5-4
3月。街中の桜の木が、小さな蕾を徐々に開きはじめる頃。
俺たちは、中山先輩たち、5年生の卒業ライブの日を迎えた。
毎年、学校の黙認を良いことに、卒業式が終わって数日の体育館を借り切って盛大に行われる卒業ライブ。
参加は自由、入場無料という大盤振る舞いに、卒業生を見送る在校生はもちろん、イベント好きな一般客たちもかなり入ってくる。
だからって、近所の町内会が神輿まで持ってくるのはやりすぎじゃないのか……なんて野暮なことは言わないのが、このイベント唯一のルールだ。
去年の卒業生はこの町内会の出身ってこともあって、神輿に乗りながらベース弾いてたな。あれすげーやりたいけど、高いところはちょっと怖い。
出演者はステージ袖にいるのだが……女子の先輩が、中山先輩に抱きついてわんわん泣いてる。
その女子に見覚えが……というかよく知ってる顔だった。
「うわー、亜美先輩すげー泣いてんじゃん」
沼田先輩がベースを運びながら、その光景を見つめる。
「え、先輩、あの二人って付き合ってるんですか?」
先輩は首を横に振り、しみじみ語り出した。
「亜美先輩、1年の頃からずっと片想いなんだよ。ほら、中山先輩って音楽一筋じゃん? 音楽で手いっぱいで、付き合うとか考えられないってずっと言ってんだ」
……嘘だろ、あんな美人に想われてるのに付き合わない、だと!?
「あんな美人に好かれてんのに……もったいないですね……」
「山谷……もったいないって……じゃあお前、今誰かに告白されたら付き合うのか?」
「そりゃもちろん付き合いま──」
「彼女できたらデートとかすることになるし、会わない時間もメールとかで時間取られるだろ。音楽に割く時間、今より絶対減るぞ」
「それは……嫌ですね」
「中山先輩もそうなんだよ。お前も同類だし、お前が卒業する時同じことになるかもな」
「先輩……俺、友達もほとんどいないのに、そんなことなるわけないじゃないですか……泣きますよ」
なんて話していると、誰かが沼田先輩に声をかける。
「沼田、来てやったぞ」
現れたのは、我が吹奏楽部の部長。そういえば沼田先輩とは小学校から一緒って言ってたな。
「お、ありがとなー美里! すげーかっこいいとこ見せてやるからな!!」
沼田先輩……?
「だから美里と呼ぶなとあれほど……まあ楽しみにしとく」
そう言うと、ふっと微笑む部長。この人、笑うことあるんだ。
「なんだ山谷、あたしは見せものじゃないぞ」
「な、なんでもありません!」
やっぱ怖いよ部長……。
でも、そんな部長が好きなんだろうな、沼田先輩は。
やっぱ俺のLOVEセンサー、正しかったじゃん!
さて、ステージ袖に行くか。その前に武田に挨拶ぐらいはしようか。
会場を見回し、見慣れた金髪を見つける。入り口近くで腕を組んでいるが、こっちに気づいて手を振ってきた。
ふと横を見ると、誰かいる。ってあいつら! 安田と松崎じゃねえか……ああ、合コンの悪夢が蘇る……。
これはまずい、金谷と鈴森にだけは気付かせないように──
「お疲れっす先輩! あ、武田先ぱ……うわああああああああああああ!!!!!」
「どうしたの金谷、何か見……あ、あ、あああああああああああああ……」
後輩二人、撃沈。……知ーらないっと。
この前スタジオでされたように、お手々のしわとしわを合わせて……あと、軽く武田に手を振って脱出!
