第26話 100体目の王
咆哮が、胸の奥まで響いた。
オークキングが斧を引きずる。刃の先が床を削り、耳障りな音を立てた。
俺は、残っている魔力を確かめた。
ポーションで補った分は、まだ使える。脚も動く。だが、99体と戦った身体は、決して万全ではない。
レベルは、55まで上がっていた。
たった1部屋で、17も。
50を越えた時、2つの回復促進が(中)へ上がった。群れが途切れるたび、息も魔力も前より早く戻る。だが、傷を治す力ではないし、休まず使い続けられるほどでもない。
喜ぶ時間は、あとで作ろう。
目の前の巨体は、成長したばかりの俺にも、十分すぎるほど手強そうだった。
背後の入口は、まだ封じられている。こいつを残したまま帰ることはできない。
「正面から受けない。斧が下りたあとを狙おう」
「うん。左から合わせる」
「わたくしは右へ。回り込まれないよう、離れすぎないでください」
2人の返事を聞き、俺は1歩前へ出た。
オークキングの目が、こちらへ向く。
巨体が沈んだ。
来る。
*
斧が、横から唸りを上げた。
俺は上体を低くし、刃の下へ潜る。
背中を風圧が叩いた。
そのまま踏み込み、脇腹へ剣を走らせる。
硬い音が響いた。
黒い胸当ての端に、浅い傷が残る。風をまとわせていても、1撃では通らない。
オークキングが、足を上げた。
蹴りが来る。
俺は剣を引き、横へ跳んだ。
胸の前を、丸太のような脚が抜けていく。
「風よ、貫け――《ゲイル・バレット》!」
エステルの風が、顔を狙った。
オークキングは斧の柄を立て、上体をひねる。頬が切れたが、狙いは外された。
直後、シルヴィアの氷槍が胸へ当たる。
鉄板がへこみ、巨体が半歩下がった。
倒れない。
空いている手の甲で頬の血を拭ったそいつが、今度はシルヴィアを見た。
「こっちだ!」
俺は顔へ火弾を撃った。
炎が弾け、視線が戻る。
足元へ土を盛る。踏み出す足を崩すつもりだった。
オークキングは、それを踏み砕いた。
土の破片を蹴散らして、斧が振り下ろされる。
思考の中では、刃が近づくまでが長く見えた。
けれど、身体が同じ速さで動くわけではない。
《身体強化》へ魔力を送り、俺は床を蹴った。さっきまでより1歩遠くへ逃れる。
斧が、さっきまでいた場所を割る。
跳ねた石片が左腕をかすめた。熱い痛みが走り、袖に赤い線ができる。
やばいな、あれを喰らったら死ぬ。額からじわりと汗が出る。
着地して振り返ると、もう斧が持ち上がっていた。
大振りのあとには隙がある。
そう思っていた。
しかし、そもそも引き戻す腕力が違った。重い武器を振っているのに、次へ移るのが思ったより早い。
「……ただ大きいだけじゃないな」
俺は、剣の柄を握り直した。
王を名乗るだけのことはあるらしい。
*
「オスカー、左へ!」
俺が左へ跳ぶと、エステルが短く唱えた。
「土よ、立ち上がれ――《アース・ピラー》!」
俺とオークキングの間に、土の柱が立つ。
斧がそれを砕く。
だが、1度、止まった。
その間に、シルヴィアの詠唱が最後の1節へ至る。
「凍てつく水よ、地を這う鎖となれ。敵の足を捕らえ、その歩みを、この場に繋ぎ止めよ――《フロスト・チェイン》!」
床から伸びた氷が、オークキングの足首を包んだ。
俺は斧を持つ腕の外側へ回り込み、鎧のない膝裏へ、風をまとった刃を入れた。
手応えがあった。
初めて、巨体が大きく揺れた。
吠え声。
オークキングが足をひねり、氷を割る。
無理に追わず、俺はすぐ剣を引いた。
頭の上を、斧が抜ける。
「傷は入る。止める時間も作れる」
言葉にしながら、呼吸を整える。
「ただ、長くは縛れませんわ」
「十分だ。今の1瞬があればいい」
シルヴィアが、うなずいた。
俺は《探索マップ》へ意識を向けた。
魔物の反応は、この1体だけ。
