6-4
「……よし、行こう」
「わかった……お願い山谷」
「お嬢様、山谷さん」
「「うわあああっ!!」」
決意を胸に、武田の部屋の襖を開けた俺たちの目の前に、静さんがいた。予想していない人が目の前に現れて仰天した俺たちは、
「ししししし静さん! びっくりさせないでくださいよ!」
「もう! せっかく気合い入れたのに!!」
と文句を言う。そんな俺たちを見た静さんは、静かに微笑みながら言う。
「緊張、解けましたか?」
そういうことだったらしい。
確かに驚きはしたが、変に抱えていた肩の重みはすっかり消えていた。
「わたくしは、お嬢様の味方でいますから」
「……ありがと静さん。ちょっと親と喧嘩してくるわ」
「……俺は止めるぞ」
改めて、決戦の場へ。
「あ、山谷さん。先ほどお嬢様に頼まれたコーヒーは広間の方へ用意させていただきました。どうぞ冷めないうちに、旦那様の前でお召し上がりくださいませ」
静さん、大魔王の前で飲むコーヒー、本当に味はしますか? 俺は味がする気がしません。
静さんの案内で廊下を進み、広間の襖の前に立つ。
この奥に、武田の夢を鼻で笑った、武田の親がいる。
そう。武田の感性を鼻で笑った、俺たちの敵がいる。
俺たちはまだ子供だ。親の庇護下でないと生きていけない、弱い存在だ。
だけど、そんな弱い存在の心の中に、目指すもの、目標、夢は確かにある。
そんな弱くも足掻き、手を伸ばし、その先にある輝きを掴もうとすることは、きっとこの襖の向こうにいる人たちにもあったんじゃないのか。
もう退けない。退くつもりはない。
「武田、お前の夢は俺が守ってやる。……静さん、お願いします」
静さんが「承知しました」と小さく呟き、襖の向こう側に声をかける。
「旦那様、お嬢様、それと……お客様をお連れしました」
ゆっくりと、静さんが襖を引く。
視界の先には、時代劇で見るような広い和室と、その奥で待ち構える魔王──武田のお父さんがいた。
「失礼します」
硬い表情のまま、武田が和室に踏み入る。
俺も後に続く。
「お客様……こんな家族の空間に、一体誰だ?」
武田父の鋭い眼光が、俺を貫く。
「おや、君は……椿の同級生だったか。中学の頃より随分と大きくなったね」
「はい……初めまして、山谷と申します。失礼ですが……お会いしたこと、ありましたっけ?」
「椿が中学の頃、PTAの会長をしていたからね。君のことは何度か見かけてたよ」
「そうでしたか」
「しかしその髪はいただけんな、品性のかけらもない」
初手から失礼なおっさんだな。でも落ち着け、別のことを考えよう……それにしても武田の名前、椿ってのは知ってはいたが……ギャップあるなあ。
ちょっとかっこいいけどね!
「僕の髪のことはどうでも良いですから、本題に入りませんか?」
少しムッとした表情を、一瞬だけ見せた武田父は、すぐに顔を戻し言い放つ。
「山谷くんの親は、その品性のない髪を許しているのかね?」
「ええ、うちの親は寛大ですから、僕のやることに基本反対しないんです」
「それは親としてどうなのかね、子供が間違ったことをしたのなら、正すのが親の務めだと思うがね」
あ、こいつ森山と同じだ。口調は品があるが、基本的に人を見下してる。初手からの失礼な物言いは、こちらを感情的にさせるのが目的だ。話の主導権ってのは、大抵冷静な方が持てるようになってるからな。少し前見た心理学のテレビで、そんなことを言ってた。
「僕の親は、子供の夢には翼を与えるって言ってました。子供の考えを第一に、もし間違っているときは口を出しますが、それでも最後は僕たちの背中を押してくれる、そう育ててもらいました」
「それは親の責任を放棄してる、そうは思わんかね?」
「いえ、ガチガチに子供の意思を縛り付け、捻じ曲げ、抑圧する親と比べたら、よほどいい親だと思います」
武田父の眉間に皺が寄った。
「それは、私の子育てへの皮肉かね?」
「とんでもない。親は皆、同じ子育てをしなければいけないなんて思いませんし、うちの親が世界一だなんて、僕は思ってますが、それを誰かに押し付ける気はないです。親が勝手に敷いたレールに、子供が従わないのと同じように」
「君はさっきから、何が言いたいのだね? 男なら言いたいことをまっすぐ言うのが男なのではないか?」
「いえ、思ったことを述べたまでです」
「貴様──!」
「そこまでですよ、公一さん」
襖が開き、着物姿の女性が部屋に入ってきた。
一目見てすぐに、武田のお母さんと確信するほど武田にそっくりだった。
「お前は黙っていなさい、今こいつに男と男の──」
「あなたこそお黙りなさい」
ピシャッと扇子が武田父の手の甲を叩く。
「ごめんなさいね真太郎くん。椿の母です」
「あ、いえ、こちらこそすみません……」
なぜ初対面で名前呼び?
