止めてないよ。受ければ、剣ごと身体を持っていかれる。避けて、ずらして、2人が魔法を準備する時間を作った」
「何度もか?」
「ああ。最後は、5呼吸ほど」
ヴィンセントは俺の手を見て、少し黙った。
「……それをやり切ったなら、大したものだ」
珍しく、まっすぐな言葉だった。
「今日は剣を振るなよ。さっきから、手を気にしてるだろ」
言われて、自分の手を見る。
鞄を置いてからも、無意識に指を開いたり閉じたりしていた。
「よく見てるな」
「次に俺と戦う時、疲れていたと言い訳されても困る」
そう言って、そっぽを向く。
はいはい。
俺以外には負けるな、だったな。
*
「……わたしも、冒険者登録しようかな」
女子の輪から聞こえた1言に、何人かが振り返った。
言い出したのは、アニエス・ベルトラン。実技でよく剣を選ぶ女子生徒だ。
「指輪が欲しいの?」
「それも少し。でも、お2人の話、楽しそうなんだもの」
アニエスは、少し照れながら続けた。
「実習で行く時って、先生についていくでしょう? 自分たちで行き先を考えて、依頼を選んで、帰ってきて次の相談をするのって……いいな、って」
「分かる。わたしも、弓をもっと使ってみたい」
隣のマリオンがうなずく。
「わたしの土魔法でも、役に立てるかしら」
「コレットの土壁、実習で助かったわよ。わたしは水魔法と、小さな傷の治療ができるから」
ノエミが、指を折って数え始めた。
「剣と弓と、土と水……4人いるわね」
顔を見合わせる4人に、エステルが身を乗り出した。
「いいじゃない。組んでみたら?」
「でも、エステル殿下たちみたいには……」
「わたしたちだって、最初は第1層からだよ」
それは事実だ。
最初から、第1層の魔物には申し訳なくなるほど強かったが。
シルヴィアが、落ち着いた声を添える。
「得意なことが違うのは、よいことですわ。ただ、回復できる傷の深さや、何回魔法を使えるかは、最初に伝え合っておいた方がいいと思います」
「それ、相談したい。わたし、たくさんは治せないもの」
ノエミの隣で、1人の女子生徒が口を開きかけ、閉じた。
リネット・オーベル。
回復魔法の実習で、丁寧に詠唱していた姿を覚えている。
シルヴィアも、それに気づいたようだった。
「リネットさんは、もう登録していましたわよね?」
「はい。まだFランクですけれど。薬草を集める依頼を、何度か……」
「一緒に行く方は?」
「探しているところです。でも、わたし、攻撃の魔法が苦手で」
視線が少し下がる。
「傷を治すのは好きなんです。けれど、シルヴィアさんほどのことはできませんし……」
「最初からシルヴィアと同じくらい治せなくても、いいんじゃないか」
思わず口を挟んでいた。
リネットが、目を丸くする。
「浅い傷でも、治せる人がいれば助かる。俺だって、回復はまだ教わっている途中だよ」
「わたくしが教えているのですわ」
シルヴィアが、少し胸を張った。
また指輪が見える角度になったのは、きっと偶然ではない。
「リネットさんは、傷口の様子をよく見てから魔力を通しますでしょう。先生も、丁寧だと褒めていらしたわ」
「……覚えていてくださったんですか」
「ええ」
そのやり取りを、ブルーノがじっと聞いていた。
やがて、ヴィンセントの袖を引く。
フェリクスも、そちらへ目を向けた。
短い沈黙のあと、ヴィンセントが1歩進み出る。
「オーベルさん」
「は、はい」
「俺たちも、仲間を探している。よければ、1度話を聞かせてもらえないか」
リネットが、3人を順に見た。
「《銀翼の鷹》、ですよね。でも、わたしはまだ……」
「今できることを教えてほしい。苦手なことも、先に聞いておきたいんだ」
ヴィンセントの声は、いつになく慎重だった。
「この前、仲間を2人とも怪我させた。回復できる者がいればと思ったが……それだけを当てにして進めば、同じことになる」
ブルーノが、自分の腿へ手を置く。
「俺も、守る位置を見直してるところだ。後ろにいてもらうなら、ちゃんと動きを合わせたい」
「僕が魔法で敵を近づけないようにする。その間に治療してもらえるよう、練習しよう」
フェリクスの言葉に、リネットは唇を引き結んだ。
少し考えてから、顔を上げる。
「浅い切り傷と打ち身なら治せます。深い傷は、まだ無理です。疲れた時も、そう言って構いませんか」
