第11話 深淵
連載中の
『怠惰で傲慢だった貴族がやり直しで世界を救う』
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木剣を振る。
1度、2度。3度目で、刃に沿わせていた風がほどけた。
寮の裏庭に積んだ枯れ葉が、ばらばらと散っていく。
「……昨日より、1回増えた」
喜ぶところだ。ただし、片づけまでが練習である。
風で葉を集めようとして、さらに広げた。攻撃に使うより、こちらの方が難しい。これも魔力操作の訓練だ。
迷宮へ通い、学院で学び、剣と魔法を鍛える。
その日常に、昨日からシルヴィアが加わった。俺のレベルは13。体はどんどん動くようになっているが、2人と肩を並べるには、まだやることが山ほどある。
まずは、朝食までにこの葉を集めよう。
*
「おはよう、オスカー。手を出してくださいませ」
教室に着くなり、シルヴィアが細く畳んだ布を差し出した。
昨日、猪との戦いで袖を裂いた上着だった。持ち帰って、もう直してくれたようだ。
縫い目は小さく、裏まできれいに揃っている。
「ありがとう。こんなに早く」
「後回しにすると、また雑に繕うでしょうから」
「俺の縫い方も、そこまで悪くは――」
彼女の視線が、荷袋の継ぎ目へ移った。
そこには、俺が太い糸でどうにか塞いだ穴がある。
「……助かった」
「ええ。それで結構です」
口元が、少しだけ上がった。
「なあ、今の見たか」
「ラングレー嬢が、オスカーの服を……?」
「婚約を解消したって話じゃなかったのか」
近くの席から、ひそひそ声が聞こえた。
俺は上着を荷袋へ収める。説明に回れば、かえって話が大きくなるだろう。
そこへ、銀色の髪が揺れた。
「おはよう! 昨日のお金で、地図を見に行かない?」
エステルが、俺の机に手をついた。
「迷宮のか?」
「そっちも。でも、街道の地図も見たいな。王都の外へ行く時、使えるでしょう」
「その前に、今日の授業ですわ」
「分かってるよ。帰りのお話」
シルヴィアの隣へ椅子を寄せ、エステルが座る。
また、後ろで声がした。
「本当に3人で組んだんだな……」
「エステル殿下と、ラングレー嬢の2人だぞ」
「何で、よりによってオスカーなんだよ」
分からなくもない。
学院でも目を引く2人が、ついこの前まで荷物持ちだったモブの席へ集まっている。以前の俺しか知らないなら、納得はしづらいだろう。
だが、こちらは朝から袖を直してもらい、葉っぱを集めるのに苦戦している程度の男である。
あまり大きな期待も敵意も、向けないでほしい。
「そういえば、お姉さんとは話せたか?」
声を落として聞くと、エステルは小さく肩をすくめた。
「うん。帰ってから、たくさん。わたしが冒険者登録したことも、3人で続けたいことも話したよ」
「……反応は?」
「しばらく、すごく静かだった」
それは怖い。
「今は黒曜の報告が残ってるんだって。仲間と通路の記録をまとめて、ギルドと学院に説明するの。落ち着いたら、オスカーとも話したいって言ってた」
「分かった」
「勝手に連れていったりしないから。ちゃんと日を決めるね」
ありがたい気遣いだ。
妹の仲間を確かめたがる姉。その展開は予想していた。まずは、今日の実績を1つ増やしておこう。
*
昼休みは、中庭の水場で魔法の練習をした。
エステルが手をかざす。指先に水滴が集まりかけ、すぐに崩れた。
「ああ、また……」
「最後のところだけ、昨日よりまとまっていたぞ」
「でも、玉にはならないんだよね」
無詠唱の練習だ。
俺には最初から使える適性がある。それを言葉で教えるのは、また別の難しさだった。曖昧な説明をすれば、彼女の練習を遠回りさせる。
俺は自分の掌に、小さな水玉を作った。
「ここで1度、流れを弱めている。形ができる前に押し出すと、散るんだと思う」
「ふうん。じゃあ、押す方じゃなくて、留める方を……」
エステルの目が、真剣になった。
シルヴィアは隣で、2人の手元と自分の教本を見比べている。
