第27話 金貨100枚よりも
「この指輪は、売りましょう」
シルヴィアが言った。
開いた宝箱の中で、2つの青い石が光っている。
1つで金貨50枚はするという、魔力回復リング。
魔法使いなら、誰もが欲しがる品だ。
シルヴィアも、その1人だろう。
さっきから、指輪を見つめる青い瞳が、何度も揺れていた。
「2つで、金貨100枚ですわ。次の返済分を確保しても、まだお父様の助けになります。オークションなら、もっと……」
言葉を切り、彼女は俺を見た。
エステルも、箱から目を上げる。
「わたしも、それでいいよ。3人で決めればいいんだから」
2人は、俺の家の事情だけを考えて言ってくれている。
そのことが、何よりありがたかった。
金貨100枚。オークションで、さらに値が上がる可能性もある。
父の抱えた600枚の借金が、全部なくなる額ではない。それでも、次の期限に必要な60枚を十分にまかなえる。指輪2つで、返済を大きく進められるのだ。
父の顔が浮かんだ。
売りたいと、俺が言えば2人はそれに従ってくれるだろう。
そう考えると、指輪の載った箱が、急に重くなった気がした。
だが、俺は首を横に振った。
「ありがとう。でも、これは2人に使ってほしい」
*
「……わたくしたちに?」
「ああ。1つずつ」
シルヴィアの視線が、俺と指輪を行き来した。
「オスカー。値段は、聞いていましたわよね?」
「金貨50枚が、2つだろ」
「でしたら……」
「分かってる。売れば、借金の返済がずっと楽になる。それでも、2人に使ってほしいんだ」
俺は、床に置いたマジックバッグへ目を向けた。
中には、さっきまで拾っていた魔石が入っている。
「今日の魔石も売れる。指輪を手放さなくても、家へ送る金は増やしていける」
「でも、それだけで足りるとは限りませんわ」
「足りないだろうな。だから、これからも稼ぐ」
このリングを売れば返済は楽になる。
それでも、この2つをすぐに金貨へ替えることが、俺たちにとって1番いいとは思わなかった。
「さっき、魔力回復ポーションを飲んだだろ?」
2人が、うなずく。
「戻る魔力が増えれば、それだけ続けて戦える。詠唱や制御の練習も、もっとできる。シルヴィアが誰かを治す時にも、エステルが大きな魔法を使う時にも、きっと役立つ」
俺は、エステルを見る。
「あの風の槍、すごかった」
銀色の髪の下で、彼女の目が少し丸くなる。
「胸当てを壊してくれなかったら、最後の剣は通らなかったと思う。ああいう魔法を、もっと使えるようになってほしい」
次に、シルヴィアへ向き直った。
「君の氷が、あいつを止めてくれた。怪我も、治してくれた」
縫い直しが必要になった袖を、軽く持ち上げる。
その下に、傷は残っていない。
「その力を伸ばせるものを、ここで売りたくないんだ」
2人が、黙った。
前世の言い方なら、将来のための投資だ。
だが、見込める収益を計算してから、決めたわけではなかった。
エステルが、知らなかった魔法を覚えて笑うところを、もっと見たい。
シルヴィアが、治したい相手を前にして、魔力が足りないと思う場面を減らしたい。
今は、その気持ちの方が強かった。
「それなら、あなたにも必要ではありませんか」
シルヴィアが、静かに言った。
「今日、前で1番長く戦っていたのは、あなたですわ。魔法も、ずっと使っていたでしょう」
やはり、そこは聞かれるか。
俺は箱を床へ置き、2人を見た。
「それについては、少し話しておきたいことがある」
*
「俺には、魔力が戻るのを早める力があるんだ」
エステルのまばたきが止まった。
「……魔法じゃなくて?」
「ああ。そういう能力を持ってる。《魔力回復促進》っていう」
