6-2
人生には、問題が集中して起こる。
「先輩は、就職っすか? それとも編入とか専攻科っすか?」
今まさに、金谷から問題を突きつけられている。
東田さんとの話の中で出た、自分自身の将来。あれからずっと考えてはいるが、答えは何一つ出ないままだ。そんなある日、オーディオ部の部室でエフェクターのメンテナンスをしていると、ふいに金谷と鈴森が、いつになく真面目な顔で話しかけてきた。
「……あの、先輩」
「ん? どうした二人とも、また合コンのセッティングか? 俺は絶対行かないぞ」
「違いますよ! あの地獄はもう勘弁っす……」
金谷が思い出し身震いした後、少し言い淀むように口を開いた。
「俺たち、来年から3年生じゃないっすか。そろそろ、進路のこと考えなきゃなって鈴森と話してて」
「そうなんですよ。高専に残って専攻科に行くか、大学に編入するか、それとも就職するか……先輩は来年もう4年生ですし、進路はどうしましたか?」
「え……?」
俺は、ドライバーを手に持ったまま固まった。
進路。
就職。
「いやー何にも考えてなかったわー、俺みたいにはなるなよー?」
茶化すように誤魔化したが、金谷たちが不思議そうな顔をした後、部室の空気が少しだけ重くなった。
高専は5年制だ。4年生になれば、あっという間に就職活動や進学の準備が始まる。
音楽は楽しい。PAの修行も、死ぬほど面白い。
音楽に人生を賭けていると言っても過言ではない。
だが、それを自分の『将来』にする覚悟は、俺にはない気がしている。
音楽はただの『趣味』として、周りのみんなと同じように、適当な大手企業に就職して、時々気の合う仲間とセッションして……きっとそれは、一定の幸せを掴むにはこれ以上ない最適解なのだろう。
だが、そんな一定の幸せを享受するには、あまりにも俺の全ては音楽で染まりきっていた。
すっかり日も暮れた頃、家に帰ってきた俺を珍しく妹が出迎えた。
「真太郎おかえり、ちょっと相談」
「麻耶……呼び捨てすんなって何度言えば」
「説教いいから、とにかく聞いて」
俺が何者でもない、空っぽだった頃。麻耶との関係は誰が見ても絶対零度と言えるものだった。
毎日の夕飯、顔は合わせても目は合わせない。お互い関わらないことが暗黙の了解となっていた。
そんな冷えきった兄妹関係は、音楽を始めしばらくした頃から変わり始めた。
部屋でギターを弾いていると、ノックもなしに突然侵入してくる麻耶。言葉を交わすことはないが、あれだけ嫌悪していた兄の部屋に何故コイツは入ってきたんだと、頭の上には疑問符が数え切れないほど浮かんでいた。
だが、下手に話しかけて文句を言われても困る。
黙ってギターを弾き続けた。
麻耶はそれを眺めるだけ。
あの日のことは、よく覚えている。
それからも、麻耶はたびたび俺の部屋に入ってギターを弾く俺を眺めてきた。
言葉はない、ただ眺めるだけ。
麻耶が初めて話しかけてきたのは、高専に入学して少し経った頃。
「おにーちゃん、なんで金髪にしたの?」
「麻耶……お前口あったのか」
蹴られた。いたかった。
それから麻耶は、俺にいろいろ聞いてくるようになった。
「おにーちゃん、最近いいことあった?」
「にーちゃんさ、なんか嫌なことあった?」
「真太郎、テストよくなかったでしょ」
麻耶も、自分のことを話すようになった。
「メグがさ、彼氏できたんだってー」
「告られた」
「あの男、付き合わなくて正解だった!」
俺の知らなかった、知ろうとしてこなかった妹の人生が、部屋に広がる話の中に垣間見えた。
それからはギターを弾いてない時でも、麻耶と話すことが増えていった。
あの頃は、こんな風に麻耶と話せるようになるとは思わなかったな。
過ぎ去った日々に思いを馳せていると、麻耶が、
「おーい真太郎、どの世界行ってんの?」
と茶化してきた。
「ああごめん、ちょっと昔を思い出して」
「何おっさんみたいなこと言ってんの。そんなことよりさ……えっと……」
少しばかり言葉を言い淀んだあと、よし、と言い麻耶が尋ねる。
「真太郎はなんで高専に行こうと思ったの?」
意外な質問に、一瞬ポカンとしてしまったが、気を取り直して答える。
「高専に行ってさ、音楽のことを、音のことをもっと知りたいって思ったんだよ」
「それって……将来は音楽の道に進みたいから?」
「いや、全然。そんなこと全く考えてなかった。ただ音楽が好きで、音楽のことをもっと知りたいって思っただけなんだ。自分のことながら、適当だなとは思うけど」
