第19話 無限収納
翌日の昼休み。借りておいた個人練習室の扉を閉め、俺は2人へ向き直った。
「そんなに緊張する話なの?」
「俺の顔に出てるか?」
「さっきから、扉を3回見てる」
エステルの指摘に苦笑する。シルヴィアも椅子に座り、俺の言葉を待っていた。
「ここで話すことは、ほかの人には伏せておいてほしい」
「分かった」
「あなたが話してよいと言うまでは、口外しませんわ」
俺は礼を言い、机へ置いた銅貨に触れた。収納し、掌へ戻す。
2人の視線が、消えた場所と俺の手を行き来した。
「俺は、こういう収納が使える」
「……もう1回」
銅貨を消し、戻す。エステルが身を乗り出した。
「道具は? 指輪とか、腕輪とか、服の裏に縫ってあるものとか」
「使っていない。俺自身の能力だ」
「それって、空間魔法……? 道具なしで、直接しまってるの?」
「まあ、そんな感じの力だ。ただ、仕組みまで説明できるわけじゃない」
エステルは口を閉じ、銅貨を見つめた。初めて会った日の無詠唱より、驚いているかもしれない。
「留学先でも、自分で収納空間を扱う人には会えなかった。先生たちだって、使える人はいないんじゃないかな……」
「わたくしも、初めて見ますわ。いつから使えたんですの?」
「最近だ。使えるようになってから、自分で確かめていた。ほかにも今は話せないことがあるし、全部を説明する用意はできていない」
言葉を選んで続ける。
「ただ、2人と迷宮へ入るなら、持っている備えは伝えておきたいと思った」
保存食、水の革袋、縄。それから私物の回復、魔力回復、解毒ポーションを出した。瓶には買った時につけた目印がある。
「昨日、水を分けて持とうと言ったのは、このことも考えていた。ただ、全部を俺に預けるのはやめよう。俺が倒れた時に困るから」
「普段の道具は、今までどおりだね。わたしのバッグなら、人前でも出せるし」
「ああ。その上で、もう1つ備えがあると思ってくれれば」
言い終えると、少し肩の力が抜けた。
*
「どのくらい大きいものまで入るの?」
誰も座っていない椅子へ触れ、収納する。エステルの口が開いた。
「丸ごと?」
「この大きさなら入る」
元へ戻すと、シルヴィアが椅子の脚を確かめた。
「……では、わたくしたちも?」
「生き物は入らない。座っていたベッドで試したら、ベッドだけ消えた」
「落ちたんだ」
「落ちたな」
エステルが吹き出し、シルヴィアも口元を隠した。
「何でも先に考えてそうなのに」
「あれは、手順を間違えた」
「怪我は?」
「尻を少し打っただけだよ」
「それなら、よかったですわ」
秘密と一緒に、失敗まで明かしてしまった。
笑いが落ち着いたところで、俺はもう1つ包みを出す。昨日買って、焼きたてのうちにしまったパンだ。
「食料のことで、もう1つ。中では時間が止まる」
エステルの笑みが止まった。
包みを開くと、焼けた小麦の香りが広がる。差し出したパンへ、彼女がそっと指を触れた。
「……温かい。今、温めた?」
「いや。昨日入れた時のままだ」
「保温の魔法じゃなくて? 傷まないように保存してるだけ、とか」
「俺も確かめた。氷も溶けないし、温かいものも冷めない。中にある間だけ、入れた時の状態から変わらないんだ」
エステルはパンを持ったまま、黙り込んだ。
「わたしのバッグは、違うよ」
ようやく出た声は、小さかった。
「王家のマジックバッグでも、中では時間が流れる。パンは冷めるし、食べ物を入れっぱなしにしたら傷む」
「容量以外にも、違いがあったんですのね」
シルヴィアが真顔になる。エステルはゆっくりうなずいた。
「本当に時間そのものが止まっているなら、わたしの知っている空間魔法では説明できない」
神話に出てくる時間魔法の話になる、と彼女は続けた。
予備の食料を説明するつもりが、ずいぶん話が大きくなった。
「念のため言うが、外の時間は止められないぞ。しまった物だけだ」
「うん。それでも、十分すぎるから」
エステルはパンを机へ戻した。もう1度見たいのを我慢するように、指を引く。
「重さは? 容量は? その空間は、いつから――」
「エステル。全部を話す用意は、まだできていないと言っていましたわ」
「……ごめん。気になりすぎた」
「今は、予備を持って歩くのに困らない、とだけ」
「うん。説明したくなったら、聞かせて」
彼女は俺の顔を見て、笑った。
「話してくれて、嬉しいよ」
「もっと、驚くかと思ってた」
「驚いてるよ。今も、すごく。でも、嬉しい方も本当」
ほかに知っている人は、と聞かれ、2人が初めてだと答える。その言葉に、シルヴィアの表情も和らいだ。
「今まで黙っていたこと、怒らないのか?」
「話せると思ってくださったから、今日、呼んだのでしょう? でしたら、まずはそれを喜ばせてくださいませ」
責められることまで想定していた俺に、彼女は続ける。
「ただ、準備まで全部、1人で引き受けないでください」
「容量の話は――」
