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武田家でのお家騒動から年末年始を駆け抜け、1月の冷え込みが少しだけ和らいだ雨の夜。
すっかり夜の帳が下りた住宅街を、傘をさしながら帰っていると、ポケットの中のPHSが震えた。
傘を落とさないよう注意しながらポケットを探り、画面を見ると、そこには久しぶりに表示された武田の名前。
『山谷ー、今ひま? あ、今年もよろしくー』
「あー、こちらこそよろしく。今バイト帰りだけど、どうかした?」
「あのさ、Peacefulのバイトってどう? 大変?」
「やけに唐突だな。んー、俺は厨房だったから、手早く料理さえできるなら苦労はないかも」
「今、厨房だった、って言った? 仕事、接客に変わったの?」
そういえば、お家騒動から年末年始のどさくさで武田には伝えてなかったな。
「俺さ、高専祭終わったあと、『Peaceful』のバイト辞めたんだ」
「えっ、そうなの!? なんで?」
「高専祭のライブで音響やってくれてる東田さんって人がいてね、修行がてらバイトしないかって誘われて、今その人のライブハウスでバイトしてる」
何だかんだで3年近くいたバイト先だから、店長にはかなり引き止められた。
理由を話して、最後は背中を押してくれた店長には頭が上がらない。
まあ、金谷と鈴森は続けて働くことになったから心配はないけど。あいつらも短期バイトのつもりが、結局残ってるしな。
「そうだったんだ。そっか、ライブハウスか……どこにあるの?」
「駅前のビルあるじゃん? 白い方。あの2階にあるよ。名前は『Sparkle Polar』。ライブやってない日はバーで営業してるんだ」
「ライブハウス……かあ。次はいつバイト出てるの?」
「明日も出るよ。オーナーの奥さんが風邪ひいちゃって、人手が足りないからって」
「じゃあ明日行くわ、席空けといて」
「未成年がバーの予約するなって」
翌日。
「来たよー」
席の予約はしてないが、本当に来たよ武田。
「いらっしゃい、カウンターでいい?」
あ、今のセリフちょっとカッコいいかも。
「うわ、なんか顔が得意げでウザい」
「ひどくない? 何、面倒な客なの?」
「おう山谷、お前、客をナンパしてんじゃねえよ。働け」
「そうだそうだー」
「東田さん……こいつはただの同級生ですって……むしろ絡まれてるのは俺の方ですよ」
「なんだ、逆ナンかつまんねえな。もう帰れよ山谷」
「そうだそうだー」
東田さん、ニヤつきながら帰れとか言われても困りますって。
あと武田、IQ下がりすぎだ。
頼まれた飲み物とお菓子の詰め合わせバスケットを出し、武田に釘を刺す。
「ちゃんと自分で払ってよ」
「大丈夫! これからはアンタにたかったりしないから!」
「ほんとかな……」
「ほんとだって! …………母さんにめっちゃ怒られて懲りたし…………」
最後は聞き取れないが、武田は一度口にしたことにはちゃんと責任を持つやつだ。だから大丈夫だろうと、俺は安堵のため息を漏らした。
「なんかいいね、この日常っぽくない空間」
「でしょ? ライブやってる日はまた違う雰囲気になるんだよ」
「そっかー、ちょっと興味あるなあ」
東田さんが、奥からウイスキーの瓶を持ってきた。どうやら窓際のテーブル席にいる常連と飲むのだろう。
「お酒って、美味しいもんなのかねー。さっぱりわからん」
「でもアタシたちも、あと2年もすればお酒飲めるようになるじゃん」
「たぶん飲まないなー、匂いから苦手」
「そうなの? アタシはイケそうな気がする」
「そうか頑張れ、俺は仕事に戻るから」
「ちょっと、興味ないからって仕事に戻るなー!」
それから数日後。
毎週木曜、ライブハウスは定休日だ。せっかくだからとオーディオ部に顔を出そうとしたが、部室の鍵が閉まっている。
みんな外部で練習かな? だったら吹奏楽部の部室に向かってみれば、こちらも高専祭というイベントが終わってひと段落ということで、部室には誰もいない。
よし、帰ってギター弾こ。
「ただいまー、って、お客さん?」
玄関には、女性ものの上品な靴が置かれている。
そういえば家に入ってから、リビングから賑やかな話し声が聞こえてくることに気付いた。
「ただいま母さん、お客さん来てるの──って、うわっ!!!」
うちの小さなリビングに、武田母がいた。
「あ、真太郎くんおかえりなさーい! 今年もよろしくねー。今ちょうど、美沙さんに家族会議のこと話してたのよ」
「真太郎……あんた親の知らない間に、立派になったのね……」
「な……なんで武田の……お母さん……」
俺の驚愕さえも面白いと言わんばかりに、上品に笑いながら武田母が言う。母さんは目元を拭うふりをしながら、全力で俺を茶化していた。
「遅ればせながら先週、美沙さんにお電話したら、久しぶりにお家に呼ばれたの」
「そりゃ当然、息子がお世話になったのだからお礼ぐらいはね。相手が菫ちゃんなら尚更」
「それにね、うちの椿も本当に、真太郎くんにお世話になってるのもあるし、いろんな意味でご挨拶は必要でしょ?」
「もーご挨拶なんて! 気が早いけど悪くないかも!!」
お母さんズが何を言ってるのか、さっぱりわからない。完全に置いてけぼりだ。
「武田のことはもういいですって、お母さん。あれはこの前話した通りで……って母さん、何ニヤついてんの」
さっきから母さんが、俺の顔をニヤニヤしながら見ている。
意図の読めないニヤつきに、次の言葉が出てこない。
「あの真太郎がね、椿ちゃんの味方になったってのが、あたしは嬉しかったのよ」
「そうなの、私は嬉しかったのよ。美沙さんずっと真太郎くんのこと心配してたからね」
コーちゃんから以前聞いた話。
改めて俺は、親に心配をずっとかけてたんだなと反省する。
「母さん、ほんと心配かけてごめん」
「何言ってんの真太郎。親は子供を心配するのも生き甲斐なのよ」
「真太郎くん、本当にいいお母さんを持ったわね」
目頭が熱くなる。
これ以上ここにいたらまずい……さっさと部屋に戻ろう。
「はい……それじゃあお母さん、ゆっくりしていってください」
「ありがとう。あ、それと……ふふっ」
どうした武田母。
「椿のこと、これからもよろしくね」
「当たり前です、友達ですから」
「あらあら……これは椿のがんばり次第ね……ふふっ」
だから武田母、どうした。
というか、楽しみって何だ?
まあ、考えてもわからないだろうし、いいや。
階段を上がり、自分の部屋の扉を開けた。