「詠唱の途中にある、形を定める部分ですわね」
「そこを、声なしでやる感じかな」
「でしたら、順序を分けて確かめた方がよさそうです」
彼女が余白へ短く書き込んだ。
天才の感覚と、優等生の整理。俺も自分の魔法を、今までより理解できる気がした。
「2人に、頼みたいことがあるんだ」
俺は、水玉を掌へ戻した。
「エステルには、4属性を教わりたい。水と風だけじゃなく、火と土も。使えるだけで、まだ形も威力もばらばらなんだ」
「もちろん! わたしも無詠唱を教わってるんだし、何でも聞いて」
「それから、シルヴィア。回復魔法を教えてもらえないか?」
彼女の指が、教本の上で止まった。
「回復も、覚えたいんですの?」
「ああ。今は、シルヴィアが怪我をした時、魔法で治せる人がいないだろ」
青い瞳が、まっすぐ俺へ向いた。
「……わたくしが?」
「俺たちは治してもらえる。でも、君だけポーションを頼りにするのは、気になる。すぐに追いつけなくても、少しずつ覚えたい」
シルヴィアは唇を開き、1度閉じた。
それから、教本を胸元へ寄せる。
「教えます。……ちゃんと、覚えてくださいませ」
「よろしく頼む」
「ええ。簡単に覚えられるとは、思わないことです」
厳しい言葉のわりに、声が少し弾んでいた。
「では、わたくしからも。エステル、詠唱短縮を教えてくださらない?」
「いいよ。何の魔法から試したい?」
「小さな氷の魔法から。発動を早められれば、2人を待たせずに済みますもの」
「じゃあ、わたしが言葉を省く時のやり方からね」
3人とも、教わることと教えることができた。
俺だけが強くなるより、ずっと楽しそうだった。
「次はオスカーの番。風を見せて」
言われたとおり、小枝へ薄く風を沿わせた。
「動かすと、先っぽだけ厚くなるね」
「そこから崩れるのか」
「たぶん。刃を長くするつもりじゃなくて、同じ薄さで包んでみて」
枝をゆっくり振る。風の音が、少し静かになった。
エステルが顔を近づける。
「そう、それ。今の感じ!」
銀の髪が肩へ触れそうになり、思わず枝を下げた。
「……近いと、枝が当たるぞ」
「当てないでしょう?」
信頼がまぶしい。
嬉しくはある。だが、その笑顔へ気軽に踏み込むには、俺は前世の感覚を引きずりすぎている。
「コホンッ、練習中は、少し離れましょう」
シルヴィアが、俺たちの間へ教本を差し入れた。
そのおかげで、ようやく風の厚さへ集中できた。
*
「皆さん、パーティ名はどうしますか?」
放課後、冒険者ギルドへ寄ったところで、エマさんに尋ねられた。
「名前?」
「今は、代表者のお名前で登録しています。これから一緒に活動を続けるのでしたら、名前を決めておくと依頼の時にも分かりやすいですよ」
掲示板には、いくつものパーティ名がある。
そういえば、俺たちにはまだなかった。
「お名前がないので、ほかの方に呼ばれる時、少し長くなっていまして」
「どう呼ばれているんですか?」
エマさんは、わずかに目をそらした。
「……第3王女殿下とラングレー伯爵令嬢がいらっしゃるパーティ、と」
俺の名前すらなかった。
パーティリーダーなのに……
さすがモブの中のモブ。
名前を決めよう。急ごう。
受付を離れ、空いている卓へ3人で座った。
「オスカーは、何かある?」
「そうだな。白晶の灯、とか」
「きれいですけれど、白晶を出た後は?」
「……確かに」
「ずっと第1層にいるみたいだもんね」
早くも却下された。
シルヴィアは少し考え、卓へ指を置く。
「何か、目指すものから決めてはどうでしょう。強さでも、旅でも」
「それ、いいね」
エステルが顔を上げた。
「じゃあ――『深淵』は?」
思ったより、ずっと強そうな名前が来た。
前世なら黒い外套を用意したくなる響きだ。だが、提案した本人は、窓から差す光の中で楽しそうに笑っていた。
「どういう意味で?」
「わたし、この世界をもっと見たいの」
エステルの指が、卓の木目をゆっくりたどった。
