5-12
──時間だ。
ひとつ前のバンドの出番が終わり、次は俺たち森山バンド。
ところで、俺はここまで一度も、頑なに正式なバンド名を口にしていない。口にする名前は毎回、森山バンド。
理由は至ってシンプル。ウルトラベロシティーズ並みに名前を口に出すのが恥ずかしいからだ。いや、ウルトラベロシティーズの方がまだマシかもしれない。
ステージに上がった自分を想像してほしい。1曲目が終わり、ボーカルが名乗りをあげる瞬間。
「俺たちのバンド名は──
Mt.FORESTです」
一見なんでもない英語に見えるだろう。そう、字面だけならそうおかしいとは思わない。
ここで一つ質問、このバンドの主は誰だ?
そう、森山だ。
コイツの苗字を英訳してみてほしい、もしくはバンドの正式名称を和訳してみてほしい。
──それが、理由の全てだ。
機材のセットを終え、俺はステージの下手に立つ。Lunarのボリュームをオフにし、静かに足元の機材を見下ろしていた。
大丈夫、全て計算通り。どんなことが起こっても対処する。
それでも、森山が暴走した時は──
「準備できたか? 俺を輝かせろ下僕ども!!」
ステージの中央で、森山がマイクに向かって下品に叫ぶ。女たちがキャーキャーと沸き立った。
……聞いてたお姉さんたち、今のどう聞いても悪口だよ?
それにキャーキャー言う時点で同類ってことか。
よし、無視だ。
「お前ら聞け! Mt.Forestが高専祭に帰ってきた!!」
うわ、そんないい顔で名乗るなよ恥ずかしい。
うちの後輩たち、呆れをとっくに通り越して無じゃん。
森山が振り返り、「グズグズすんな! 始めろノロマ!!」とドラムに喚き散らす。
弾かれるようにドラムの先輩が、ハイハットのカウントを慌て気味に響かせる。
バンド全体が最初の一音を鳴らした、その瞬間。
鼓膜を、いや、内臓を直接殴りつけられたような暴力的な轟音が、ステージ上を吹き荒れた。
「……っ!?」
側頭部を高質量の塊で殴られたような衝撃に、一瞬意識が飛びそうになった俺は思わず顔を歪めた。
いつもの耳をつんざくようなドンシャリじゃない。
去年の高専祭で会場を氷点下に沈めたあの汚い音、どころじゃない。
ステージから生まれたのは、異常なまでに膨れ上がった中音域と低音域の、おおよそギターの音を構成する全てを台無しにした、例えてしまうと放送禁止用語が出そうになるようなノイズの濁流。
俺は信じられない思いで、森山の背後にあるアンプのツマミを凝視した。
(中音域が、全開……!? いつものドンシャリ設定じゃない!?)
理由は明白だった。最前列で手を振る女たち。あいつは女たちの前で、急に『太くて重厚なリードギター』を弾きたくなったのだ。
森山が思うカッコ良さを顕示したい。ただそれだけの、信じられないほど浅はかな気まぐれ。
だが、その気まぐれの破壊力は絶望的だった。
森山のギターが中音域を完全に埋め尽くし、さらに限界まで上げられたボリュームのせいで、アンプからは常にハウリング一歩手前の、いや、もう半ばハウリングしているような、汚く濁ったノイズが垂れ流されている。
(何てことしやがる!)
ここまでのひどい音は想像していなかった。
あまりにもひどい音に、一瞬思考が止まる。
東田さんに頼んで作ってもらった、アンサンブルを完成させる中音域の空間。俺の音が生きていける、ほんのわずかなスペースだった場所。
そこは今、森山の気まぐれで理不尽なエゴによって完全に塗り潰されていた。
ボーカルは必死に歌っているが、モニターの音すらかき消す森山の音で自分の声が聞こえないのか、無理やりに喚いている。
ベースのうねりは森山の低音に喰い殺されて跡形もなく消え失せる。
ドラムは自分自身の音が聞こえないのか、自分の体が覚えている感覚だけで不安定なビートをやっとの思いで刻む。
そんなひどい音の中、観客たちだけ助かった……なんてことはなく。フロアは阿鼻叫喚の地獄。去年森山が傷つけた観客たちを見ていたが、今年はさらに被害が広がりそうだ。
森山が呼びつけた最前列の女たちさえ、あまりの爆音と不快なノイズに耳を塞ぎ、顔をしかめている。
後方を見ると、PA卓にいる東田さんが、鬼のような形相でミキサーのコントローラーを操作していた。
だが、ダメだ。
PA側でいくら森山の音を下げようが、ステージ上から直接放たれるアンプの音がデカすぎる。
物理的な限界。
このままじゃ、全員の演奏が破綻して、バンド自体が完全に崩壊する。
──高専祭の音楽を支配してんのは、高い機材と才能と、そしてお前らみたいなゴミカスの人生を左右できる力を持った俺なんだよ
森山の言葉が脳裏に蘇る。
悔しかった。
がむしゃらに勉強した知識も、時間をかけて構築した完璧な棲み分けも、森山の気まぐれで全て台無しだ。
俺の積み上げてきたものは、あいつの幼稚なエゴと暴力的な音量の前に、跡形もなく崩壊する様を眺めるだけなのか──
ふざけんな。
何かがブツリと音を立てた。
俺は天才?