今の効果は(中)。ただ、その段階や、レベルの節目で強まる仕組みまで説明すれば、転生特典の話になる。
転生したことも、経験値や熟練度の補正も、まだ俺の中に置いておく。
けれど、2人と同じ場所で戦い続けるなら、自分が何をできるのか、少しずつ伝えた方がいい。
隠したままでは、仲間が判断に困ることもある。
「それで、練習のあと、少しの休憩でまた魔法を使えたんだ」
エステルが、納得したように言った。
「気づいてたのか」
「気づくよ。いつも一緒にいるんだから」
少しだけ、胸を張る。
俺は苦笑した。
「ただ、減らないわけじゃない。さっきみたいに続けて使えば、回復が追いつかなくなる。ポーションも必要だった」
「いつまでも使い続けられるわけではありませんのね」
「ああ。そこは当てにしすぎないでほしい」
シルヴィアは、真剣な顔でうなずいた。
話を聞いて、自分が次にどう動くかを考えているのだろう。
こういう時の2人は、頼もしい。
「だから、俺も欲しくないわけじゃないけど、この2つは2人が使う方がいいと思う」
もう1度、指輪へ目を向ける。
「3人で手に入れた宝だ。勝手には決められない。だから、俺の分は2人へ譲らせてほしい」
「譲る、って……」
「2人への、贈り物にしたい」
言ってから、妙に静かになったことに気づいた。
二人は、俺を見ていた。
「……そっか」
いつもならすぐ返ってくる声が、少し遅れた。
「贈り物、なんだ」
「ああ。これからも一緒に、もっと先へ行くための」
エステルが、唇を結んだ。
笑いたいのを、こらえているようだった。
「そんなふうに言われたら、欲しくなっちゃうよ」
「そのつもりで言ってるからな」
「……うん。じゃあ、もらう」
彼女は両手を伸ばし、箱の中から1つを取った。
銀の輪を、そっと握る。
「ありがとう、オスカー。大事にするね」
声は、驚くほど素直だった。
「これでまた、たくさん魔法を使えるようになる。今度は、もっとすごいのを見せてあげる」
「楽しみにしてる」
「うん。期待してて」
胸を張ったあと、彼女は視線を落とした。
手のひらの指輪を見て、頬がゆるむ。
それを俺に見られたと気づいたのか、少しだけ背を向けた。
*
箱には、あと1つ。
シルヴィアは、まだ手を伸ばさなかった。
「本当に、よろしいのですか」
「ああ」
俺は真っ直ぐにシルヴィアを見る。
「そ、そんな風に見られると……」
1度視線を逸らした後、彼女は顔を上げた。
それから、少し困ったように笑った。
「……そういうのは、ずるいです」
「えっ、そうか?」
「そ、そうです……」
シルヴィアは小さく呟き、ようやく、残っていた指輪を取った。
指先で触れ、しばらく見つめる。
白い指の間で、青い石が揺れた。
「大切にします。魔法の道具としてだけではなくて……」
そこで、言葉が止まった。
俺が待っていると、彼女は顔を赤くした。
「あなたが、くださったものですから」
小さな声だった。
だが、はっきり聞こえた。
「ありがとう、オスカー」
いつものように言葉を飾ったり、急に横を向いたりせず、彼女は俺を見ていた。
俺も、うなずく。
「使ってもらえたら嬉しいよ」
「ええ。必ず、役立てますわ」
「あなたが怪我をした時、また治せるように。エステルも、ほかの方も。できることを、増やしたいですから」
俺は、手当てしてもらった腕を見た。
「俺も、回復の練習を続けるよ。君の分を、ちゃんと引き受けられるように」
シルヴィアの頬が、さらに赤くなった。
なぜだ。
パーティとして、普通に必要な話をしたつもりなのだが。
エステルが横から顔を出す。
「シルヴィア、つけないの?」
「今、つけようと思っていました」
「ふうん。ずっと眺めてるから、大事にしまっておくのかと思った」
