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第21話 まだ見せていないもの

【エステル視点】


 机の脇に置いた、王家のマジックバッグへ手を伸ばした。


 古代の術者が残した収納空間。その中でも、時間は流れる。


 けれど、オスカーの収納は違う。道具も使わずに椅子をしまい、昨日のパンを温かいまま取り出してみせた。時間が止まるのは中だけで、外の時間は操れないと言っていた。それでも、王家の逸品を遥かに越えている。


 保温や保存では説明しきれないかもしれない。だからこそ、すぐに仕組みが分かったつもりにはなれなかった。


 どこへしまっているのか。空間をどう保ち、その中だけを時間の流れから切り離しているのか。


 考えるほど、鼓動が速くなった。


 わたしがいつか辿り着きたいと願っていた場所を、彼はもう知っている。少し悔しい。けれど、それ以上に、見たい。


 魔法の深淵。その先で、この世界はどんな仕組みを見せてくれるのだろう。


 気づけば椅子から立ち上がっていた。何かを試したい。今すぐ本を開きたい。指先が落ち着かず、バッグの留め具を何度も撫でてしまう。


 ……深呼吸。今夜いきなり、空間を開けるわけじゃない。


 小さく笑って、もう1度座った。


 彼が話したのは、予備の食料や縄を持っていると知らせるためだった。


 うん。縄は大事。でも、神話の領域を備品の説明に混ぜられたら、こちらの頭が追いつかない。


 大きさや量の限界は、まだ聞いていない。時間が止まる仕組みも、彼自身が説明できるとは限らない。


 続きを無理に聞き出すつもりはなかった。それでも、いつか話せる時が来たら、少しでも理解できる自分でいたい。


 まずは、自分の力で小さな収納空間を作れるところまで。その先の時間にだって、いつか手を伸ばしたい。


 届かないと決めてしまうには、今日見たものは、あまりに鮮やかだった。


     *


 机の上のノートを開く。


 今日は、いつもより文字が多い。


 昼休みに、1度だけできた無詠唱。その時の魔力の流れを、忘れないうちに書いたページだ。


 小豆くらいの水玉。ひと呼吸しか保てずに、指の間へ落ちてしまった。


 迷宮で使う魔法に比べたら、ほんの小さなものだ。それなのに、思い出すだけで頬が緩む。


 オスカーも、シルヴィアも、笑ってくれた。


 次の2回は失敗したけれど、またできるようになりたい。今度は、もう少し長く。そうしたら、少しだけ大きく。


 帰国してから、毎日が楽しい。


 学院へ行けば、2人がいる。シルヴィアと言い合いながら課題を解き、オスカーに魔法を教えて、今度はわたしが教わる。


 先生だった人が次には生徒になるのが、面白い。


 昨日の迷宮も、気持ちがよかった。


 第2層の魔物を倒すことには、十分な余裕があった。わたしもシルヴィアも、まだ魔力を残して、次の戦い方を試せた。


 でも、それだけであんなに早く進めたわけではない。


 オスカーは、まだ姿の見えない魔物に気づいた。どちらから何匹来るのか教えてくれて、わたしたちが魔法を使いやすい場所へ移った。


 初めて通る道でも、帰りにどこへ繋がるかを、ちゃんと覚えている。分岐で地図を広げて悩むことが、ほとんどなかった。


 魔物を倒す速さなら、わたしには自信がある。


 もちろん、わたしだって、まだ本気は出していない。


 今の白晶では、小さくまとめた魔法を、狙ったところへ当てれば十分だ。大きく魔力を使う必要も、留学先で覚えた魔法を端から見せる必要もない。


 使いたい魔法は、ほかにもある。広い場所で、もっと強い相手に向けて試したいものも。


 オスカーが今まで見たのは、わたしにできることの、ほんの一部だ。


 3年間、詠唱を短くする練習だけしていたわけではないのだから。


 わたしが本気で4属性を使いこなして戦ったら、彼はどんな顔をするだろう。


 少し驚いてくれると嬉しい。その後で、いつものように、どうやったのかと聞いてくれたら、もっと嬉しい。


 そこを思い浮かべると、つい口元が緩む。


 まだ見せていないものがあるのは、あなただけじゃないんだよ、オスカー。


 そんな魔法を思いきり使える場所へ、3人で行きたい。そのためにも、彼の索敵や道案内は頼りになる。


 しかも、その間にも、オスカーは上手くなる。


 その速さが、どう考えても普通ではない。


 少し前には2振りで散っていた剣の風を、昨日は5振りまで保っていた。水の魔法では、わたしが指摘した魔力の散り方を直し、次の戦いでもう使ってみせた。


 1度できた、で終わらない。できる回数が増えて、使える場面まで増えていく。


 わたしも、覚えるのは速い方だ。それは、周りと一緒に学んできたから分かる。


 だからこそ、彼の伸び方がおかしいことも分かってしまう。


 初めは、もともとできることを、今まで隠していただけかと思った。


 でも、それだけでは説明できない。


 回復魔法をシルヴィアから教わる時の彼は、知らないことを1つずつ聞いていた。最初から完成した技術を出したのではなく、うまくいかないところを直していた。


 今日も、自分の掌の傷を治しきることはできなかった。そこは、シルヴィアが長い時間をかけて磨いた技術との違いだ。


 それなのに、もう前より少ない魔力で、痛みを和らげられるようになっている。


 剣でも、攻撃魔法でも、回復でも。


 どれか1つに集中している人の伸び方を、いくつも同時に見ているようだった。


 オスカーは、よく考える。質問も具体的で、教わったことをすぐ試す。努力しているのも、毎日そばで見ていれば分かる。


 でも、それだけで、こんなに速くなるのだろうか。


 考えながら、ペンの先で余白を軽く叩いた。


 わたしが魔力の流し方を教える。彼がそれを別の魔法にも使って、分からないところを聞いてくる。答えようと考えると、わたし自身も、今まで曖昧だった感覚に気づく。


 彼だけではない。教えているはずのわたしたちまで、前へ進んでいる。


 その輪の真ん中で、彼は毎日、昨日より多くのものを持って帰る。


 1か月後には、どうなっているのだろう。


 1年後なら?