思ったような答えじゃなかったからなのだろう、うぅーんと唸りながら腕を組み、麻耶が考え込む。
しばらく脳内で考えを巡らせたようだが、あきらめたように俺に向き直る。
「就職に有利だからとか、そういう考えはなかったの?」
「そんなこと1ミリも考えたことなかった。……もしかして麻耶、高校進学の悩み?」
「そう……なんだけど、真太郎のその進学の理由、お母さんたち知ってんの?」
「いや、何にも話してない」
「マジか……相談する相手間違えたかも」
頭を抱える麻耶。大間違いだよ、相談相手として。
「でもまあ、話してなくてもわかってると思うよ。俺、勉強もせずバンドばっかやってるから」
「そんな堂々と言うことじゃないよそれ」
痛いとこをつくな、我が妹よ。
「将来のことかー、最近それでちょっと悩んでてさ」
「待って、麻耶が相談してんのに、なんで真太郎の悩み聞く流れになってんの?」
「いいから今だけ聞いてくれよ。実はさ──」
一通りの悩みを黙って聞いた麻耶は、ため息をつきながら呆れたように、
「あのさ……それって悩みじゃないと思うんだけど」
「は? 悩みだよ。将来の進路どうしようって」
「バカだな真太郎は。あのさ、わかってないかもしれないから言うけど、真太郎って音楽以外何も考えてないよね。麻耶にはわかる」
む、これは心外な。
「そんなことないよ、いい会社に入って趣味で音楽やるべきかなーとか、もしくは」
「はいはい他人にもっともらしく話せる建前はいいから。お父さんもお母さんもいないんだし本音で話していいよ今は。真太郎は、音楽で生きていきたいんでしょ?」
いきなり芯を食った質問に、少々面食らいながらも言葉を返す。
「そんな不安定な生活、高専まで行ってやるもんじゃないと思うんだよ」
「いーや、真太郎は音楽で生きて行きたいって思ってるよぜったい」
「いやいや、麻耶に何が分かるん……」「分かるよ、妹だから」
言葉が出ない。
「麻耶、真太郎がギター始めてからずっと見てきたよ」
俺は返事もせず、次の言葉を待つ。
「真太郎って昔から、何考えてるかぜんぜんわかんなかった。話しかけても聞いてるかわかんないし、たまに何か喋ったと思ったら意味不明だし。──正直、あの頃の真太郎は怖かった。本当に麻耶と同じ人間なのかなって。なんかさ、人形が歩いて、ごはん食べて、お風呂入って寝てるみたいな、軽くホラーだったの。小学校入った頃からは、もう怖さしかなかったから、話しかけたり一緒の空間にいるのも怖くなってた」
「……なんか、ごめん」
「いいっていいって、今こうやって話せてるし。真太郎の中身が初めて見えたのが、ギターやりたいって言い出した時。それからギター買って、部屋でずっと弾いてたじゃん? 麻耶はね、あの音が好き。私のお兄ちゃんは、ちゃんと生きてるんだって思えるから。ギター弾いてる真太郎は、黙ってるけどすごくおしゃべりだった」
「なぞなぞか何か?」
「うっさい、黙って聞け。ずっと見てて気付いたの、麻耶が部屋に入ったらギターの音が張り詰めたみたいになったり」
そんなことはないだろ。
「しばらく経って気づいたの。麻耶が部屋に入っても音が緊張しなくなってた」
いやいや、ありえないって。
「最近はずっと、歌ってるようないい音になってる。少し前しばらく、この世の終わりみたいな音してたけど。あの森山って先輩のせいでしょ?」
え、ほんとにわかるの?
「真太郎のギターはさ、真太郎よりわかりやすいから。だからずっと聴いてたの」
「普段は何考えてるか全然わかんない、麻耶のお兄ちゃんの気持ちが聴こえてきたから」
麻耶は一呼吸おいて、言葉を重ねる。
「いいじゃん、仕事なんて選ばなきゃいくらでもあるんだし。音楽やりながらバイトとかして、贅沢はできなくても夢を追いかけて生きるのも、カッコ悪いけどカッコいいと思う」
「そのカッコ悪いの部分は?」
「真太郎だから」
「じゃあ、カッコいいの部分は?」
「頑張ってる真太郎だから?」
「疑問で返すなよ」
俺の返しにひとしきり笑ったあと、麻耶が真面目な顔で俺を見つめる。
「お父さんもお母さんも、真太郎が選んだ生き方なら、絶対に背中を押してくれる」
「でもさ、父さんはともかく母さんはどうだろ。コーちゃんの前例があるし」
「大丈夫、麻耶にはわかる。お母さん、最初は心配で反対するけど、最後は背中押してくれるよ」
麻耶の言葉が、ゆっくりと心に沁みてゆく。
「あ……でもまだ時間はあるし、もう少し考える時間を……」
「もー! 全部台無しじゃん!!」




