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第17話 複利

 寮の部屋へ戻り、木剣を壁に立てかけた。


 握っていた手を開く。指は動く。だが、剣を押さえ込まれた感覚は、まだ掌に残っていた。


 レオノーラ・アルヴェイン。


 爆炎の剣姫。剣聖の卵。学院最強の《栄光の翼》で副リーダーを務め、黒曜大迷宮の23層で戦う実力者。


 そして、妹が大好きなお姉様。


 最後の1つがなければ、今日の俺は、もう少し穏やかな放課後を過ごせた気がする。


「……強かったな」


 椅子へ腰を下ろし、息を吐いた。


 剣が速い。力も強い。だが、それだけではなかった。こちらが魔法を加えても、彼女は慌てない。俺が次に動きたい場所まで、先に塞がれていた。


 3度攻めて、1歩も動かせなかった。


 あれでも、炎は使っていない。


 手合わせを終えてから、彼女は言った。


 父上は認めたようだが、この程度では私は認めない、と。


 ただ、攻め方を変えたことは見ていた。今の俺では足りないと確かめたうえで、1か月後の成長を見せろと、あの条件を出したのだ。


 帰り道、エステルとシルヴィアは、あの条件なら勝てると思ったと笑っていた。毎日の俺を見てきた2人が、そう言ってくれた。


 嬉しい。だからこそ、結果を出さなければいけない。


 俺は目の前に、ステータスを開いた。


 レベル22。《剣術》はLv5。《全属性魔力操作》も、毎日の練習と実戦でLv3へ上がった。水を保ちながら風を絞っても、以前のように両方が崩れない。


 前世を思い出した時は、レベル3で、《剣術》はLv1だった。あの日から、20日ほどしか経っていない。


 水玉を作れて喜び、魔力を使い切って壁際に座り込んでいた俺が、今は剣に風をまとわせて戦っている。槍や弓、魔法を使う相手にも、勝てるようになった。


 間違いなく、強くなっている。


 それでも、今日の相手には届かなかった。


 画面の下へ、意識を向ける。


 《成長補正》。獲得経験値と、スキル熟練度の獲得量が10倍。


「1か月で、10か月分か」


 同じ内容の鍛錬を、同じ時間だけ行うなら、そう考えられる。


 普通なら1年近くかかる成果を、1か月で得られる。十分にとんでもない能力だ。


 だが、剣姫が積み重ねてきたのは10か月ではない。


 幼い頃からの鍛錬。才能。命のかかった迷宮での経験。俺がようやく初歩をつかみ始めた魔法剣を、あれほど自在に扱うまでに費やした時間。


 しかも、彼女は俺を待つ1か月の間も、普通に強くなるのだろう。


 相手の成長だけ都合よく止まる予定は、ない。


 毎日剣を振って、10か月分上達しました。それで正面から勝てる相手だとは、思えなかった。


 俺は机へ両肘をつき、手を組んだ。


 ただ、この20日で感じていることがある。


 昨日と今日で、同じ時間にできることが違うのだ。


     *


 最初は、1匹の狼へ剣を当てるだけで精一杯だった。


 今は、水弾で動かした先へ踏み込める。無駄な空振りが減った分、腕も息も残る。次の魔物と戦う余裕ができる。


 魔法も同じだ。


 以前は形を保つだけで魔力を使っていた。エステルに流し方を直してもらうと、余計に消費する量が減った。その分、もう1度試せる。


 試せば、熟練度が入る。


 しかも、10倍で。


 上達した結果、次に練習できる回数が増える。その練習で、さらに上達する。


 《並列思考》で剣と魔法を同時に扱えることも、レベル20で(小)になった2つの回復促進で、練習へ戻るまでの時間が短くなることも、この積み重ねを助けている。


 俺は、指先で机を軽く叩いた。


「……複利みたいだな」