「道具を買い、確かめて、補充する方の話ですわ。薬や包帯なら、わたくしも相談に乗れます」
「縄や灯りもね。しまう物を忘れたら、空間が広くても困るでしょう?」
「それは、確かに困るな」
3人で笑った。
転生も、10倍の成長補正も、《探索マップ》も、《思考加速》も隠したままだ。容量に限りがないことも、まだ言っていない。
それでも、2人を前より近く感じる。
全部を話すか、何も話さないか。その2つだけで考えなくても、よかったのだ。
「ありがとう。2人に、話してよかった」
想定内だと余裕たっぷりに思うつもりが、礼を言う声を平らに保つ方が難しかった。
*
「じゃあ、先生に戻ってもらおうかな」
エステルが短い詠唱を《アクア・オーブ》の名で結び、掌に水玉を作った。
「わたしだって、新しいことをできるようになりたいもの」
いったん水を消し、今度は唱えずに魔力を集める。形になる直前、流れがほどけた。
「ここで、いつも散っちゃう」
「大きくしようとしてないか? 最初は小さくてもいい。同じ細さで流してみよう」
「ちゃんとできたって、分かるものにしたくて。……もう1回」
3年間磨いてきた詠唱短縮の感覚と、俺の説明を照らし合わせているらしい。俺が言葉に詰まると、彼女の方から確かめてくれる。
教えながら、俺も教わっていた。
やがて、小豆ほどの水が丸く浮かんだ。
ひと呼吸。震えた水玉が指の間へ落ち、肌を濡らす。
「……今、唱えてなかったよね?」
「ああ。水になってた」
「できた……!」
エステルは弾んだ声を慌てて押さえ、シルヴィアを見た。
「見た? 今の!」
「ええ。おめでとうございます。……少し、悔しいですけれど」
「ありがとう!」
すごい威力の魔法を使う王女が、指を濡らしただけの水玉に、こんな顔をする。
続く2回は失敗した。それでも彼女は、できた時との違いを熱心に書き留めた。実戦で使うにはまだ先があるが、初めての1回は、もう消えない。
「わたくしも、見ていただけます?」
シルヴィアは詠唱を一部省き、小さな氷を皿へ載せた。3回とも、ほぼ同じ大きさだ。
「安定してきたな」
「氷槍では、まだ崩れますけれど」
「でも、その3つはきれい。流す量が揃ってたよ」
エステルに言われ、彼女の口元が緩む。
次は俺の回復魔法だった。昨日擦れた掌へ光を留め、広がった分を傷の周りへ寄せる。数呼吸で、皮膚が引かれる痛みが少し薄れた。
「前より、少ない魔力でできた」
「ええ。ですが、まだ全部は治っていません。続きはわたくしが」
シルヴィアが詠唱を結ぶ。
「――《セイクリッド・ヒール》」
光が触れると、赤みも痛みも消えた。速さも魔力のまとまり方も違う。その指の動きまで見ておく。
「そんなに見られると、少しやりにくいですわ」
「勉強になるんだ。シルヴィアが治すところは」
「でしたら、よく覚えてくださいませ」
「シルヴィア、治療はもう終わってるよ。手、離してあげてもいいんじゃない?」
「今、確認していたところです!」
俺の手が素早く戻された。初めて無詠唱に成功しても、友人をからかう余裕はあるらしい。
*
放課後は迷宮へ行かず、実技場で練習した。
木像の両脚へ土を盛り、片側を崩す。傾いたところへ風を当てれば倒れるが、エステルは首を傾げる。
「今のは全部見えちゃうね。お姉様なら、土を作ってる間に木剣で砕くか、あなたを狙うと思う」
木像を立て直し、足元への魔力を小さくまとめる。
土を変える意識と、風を向ける意識。《並列思考》で2つを保ち、順序を調整した。風が早すぎたら、次は土の動きへ合わせる。
「最初の土の動きは、小さくなりましたわ」
「もう少し、足の下へ寄せられるかも」
2人から見えたことを聞き、試す。前日の実戦でつかんだ感覚も、調整を助けてくれた。
空が赤くなる頃、練習を切り上げた。レベルは25、《剣術》はLv5のまま。それでも、魔力を無駄なく流せた感覚は手元に残っている。
「明日は、第3層も見に行こうか」
「ああ。階段までは、昨日の道で行ける」
《探索マップ》には通った道が残っている。同じ分岐で迷わず、戦いやすい場所も帰路も確かめられる。
「昨日くらいなら、まだ魔力に余裕があったよ。もっと進めそう」
「資料の第5層までの魔物なら、十分に相手ができると思います。オスカーが早めに見つけてくれるから、詠唱もしやすいですわ」
2人の魔法が道を開き、俺が敵の位置と道を確かめる。その間にも、3人で上達していく。
第5層まで、順調に進めそうだった。その先もDランクへ昇格すれば、白晶の最深部へ道が開く。
「必要な物は、出発前に一緒に確認しましょう」
「ああ。頼む」
今日は、答える時に迷わなかった。
エステルが俺へ顔を寄せる。
「例の方に、忘れず入れておいてね」
「声を潜めると、かえって怪しく聞こえるぞ」
「じゃあ、普通に言う?」
「そのままで頼む」
2人が笑った。
信じて話した秘密が、早くも明日の準備の話になっている。
それが、思っていた以上に嬉しかった。