「あなたも、さっきから同じことをしていますわ」
エステルの手が止まった。
握っていた指輪を、背中へ隠しかける。
「……してないよ」
「していました」
していたな。
だが、俺は黙っていた。
*
2人は、それぞれ右手の人差し指に指輪をつけた。
杖を握り、邪魔にならないか確かめる。
エステルが指を開くと、青い石が結晶の光を受けた。
「……あ。少しずつ戻ってくる」
「確かに、いつもより早いですわ」
シルヴィアも、自分の手を見つめる。
失った魔力を、1度に満たすものではない。それでも、休んでいる間に戻る量が増えることは、連戦を終えた今ならよく分かるのだろう。
俺たちは水を飲み、残った回収物を確かめてから、王の討伐で開いた出口へ向かった。
3人とも通路へ出たところで、俺は1度振り返る。今度は、光の膜に行く手を阻まれることもなかった。
あれほど賑やかだった部屋は、静まり返っている。新たな魔物も、宝箱も現れなかった。
何度も稼げる場所、というわけではなさそうだ。
その仕組みは、まだ分からない。
ただ、今日の冒険は十分だった。
記録してある道を選び、3人で地上へ向かう。
帰り道で迷わなくて済むことが、今日はいつも以上にありがたかった。疲れた足で分岐を行き来せず、次の階段へまっすぐ進める。
「前に、全部回っておいてよかったね」
「こういう時に役に立つからな」
俺が答えると、エステルはうなずいた。
その視線が、すぐ自分の右手へ落ちる。
口元が、ゆるむ。
隣のシルヴィアも、歩きながら杖を持ち替え、指輪を光へかざしていた。
こちらも、笑っている。
俺が振り返ると、2人とも急に前を向いた。
「足元、見て歩いてくれよ」
「見てるよ」
「ちゃんと見ていますわ」
返事だけは、実に揃っていた。
*
ギルドへ戻る頃には、空が赤く染まっていた。
エマさんは、俺たちの格好を見て、すぐに表情を変えた。
「怪我は?」
「治療済みです。3人とも、歩いて帰れます」
「よかった。では、何があったか聞かせてください」
俺たちは第5層の隠し部屋と、繰り返し現れた魔物について説明した。
入ると入口が封じられたこと。群れを倒しても外には出られず、最後の王を倒して初めて出口が開いたこと。
エマさんは、その点も詳しく書き留めた。
「通路へ退いて休むことは、できなかったのですね」
「はい。魔力の補充も、配置の変更も、すべて部屋の中です」
場所は、紙にも書き写して渡す。
ただの周回で済むはずだった道に、こんな部屋があった。その情報は、ほかの冒険者にとっても意味がある。
100体目がオークキングだったと告げたところで、エマさんの手が止まった。
「……第5層、ですよね?」
「はい。そこから別の階層へは下りていません」
マジックバッグから取り出した魔石を見て、彼女は奥へ査定の担当者を呼びに行った。
隣の受付で待っていた冒険者が、こちらを見る。
「おい、今、オークキングって言ったか?」
「あの大きい石、まさか……」
「第5層へ行くだけなら平気だと思ってたんだが」
小声が続く。
俺も、今日はそう思っていた。
テンプレには備えていたつもりだが、入る前から100体と正確に予想できたわけではない。
次は、もっと上手く準備しておこう。
しばらくして戻ってきた担当者は、魔石の並んだ盆をエマさんの前へ置いた。
「魔力の濃い、質のよい石です。特に、これが」
オークキングの魔石を指す。
提示された買い取り額は、合わせて金貨28枚だった。
俺は、思わず聞き返した。
「……魔石だけで?」
「はい。こちらの分を、すべて売却される場合の金額です」
これまでの地道な稼ぎと比べても、大きい。
3人で顔を見合わせ、売却を決めた。
エマさんが代金の入った袋を置くと、エステルがそれを俺の方へ押した。
