7-2
ゲーセンでの運命的な出会いから数日後。
俺は今、昨日届いたばかりの原付をかっ飛ばして、かつてのバイト先であるPeacefulへと向かい、事前に呼び出していた武田と対面している。ちなみに免許は春休みに取った。
先に着いていた武田は、よくわからない色のジュースを飲んでいた。19歳にもなってそんな飲み方するやつ、初めてみたぞと言いたい気持ちをグッと抑え、謙虚な気持ちでゆっくりと頭を下げた。
そう、俺は今から、武田に無理筋なお願いをしなければならないのだ。音楽のために。
席に着き、武田に頭を下げる。
「──先生。一生のお願いがあります」
「はあ? なに急に。ていうか山谷から先生って呼ばれるって、なんか嫌な予感しか……」
いぶかしげにこちらを見る武田に向かって、テーブルに身を乗り出す。
「優衣……ちゃん、だったっけ? あの子と武田と俺、三人でカラオケに行く場をセッティングしてください!」
「……はあ!?」
武田がストローから口を離し、目を丸くしてドン引きした顔を作る。
「ど、どどどどどどどういうこと!? ちょ、ちょっとアンタ! もしかして……優衣のこと……狙ってん、の……!?」
「違う! ……いや違わない!!」
「はあ……もう、どっちなのよ!? いやどっちでもむりむりむり無理無理無理!! ぜーーーーったいにイヤ!!!」
武田、予想を遥かに超えた拒否。しかし俺も引き下がるわけにはいかない。
「最後まで聞いてくれ! 結果的にそう見えるかもしれないが動機が違う! とにかくあの子の『声』をもっとちゃんと聴きたいんだ。
あんな完璧な4kHzから8kHzの抜け感、これでもかってぐらい声に寄り添う倍音、生身の人間で初めて聴いた。あの声が音楽に乗ったらどうなるのか俺の耳がどうしても確かめたいって叫んでるんだよ」
「……ん? ちょっと話が変わってきたなこれ。よし山谷、まずは落ち着いて。あまりに早口すぎて怖いから!!」
しまった、オタク特有の早口がこんなとこで出ちまうなんて。でも俺はさ、それほどに必死なんだよ。というか、お前が落ち着け武田。
「頼む! 俺の耳が恋に落ちた初めての経験なんだ!!」
「う……っわ、耳が恋とか……超キモい。ないわー……うん、ないない!」
「俺(の耳)を男にしてくれ武田! お前にしか頼めない!!」
「言い方ァッッッ!!!」
瞬間、俺の脳天に武田の拳がめり込んだ。いたい。
と、まあ……そんな俺の話にマジキモいと言った顔をしつつも、なんだかんだ武田は世話を焼いてくれ、「変なことしたらマジで粉々だからね」と恐ろしい念を押しつつ、その週末に近所のカラオケボックスでの集まりをセッティングしてくれた。
ありがとう、俺の親友よ。
「親友じゃないから!」
◇◇◇
そして当日。クリーンと見せかけてタバコと芳香剤の匂いが染み付いた、防音材のヘタった狭いカラオケルーム。
改めて優衣ちゃんに俺を紹介する武田。今日は俺のおごりだからと言った途端、唐揚げ、ポテト、お菓子詰め合わせに人数分の飲み物を即注文する遠慮のなさだ。届いたフードをつまみながら武田が優衣に言う。
「そんなわけでさ、こいつが優衣の歌聴きたいらしいんだけど。得意のアレ、いっちゃいな」
そこはかとなく悪の総帥みたいな言い方なのは気になるが、ほんとありがとうございますっ!
数分歌本を眺め、優衣ちゃんはリモコンを手に取る。
「これ歌ってもいいですか?」
と言いながら、すでにその手は番号を打ち込み送信まで完了していた。優衣ちゃんの選んだ曲は、90年代から00年代にかけて一世を風靡したモンスターバンド『LUCY AND ROSA』の曲だ。歌声もファッションも独特な女性ボーカルが歌う曲は、毎週ヒットチャートのベスト10に選ばれる人気だった。
「私、このバンドすっごい好きなんです! アニメの主題歌になってて!」
「これこれ! 山谷、逆刃刀持ってきて!!」
武田がタンバリンを構える中、イントロのシャッフルビートに乗るパンキッシュで軽快なギターリフが、部屋のチープなスピーカーから流れ出す。このバンドのギター、いい音出すんだよな。
短いイントロが終わり、優衣ちゃんがマイクを両手で握りしめ、歌い出した瞬間。
俺は、持っていたウーロン茶のグラスをテーブルに置いた。音程の甘さはあるし、息継ぎ《ブレス》のタイミングも素人だ。
だが、そんな技術的な未熟さを全てねじ伏せるほどの、圧倒的な音質。カラオケのスピーカーから出る、低音が回ってモコモコしたどうにも歌いづらい伴奏。普通ならボーカルの声までその濁った音に埋もれてしまうはずなのに、優衣ちゃんの鈴の鳴るような澄みきったハイトーンは、分厚いギターサウンドの壁をいとも簡単にぶち抜き、俺の脳内に直接、極彩色の音を叩きつけてきた。
吉田先輩の歌声とはまるで違う、しかし優衣ちゃんの歌声には、分厚い雨雲を突き抜けて差し込む、一条の強烈な光を感じた。
(すげえ……なんだこの声。LUCY AND ROSAのボーカルに負けないレベル……いや、それ以上だ。やっぱり間違いない、倍音が綺麗に乗ってる声。歌声になると破壊力が増してる……!)
圧倒的な原石。しかし同時に、俺の胸の中に強烈なフラストレーションが湧き上がってくるのを感じていた。
(違う。こんな安いリバーブをごまかしでかけるな。伴奏の低音が出過ぎてて、彼女の美味しい帯域の邪魔をしてる。……あーもう、このカラオケの機材、まるっと部室のミキサーに繋ぎ変えたい……!)
曲が終わり、優衣ちゃんが「ふうー、ちょっと声裏返っちゃった。あはは!」と照れくさそうに笑ってマイクを下ろす。武田が「いいじゃん優衣ー! 今日も最高!!」と拍手をする中、俺はたまらず立ち上がっていた。
「優衣ちゃん」
「えっ? あ、はい、山谷先輩……?」
俺の異常な剣幕に、優衣ちゃんが少しビクッとして肩をすくめる。武田も「ちょっと山谷、何マジな顔してんの」と立ち上がり、俺の肩に手をかける。
だが、もう止められなかった。
「君のその声を、こんな安っぽいカラオケの機材なんかに閉じ込めて消費するのは、音への冒涜だ」
「……え?」
「ピッチなんてどうでもいい。声の裏返りも最強の武器だ。君の声には、どんな分厚いギターの壁も突き抜ける魔法の帯域がある。……俺に、君の声を世界で一番綺麗に響かせるための『背景』を作らせてくれないか」
静まり返るカラオケルーム。優衣ちゃんはポカンと口を開ける。
「俺のバンドで、ボーカルをやってほしい。君の声の邪魔をするノイズは、俺が全部削り落とす。君が一番輝ける夜空——月の牢獄を、俺が構築する。……だから、俺の音の城で、好きに歌ってくれ」
しばらくの沈黙の後。優衣ちゃんは、キョトンとしていた顔をパッと明るく輝かせた。
「なんかよく分かんないけど……山谷先輩の言うこと、アニメのセリフみたいでめっちゃカッコいいですね! 私でいいなら、歌ってみたいです!」
「しまった……やっぱ会わせるんじゃなかった……」と武田が小さく呟いた。




