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高専祭まであと一週間。
毎週の強制労働と、したくもないお布施も今日で終わりだと思うと、すっきりした気持ちに……1ミリもならない。
まだまだ高専祭の本番がある。前日のリハーサルもある。まだまだ森山のエゴに付き合わされる時間は続くし、何なら本番に近づくにつれ暴論や暴力は苛烈なものとなっていた。
先週のスタジオでは、ドラムの先輩をギターで殴りつけていた。とても高いギターを使っているとは思えない、酷い扱いだ。
今日の練習前、機材のセッティングをしていたら「こんな音じゃねえ! 山谷、手ぇ抜いてんじゃねえぞこのゴミが!!」の言葉と共に、ギターごと腹を蹴られた。
なぜこうも森山が荒れているのかは誰も知らないが、俺を脅した日といい、今日までのスタジオ練といい、今までにないささくれ立った雰囲気は今までの森山にはなかった。
一体何があるのか。気になりつつも、こんな奴のために脳を使うなんてもったいない。すぐに考えるのをやめ、森山が求める音を構築していく。
構築とは言ったものの、森山の音には一歳手がつけられない。アンプのつまみを少しでも触ろうものなら、強烈な蹴りが漏れなく飛んでくるからだ。
俺にはギター、ベース、そしてボーカルの帯域設定で、目立たず、しかし音は聴こえるような、精密な作業を要求された。
そんな気の抜けない、空気の張り詰めたスタジオから脱出できる休憩は、しっかり心のバランスを取っておきたい。
もしこの時間がなかったら、他の先輩たちみたいに俺の目も死んでしまうだろう。
ため息をつきながら外の自動販売機にお金を入れ、いつものコーヒーを買う。そろそろ昼の空気にも冷たさが混じり始めてきた。
ああ、一生このベンチにいたい。スタジオに戻りたくない。
黄昏た空気の中、全てから逃避しまったりとベンチに座る俺の心を揺さぶるように、駐車場から汚い喚き声が聞こえてくる。
「──だからお父様、まだ僕の音楽、一度も聴いてないじゃないですか!」
「──まだ過程も結果も見てないのに、そんなこと決めるのは早いと思います!」
この声は、間違いなく森山だ。
しかし言葉は、森山のそれではない。
なんだこれ、記憶のミスマッチに頭が混乱する。
「来週の高専祭に来てください、そこで僕の作る音楽を見ていただいて、それから判断をお願いします」
今まで見たことも聞いたこともない、真剣な森山の言葉と声。
「待ってください! お願いします!!」
「僕からギターを……音楽を奪うのだけは……お願いします……」
「ちょっと、いや、まだ話は……!」
しばらくの沈黙。
直後、何かを蹴り上げる音が響いた。
「くそっ! ふざけんじゃねえ!!」
物陰からこっそり覗いてみると、森山は、自分の車を蹴り上げていた。
何度も、何度も。
「俺は……俺には……音楽しか……音楽だったら!」
やがて、その音は聞こえなくなる。
自分の髪を乱暴にかきむしりながら、森山はその場に力なくしゃがみ込んだ。
そこに、オーディオ部を恐怖で支配する『暴君』の姿はなかった。
練習が終わり解散したあと、それとなく先輩たちに休憩中に見た森山の話を振ってみた。
「そっか、山谷は何も知らないんだ」
「はい、ただのクソ先輩だってことしか」
「確かにそうだよね。僕もストレスしかないよ。本当はこんなとこで歌いたくない」
口々に暴言を吐く俺たちに、ベースの先輩が言葉を挟む。
「まあ俺も嫌だけどさ、森山の気持ちもわからんでもないんだ」
「裏切りですか」
「サイテーだよ」
「アイツかばうとかないわー」
「あの……森山へのストレスを俺にぶつけるのはやめて……」
涙目になりながらも、ベースの先輩が話を続ける。
「お前ら全員、地元は宇部なら知ってると思うけど……この辺一帯の会社を牛耳ってる、東葉機械興業ってあるだろ? 森山の親父さん、そこの社長なんだ。で、お祖父さんが会長」
「……マジですか」
その会社は、宇部市に住んでいる人なら知らない人はいないほど大きな会社だ。おそらく宇部市の会社の1/3は、ここの傘下といっても過言じゃないぐらいの大企業。
街を歩けば、すれ違うあの人もこの人も、東葉グループの社員かも。それほど地元に根ざした企業なのだ。
「そんな家に育ってさ、小さい頃からスパルタ教育だったんだよ。そんな抑圧された中で出会ったのが、ギターで、音楽」
純粋にギターが好きなのは、なんとなく感じていた。
音作りは筆舌に尽くし難いほどにひどいものだが、それを抜きにして演奏さえ聞ければ、すぐわかるぐらいには実力が高いと思う。認めたくないけど。
(……そういう事情があったのか)
親の金で買った機材を見せびらかし、他人を殴りつけ、他人の機材を足蹴にし、最低なエゴの満たし方をする最低最悪な男。
おそらく俺の長くない人生の中で出会った、ダントツ1位の最低さだ。
どんな親に育てられたら、こんな歪んだ人間性になるんだと思ったこともあったが、先ほどの電話と今の話を聞いて、ようやく少しだけ合点がいった。
最低最悪な森山にとって、アンプから叩き出す爆音は、親の支配から自分を守るための、ちっぽけで悲しい盾だったのだ。他人をすり潰してでも自分が一番にならなければ、自分の存在価値そのものが親に否定されてしまうから。
人生の否定、勝手なレールを敷くこと、それは誰が相手でもやっていいものではないし、誰かの人生を、たとえ親であっても勝手に決めてはいけないと、俺は思っている。
少しだけ、かわいそうな人間なのだということが理解できた。
「だから、許してやれとは言わないけどさ……少しは分かってやってほしいんだ」
「……だからって、俺たちをゴミ扱いしていいんですか?」
「……そうだな、今の言葉はナシ。すまん」
森山も、親父からされたことを同じように俺たちにやっている時点で、同情も何もない。明確に加害者だ。
蹴られた腹はまだ痛むし、森山のやってることは絶対に許されない。
それに。
あんな、親への恐怖を裏返しにした八つ当たりみたいなサウンドで、高専祭のステージを破綻させるわけにはいかない。
アイツの悲鳴みたいな雑音に、これ以上付き合ってやる義理はない。
高専祭まで、あと一週間。
しかして、あの音をどうにかする術を、俺はまだ持っていない。




