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「山谷さん、ティッシュをお使いください」
「……すみません、静さん」
「それだけ涙も鼻水も出されてしまっては、水分不足が心配です。冷めてしまいましたがコーヒーをお飲みください。さあ、一気にずいっと」
言われるがまま、冷めたコーヒーを流し込む。
……静さん、いつの間に入ってきたの?
「新しいものをお持ちします。コーヒーでよろしいですか? それとも紅茶?」
「あ……コーヒーでお願いします」
そして、静さんが信じられない手際の良さで新しいコーヒーを置いて去る。あの人もしかして、忍者?
新しいコーヒーに息を吹きかけていると、武田母が口を開いた。
「──真太郎くんの気持ちは分かりました。でも、椿の気持ちはまだ何も聞かされてないわね」
「そ、そうだそうだ! お前……いや、山谷くん、君の美談に危うくほだされるところだったが、私の目は誤魔化せんぞ!!」
「……まったく、この人はもう……」
お母さんは頭を抱え、武田は苛立ちが顔に出ている。
本当にこの親父さんは……。
「大体な、友達の人生を変えたのは素晴らしい、さすがうちの娘だ。しかし! プロのヘアメイクとして通用する美的センスがあるかどうかは全くの別問題だ! 椿の浅はかな感性など、プロの世界で通じるわけがない。そうは思わんかね、山谷くん」
……もう、我慢ならない。
コーヒーを一気に流し込み、武田父に向き直る。
「あの、武田の親父さん。さっきからセンスだの感性だの言ってますけど……僕、それだけは親父さんにガタガタ言われたくないです」
「はあっ!? 貴様、またも私に楯突くのか!? もう許さん、表に出ろ!!」
「僕、玄関に入った時からちょっと理解に苦しんでたんですよ」
「玄関!? それがどうした!!」
「あの壁に掛かってる虎の毛皮と、謎に立てられてる切り株、さらにカラフルな壺3つ。もしも親父さんが、あんなわけの分からないものを良しとして飾ってるとしたら、そんな感性の人にだけは武田のセンスを否定されたくないです」
「ふふっ……失礼しました、虫が鼻に」
静さんが笑った。
「……真太郎、くん……それ……さすがに……可哀想……あっはっはっはっは!!!」
限界まで我慢していたお母さんが、ついに耐えきれなくなり笑いだす。
「山谷……アンタ、いいわそれ……」
武田はどうにか耐えているが、破綻は時間の問題だ。
「だから言ったでしょ、公一さん。私は言いましたよ、あんな成金趣味の無価値なガラクタ、玄関から撤去しなさいって。もう100回は言ったかしら、ねぇ?」
「そんなことは……あれは、取引先の会長が、開運の美術品で……」
「むしろ皮を剥がれた虎に呪われそうですよ、あれ。切り株も謎だし、壺なんてうちの妹が塗ったのかと」
「こらこら、真太郎く……ん……フフッ! だめよ、他人の持ち物をけなしちゃ……」
「あ、すみません……」
畳を転がりまわっていた武田母が、ようやく定位置に戻る。
「公一さん、これで理解されましたか。あれは趣味が悪いです。撤去してください」
「感性……開運……会長……」
武田父、無事撃沈。
「さて、お話が中断してしまっていたけど。椿、あなたの気持ちを聞かせてくれる?」
武田母の口調は、最初の頃とはまるで違う、優しい母のそれだった。
深呼吸した後、武田が口を開く。
「母さん、確かにアタシは山谷に甘えてた」
「でもね……アタシの感性で、たくさんの人をもっと輝かせたい……その夢は、絶対に借り物なんかじゃない。アタシ自身が見つけた、アタシだけの夢」
「そう。それで?」
「これからはもう、誰にも頼らず、アタシ自身の力で歩いてみせる。夢を叶えるために、下関の美容専門学校に行きたいです。だから母さん……アタシにチャンスをください」
武田母は少し考え、やがて口を開く。
「及第点、かしら。公一さん」
「なあ、今、私のこと、一言も言ってなかった気がするんだが……」
「及第点、でしょ?」
「……はい」
今回の話し合いで、この家の力関係が垣間見えた気がした。
武田母だけは絶対、敵に回さないようにしよう。
「椿、あなたの気持ち、そして覚悟は分かりました。ただしあくまで及第点です。具体的な計画も、指針も示さずに誰かを説得はできないの。それだけは理解しなさい」
「……はい、ごめんなさい」
「それはこれから学んでいきなさい。……まあ、お小言はこのくらいでいいでしょう。私たちはあなたの進学を認めます。さしあたって、今まで止めていた3年分のお小遣いを学費の一部に充てて、支払いを立て替えておきます。それでも足りない学費と、自分のお小遣いは、これからアルバイトをして、私たちに返していきなさい」
「はい……ありがとう、母さん」
「……なあ、私は……?」
「……父さんもありがと」
一通り親と言葉を交わした武田が、こちらに向き直る。
「山谷、本当にありがとう」
かくして家族会議も終わり、武田の部屋に戻る。
「あー……つっかれたー!!」
「武田、いくらなんでも気が抜けすぎだろ……」
自室の畳に大の字になる、着物姿のお嬢様。
俺はそんな姿、見たくなかったよ……。
「でもこれで、武田は将来への道が見えたってわけだ」
「うん。本当にありがとね、山谷」
「いいよ、今までさんざん助けてもらったからな。これで少しは恩を返せたかなって思うよ」
武田の夢。
大事な友達の将来に、少しでも手を貸せたのなら、これほど嬉しいことはない。
大の字になったままの武田が、思い出したように話しかける。
「そういえば山谷、アンタは将来どうするの? あと2年ちょっとで卒業だし、もう進路は決めてるんでしょ?」
今聞くことか、それ?
できれば達成感の余韻で終わらせて欲しかった。
「実は……まだ決まってはない」
「え、でもアンタ、音楽の道に行くんでしょ?」
「なんで武田まで、麻耶と同じこと言うんだよ」
「麻耶ちゃんにも言われたの? 愛されてるねー」
「まあ、正直俺には音楽しかないからなー」
武田が起き上がり、俺の目をまっすぐ見つめる。
「なんだよ」
「次はアンタの番ね」
「何が」
「アンタの将来、一緒に考えてあげるよ」
将来を考えあぐねていた俺に、思わぬ救世主が、現れた。