 簡単には思い描けなくて、わたしは笑ってしまった。


 いいよ。わたしだって、今のままでいるつもりはない。


 今日の小さな水玉を、いつか彼が驚く魔法にしてみせる。


 それから、もう1つ、気になっていることがある。


 彼はまだ、自分にできることの全部を、見せていないのではないか。


 男子生徒との決闘では、相手が詠唱するのを待っていた。昨日の迷宮でも、もっと早く倒せるのに、わざわざ魔物が足を動かすところを見ていた。


 練習のために加減している。それは分かる。


 でも、今日の収納を見たら、その加減の奥に、まだ知らない手段がある気がしてならなかった。


 剣の未熟なところまで、演技だとは思わない。練習で失敗すれば悔しそうにするし、お姉様に勝つ方法を考える時の顔は真剣だ。


 それでも、わたしたちが見ている手札だけが、彼の全部なのだろうか。


 まだ全然、本気を見せていないのかもしれない。


 そう考えると、背中が少しぞくりとした。


 怖いというより、その先を見てみたかった。


 ただ、まだ見えていない力を当てにして、練習を減らすつもりはない。彼自身が明日も試そうと言ったのだ。わたしは、隣でそれを手伝いたい。


 明日は第3層。その先には、第4層も、第5層もある。もっと実績を積んで、下へ行く資格を取れたら、白晶の1番下まで見に行きたい。


 それから、黒曜へ。その先は、王都の外へ。


 《深淵》という名前を考えた時、見たい景色も、知りたいことも、たくさん浮かんだ。


 迷宮の底も、魔法が生まれる理由も、本の最後に答えがなかった問いも。自分の足で辿り着き、自分の目で確かめたい。


 胸の奥が熱い。こんなに先を見たくなるなんて。


 オスカーに連れていってもらうだけでは、足りない。わたしの魔法でも道を開きたい。3人で、誰も知らない深淵まで。


 その景色の中に2人がいることが、今は何より嬉しかった。


     *


 扉が叩かれた。


「エステル。まだ起きているか」


「起きてるよ、お姉様」


 入ってきたお姉様は、わたしの机を見て、少し目を細めた。


「また勉強か。休息も必要だぞ」


「今日できたことを、書いてただけ」


「そうか。今日は、楽しかったか」


「うん。すごく」


 そう答えると、お姉様は嬉しそうに笑った。それから、ほんの少し、複雑な顔になる。


「……あの男と、一緒だったのだな」


「シルヴィアも一緒だよ」


「承知している」


 絶対に、今、思い出した。


 わたしは椅子を回し、お姉様へ向き直った。


「お姉様とも、一緒に迷宮へ行きたいよ」


 赤い髪が揺れた。


「ならば――」


「だから、オスカーが勝ったら、ちゃんと来てね」


 お姉様の口が止まった。


 少しだけ、かわいそうだったかもしれない。でも、それがわたしの望みだ。


 お姉様のことは、大好きだ。帰ってきて、また話せるようになったのが嬉しい。


 だからこそ、わたしが選んだ仲間も、好きになってほしかった。


「約束は守る。だが、勝負で手を抜くつもりはない」


「うん。分かってる」


 それでこそ、お姉様だ。


