7-1
学年末試験も終わり、あっという間に春休み。
いろいろあった3年生も、終わってみればあっという間のものだった。そして俺は、ギリギリの成績ではあったが4年生に進級できた。
昨日の雨で終わりを告げた桜は、可憐な薄桃色から命の強さを感じる緑に色を移ろわせてゆく。足下には昨日までの色を敷き詰めた、桜の絨毯。
そんな感傷に浸っている俺は今、大きな問題に直面していた。高専という学校は、3年生までは男子は学ラン、女子はブレザーなのだが、4年生からは世間から見れば大学1年と同じ年齢のため、それに倣い服装が自由になる。自由な服装、とはいえ、せっかく脱いだ学ランを着続けるような変態は未だかつて拝んだことがない。つまり私服を用意しないといけない、ということだ。
正直、私服なんてほとんど持ってなく、ライブの衣装ばかりが増えていた俺にとって、制服期間の終了は大変な事態だった。俺が今まで揃えてきたライブの衣装は、やはり憧れたビジュアル系に寄せたものばかり。とても一般人がプライベートでまとっていいデザインではない。こんな格好で街を歩いていたら、どこかの黒魔術師か何かと間違われてしまうレベルだ。
それに気づいた春休みの終わり、急いで服を買いに走る。いいなと思った服を手当たり次第に数着取り、会計を済ませ急いで家に帰る。そうして買った服は家族に──というより麻耶に、買った服の詰まった袋を強奪された。チェックしてあげる! というが早いか中身を全て広げ、愛のこもったダメ出しを俺に浴びせかけた。
「うわ、白黒ボーダーダサい! 囚人なの!?」
「背中の羽のプリントダサい! 天使か!!」
「なにそのあみあみな服! 中世のファンタジーでも着ないよそんな服!!」
ひどくないか? これでも一般的な服、だけどかっこよさが少しだけ散りばめられた服を選んだつもりなんだけどなあ。結局母親と妹がショッピングモールで買ってきた無難な服を、新学期に着ていくことになった。
……カッコいいと、思うんだけどなあ。
◇◇◇
高専という特殊な環境において、オタク文化への感染──それはもはや、不可避の自然現象である。あまりクラスの面々と馴染みのなかった俺も、森山事件で一躍注目を浴びてしまい、3年の終わり頃からだんだんと関わるようになってきた。そんなクラスメイトの中でも、漫画同好会を主催していた坂野による熱烈な布教を受け、ロボットアニメや萌えアニメという深淵に、頭から足先までどっぷりと浸かっていた。
……仕方ないじゃん、アニメ面白いんだから。中学の頃は、友達とマンガ雑誌の回し読みをしているクラスメイトたちがいたな、程度の認識しかなかった。ましてアニメともなると、みんなが翌日クラスで話してたような水曜19時のバトルファンタジーやスポーツ物しか知らなかった。王道のストーリーさえもすれ違っていた程度の俺にとって、深夜帯のアニメはまさに新世界。
PCゲームが原作のラブコメ。
型落ちのスポーツカーで、夜な夜な峠を爆走するもの。
真っ赤な衣装に身を包んだヴァンパイアが展開するガンアクション・ファンタジー。
世界は広い。こんな多彩なストーリーに溢れているなんて。音楽バカ、と、クラスメイトから口々に言われるぐらい音楽に傾倒していた俺にとって、アニメとの出会いはそれだけ衝撃的な物だったのだ。
──だが、俺の楽しみ方は同級生たちとは少し毛色が違った。
画面の中で動く美少女の作画やストーリーは、思春期男子にとっては大変良い物だ。が、それ以上に、彼女たちに命を吹き込む『声優の声』が持つ、特異な周波数帯域とこれに含まれる数々の音に、耳が惹かれてしまった。
持たざる者には絶対に出せない才能。俺は毎晩のように自室の6畳間でヘッドホンを被り、「俺の構築したバッキングに、この極上の声が乗ったらどんなに最高だろう」と、叶うはずもない音響的な妄想を膨らませていた。
叔父と東田さんという、音楽のスペシャリストたちが褒めてくれた耳の良さは、今や女性声優さんの声を堪能するための最高の機材となったのだ。
そんな日々を過ごし、オタクと音響を限界まで拗らせていたゴールデンウィークのある日。
「あー、くそっ! またコンボ!?」
「格ゲーに性格の良さ求めてどうすんの。ほら、100円追加」
地元のショッピングモール内にある、幅広い年齢層向けのゲームセンター。向かい合うように設置されている対戦格闘ゲームの筐体に、金髪の男女がかじりついていた。
「かーっ!負けた負けた!!弟子のくせに生意気なやつだなーもう」
「師匠、随分と弱くなられたんじゃありませんこと?」
もちろん武田が師匠で、俺が弟子だ。習い始めてそろそろ1ヶ月。そんな短期間で師匠に勝ってしまうのは、俺にゲームの才能があったのか、武田があまり上手くないせいなのか、はたまたギターで培ってきた指捌きがゲームに合っていたのか。そして、音楽以外に何もなかった俺が、なぜ格闘ゲームに熱中しているのか。
あれはつい先日、春休みのこと。
「うっそ、山谷、ゲーセン行ったことないの!?」
バイト中、武田との話の中でゲーセンの話になった。うちの親は子供たちの行動にあまり干渉しないが、ゲーセンだけは頑なに行っちゃいけませんと言うのだ。曰く、ゲーセンに行く子はヤンキーだ、とのこと。その話を武田にしたところ、少しの間が開いた。そして耐えきれなくなったように、武田の外行きの澄まし顔が突然崩れ、笑い出した。
「はっははははははははは!!!!!!」
「え? ……え!?」
「ゲーセン行ったらヤンキーって……いつの時代の話……? あっははははは!! 今はちびっ子も行って、る、ぐらいだって……はははあっはは!!」
武田……仕事中だぞ。そんなに笑うんじゃない。
「どうした武田ちゃん、山谷の顔でも見て笑ってたのか?」
東田さんが話に加わる。ひどくない?