「言ってくれ。できれば、限界になる前に」
「それなら……わたしからも、皆さんの戦い方を見せていただきたいです」
「もちろんだ。最初は第1層で、動きを合わせよう」
返事を聞いて、リネットの肩から力が抜けた。
俺は口を挟まず、4人を眺めた。
以前の俺も、Fランクのまま、あのパーティに入った。
だが今、3人がリネットへ向けている目は、攻撃できるかどうかだけを見てはいなかった。
「なんだ、オスカー」
視線に気づいたヴィンセントが、眉を寄せる。
「いい仲間になりそうだと思って」
「……まだ、話しているところだ」
そう言いながらも、リネットへ向き直る顔は、少し柔らかかった。
*
始業の鐘が鳴る直前まで、教室の相談は続いた。
「盾は、1人が持った方がいいかしら」
「矢の補充もいるわよね」
「帰ってきたあとの記録って、何を書いている?」
女子の輪からも、男子の輪からも、次々と声が上がる。
アニエスたちは、もう紙の上に4人の名前を書いていた。
俺の机では、1人の男子が、仲間との立ち位置を図にしている。
教室の中に、いくつも小さな作戦会議ができていた。
扉が開き、ハインツ先生が入ってくる。
室内を1度見渡した先生は、教本を教卓へ置いた。
「ずいぶん景気のいい声がすると思ったら、ここは冒険者ギルドになったのか?」
あちこちで笑いが漏れる。
「相談の続きは休み時間に。迷宮へ持っていく知恵を増やしたいなら、まず今日の授業を聞くことだ」
椅子を引く音が、慌ただしく重なった。
エステルも自分の席へ戻り、シルヴィアはきちんと教本を開く。
ようやく、右手が筆記の仕事に使われ始めた。
それでも、2人とも時々、青い石へ目を落としている。
そのたびに、少しだけ口元が緩んだ。
……そんなに喜んでもらえるなら、贈ってよかった。
これは、素直にそう思う。
*
放課後。
朝の相談は、口先だけでは終わらなかった。
俺たちはクラスメイトの手続きにつきあうため、冒険者ギルドへ向かった。
「今度は、お友達のご案内ですか?」
エマさんが、俺たちの後ろへ目を向けて笑った。
アニエス、マリオン、コレット、ノエミ。
4人はそれぞれの登録を済ませると、並んで新しい冒険者証を見比べた。
全員Fランク。結成するパーティも、Fからの出発だ。
「パーティ名は、決まりましたか?」
エマさんに聞かれ、アニエスが3人を見る。
「《四つ葉》で、お願いします」
「4人で、いいことを見つけられるように、です」
ノエミが付け加えると、エステルが大きくうなずいた。
「うん。いい名前!」
少し離れた窓口では、《銀翼の鷹》の加入手続きが進んでいた。
昼休みに、得意な治療や詠唱にかかる時間を聞き合った4人は、互いに納得してここへ来ていた。
確認を終えた職員が、登録内容を読み上げる。
リネットの個人ランクはFのまま。《銀翼の鷹》も、これまでどおりEランクだ。
「最初の探索は、第1層で連携の確認をします」
ヴィンセントが答えると、リネットが隣でうなずいた。
登録簿に、1人分の名前が加わる。
そのあと、4人は依頼掲示板へ向かった。
少し後ろを歩いていたリネットを、ブルーノが手招きする。
彼女は小さく笑い、3人に追いついた。
「明日から、教室でも冒険の話が増えそうだね」
エステルが、隣で言った。
「どの依頼にしたとか、どんな魔物に会ったとか。みんなの話も聞いてみたいな」
視線の先では、《四つ葉》の4人も、初めての依頼を相談している。
今日の朝まで、こんな光景になるとは思っていなかった。
モンスターハウスの噂。青い石の指輪。少し羨ましいという気持ち。
きっかけは、それぞれだ。
そこから誰かが1歩踏み出し、別の誰かが隣に並ぶ。
エステルと初めて依頼を選んだ日のことを思い出す。
あの時も、出発する前から楽しかった。
「明日も、教室が賑やかになりそうですわね」
シルヴィアが笑った。
「ああ。たぶんな」
その右手で、青い石が光った。
エステルもつられて自分の指輪を見て、2人そろって、また笑う。
掲示板の前から、「最初は、この依頼にしよう」という声が聞こえた。
明日の教室では、きっとその話を聞かされる。
俺たちも、次の冒険の話を持ち帰ろう。
そう思いながら、もうしばらく、賑やかな掲示板の前を眺めていた。