 部屋を出る前、お姉様は、夜更かしをするなと言った。その後で、夜食は要るかと聞いてきた。


 それを食べたら、寝るのが遅くなると思う。


     *


 再び静かになった部屋で、机へ向き直る。


 オスカーには、勝ってほしい。


 お姉様の強さを知っているから、簡単だとは思わない。あの3度の打ち合いでも、力の差ははっきりしていた。


 けれど、勝つための条件は決まっている。円の外へ、ほんの少しでも足を出させればいい。


 あの日の帰り道、わたしもシルヴィアも、オスカーなら勝てると思ったと伝えた。励ましたくて言っただけじゃない。毎日の変化を、すぐ隣で見てきたからだ。


 お姉様が確かめたのは、あの日のオスカーの強さ。わたしたちが信じたのは、そこから先の成長だった。


 そのために、わたしに教えられることがある。練習を見て、気づけることがある。


 彼1人に頑張ってもらうつもりはない。


 わたしが選んで、わたしも受けると決めた勝負だ。今の毎日を続けるために、できることは全部やりたい。


 新しいページに、明日の練習で試したいことを書いた。


 ふと、昼休みのオスカーの顔を思い出す。


 まだ話せないことがある。全部を説明する用意はできていない。


 そう言った彼には、きっと、ほかにもたくさんの秘密がある。


 あの収納だけでも、分からないことだらけだ。驚くほど早く敵を見つけることも、次々に新しい魔法を覚えることも、全部を知ったとは思えない。


 聞きたい。


 とても、聞きたい。


 でも、今日、何度も扉を確かめていた彼を思い出すと、言葉を飲み込めた。


 きっと、話すのに勇気が要った。


 その相手に、わたしたちを選んでくれた。


 だから、次も自分から話したいと思ってもらえるように、今日の秘密を大切にしよう。お姉様にも話さなかった。それは、わたしが自慢していいことではないから。


 知りたいことを前にして、待ってもいいと思えるなんて。


 少し前のわたしなら、驚くかもしれない。


 ノートの端に、オスカーの名前を書きかけて、ペンを止めた。


 今日、水玉ができた時、彼は嬉しそうだった。わたしが王女だからでも、天才と呼ばれているからでもなく、練習していたことができたのを、一緒に喜んでくれた。


 あの顔を、明日も見たい。


 もし明日、新しい秘密を1つも教えてもらえなくても、きっと、3人で迷宮へ行くだけで楽しい。


 そこまで考えて、わたしはペンを置いた。


 ……シルヴィアのことを、あまりからかえなくなるかもしれない。


 彼の手を治していた時の、少し赤い頬を思い出す。


 自分の頬へ触れると、指先より、ほんの少し温かかった。


 知りたいことは、まだ山ほどある。


 でも今は、答えを聞く時、彼の隣にいたいと思う。


「まいったなあ。わたしも、好きになっちゃいそう」




◇

『傲慢すぎると伯爵家を追放された聖女ですが、なぜかついてきてくれた執事が超優秀すぎるので生きていけそうです』※全10話で完結執筆済み


を掲載しました。サクッと読めますので、ぜひよろしくお願いします!

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