5-6
オーディオ部の部室。
その空間は今、物々しい空気に包まれていた。
むさ苦しい男たちが、椅子を円形に並べ、膝を突き合わせ、ああでもない、こうでもないと何かを話している。よくよく顔ぶれを見てみれば、先日入部してくれた新1年生も全員いる。
物思いにふけっていた俺は、そんな後輩たちの放つ異様な雰囲気にも気づかず、思い出の世界に溺れていた。
「何してんの? お前ら、揃いも揃って真剣にどうした?」
「なんすか先輩、宇宙と交信でもしてたんすか?」
金谷が真剣な面持ちを崩さぬまま、低いトーンで話を続ける。
「今年も……今年も俺たちが頂点を取るための相談会っす!」
「ああ、高専祭の話か」
鈴森が立ち上がる。
「先輩、俺たち去年ZERO SOUNDで頂点を取りましたよね。一度夢のような経験をしてしまった俺たちは、その夢をまた見たいんです。夢の続きを、この手で掴みたいんです」
なるほど。あの高揚感が忘れられないんだな。
というか、ずいぶんポエミーなこと言い出したなこいつ。
「そうか、じゃあ頑張れよ」
「え、先輩もしかして別のバンド組むんすか?」
「いや、ZERO SOUND解散しちゃったし、メンバー探すの大変だろうから今年は出ないかな。裏方でお前らの音を組むつもり」
そう、今からメンバーを探して1ヶ月、部室は他のバンドに譲って外でスタジオってなると週1回ぐらいしか入れないだろう
……などといった言い訳を並べてはいるのだが、結局ZERO SOUNDが忘れられなくて他のバンドを組もうという気が湧かないだけなのだ。
きっと、どうしても比べちゃうから。
そう伝えると、金谷が慌てたように立ち上がる。
「先輩! 俺たちが音を重ねることで、きっと誰よりも心を動かす音楽が生まれるはずなんっす!!」
「そうです先輩、俺たちと、夢の続き、追いかけに行きませんか」
待て。
なんだこいつら。宇宙人にさらわれて人格改造でもされたのか?
この鳥肌を誘うポエムの乱打はなんなんだ。
「あのさ、金谷、鈴森。 ……一体どうしたその謎のポエム大会は」
呆れたように問いかけると、慌てて金谷が耳打ちする。
(先輩! しーっすよ、しー!!)
(なんだよお前、いきなり小声で)
(後輩たちにかっこいいとこ見せたいんっす! だって!!)
(今年は女子部員がいるんっすよ! しかも二人も!!)
……なんてしょーもないことを。
確かに今年は、新1年生の部員に女子が二人いる。しかもボーカルとドラム志望らしい。奇しくもZERO SOUNDから抜けてしまった先輩たちと同じパートだ。
そりゃあこいつらも必死でアピールしたくなるか。
ただ問題は、痛いポエムを履いてるのが金谷だけじゃなく鈴森も、というところ。
鈴森、お前はそんなキャラじゃないって信じ……いや、そういえばこいつ、合コン事件の時すごいカッコしてたか。日頃が真面目なだけに、案外女が絡むとダメになるタイプなのかも。
「わかったわかった、でもポエムはやめような。聞いてて恥ずかしいから」
「……っす」「……はい」
真っ赤になって俯く。自覚した途端、羞恥心が目を覚ましたのだろう。
いいんだ、そうやって男は強くなるんだ。
「だから先輩、俺たちと今年も、一緒にやりましょう!」
「っす! 先輩がいてくれたらまた、頂点を目指せます!!」
「お前ら……」
こいつら、ずいぶん成長したな。嬉しいよ俺は。
「そうだな、じゃあ今年もやるか! 新生ZERO SOUND始動だ!!」
その言葉に、部室は「おぉー!」と盛り上がった。
(……やべ、泣きそう)
新生ZERO SOUND、その響きがすごく嬉しい。涙がこぼれないように、天井を見上げながら決意を新たにする。
「再び、頂点を目指そう」
俺の言葉に部員たちが沸き立った、その時。
窓の外から、腹の底に響くような騒々しい車の排気音が響く。
