5-13
「仕上げだ山谷、ステージに戻れ」
「ありがとうございます。あとはお願いします」
ステージに戻った俺がギターを構えたのを確認して、東田さんは4チャンネル──俺のトラックレベルを押し上げた。
Lunarが歌い奏でる、包み込むようなアルペジオがアンプから広がり、体育館の隅々にまで満ちていく。完璧な周波数のパズルの中央に、俺の音が最後の1ピースを埋めた。
ボーカルの声が、ベースのうねりとドラムのビートが、俺の作ったバッキングが躍動し始める。客席の空気が完全に変わった。最前列で耳を塞いでいた女たちも、先ほどの音とは対極のグルーヴに身体を揺らし始めている。
その完璧なアンサンブルの中で、たった一人。
森山だけは、自分が立っているステージで何が起きているのか、理解できずにいた。
必死にギターを掻き鳴らしても、どんなに足掻いても、森山の音は冷たい牢獄に閉じ込められ、傲慢に輝くエゴはもう、誰にも届かない。
(なんなんだ、これはよお……!?)
右手に力を込め、高い金額に見合ったディテールとパーツがご自慢のギター。その弦を力の限り弾き千切るようにピッキングする。だが、背後のモニタースピーカーから返ってくるのは、無惨に牙を抜かれた、音楽として調和する出来の良いサウンド。
どれだけ力任せに弾こうと、頑強で冷たい牢獄に全方位閉じ込められた森山の音は、1dBのオーバーロードも許されない。
(ふざけるな……俺は、天才なんだぞ……!)
──幼い頃から、親父の顔色ばかり窺って生きてきた。
勉強がどうしようもなく嫌いで、成績も振るわない俺に、出来損ないの烙印を押した両親のあの顔は忘れられない。
それでも、音楽に溺れ、ギターの音に憧れ、どうしてもあの音を自分も出したい。俺が感じたあの衝撃を、誰かにも届けたい。幸い親の金はいくらでもある、最高の機材を買い揃えた俺は、少し練習したらどんなフレーズでも弾けた。それでも、誰よりも努力して、誰よりもデカい音で他人を黙らせてきた。
音楽なくして、俺の存在価値なんてものは他になかった。
だから、音を出さないといけないんだ。
誰よりも目立つことを、天才であることを顕示しなければならないんだ。
今日、親父が会場に来ている。場所もわかってるんだ、さっき見つけたから。
ここで、俺の圧倒的な才能を見せつけなければ、俺の居場所は奪われる。
(俺を見ろ! 下手くそなボーカルなんか目立たせるな!! 親父を音で殴りつけて、屈服させて、認めさせないといけないんだ!!!)
「──知らねえよ、お前の事情なんて」
森山を睨みつける。
傲慢な天才が何をしたところで、もう全ては俺の手の中だ。
太陽のように全てを焼き尽くし、喰い殺そうとした傲慢な光。
それを今、月《Lunar》の影が完全に覆い隠した。
俺の作り上げた日食──月の牢獄。
綺麗にパッケージングされた音は、夜を優しく照らす淡い月光のように、会場を包み込んでゆく。
やがて、曲がエンディングを迎える。
バンド全体が最後の一音を優しく解き放ち、余韻がゆっくりと消えてゆく。
──ウオオオオオオオオオッ!!!
体育館を揺るがすような、地鳴りのような大歓声と拍手が巻き起こった。
ステージ上で、ボーカルとリズム隊の先輩たちが、歓喜の笑顔で肩を抱き合っている。
その中で、自分の高価なギターを力なくぶら下げたまま、森山が呆然と立ち尽くしていた。
その顔は、屈辱と絶望で土気色に染まっている。
PA卓の方を見ると、東田さんが親指を立てて笑い、タバコを咥え直すのが見えた。
(ありがとうございます──)
俺は小さく頭を下げた。何とかなって、本当に良かった……。
しかし。
「……ふざ、けんな……」
覆い隠されたはずの太陽はまだ、身を焦がすほどの熱を失ってはいなかった。
ステージ上の森山が、ギリッと歯を食いしばり、ギターを床に投げ捨てた。
「俺を……俺の天才的なプレイを……コケにしやがってぇええええ!!!」
森山は怒りで完全に理性を失い、ギターを置いたばかりの俺に向かって一直線に突進してきた。その顔は、致命的な傷を負い、血を流しながらも野生をむき出しにする獣のように歪んでいる。
「山谷ァアアアアアッ!!!!」
森山は俺の胸倉を掴み、そのまま力任せに俺の顔面を殴りつけた。
──鈍い音が響き、背中からステージの床に倒れ込んだ。口の中を切ったのか、鉄の味が広がる。
「おい! 何してんだ!!」
ベースとドラムの先輩が慌てて森山を組み伏せる。
「離せゴミがあああああっ! 山谷ィ!! 殺してやる!!!」
だが、もう手遅れだ。
「キャァアアアアアッ!?」
「おい、ヤバくねえか?!」
「森山先輩が、山谷先輩を殴った!!」
先程までの熱狂的な歓声は、悲鳴と怒号に変わっていた。
全校生徒が密集する体育館の中心。特設ステージの真上で起きた、言い逃れのできない完全な暴力事件。
床に倒れ込みながら、俺は天井をただ見上げていた。
見回りをしていた教官たちと、学生主事が、鬼のような形相で群衆を掻き分けてこちらに走ってくる音が聞こえた。
森山は、先輩たちに組み伏せられながら、ようやく自分が取り返しのつかない場所で、取り返しのつかない事をしてしまったことに気づいたらしい。土気色だった顔が、今度は血の気を失い、真っ白に染まっていく。
自分のエゴに振り回された男の、完全なる自滅。
お前が殴ったら、俺は被害届を出す。殴らなくてもでっちあげりゃいい──
高専祭のステージに、問題児どものバンドが出られるわけがねえよな──
アンタが自分の口で語っていた破滅のシナリオを、自らの拳で引き金を引いたんだ。
俺は痛む頬を押さえながら、ゆっくりと立ち上がり、青ざめる『元・支配者』を見下ろした。
かける言葉など何もない。感情も感傷もなく、この場から去るだけ。
もう俺には関係のない、他人事。