「ねえ、おばちゃんのこと、覚えてる?」
いきなり予想だにしていない言葉を投げかけられ、面食らってしまった。
「えーっと……すみません、どこかでお会いしたことありましたっけ……?」
「小学校の頃だし、覚えてないのも仕方ないわね。真太郎くんのお母さんと、子供会で仲良くさせてもらってて、お母さんが仕事を始めてから今でも、時々会ってお茶してるのよ」
「え、そうだったんですか!? それはすみません……」
「謝ることじゃないでしょ。そんなことより」
居住まいを正し、武田父の隣に武田母が座る。
「椿のことで議論が白熱してたのは良いことだけど、あまり大人をいじめちゃダメよ」
「……すみません。少し頭に血が上っちゃって」
「それはお互い様だから。公一さんも反省して」
「……」
「は・ん・せ・い・は?」
「……申し訳、ない」
「というわけよ、ごめんね真太郎くん」
すっかり毒気を抜かれた武田父。よかった、武田母は味方のようだ。
……いや、待て。
それだと辻褄が合わない箇所が。
「でもね、勘違いしないでほしいのだけど」
武田母の纏う空気が、一気に冷え込む。
やっぱ、そうか。
「椿がヘアメイクの道に進むことは、私も反対です」
予想していた答え、そのものだった。
だとすると、武田の小遣いを止めたのはもしかすると。
「椿が金髪にした日……その日からずっと、この子のお小遣いを止めたのは、公一さんじゃない。私なの」
「か、母さん……だったの……? 父さんじゃなくて……? 何で……」
武田が、今まで見たことないほど動揺している。
「えっと……武田のお母さんは、どうして武田のお小遣いを?」
「そりゃもちろん、親に逆らうからよ」
平然と、当然のように、常識を語るように滑らかに、武田母はその言葉を発した。
「母さん……アタシ、そこまで悪いことしたの……?」
武田はもう泣きそうだ。
ここはどうにか、反撃の一手を。
「親に逆らった、それだけが理由ですか?」
「どうして?」
「この短い時間でお話ししただけですが、お母さんはそんな単純な理由でお小遣いを止める、学生にとっては致命的な罰を与えるとは、僕には思えないんです」
「山谷君、それは私なら、単純な理由で椿の小遣いを止めると、そう言ってるのかね?」
大事なとこで邪魔すんな、武田父。
その考えを表情から読み取ったのか、もはやチャージタイムもなしに火山が噴火する。
「公一さん、もう出ていってもらうわよ」
「……」
「何か言うことは?」
「……すまん」
さっきより雑だな、謝り方。
「さて真太郎くん、さっきの質問だけど」
「はい」
「お察しの通りよ、親に逆らったから、そんなつまらない理由でお小遣いなんて止めません」
俯いていた武田が、少しだけ顔を上げる。
「椿、あなたは3年間、お小遣いもなしにどうやって遊んでいたの?」
「お金がかからないように……遊んでた……」
「じゃあ、誰にもご迷惑はかけてないのね?」
その言葉を聞いた武田の肩が、ビクッと跳ねた。
少しの沈黙の後、武田母が口を開く。
「誰にご迷惑をかけたの、椿」
「……ゃ……」
「はっきりおっしゃいなさい」
「……山谷に……ご飯奢ってもらったりしてた…………」
とても武田の口から出たとは思えない、か細い声だった。
「武田のお母さん、それは──」
「真太郎くん、その呼び方長いわね。お義母さんでいいわ。それとも名前で呼びたい?」
「えっと、それ以外は……」
「名前は菫だからね、どっちでもいいわよ真太郎くん」
なんだろう、どうしてか、そのおかあさんって言葉には不穏な響きを感じるなあ。
耳がいいと、そんなことまで感じ取れるのか。すごいな。