 前世で、複利は人類最大の発明だという話を読んだことがある。アインシュタインの言葉として紹介されていたはずだ。本当に本人が言ったのかまでは、覚えていない。


 利息が元手に加わり、その増えた元手が、次の利息を生む。


 今の俺も、それに少し似ている。


 今日の上達が、明日の鍛錬の効率を上げる。増えた成果へ、また10倍の補正がかかる。


 10倍という数字そのものは変わらない。


 変わるのは、その10倍をかける前の成果だ。


 このまま第1層の魔物を倒し続けるだけで、際限なく伸びるとは思わない。慣れた相手から学べることにも限りはあるし、今日のように壁へぶつかることもある。


 だから、次の課題が必要になる。


 剣だけでは届かない相手。まだ制御できない魔法。新しい階層。


 できるようになったことを使って、次にできることを増やす。


 その先の1か月を、今の俺の練習量だけで計算するのは、少しもったいない。


 思わず、口元が緩んだ。


 もっと伸びる。


 どこまで行けるか、まだ自分でも分からない。


 俺は《思考加速》を使い、今日の3度の攻防を、覚えている限り思い返した。


 剣を止められた角度。水弾を払った手首。足元の土へ目を向ける必要すらなかった、あの余裕。


 考える時間が増えても、今日できなかった動きが急にできるわけではない。それでも、何が足りなかったかは、落ち着いて考えられる。


 1本取ろうとするたびに、俺は彼女の剣が届く場所へ入っていた。


 次の勝負で必要なのは、5分の間に、靴の一部を円の外へ着かせること。


 近づき方も、魔法を使う目的も、考え直せる。


 今ここで必勝の作戦が思いつくほど甘くはないが、試すべきことは見えてきた。


 能力を緩め、紙へ書き留める。


 土の形と崩し方。風を押す力として使う練習。攻撃の後にも動けるだけの体力。


 もちろん、回復魔法も続ける。


 決闘のために強くなって、その後の迷宮で困っていては、本末転倒だ。


     *


 もう1冊の帳面を開いた。


 こちらは、冒険者としての収入と支出の記録だ。


 魔石。牙。角。採取した品。売却額の横には、3人で使った消耗品の代金と、それぞれの取り分が書いてある。


 共同の金を除き、自分の装備や生活に必要な分も残す。


 それでも、次に父へ送るための金は、金貨3枚分になっていた。


 俺は、その行をもう1度見た。


 陛下から頂いた褒賞10枚のうち、8枚は既に父へ送ってある。手元へ残した2枚とは別に、その後の稼ぎから積み上げた3枚だ。


 以前は、自分の装備代を払うだけで精一杯だった。


 家へ送れる金が、ちゃんと増えている。


 想像していたより、ずっと速い。


 エステルとシルヴィアがいるおかげだ。2人の攻撃力は、第1層では明らかに抜けている。俺1人では消耗していた戦いも、3人なら余裕を持って終えられる。


 王家のマジックバッグも大きい。安い素材まで持ち帰って積み重ねれば、無視できない額になる。


 だからといって、ドロップまで10倍になるわけではない。


 そちらにも適用してくれてよかったのだが。説明担当のいない神様へ、追加の要望を届ける方法はあるだろうか。


 俺は小さく笑い、家の帳簿の写しを隣へ置いた。


 借金は、残り金貨600枚。


 最初に確認した時、3か月後に迫っていた返済だけでも、60枚。その期限へ向けて、日付は確実に進んでいる。


 先に送った8枚。これから送れる3枚。


 役には立つ。だが、まだ全然足りない。


 領地の収入も支出も動いている。父から返事が届いたら、今の状況を確かめなくては。陛下が紹介してくださった役人へ相談するためにも、復旧の記録と、今の収支や返済条件が分かる資料を揃えたい。