新たな群れが来ていないことを確かめ、柱と壁の位置を頭の中で重ねる。右の柱は根元が砕け、左側には魔石が散らばっている。
入口まで下がっても、そこにあるのは封じられた岩壁だ。追い詰められれば、斧を避ける場所まで失う。
柱の間には、まだ横へ動ける広さが残っていた。
「広い方へ移そう。壁際へ追い込まれないよう、横に回る」
「分かった。わたしが向きを変える」
エステルが走った。
銀色の髪が、光をはじく。
彼女は斧が上がるのを見てから、短く唱えた。
「水よ、撃ち抜け――《アクア・ランス》!」
2本の水槍。
1本は肩へ。もう1本は、先ほど俺が傷を入れた脚へ。
オークキングが身をひねり、肩への1撃を鎧で受けた。
その動きを見て、エステルの杖先が変わる。
2本目が曲がった。
巨体の陰へ回り、膝裏を撃ち抜く。
片足が、がくりと落ちた。
「そこっ!」
俺は踏み込み、胸当ての下を突いた。
剣が入る。
だが、オークキングは退かなかった。
傷を受けたまま、空いている左手を伸ばす。
剣を握る俺の腕ごと、掴もうとしていた。
まずい。
刃を抜いて跳ぶ。
指先が袖をかすめた。
もう1歩遅ければ、腕を持っていかれていた。
着地した足が、落ちていた魔石を踏んだ。
靴底が滑る。
「風よ、押して――《ゲイル・プレス》!」
脇腹を、風に押された。
俺の身体が横へ流れ、斧の落ちる場所から外れる。
エステルだった。
「ありがとう!」
「あとで聞く!」
彼女の声が、いつもより鋭かった。
それでも、俺を見る目には迷いがない。
次の攻撃へ戻れ、と言っていた。
*
2人が作ってくれた隙を、今度こそ決着につなげる。
「胸当ての下の隙間には刃が入った。でも、深く刺す前に掴まれかけた」
「なら、胸当てを壊す。正面から狙えるようにするよ」
エステルが杖を握り直した。
「準備に5呼吸、ほしい」
「そのあと、わたくしが足と斧を止めます。ただし、1度だけですわ」
シルヴィアが続ける。
「2呼吸、もらえるか」
「ええ。必ず」
鎧を壊し、動きを止める。その間に、俺が胸を貫く。
オークキングが、こちらへ向き直る。
胸当てにはひびが入り、片脚をかばっている。傷は確実に積み重なっていた。
だが、握った斧はまだ下がっていない。
「分かった。俺が引きつける」
「天を駆ける風よ、我が呼び声に応えよ。幾重の渦を束ね、荒ぶる嵐をこの手に宿せ――」
エステルが詠唱の前半を紡ぎ、杖先へ風を集め始める。俺は剣を立てた。
5呼吸。
今までの鍛錬で、何度も数えた時間だ。
1呼吸目。
顔へ水弾を放ち、踏み込むふりをする。
斧が低く走った。
退く。土を盛り、足の運びを遅らせる。
2呼吸目。
オークキングは、俺を追わなかった。
その目が、後ろのエステルへ向く。
杖の先には、小さく渦を巻く風があった。
何をしているか、こいつにも分かるのか。
「見せないよ」
俺は横へ回り込み、傷ついた膝を斬った。
巨体が傾き、斧の先が俺を追う。
3呼吸目。
剣を振った勢いで身体を回し、柄による突きを避ける。
太い腕が、視界を塞いだ。
風を刃に残したまま、手首を狙う。
厚い皮膚へ、赤い線が走った。
4呼吸目。
左手が伸びてくる。
今度は、掴まれない。
手のひらへ火弾を撃ち、ひるんだ隙に後ろへ跳ぶ。
着地した膝が沈む。
まだだ。脚へ身体強化をかけ、もう1歩を踏み出した。
5呼吸目。
背後で、詠唱の後半が響き始めた。
「荒れ狂う風よ、一条の槍となれ。立ちはだかる鋼を裂き、我が敵を貫け――」
杖先の風が、細く鋭い槍へと絞られていく。
「オスカー、下がって!」
完成を見て取ったシルヴィアが叫び、すぐに氷の詠唱を始めた。
俺は横へ跳び、射線を空ける。
「――《テンペスト・ランス》!」
魔法名が、広間に響いた。
放たれた槍は、甲高い音を残して凄まじい威力で飛んだ。
オークキングが胸の前に斧を構え、受け止める。
