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夏休みが明け、高専祭まで残り1ヶ月を切った頃。
俺たちは森山の命令により、休日のたびに市内の外部スタジオへ強制連行される日々を送っていた。
「はあ……毎週毎週、森山の音に付き合わされるのもう限界。最近耳が聞こえづらくなってきたわ……」
「俺……彼女とデートもできないんだよ……最近彼女がだんだんそっけなくなってきてさぁ……」
「あんな騒音の中で歌うのしんどいんだよ、毎回喉枯れそう。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだよ」
森山バンドに(強制的に)招集されたメンバーが口々に毒を吐き出す。
ボーカル、ベース、ドラム、全員4年の先輩だが、全員目が死んでいる。
「俺も毎回バカみたいな爆音で、そろそろ耳が死にそうですよ……」
俺だって、ただ汚いだけの爆音を毎週耳に叩きつけられて、とっくに怒りの頂点は超えている。
だが、下手に逆らうと後輩たちに何をされるか分からない。不本意だが、ここでギターを弾く他ない。
毎年森山バンドのメンバーが、死んだ目になる理由も、その後音楽をやめてしまう人がいる理由も、ここにきてよく分かった気がする。
何よりストレスになっていたのが、スタジオの費用は俺たちの自腹。
さらに森山が「俺の天才的なプレイを間近で聴けるんだから、お前らが場所代を払うのは当然の授業料だろ」と言い放ち、財布すら持ってこないので森山の分まで俺たちの負担になっていた。
あんな何しでかすか分からない男の近くに立たされている俺たちには、危険手当ぐらい出てもいいと思うんだけど。
それに家がお金持ちなら、全員分のスタジオ代ぐらいポンっと出してもいいだろ、とも思う。
お金は大事なんだ、何が悲しくてゴミみたいな音を聞くためにお金を払わないといけないんだよ。あんな音になんてビタ一文払いたくない。
ぶつくさ文句を言いながらスタジオに入る。
「遅えよお前ら。俺の時間は貴重なんだ、無駄にさせるなら金取るぞ」
防音扉を開けると、そこにはすでに自分のギターを抱え、不機嫌そうに舌打ちをする森山がいた。
……お前が指定した集合時間の15分前だよ! などと言えるはずもなく。
「す、すみませんっした! すぐ準備します!」
ベースとドラムの先輩が、慌てて機材のセッティングを始める。
去年の高専祭で、楽しそうにパンクバンドで演奏していた頃の彼らはどこに消えてしまったのか。
今はただ森山の機嫌を損ねないよう、ビクビクと顔色を窺うだけの「作業ロボット」になり下がっていた。彼らもまた、森山の権力と理不尽な暴力に抗えず、心を殺すことでこの地獄をやり過ごす道を選んだのだ。
俺も無言でLunarを取り出し、足元のGTS-3を経由してアンプに繋ぐ。せめて、自分の出せる最高のバッキングでこのクソみたいな空間を少しでもマシにしたい。
そう思って、アンプのボリュームを少しだけ上げ、EQの中音域を調整しようとした、その時。
「おい、何勝手に音デカくしてんだバカ野郎」
冷たい声と共に、森山がズカズカと俺の前に歩み寄ってきた。
そのまま、アンプのボリュームのツマミを乱暴に捻り、ほぼゼロに近い状態まで絞り込む。
「森山先輩! これじゃ俺の音、ドラムに掻き消され──」
「あ?」
森山は俺の胸ぐらを小突き、見下ろすように睨みつけた。
「俺はよお『俺の背景になれ』って言ったんだけど、聞こえてなかったのか? こんな貧乏くせえ安ギターのヘタクソが、俺の音より目立ってどうすんだ? お前はただ、俺の後ろでシャラシャラと鳴ってりゃいいんだよ。俺の音の邪魔をすんな」
「だからこれじゃシャラシャラも聞こえな──」
まだ話してると言うのに、森山の拳は俺の頬を撃ち抜いた。
「お前、もう黙れよ。練習時間がもったいねえだろ。それとも延長分、お前が全額出すのか? あ?」
俺は痛む頬を押さえ、黙って俯くしかできなかった。
森山は不機嫌を隠すこともなくLunarを蹴り倒し、自分の巨大なアンプの前に戻り、いつものようにボリュームを全開に振り切った。
「立てゴミ。音楽はこうやるんだよ!」
森山がカウントもなしに、唐突にギターを掻き鳴らす。
その瞬間、防音スタジオという密閉空間に、最悪の暴力が放たれた。
「……っっ!!」
鼓膜を、いや、脳みそを直接殴りつけられるような不快なノイズの塊。
相変わらずの、中音域をゼロに削り落とし、高音域と低音域を無秩序にブーストさせたドンシャリセッティング。
高専の広い体育館ですら大惨事だったその音は、狭いスタジオの中ではまさに凶器だった。
ベースのルート音は森山の過剰な低音に完全に喰われ、ドラムのハイハットは耳に突き刺さるような高音に跡形もなく消え失せる。
そして俺のギターは、森山に限界まで絞られたボリュームのせいで、誰の耳にも何一つ届かない。
こんなの、音楽じゃない。
「おいベース! リズムもたってんぞ! ドラム、もっとハイハット強く叩けや! 俺のギターのテンポに合わせろ!!」
自分の爆音のせいで周りの音が全く聴こえていないくせに、森山は理不尽に怒鳴り散らす。
先輩たちは「すみません!」と謝りながら、死んだ魚のような目で、ただ機械的に楽器を鳴らし続ける。
本当に聞こえてるかどうかも怪しいが、ここでは森山が黒と言えば白も黒になる。そういう世界だ。
(……くそっ)
絞り切られたアンプの前で、俺はただコードを押さえ、右手を振るだけのロボットに成り下がっていた。
中3の文化祭で感じた、あの『自分の音が誰にも届かない』という絶望。
あの時は自分の実力不足だった。
だが今は違う。俺には空間を支配する知識も、音作りの技術もある。なのに、この理不尽な暴力の前では、それを発揮することすら許されないのだ。
「いいか山谷。バッキングってのはな、こうやって俺みたいな『本物』を引き立てる『背景』としてのみ存在してんだ。お前がお家でチマチマ勉強した理論なんて、このスタジオじゃクソの役にも立たねえんだよ」
曲の合間に、森山が勝ち誇ったように俺を見下ろす。
確かに、俺がどれだけ引く勇気を学ぼうが、どれだけ完璧な周波数のパズルを頭の中で組み上げようが、あんなバカみたいな音を出されたら全て台無しだ。
今このスタジオ内にある力、それは機材の暴力と声のデカさだった。
この地獄のようなスタジオ練は、高専祭の前日まで、何度も何度も繰り返された。
俺の心には、黒く冷たいフラストレーションと、森山への憎悪が、吐き出されることなく溜まり続けた。