部室の空気が、一瞬にして凍りつく。 先程まで笑い合っていた後輩たちの顔から、サァッと血の気が引いていくのが分かった。事情を知らない1年生たちだけが、キョトンとしている。
「この音……森山先輩……」
鈴森が呟くと同時に、部室のドアが、蹴り破られるような勢いで開いた。
そこに立っていたのは、目の下にどす黒い隈を作り、異様な殺気を放つ男。 親の金で買った外車を乗り回し、数十万のハイエンド機材で空間を物理的に破壊する、オーディオ部最悪の独裁者、森山だった。
「おら、ゴミども。息する許可は出してねえぞ」
ドスの効いた低い声。春先に、部室で機材を蹴り飛ばして大荒れしていたことを金谷から聞いてはいたが、理由まではわからなかった。しかし、今の森山からは追い詰められた獣のような、切羽詰まった焦燥感と危険な匂いが漂っていた。
「ひっ……!」
「も、森山先輩……お久しぶり、です……」
後輩たちが、怯えながら道を空ける。
「だから息する許可は出してねえだろうが!」
森山は後輩たちに喚き散らし、一直線に俺の元へと歩み寄ってきた。
「おい、山谷」
胸倉を、乱暴に掴み上げられる。
「っ……な、何ですか、先輩……」
「この前親父から言われたんだよ。『これ以上留年したら、車は没収。家の敷居は二度と跨がせない。即刻勘当だ』ってな」
至近距離で睨みつけてくる森山の目は、完全に血走っていた。
「……はぁ」
「喋る許可は出してないだろうが! 俺の許可なく口を開くな!!」
理不尽この上ない。やっぱ嫌いだコイツ。
「だから俺は、高専祭で天才的なプレイを親父に見せつけて、音楽の才能があるんだと丸め込む必要がある。分かるな?」
知らねえよ、と心の中で毒づくが、口に出せるわけもなく。
森山は、俺の胸倉を掴んだまま、狂気じみた笑みを浮かべた。
「だから山谷。お前、俺のバンドで俺を引き立てる音を出せ」
「……は? 無理です。先輩とバンドなんて勘弁してくださいよ。入った人全員、死んだ魚みたいな目になってるじゃないですか。俺は楽しく音楽やりたいんで嫌です」
俺には俺の予定があるし、あんな目になるようなバンド、入ったところで得るものは森山へのヘイトだけだろう。断るなら多少怒らせて向こうから断らせればいいと、多少強めに言ってやった。
──なぁ、見てるか、1年の頃の真太郎。お前は強くなったんだよ。
そんな俺の想いとは裏腹に、その言葉は森山の神経を俺の想像以上に逆撫でしたようだった。
「おいゴミ、偉そうに囀るな!」
森山は胸ぐらを掴んだまま、俺を壁に叩きつけた。息が一瞬止まる。
「っ!」
「お前のゴミみたいな音をよ、俺が役立ててやるって言ってんだ。下手くそで機材も貧乏くさいゴミをよ。ありがたがるならまだしも、随分とナメた口聞いてくれるじゃねえか。教育もしてやらないといけねえ、なあっ!」
言うが早いか、森山の拳が俺の腹を撃ち抜く。
息が吸えない。苦しい。
膝から崩れ落ち、床にうずくまる。
「それにお前、このクソガキどもとバンドやるつもりなら無駄だ。どうせ辞退するから。なあそうだろ!」
「ひっ!」
金谷が肩をすくめる。
想像した以上にひどい言葉に、俺は怒りに突き動かされるように立ち上がり、森山を睨みつけた。
「何する気ですか先輩……!」
俺の怒号に、森山は動じるどころか、俺が立ち上がったことなど想定内だと言いたげな、醜悪な笑みを浮かべた。
「あ? 立ち上がってどうする。俺を殴るか? あ?」
森山は俺に顔を近づけ、鼻先が触れんとする距離まで詰め寄る。
「いいねぇ、甘酸っぱい青春ドラマだ。性格の悪い先輩を、正義の後輩が鉄拳制裁。耳障りのいい、大衆が求める感動的なストーリーだ」
──性格悪い自覚、あったんだ。
なんて少し気を抜いた俺に、
「でもな」
さらに狡猾な笑みを浮かべた森山は講釈を垂れてくる。