ぶつかった場所から、白い筋が散った。
斧が、押し戻される。
槍はそこで終わらなかった。
「まだっ!」
エステルが叫び、杖を押し出す。
渦を巻く風が斧の縁を滑り、その奥の胸当てへ食い込んだ。
金属が裂ける音。
傷ついていた鉄板が、とうとう割れた。
その攻防の間も、シルヴィアは詠唱を続けていた。鎧が割れた瞬間、最後の言葉を結ぶ。
「――《フロスト・チェイン》! 今ですわ!」
最後の魔法名と、合図が響く。
床を走った氷が両足を包む。さらに2本の太い氷柱が斜めに伸び、胸の前に構えた斧の柄を両側から挟み込んだ。
足と、武器。
同時に止まった。
俺は、床を蹴った。
オークキングの筋肉が盛り上がる。
足元の氷に、ひびが走る。
まだ早い。
踏ん張ろうとした踵の下へ、土を押し上げた。
最初のように、足裏全体を持ち上げようとはしない。
力をかけた踵の、ほんの一部だけ。
その位置を、狙った。
巨体の重心が、後ろへ流れる。
俺は剣を突き出した。
15振り目の風も、まだ刃に残っていた。
それを、切っ先へ集める。
エステルから教わった、形を絞る感覚。
シルヴィアから教わった、必要な場所へ魔力を流す感覚。
何度も繰り返した踏み込み。
全部を、今、使う。
「――通れっ!」
割れた胸当ての下へ、剣が入った。
厚い肉の抵抗。
刃を支える腕と、床を押す両脚へ、身体強化の魔力を回す。風を切っ先に保ったまま、さらに踏み込む。
風が、奥で弾けた。
オークキングの咆哮が、途切れる。
伸びてきた左手が、俺の肩の手前で止まった。
俺は剣を引き抜き、よろめきながら下がった。
シルヴィアが氷の拘束を解くと、斧が床へ落ちた。
巨体が片膝をつき、その輪郭が、虹色の粒へとほどけていった。
……虹色? 超激レアだ。
銀でも金でもない。幾つもの色が重なって、暗い広間をきらめいていた。
前世のガチャなら、ここで画面から目を離せなくなる。最高の当たりを引いた時の、あの色だ。疲れて膝が笑っているのに、口元まで勝手に緩む。
何が出た。いや、まず息を整えろ、俺。
分かっていても、消えていく光を目で追わずにはいられなかった。
*
最後の灯りが、消えた。
床の模様も、暗くなる。
続いて、背後で石の擦れる音がした。
入口の継ぎ目から光が消え、岩壁がゆっくりと開いていく。向こうには、入る前に歩いていた通路が見えた。
「……出口、開いたよ」
エステルの声が、少し震えた。
俺はしばらく、剣を構えたまま動けなかった。
地図に、新しい反応はない。
10を数える。
何も、出てこない。
「……100体。全部だ」
帰れる。3人で、この部屋から。
そう思った途端に、膝から力が抜けた。
その場へ座り込む。
「勝った、ね」
エステルが、笑おうとして息を吐いた。
シルヴィアも杖を支えにして、ゆっくり腰を下ろす。
「ええ。3人で」
俺たちは顔を見合わせた。
銀色の髪には埃がついていた。シルヴィアの頬にも、細い煤の跡がある。俺に至っては、左の袖が破れていた。
誰かが見れば、随分ひどい格好だろう。
それでも、笑えた。
「……強かったな」
「うん。だから、勝てて嬉しい」
エステルが両膝を抱える。
「1人なら、あの魔法を完成させる前に、近づかれちゃってたね」
「ええ。オスカーが引きつけてくださらなければ、わたくしも落ち着いて詠唱できませんでしたわ」
「俺も、2人が鎧を壊して動きを止めてくれたから、最後まで踏み込めたんだ」
そう答えて、俺は息を吐いた。
ひとしきり呼吸が落ち着いたところで、ステータスを開く。
レベル62。
《剣術》Lv7。《全属性魔力操作》LV5。《身体強化》LV3。
連戦で磨いた剣と魔法が、数値にも表れていた。
さらに、その下に新しい文字があった。
【成長恩恵】《闘気LV1》獲得