「魔石のお金は、オスカーが全部受け取って」
「全部? いつもなら、3人で分けるだろ」
「今日は、わたしたちが指輪をもらったからね」
エステルが、右手の青い石へ触れた。
シルヴィアも、うなずく。
「この部屋を見つけてくださったのも、あなたですわ。あの壁の前で引き返していたら、何も手に入らなかったのですもの」
「でも、魔物は3人で倒した」
「ええ。ですから、3人で分け方を決めましょう。指輪はわたくしたちに。魔石のお金は、あなたに」
穏やかな声だったが、譲るつもりはなさそうだった。
エステルも、俺を見て笑う。
「わたしたちにも、贈らせてよ」
その言葉に、俺は袋を見た。
さっき、自分が伝えたかった気持ちが、そのまま返ってきたようだった。
2人には受け取ってほしいと言っておいて、俺だけ断るのもおかしな話か。
「……ありがとう。大事に使わせてもらう」
そう答えると、2人が満足そうに笑った。
消耗品の補充は、これまでの共同資金から出すことにした。金貨28枚は、全額を俺が受け取る。
袋を持ち上げると、ずしりと手に重みがかかった。
次に父へ送る金を、これで大きく増やせる。
もちろん、この金も3人で手に入れたものだ。そのことは、忘れずにいよう。
指輪については、人の少ない奥の席で確かめてもらった。
2人がいったん外した指輪の、刻印と石を担当者が慎重に調べる。
「確かに、魔力回復リングです。通常の売却でも、1つ金貨50枚の買い手はつくでしょう。オークションで競り合いになれば、1つに100枚つく可能性もあります。2つとも、よく似た効力があります」
「売却は、しません」
俺が言うより先に、シルヴィアが答えた。
その早さに、エステルが笑う。
「うん。もう、使う人が決まってるから」
返された指輪をすぐにはめ直し、2人とも右手を自分の方へ寄せていた。
エマさんがその仕草を見て、柔らかく微笑んだ。
「それなら、長く大切に使ってください。今日の実績も記録しておきます。昇格の相談は、疲れが取れてからにしましょうね」
*
ギルドを出ると、街の灯りが点き始めていた。
歩くたび、脚が重い。
明日の鍛錬は、少し加減した方がいいかもしれない。
エステルも、階段を下りる時だけ、少し顔をしかめた。
「魔力は戻ってきたけど、足は疲れたままだね」
「指輪は、筋肉痛まで治してくれませんもの」
シルヴィアが言う。
もっともだ。
それでも2人は、灯りの下を通るたび、指輪へ目を落とした。
にまにま、と笑っている。
片方が相手に気づいて顔を戻すと、その相手も慌てて指を閉じる。
少し歩けば、また同じことをする。
疲れているはずなのに、忙しい2人だった。
「そんなに嬉しいものか?」
つい聞くと、エステルが俺を見た。
「嬉しいに決まってるでしょ」
その隣で、シルヴィアも小さくうなずく。
「……何度も聞かないでください。顔を、戻せなくなりますから」
そう言ってから、また指輪を見てしまう。
なるほど。
魔道具で、これほど喜んでもらえるなら、贈った甲斐があった。
そう思いかけて、少しだけ引っかかった。
指輪。
女の子への、贈り物。
……いや。今考えたことは、ひとまず置いておこう。色々ややこしくなりそうだ。
俺たちは、これからも一緒に冒険を続ける仲間だ。
今日、100体の魔物を倒した。
大きく成長し、家へ送れる金も増えた。
そして2人の指には、明日からの力になる宝が残った。
エステルが、灯りへ右手をかざす。
シルヴィアも、その隣で同じことをした。
2つの青い石が光り、2人が顔を見合わせて笑う。
売れば、金貨100枚。それ以上の値がついた可能性もある。
けれど、今の笑顔を見ていると。
あの宝箱の前で選んだことに、後悔はなかった。