「お前が殴ったら、俺は被害届を出す。殴らなくてもでっちあげりゃいい。……そしたらお前は停学だ。停学処分を食らうようなノータリンと仲良しバンドやってる後輩どもも同罪だな。神聖なる高専祭のステージに、そんな問題児どものバンドが出られるわけがねえよな」
「……っ!」
自分一人なら耐えられる。嫌だけど最悪、停学になっても仕方ないと割り切れる。
だけど……俺を慕ってくれる後輩たちの、あの純粋な「高専祭のステージで再び頂点を目指す」という夢だけは、俺の勝手で潰しちゃいけない。
森山はニヤニヤと笑いながら、俺の耳元に顔を寄せた。
「お前、音響がどうとか、技術と感覚がどうとか……なかなか悪くない腕は持ってるみたいだな。去年の高専祭、俺の栄光を潰した主犯はお前だって、もう分かってんだ。だからそのトリックを今年は俺の下で使え。それが出来ないなら、俺はお前も、その仲間も、全員潰してやる。敵になったら邪魔なもんは、こちらの手札に収めとくのが賢いってもんだ。……いいか山谷。高専祭の音楽を支配してんのは、高い機材と才能と、そしてお前らみたいなゴミカスの人生を左右できる力を持った俺なんだよ。天才の邪魔をするゴミは全員すり潰す。それだけだ」
悔しいが森山の言う通りだ。
俺が何をどうしたって、そんなものは森山の圧倒的な理不尽の前では無力な絵空事でしかない。
俺には、森山の暴力を止める勇気も、理不尽に抗う力も、言葉で打ち勝つ頭脳も、何一つ無い。1年の頃と変わらず、俺はこの傲慢に怯え、嵐が過ぎるまで黙っておくしか出来ない、無力なガキのままだったんだ。
俺は拳を解き、静かに椅子に座り直した。そして、小さく頭を下げた。
「……わかりました。先輩のバンドで弾きます」
「そうだ! 最初からそう言えばいいんだよ。ゴミの分際で手間かけさせんな。じゃあこれからは、俺のためにしっかり働けよ。しっかり使い倒してやる」
森山は満足げに笑いながら、部室を出て行った。
静まり返る部室。俺は拳を解き、蹴倒されたギターを起こし、静かに椅子に座り直した。
全身が、惨めさで、震える。
なぁ、3年の真太郎。お前、強くなったんじゃなかったのか?
──先輩とバンドなんて勘弁してくださいよ。
──入った人全員、死んだ魚みたいな目になってるじゃないですか。
なんて、威勢のいいことを言ったあとの結末が、これか。
一部始終を、息を潜め見ていた後輩たちが、森山をいなくなったのを確認して声をかける。
「……先輩、学校に訴えましょう。あまりにひどすぎます」
鈴森が涙目で訴える。
「あいつ、マジで許せねえ……」
金谷は顔を真っ赤にしながら呟く。
「なんですかあの汚いおじさん、不審者かなんかですか!?」
事情を知らない1年生の女子が怒る。意外と強気だ、この子。
「気持ちは嬉しい。けど、お前らは何もするな」
いきり立つ彼らの肩を掴み、先ほどは合わせられなかった視線を真っ直ぐに向けた。
「お前らの気持ちは嬉しいけど、相手は5年生で成人、親はどこぞのお偉いさんらしい。よくドラマとかアニメで見るような理不尽な大人なんだよ。お前らが訴えても、森山が言うように処分されるのは俺で、下手したらお前らも巻き込まれるかもしれない」
「でも……先輩だけが犠牲になるなんて、おかしいです!」
違うよ、誰も犠牲になんて、なっちゃいけないんだ。
でも、誰かが犠牲にならなきゃいけないのなら。
「いいんだよ、これでお前らのステージは守れる」
後輩たちは、俺のその惨めな嘘を見透かしたように、言葉を失った。
「俺は大丈夫だから、お前らは頂点を目指してくれ。一緒にやれないのはすげー悲しいけどさ、せめて当日は最前列で聴くし、音の調整もするから。約束だ」
俺は後輩たちを宥め、部室から送り出した。
彼らが去った後、部室にはまた、放課後の喧騒と、アンプの真空管が冷えていく微かな金属音だけが響いていた。