武田から話を聞いた東田さんも、途中で耐えきれなかったようで顔を真っ赤にして笑い出した。
「や、山谷お前……ゲーセンはヤンキーってそれ……ヒィーーーーーッ!! まさかそれ、姉ちゃん……お前の母ちゃんが言ってたのか? だとしたらお前……宏輝もヤンキーってことに……ぶわっはははははっははは!!!」
聞けばコーちゃんも、一時期ゲーセンに入り浸っていたらしい。スタジオの帰りや、学校をサボった日に東田さんと一緒にゲーセンでたむろして、時々他校の生徒とケンカになったとか。
ちゃんとヤンキーじゃん、それ。……そりゃ母さんも、ゲーセンはヤンキーの溜まり場なんて思って当たり前だなと、妙に納得してしまった。
笑い飽きたのか、東田さんがいつものテンションに戻り俺に言う。
「まあ山谷、お前の母ちゃんが言うようなゲーセンなんてもうほとんど残ってねえ。ショッピングモールのゲームコーナーだって、言ってみりゃゲーセンだ。まあ体験して悪いもんじゃねえから、人生勉強と思って入ってみたらいい」
「あ、じゃあ明日行かない? ゲームの楽しさ教えてあげるから」
「あー、そうだな。一回ぐらい行ってみるか」
──と、そんなこともありつつゲーセンに連行された俺。かくして武田に(半ば強制的に)弟子させられ、格ゲーを教えられ今に至るわけだ。専門学校に入っても相変わらず強引なところは多々あるし、金髪なのも相変わらずだ。それでも、こうやって新しい世界を見せてくれるのはありがたいものだ。
なんて、絶対口には出さない武田への感謝の念を心の中で巡らせていたその時。
「今度は勝つ!首洗え山谷!! ……って、あれ?」
再戦の100円を投入……しようとした武田の手が止まる。彼女の視線の先、UFOキャッチャーのコーナーから、こちらに向かって小走りで近づいてくる人影があった。
「あー! 武田センパーイ!!」
格ゲーのけたたましい打撃音、メダルゲームのジャラジャラという無機質な金属音、奥のリズムゲームから流れてくるユーロビート。あらゆる帯域のノイズが飽和し、ぶつかり合っている劣悪極まりないゲーセンの環境音。
その分厚いノイズの海を、真っ二つに切り裂くようにして、その声は俺の鼓膜へ伝播し響きわたる。
(今の、声……)
俺は筐体のレバーから手を離し、弾かれたように振り返った。
帯域はおよそ4kHzから8kHz。人間の耳が最も敏感に反応する美味しいところを、寸分の狂いもなく突いてくる。
だが、決して耳障りなキンキンとした高音ではない。まっすぐな芯のある空気感と、鈴の鳴るような澄みきった優しい高音が混ざったトーン。分厚いディストーションギターの壁の中だろうが、暴れ回るドラムの中だろうが、絶対に埋もれることなく真ん中を貫く、人の意識を全て奪い取ってしまう声。
俺が毎晩ヘッドホンの中で探し求めていた、声の完成形が、そこにいた。
「おー、結衣じゃん! なに、あんたも遊び来てたの?」
「はい! 友達とプリクラ撮りに来てて……あれ、センパイの彼氏さんですか?」
武田の後ろからひょっこりと顔を出したその子は、少し幼さの残る顔立ちで、制服の着こなしも武田のようなギャルではなく、どこにでもいる普通の高校生という感じだった。武田の1つ下の後輩で、名前を『結衣』というらしい。
「は、はああぁ?! ないない!! こいつは同級生で、ただの腐れ縁だから!!!」
「えー、そうなんですか? だって金髪だし、てっきり付き合ってるのかと」
鈴鳴りの声から、世にも恐ろしい言葉が容赦なく飛び出す。
「はじめまして、結衣です!」
結衣が俺に向かってペコリと頭を下げる。その、言葉の余韻が空気に溶けていく残響すらも、俺の耳には完璧な芸術作品のように響いた。
(……ああ、これだ。)
叔父が褒め、プロのPAである東田さんすらも一目置いてくれた、俺の耳。俺の人生のすべてを決定づけてきた、この耳が、鼓膜が、かつてないほどうるさい鼓動とともに情緒を揺るがすビートを脳へ叩きこむ。
俺は今。
このやかましいノイズのど真ん中で。
──耳が、恋に落ちた。