 手紙の写しを開くと、父の筆跡を思い出した。


 身体を大事にして、しっかり学びなさい。


 自分の馬を売って俺を学院へ通わせながら、あの人はそう書く。


 俺は帳簿の端を押さえた。


 今度は、こちらから安心させたい。


 前世では、死ぬ直前まで会社の支払いを気にしていた。せっかく生まれ変わったのに、また帳簿とにらみ合っている。


 どうやら、金の心配から自由になるにも、ひと働き必要らしい。


「もっと、加速しないとな」


 ただ、睡眠を削って剣を振るだけでは、明日の動きが鈍る。前世でも、疲れた頭で決めたことを、翌朝やり直した覚えがある。


 俺は帳面の余白へ、次の探索先を書いた。


 《白晶迷宮》第2層。


 Eランクになった俺たちは、第5層まで進める。


 未知の魔物。新しい素材。今まで受けられなかった依頼。


 強さも収入も、伸ばせる余地はある。まずは第2層を確かめ、3人でどこまで進めるか見ていこう。


     *


 引き出しの奥から、少し前に書いた紙を取り出した。


 あらゆるテンプレに備える。


 なかなか意欲的な見出しの下に、婚約破棄、パーティ追放、王族との遭遇と並んでいる。


 ずいぶん実現したな。


 決闘に至っては、1度で済む予定を勝手に何度も更新されている。


 この調子で全部起きたら、学院の時間割では足りない。


 俺は《思考加速》を使い、今の状況へ当てはめ直した。


 迷宮で道を塞がれる。仲間とはぐれる。治療役が先に負傷する。知らない魔物の攻撃を受ける。


 王女と組んだことで、嫉妬以外の思惑を持って近づいてくる人間もいるかもしれない。


 どれも、起きると決まったことではない。


 だが、戻る道を確かめること、合流の方法を決めること、俺も回復を覚えることは、今からできる。


 食料や薬を備えるだけだった頃より、考えることが増えた。


 2人と、無事に帰りたいからだ。


 そこまで考え、俺は視界に残っていた能力の一覧へ目を向けた。


 《無限収納》。


 《物品鑑定》《魔物鑑定》《探索マップ》《思考加速》《並列思考》。その下には、10倍の成長補正。


 俺は、この秘密をまだ誰にも話せていない。


 無詠唱を使えることは知られている。だが、その由来も、転生者であることも、隠した能力の数々も、2人は知らない。


 全部を話すつもりはない。


 それでも、空間へ物をしまえることくらいは、いずれ伝えておいた方がいいだろう。


 今はエステルのバッグで困っていなくても、緊急時に俺が予備の薬を取り出すことはある。前もって知っていれば、2人もそれを当てにして動ける。


 収納を使えるという話と、容量に限りがなく、中の時間まで止まるという話は、1度にする必要もない。


 何を、どこまで伝えるか。説明する言葉を、考えておこう。


 能力を解除し、椅子の背にもたれた。


 前は、収納を知られたら仕事を押しつけられるのではないかと考えていた。


 今、思い浮かぶ2人の顔は、それとは違う。


 エステルは、きっと目を輝かせる。


 どうやるの。わたしにもできるの。どこへ入ってるの。


 ……質問だけで、1晩が終わりそうだ。


 シルヴィアは、1度くらい文句を言うかもしれない。どうして早く話さなかったのです、と。


 その後で、俺が1人で何でも背負おうとしていないか、確かめてくる気もした。


 どちらも、俺の勝手な想像だ。


 それでも、話す場面を思い浮かべられるようになっている。


 俺の魔法が失敗しても、エステルは次に直すところを教えてくれた。シルヴィアは俺が少し無理をすると気づき、帰ることまで一緒に考えてくれる。


 そういう日を、何度も重ねた。


 この2人には、少しずつ話してもいい。


 そう思い始めている自分に気づいて、俺は笑った。


 心から信頼できる仲間へ秘密を打ち明ける。それを受け止めてもらい、さらに信頼が深まる。


 これも、よくあるテンプレだ。


 ただ、その場面を警戒するより先に、少し楽しみにしてしまった。


 物語の主人公が秘密を明かす時、読んでいた俺は、ようやく話せたなと思っていた。時には、さっさと話せよとも思った。


 今は、その気持ちが前より分かる。


 紙の端へ、小さく「収納の説明」と書き足す。


 追放された時に困らない準備から、一緒に進むための準備へ。


 いつの間にか、考えていることも変わっていた。


     *


 翌日の放課後、3人で白晶へ向かった。


 門を出る時には、また声が聞こえた。


「1か月後って、本当か?」


「今度こそ無理だろ。相手は剣姫だぞ」


「でも、オスカー君、今日も普通に授業へ来てたね」


「私だったら、怖くて休んじゃうかも」


「くそっ。負ける前から評価が上がってる……」


 授業へ出ただけなのだが。


 隣のエステルが、くすくす笑っていた。


「有名人だね、オスカー」


「君の姉上のおかげでもあると思う」


「お姉様、今朝も張り切ってたよ」


 やはり、相手の成長は止まらないらしい。


 シルヴィアが、折り畳んだ紙を差し出した。


「昨日の動きですわ。わたくしから見えたところを、書き足しました」


「ありがとう。後で、一緒に見てくれるか?」


「もちろんです。その代わり、回復の練習も忘れないでくださいませ」


「覚えてるよ。君を治せるようになる方も、大事な目標だからな」


 紙を持っていた指が、少しだけ止まった。


「……分かっているなら、結構です」


 エステルが、彼女の顔をのぞき込む。


「よかったね、シルヴィア」


「あなたも、無詠唱の練習があるでしょう」


「うん。そっちも忘れないでね、先生」


 今度は、俺へ向けて笑う。


「忘れないよ。だから、俺にも4属性を頼む」


「任せて。お姉様をびっくりさせよう」


 そう言って、銀髪を揺らしながら1歩先へ出た。


 俺もシルヴィアと並び、後を追う。


 この先も、こうして教わり、教えていくのだろう。俺ができることを増やす間に、2人にも新しくできることが増えていく。


 その全部を、まだ計算には入れられていない。


     *


 第1層の通路を進み、下り階段の前で足を止めた。


 壁の白い結晶が、下へ続く段を淡く照らしている。奥から、ひんやりした空気が上がってきた。


「今日は、第2層の入口付近を確かめよう。帰る時間は、決めたとおりで」


「分かってる」


「ええ。まずは、どんな場所か知るところからですわね」


 2人の返事を聞き、俺は下へ目を向けた。


 許可されたのは、第5層まで。


 その先には、白晶の最深部がある。さらに黒曜があり、まだ見たことのない世界が続いている。


 1か月後の決闘。父への送金。仲間へ話したい秘密。


 やることは、多い。


 だが、最初に帳簿を開いた夜より、ずっと息がしやすかった。


 俺は、もう1人で机に向かっているだけではない。


「行こうか」


 エステルが杖を握り直し、シルヴィアがうなずく。


 今日できることを、明日の力に変える。


 3人で、次の段へ足を下ろした。

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