あと、心にズカズカと入り込んでくる感じが、怖いです。
なんて冗談を考えてる場合じゃないな。
「それはさておき(武田の)お母さん、僕は武田に何度も助けられてきたんです。奢ったのはそのお礼と、僕は思ってます」
「そういう話では済まされません。これは生き方の話なのよ」
生き方。
将来もままならない俺に、その言葉は痛い。
俺が黙ったのを横目に据えて、武田母が続ける。
「いいこと、椿。あなたが私たちに逆らって、自らの意思で髪を染めた。それは自分で生き方を決めたことに他ならない。だから私たちは、無理やりに髪を黒に戻せとは言わなかった。その代償に、お小遣いを止めたの。『親の言いなりにならない』とあなたが決め、自分の力だけで生きようとする、その覚悟を見たかったの」
「……」
武田は、何も口にしない。その様子を見て、武田母がさらに畳み掛ける。
「それなのにあなたは……親の庇護下から飛び出したつもりでいながら、結局他の庇護下に移っただけ。それがよりによって真太郎くんなんて……美沙さんに顔向けできないわ」
「そんな……ことは……」
「美沙さんから聞いたんだけど、あなた……真太郎くんに言ったそうじゃない。『親のお金で買ったものなんて、全部借り物』って。じゃあ、真太郎くんに奢ってもらったものも全部借り物ってことよね。あなたは借り物ばかりで、この3年間を生きてきたってこと?」
武田はもう、何も言えなくなっていた。
いつもの勢いは消え失せ、俯いた顔には髪が覆いかかる。
確かに武田母の言うことは正しい。
武田が奢ってもらったものを、借り物ということだってうなずける。
だけどさ、その借り物って言葉は、武田に向けた俺の気持ちを、全部なかったことにしてないか?
「あの、お母さん。借り物って言ったこと、訂正してもらえませんか」
「あら、どうして? 真太郎くんだって、一方的におごらされたこと、しんどくなかった、なんてことはないでしょう」
「確かに会計こそ、僕は払いました。でもそれは、武田が俺に甘えて払わせたんじゃない。……俺は、武田にずっと救われてきたんです」
「どういう、ことかしら?」
武田母は、俺をまっすぐ見据える。
俺も、まっすぐ武田母を見据える。
「多分お母さんも知ってると思いますけど、俺、中学でギターに出会うまで、何もない、空っぽの人間だったんです」
「ええ、美沙さんから聞いてたわ。すごく心配されてた」
「だけど、ギターと出会って、空っぽじゃなくなった後も、それだけで自分に自信なんて持てなかった。誰かと関わることが、すごく怖かったんです」
少し呼吸を整え、続きを話す。
「そんな自信のない自分を変えたくて、髪を染めました。そのやり方を教えてくれたのが、武田なんです。……それに、理不尽の塊みたいな先輩に心を折られた時……バンドが解散することがショックで、もう学校なんてやめようって思った時……助けてくれたのは、いつも武田でした」
「いつもは俺のこと、ものすごく雑に扱うんですけど……でも、俺が本当に折れそうな時には、絶対そばに武田がいてくれました」
少しだけ、目頭が熱くなる。
「だから、俺が払った金額なんて、武田が助けてくれたことに比べたら、むしろ足りないぐらいだと思ってます。俺は武田に一度たりとも、迷惑なんてかけられてないですし、俺に自信を与えてくれたあの日からずっと、自分の言葉と感性で、俺みたいな何もなかったやつを……こんな空っぽだった人間を! ステージで輝けるまでに変えてくれたんです!!」
気がつけば、目から涙がとめどなく溢れていた。
「まあっ! それって!! ……コホン、ごめんなさい」
「や、山谷……恥ずいって……」
沈黙は、俺の涙が止まるまで続いた。