60の恩恵だ。説明には、魔力を練って身体や武器の表面へまとわせ、攻撃と防御を高めるとある。身体の内側へ魔力を巡らせる身体強化に対し、こちらは外側を覆う技術らしい。
膝元で手を握ると、拳の輪郭に淡い白い光がにじんだ。皮膚のすぐ上で揺れるそれを見て、慌てて力を解く。光はすっと消えた。今は試し切る余力がない。まず休み、広い練習場で、どのくらい使えるか確かめよう。
《闘気》にも熟練度の欄がある。これも、使って鍛えていく力だ。
入る前の38から、24も上がった。100体の連戦に、経験値10倍の補正が重なった結果だ。
レオノーラの足を1歩動かすために、試したいことがまた増えた。
「オスカー。その腕を、見せてください」
シルヴィアが、俺の袖を指す。
言われるまで、忘れかけていた。
彼女が詠唱を紡ぐ。
「――《セイクリッド・ヒール》」
傷へ柔らかな光が落ちる。
染みるような痛みが、ゆっくり引いた。
今日も、治してもらった。
次は俺も、彼女へ同じことができるようになりたい。
*
水を飲み、少し休んでから、俺たちは魔石を集め始めた。
大きさだけではない。
どれも色が深く、手のひらへ載せると、普段のものより重く感じる。
オークキングが残した1個は、拳ほどもあった。内部に赤い光が溜まり、傾けるたび、底から火が揺れるように見える。
「これ、かなりの値段になるよ」
エステルが目を輝かせた。
「同じ大きさでも、魔力の濃さで価値が違うんだ。この部屋のものは、みんな濃い」
俺は、床に散らばる魔石を見た。
経験値だけでも、とんでもない収穫だった。
だが、家のことを考えると、こちらもありがたい。
王家のマジックバッグへ収めていく間に、奥で石の擦れる音がした。
3人とも、手を止める。
壁の下部が沈み、低い台が現れた。
その上に、小さな宝箱が置かれている。
魔石とは別に、宝箱も現れた。
エステルが近づき、箱の縁に刻まれた模様を確かめた。俺も蝶番と留め具を見てから、脇へ立って蓋を持ち上げる。
内側に敷かれた布の上で、2つの指輪が光っていた。
銀色の細い輪に、澄んだ青い石。
《物品鑑定》の文字を読んで、俺は息を止めた。
魔力回復リング。
身につけた者の、魔力が戻る速さを高める。
おお。ど定番の、超激レアアイテムだ。
魔力を少しずつ取り戻してくれる装備。前世のゲームでも、手に入るとずいぶん助かった覚えがある。
この世界でも、いつかは出会えるかもしれない。そう思って、備えの候補には入れていた。
ただし、もっと先の話だと思っていたのだ。
黒曜へ潜れるようになってからか。あるいは、十分に稼いで、店や競売で探せるようになってからか。
それが、まだ白晶の第5層で手に入った。
しかも、2つ同時に。
レベル40で得た《レアドロップ率上昇(小)》も、助けになったのだろうか。確率が少し上がるだけで、欲しい物を選べるわけではない。今回の当たりがそのおかげかは分からないが、3人で勝ち取った報酬なのは確かだ。
品物は想定内。入手する時期は、随分と前倒しだった。
……こういう予定の変更なら、大歓迎だ。
「……まさか」
エステルも、輪の内側の刻印を見つめていた。
「魔力回復リング? こんなものが、2つも……」
「売るとしたら、どのくらいになる?」
「なかなか売りにも出ないものだから、1つで金貨50枚はすると思う。オークションなら、欲しい人同士が競って、1つに100枚つく可能性もあるよ」
50枚。
2つで、100枚。
競り合えば、その倍になるかもしれないという。
次の返済期限に必要な60枚を上回る価値が、小さな箱へ収まっていた。
シルヴィアが、俺を見た。
彼女も、同じ額を思い浮かべたのだろう。
「オスカー。この指輪は――」
その先を聞く前に、俺は2人の顔を見た。
さっきまで、俺の隣で戦ってくれた2人を。
そして、自分がどうしたいかは、もう決まっていた。