俺を輝かせろ?
大人しくて地味な背景?
うるせえ。
うるせえ。
うるせえ!
お前が鼻で笑う、俺が信じた理論を。
お前がバカにし足蹴にする、俺の機材を。
お前が背景と鼻で笑う、血の滲む思いで作り上げた音を。
これ以上、この三流ギタリストなんかに汚されてたまるか。
頭の芯が冷えていく。
大丈夫、俺は冷静だ。
足元のルーパーを踵で思い切り踏み抜く。
冷たいスイッチの感触が踵を伝い、カッティングを1フレーズだけ叩き込む。
踏み抜いたスイッチから足を離す。
次の瞬間、俺はLunarのネックから左手を離し、ピックを持った右手も下ろした。
だが、アンプからは寸分の狂いもない、俺の完璧なカッティングのループが鳴り続けている。
「……はぁ!?」
横にいたベースの先輩が目を丸くした。
俺はギターを下ろしスタンドに立てかけた。客席に背を向け、足元から東田さんが用意してくれていた予備の長いシールドと、小さな黒い箱──『DI』をひっ掴み、ステージ中央で恍惚とギターを弾きまくっている森山に向かって歩み寄る。
「あ? 山谷、お前何して……」「どけ」
俺は素早く、アンプのマスターボリュームを0まで落とし、刺さっているシールドを引き抜いた。
「おい! 何触ってんだテメェ!!」
瞬間、会場の隅々まで襲いかかっていた轟音は、嘘のように消え去った。
ボーカルの息遣いが、ベースの輪郭が、ドラムのハイハットが、そしてルーパーが刻むカッティングが、突如としてクリアに空間に響き渡る。
森山のアンプから抜いたシールドをDIに繋いだ。DIから伸びたケーブルはPA卓へと直結している。
これが、もう一つの武器。
「本番中、森山の音が完全に暴走したら……俺が物理的にあいつのアンプの音を殺して、DIに繋ぎ変えます」
東田さんは、用意したDIと、俺の目を見比べた後……口元のタバコを揺らしながら、ニヤリと最高に悪い笑顔を浮かべた。
「……面白えなそれ。わかった、そん時ゃ合図出せ。あのバカの音、俺とお前で牢獄に叩き込もうじゃねえか」
「──頭おかしいのか山谷! 俺の音が!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らす森山。
「もう鳴らねえよ、それ」
怒りで顔を真っ赤にする森山の胸倉を掴み、アンプに叩きつけ、言い放つ。
「音は俺たちが支配した。アンタは黙ってギターだけ弾いてろ!」
「……っ!?」
ずっと見下してきたクソガキが初めて見せた姿に、森山が一瞬だけ身をすくませる。
俺はその隙に、ステージから飛び降り走り出した。
目指すのは客席の最後方。東田さんが待つPA卓だ。
「東田さん!!」
PA卓に飛び込む。東田さんはタバコを咥えたまま、ニヤリと悪い笑顔を浮かべた。
「中音は物理的に仕留めました! 後は外音で、森山の音を閉じ込めます!!」
東田さんはさらに悪い笑顔を浮かべ、笑いを堪えられないのか声を震わせながら、
「演奏ほっぽり出して直接来なくても、ステージ上で合図出しゃいいだろうがバカ……。だがよくやった、DI直結のライン音ならこっちの思いのままだ。いいさ、お前の好きに閉じ込めてやれ」
ステージ上では、森山が怒りに震えながら、再び自分のアンプにシールドを繋ぎ直そうと足掻いていた。だが、俺がアンプ側の入力ジャックにダミープラグをねじ込んでおいたため、物理的に刺すことができない。
諦めた森山は、PAから音が出ることを祈って、力任せにギターを掻き鳴らした。
「遅えよ、先輩」
PA卓、コンプレッサーのツマミを容赦なく捻り回した。
スレッショルドを極端に下げ、レシオを上昇。俺が許可した以上の音量は無理やりに圧縮され、森山がいくら力強くピッキングしようが、その音は俺の許しなく上がることはない。
さらに東田さんはEQを操作する。耳障りな超高音域を完全にカットし、中音域もバッサリと削り落とす。
あとに残ったのは、飼い慣らされ、牙を抜かれたお行儀の良い音。