「山谷、機材の調子はどうだ?」 「完璧です、三谷先輩」
何食わぬ顔でステージ袖に行き、三谷先輩と最終確認。
出番を直前に控えたZERO SOUNDの3人は、いつになく静かだった。
金谷と鈴森も、しばらく経ってよろよろしながらステージ袖に集まる。
これでZERO SOUND、全員揃ったわけだ。
先輩と俺はもちろん、後輩たちもガチガチに緊張しているわけではない。
ダテに場数を踏んでいないという、何よりの証明だ。
しかし、全員の顔には心なしか張り詰めたような雰囲気を帯びている。
今日が、この5人で音を鳴らす、最後の日だから。
「……ねえ、みんな」
吉田先輩が、ゆっくりと顔を上げた。
高専祭の時と同じ、強い光を宿した瞳。だけど今日は、どこか優しくて、少しだけ寂しそうだ。
「今まで、本当にありがとう。剛くんと、山谷くんと、金谷くんと、鈴森くん。誰か一人でも欠けてたら、あんなに楽しいライブはできなかったよ」
「姐さん……」
鈴森が早くも泣きそうになっている。
「俺……、もっと、先輩たちと一緒に……バンドやりたかったです……!」
「おい鈴森……ここで泣くなって……俺まで泣きそうになるだろ……!」
金谷が鈴森の肩を叩くが、その目からは涙が溢れていた。
そんなの……そんなの、俺だってそうだよ。
「できることなら……俺」
ああ、もうだめだ。言葉が止められない。
「このまま来年も再来年も、ずっとこのメンバーでバンドしたい……」
俺が作った音で、三谷先輩のドラムと、吉田先輩の歌と、みんなで音を重ねていたかった。
でも、これで終わりなんだ。どんなにわがまま言ったって、先輩たちは4月から就職活動に卒業研究。
そして来年、卒業は必ずやってくる。
だったら、あの時武田の言った通り……ここで全部出し切ろう。
「でも……先輩たちには最高の人生を歩いて欲しいから……最高の音で、先輩たちを送り出します」
「俺たちの、最高の音で」
俺がそう言うと、三谷先輩が笑って俺の肩を強く叩いた。
「はっはっは! そうだな、しっかり送り出してくれ!」
「ありがとう山谷くん……今までで最高の歌を聴かせるからね! 私の声に負けないでよ!?」
ああ、本当にこの先輩たちは……。
「行くぞお前ら! 泣くのは全部終わってから!!」
俺の掛け声で、全員が円陣を組み、ステージへと駆け出していく。
ステージは、高専祭の時とは違い、学内の機材だけでPAを組んでいる。
オーディオ部の手が空いている部員がオペレーションを行い、学生ながらしっかりステージの音を作り出す。
全員、機材のセッティングが終わる。三谷先輩はワイヤレスのヘッドセットマイクを装着し、簡単に声出しを終わらせた。事前にイコライジングのオーダーシートをPAに渡していたので、外音の調整も問題ない。
よし、いつでもできる。
……あれ、誰も始めない。
気になって三谷先輩を見ると、ニヤニヤしながら口パクで「しゃ・べ・れ」と言ってくる。
え、俺が始まりのMC!? やばい、予定外のことに声が咄嗟に出ない……。
吉田先輩を見ると、やはり口パクで「が・ん・ば!」って言ってた。
わかったよ、やってやる!
「ZERO SOUND! 頂点を目指し、これが最後のライブだ!!」
続けて吉田先輩が叫ぶ。
「行くぞお前らー! 後悔ないように燃やし尽くせ!!」
オドオドしていた初めの頃の雰囲気はどこに行ってしまったのか、ライブの始まりからこんなことを言えるようになった。
すげーよ先輩、マジで尊敬する。
いつの間にか吉田先輩は、本物のボーカリストになっていた。
「さあ行くぞ一曲目! 全員拳上げろーーーーー!!」
吉田先輩の言葉を合図に、三谷先輩がハイハットを叩き鳴らす。
気合いの入った4カウント、そして全員で音を叩き込む──
金谷のリードがイントロに響き渡る。
──先輩、すげー響くっすよこれ!