「留学するまでは、魔道王国って、魔法の先生がたくさんいる場所だと思ってた。でも、行ったら全然違ったよ」
「違った?」
「先生もいたけど、魔法が苦手なパン屋のおじさんもいた。雨の日しか店を出さない人もいたし、同じ魔法を、全然違う使い方で教えてくれる子もいた」
思い出すように、目を細める。
「本で名前を知っているだけじゃ、分からないことがいっぱいあった。だから、もっと遠くへ行って、自分の目で見たい。迷宮も、街も、そこで暮らしている人も」
声が、少し柔らかくなった。
「広く見て、深く知りたいんだ。まだ底が見えないくらい、知らないことがあるでしょう?」
俺は、軽口を飲み込んだ。
3年間、父親に反対されても学びに行った少女だ。その名前には、彼女が実際に見てきた世界が入っている。
「迷宮の底だけを目指すわけじゃないんだな」
「うん。もちろん、そこも見てみたいけど」
シルヴィアが微笑んだ。
「あなたらしいですわね」
「気に入らない?」
「まだ、そんなことは言っていません」
彼女は、俺を見た。
「わたくしも賛成です。知らなかったことを、一緒に知っていくのは……悪くないと思います」
その言葉が、昨日の左腕の温かさと重なった。
俺も、知ったつもりで知らなかったことが多い。
「決まりだな」
3人で受付へ戻り、エステルが名前を告げる。
エマさんは意味を聞くと、穏やかに笑った。
「素敵ですね。では、《深淵》。代表者は、引き続きオスカーさんでよろしいですか?」
「はい」
「お願いします!」
「異存ありませんわ」
登録用紙へ、名前が書き込まれた。
隣に記されたランクは、F。
大きな名前に、小さな実績。そこは、これから育てればいい。
*
その日の白晶では、角を持つ狼が2匹、正面から走ってきた。
「右を取る。左は頼む」
「任せて」
エステルが杖を上げた。俺は鉄剣へ風を沿わせ、右の狼が踏み切る直前、鼻先へ水弾を放つ。
狙いは倒すことだけではない。頭が上がれば、次の動きが読みやすくなる。
横へ避け、脇を斬った。
朝と同じなら、ここで風は乱れる。
俺は剣先へ流れる魔力を絞り、振り返った。狼が向き直るより先に、2度目の刃を届かせる。
風は、最後まで刃に残った。
狼が白い粒になって消え、魔石が落ちる。隣では、エステルがもう1匹を仕留めていた。
「できたね!」
「ああ。さっきの説明、分かりやすかった」
「ふふ。もっと褒めてもいいよ」
「帰ってからにしましょう。奥にも1匹います」
シルヴィアが詠唱を結ぶ。
「――《フロスト・ランス》!」
氷の槍が飛んだ。
陰から飛び出しかけた3匹目が、こちらへ届く前に倒れる。
俺が2振りで喜んでいる間に、次の敵まで見ている。やっぱり、頼もしい仲間だ。
回収した魔石を袋へ入れ、エステルのマジックバッグへ収めた。
帰還までに、俺のレベルは14へ上がった。
今日は、1つだけだ。それでも剣の手応えは、朝より確かになっている。数字が増えた分を、使える力にしていこう。
帰りには、約束どおり地図の店へ寄った。
エステルが街道を指し、シルヴィアが旅の日数を数える。俺は値札を見て、まずは書き写せる案内図からにしようと提案した。
世界は広い。俺たちの財布は、まだ小さい。
*
翌朝、教室の入口で、見慣れない男子生徒が待っていた。
背が高い。廊下の壁へ立てかけた袋から、長い木の柄がのぞいている。
「オスカー・エルフォードだな」
「そうだけど」
「1年3組のロルフ・ハーゲンだ。お前に、決闘を申し込む」
近くにいた生徒が、友人の袖を引いた。
「ハーゲンだ。槍の実技、見たことあるか?」
「何人も、近づく前に突かれてたぞ」
ロルフは、俺の後ろから来る銀髪と茶髪へ1度目をやった。
なるほど。分かりやすい。
学院屈指の美女2人と組んだモブ男子へ、嫉妬からの挑戦状。あわよくば姫と令嬢を奪う気だ。
うん、想定内だ。
しかも、相手は槍使い。
俺は荷袋の木剣に触れた。
知らない間合いを、知る機会が向こうから来てくれた。