そうだよ、お前の音はここにいる全員に突き刺さってる。
金谷に食らいつく三谷先輩と鈴森のグルーヴが、金谷の音を締め上げる。
──金谷、俺のベースでねじ伏せてやるぞ。
突如始まる、音の殴り合い。
そこに三谷先輩が覆い被さり、ドラムのフィルが暴れ狂う。
──お前ら突っ走るな! まだ1曲目のイントロだろうが!!
そして俺も、この狂奏に殴り込む。16分の刻みを鈴森にシンクロさせ、ベースの音に重ね、厚く、熱くする。
──俺が組み立てた音で好き勝手するんじゃねえ!!!
しかし、そんな男たちの悪ふざけに雷鳴を轟かせる天使。
──全員落ち着きなさあああああいっっ!!!!
イントロが終わり、ボーカルが歌い出した瞬間、俺たちの音は組み伏せられ、支配される。
ここは私の舞台だ、と言わんばかりの歌声。
そこに三谷先輩が雷鳴を引き裂く。
──咲希、今だけは負けられねえ。俺を押さえつけるな!
ドラムのビートが、まるで生き物のように暴れ回る。ボーカルを捕らえ、音を押さえ込もうとする。
──剛くん、今だけは抑える気はないよ! やれるもんならやってみて!!
なんか……地上最強の夫婦喧嘩だ。だけど。
──二人とも、俺の空間で暴れ回るなああああああっっっ!!!!!
音の熱はさらに温度を叩き上げ、空間を焼き尽くす。
鈴森はなおも金谷と音を叩きつけ合い、三谷先輩の音にさえ食らいつこうと牙を輝かせる。
もう止められない、止まる気もない。
高専祭の時のような、荒々しい魔物をねじ伏せるようなギリギリの戦いじゃない。
魔物を押さえ込んだ音たちが織りなす、まさに頂上決戦。あの日の経験を経て、俺たちの音は完全に別の生き物として洗練されていた。
血まみれの獣たちが、空間全体で殺し合うような、とてつもない緊張感。
しかし、そんな別々の生き物たちが、いつしかステージの上で巨大な怪物になりつつあった。
三谷先輩のドラムは強靭な骨格を作り、鈴森のベースがしなやかな筋肉のように骨格にまとわりつく。
金谷と俺のギターは、一切の無駄なく絡み合い、怪物の肉体を作り出す。
そして、その怪物のど真ん中で、吉田先輩の歌声が咆哮する。
その咆哮に応えるように、フロアの熱はさらに高まる。
俺はLunarを振り回しながら、沸き立つフロアを見渡した。
観客が、一人残らず拳を突き上げる。
ジャンプする人、隣と肩を組んでヘッドバンギングする人、踊り狂う人。
この空間のすべての人が、俺たちの音に熱狂している。
楽しい。
嬉しい。
音が重なるのが、こんなにも愛おしい。
俺の音が、このバンドの一部になれたことが、誇らしい。
終わりたくない。
ずっと、このままで。
永遠に、このライブが終わらなければいい。
そんな俺の身勝手で、だけどみんなが抱いていた願いを優しく拒絶するように──
最後の曲の、最後の一音が、空の向こう側へと高く、高く吸い込まれていった。
最後の音の余韻も消え、会場は静寂に包まれる。
「ZERO SOUND、頂点を目指し、掴んだ者たち! ありがとうございました!!」
吉田先輩のその言葉が、俺たちのバンドの『終わり』を告げた。
拍手と歓声、そして「やめないで!」という悲鳴にも似た声が交差する中、俺たちは深く、長く、頭を下げた。
顔を上げると、金谷も鈴森も、そして三谷先輩もボロボロに泣いていた。
俺の視界も、いつの間にかぼやけて前が見えなくなっていた。
でも、全て出し切った。後悔は1ミリもない。
間違いなく、俺の短い音楽人生の中で、一番幸せなステージだった。
俺の、たった半年の青春だった『ZERO SOUND』は、最高に美しい思い出のまま、今日、幕を下ろした。
……そう。 こんなにも美しく、楽しかった日々は、ここで完結してしまった。




