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「山谷、見つけたぞギター!」
ある日の放課後。
中島のそんな一言で引き合わされたのが、すべての始まりだった。
「久光、こいつ山谷。ギターやってるんだ」
「あ……よろしく……俺、山谷……」
初対面の人と話すのは、やっぱり緊張する。
「よろしく、山谷」
久光という大柄な男は、右手を差し出し握手を求めてくる。おずおずと右手を差し出し、久光の主導でがっちり握手をした。
すごくゴツゴツした手だ。この手でどんな音を出すんだろう。
中島曰く、久光は柔道部で次期エース間違いなし、らしい。
柔道もできて、ギターも弾けるなんて、久光は器用なんだな。
「久光、俺もゴールデンウィークにはドラム届くんだ。一緒にバンドやらないか?」
「いいよ、何弾いたらいい? 何でもできるから遠慮なく言って」
決して嫌味な言い方じゃない。
サラッと、ギターなんて弾けて当然でしょ? そう言われてるような気がして、少しだけ、心にモヤっとしたものが生まれた気がした。
その言葉に、負けたくない。
「久光のギター、聞いてみたいな……時間ある時に聞かせてほしい」
「じゃあ今からうち来なよ。部活なくて暇だから」
きょ、今日? さすがに早すぎる……。
「悪い、俺、部活あるからパス」
中島はそう言い残し、部活に行ってしまった。
「山谷、行くよ」
俺の意志などないかのように、久光は歩き出す。
置いていかれないように、急いで久光について行った。
久光の家に着き、部屋に通された俺は絶句した。
涼しい顔で久光が取り出したのは、俺が初めて買ったストラトもどきのような入門機じゃない。正真正銘、数十万は下らない『Fender USA』のストラトキャスターだった。
「適当に弾くね」
爽やかな──そう、一切の悪気がない無邪気な笑顔で、そいつはベンチャーズのテケテケから始まり、ツェッペリンの重厚なリフ、そして極めつけにLUNA SEAの曲まで、息をするように完全に弾き切ってみせた。
圧倒的な、指先の暴力。
さらにエフェクターは、コーちゃんの使っていたGT-5のようなものではない、一つの機能しか持たないコンパクトエフェクター。
適当に弾いてるのに、機材も簡素なものだけなのに、どうしてこんなにカッコいい音になるんだ……。
悔しさと妬ましさで唇を噛んだ。
俺はまだ、こんなにかっこいい音は出せない。
「……すごい。こんなに弾けるなんて」
「毎日ちょっとずつ弾いてれば、これくらいすぐ弾けるようになるよ」
「いつからやってんの、ギター」
「中学になってすぐかな。親父がギタリストだから。プロじゃないけどさ」
「お父さんがギターやってんだ……毎日ちょっとずつって、どのくらい……?」
「そうだなあ、毎日4時間とか5時間ぐらいかな」
俺も毎日、4時間も5時間も弾いているのは同じだ。
始めた時期も、何年も差があるわけじゃない。
同じ時間をかけて練習しているのに、この差はあまりにも大きすぎる。
この、悪気ゼロの眩しすぎるアドバイスが、圧倒的な才能の差を物語っていた。
言い訳も反論も許さない、言葉を挟む隙すら与えられない完全な敗北を、俺の喉元に容赦なく突きつけてくる。久光はギターの音と、わずかな言葉だけで俺との違いをまざまざと見せつけたのだ。
くそっ、俺はこんなにギターを弾けない。
楽しそうに、無邪気に、ギターを歌わせることなど俺にはできない芸当だった。
天才。
小さい頃からいろんな場所で聞いてきた言葉の意味を、初めて正しく知る。
ひきつった愛想笑いを浮かべる俺の腹の中には、ずしりと重苦しいものがのしかかる。
ああ……これはあの頃感じてた、居心地の悪さだ。
空っぽの俺が、家族の中で感じていた異物感。
自分から久光のギターを聴いてみたいと言っておきながら、いざ実力の差を見せつけられたらすぐにこれだ。つくづく自分が嫌になる。
歌うようにギターを奏でる久光を前に、まだ上手く弾けていない自分のことを、音楽の中にある異物だと思い知らされていた。
この日、俺のここにあった矮小なプライドは、完膚なきまでに叩きのめされた。
天才との圧倒的な差を、何の悪気もない無邪気な言葉で突きつけられた。
このままじゃだめだ。
もっと練習しないと。上手くならないと。
練習しないと久光は、遠慮もなしに俺を置き去りにして、もっと先に進むから。
そんな俺の焦りなど気にも止めず、時間は流れ4月。
中学3年になり、新しいクラスが発表された。中島とはクラスが離れたが、久光と同じクラスになった。
新しい顔ぶれに、少し浮ついた空気が漂う教室の片隅。
その空気がひと段落し、クラス内でのグループが固まりつつあったゴールデンウィーク直前の日。
その場所で、俺の運命は介入できる余地もなく、一人の王に決められようとしていた。
「今年の秋の文化祭、俺らでバンドやろう!」
久光が、爽やかな笑顔でそう宣言した。
周りを囲んでいるのは、俺と中島。そして、カラオケでいつも点数が高いと噂の木本と、陸上部でやたら女子に人気がある畑中の、計5人。
「実は俺さ、もうパートも考えてきたんだ」
久光はノートの切れ端を机に広げる。
そこには、すでに俺たちの名前とパートが割り振られていた。
「ボーカルは木本な。お前、声デカいしカラオケ上手いからピッタリだろ」
「まあ歌えって言うならいいけど、他の奴らはちゃんと演奏できんのか?」
木本の心配はもっともだ。
中学生が、しかも初心者ばかりのバンドに不安を覚えるのは当然のことだった。
「大丈夫、大丈夫! で、ベースは畑中。先月ベース買ったって言ってたよな?」
「いや、俺、やっと1曲弾けるようになったぐらいだし……部活もあるし自信ないし。他のやつ探した方が……」
戸惑いながらもやんわりと拒否する畑中に、久光が励ます。
「1曲弾けるならもう大丈夫! それに文化祭まで時間もあるし、毎日練習したらすぐ弾けるようになるって!!」
無責任な笑顔で押し切った。
「で、ドラムは中島」
「任せろ! まだドラム届いてないけど!!」
その言葉を受け、まだ始めてもいない人間に何を任せたらいいのか、と不安な顔をする木本。
しかし久光は、自信たっぷりに返事をする。
「全然オッケー! 中島ならできるから大丈夫」
最後に久光が、深呼吸してから告げる。
「ギターは俺と山谷」
俺の心臓が、少しだけ跳ねた。
ついに、あの『LUNA SEA』の曲をバンドでやれる。
久光の圧倒的な技術を見せつけられ、プライドが爆散した俺は、まだ耳にはっきりと残っている天才の音に食らいつくために、毎日欠かさず必死にギターの練習を重ね続けた。
今のままでは、まだ久光には届かない。
それでも、あのリードギター──あの日からずっと聴き続けている憧れのSUGIZOパートを弾きたい。
そのためなら、寝る時間を削って練習だって喜んでするし、足りなければ晩ごはんの時間だって練習に充てるつもりだ。
「で、久光。曲は?」
木本が尋ねる。その顔を見て、久光は待ってましたとばかりに答える。
「LUNA SEAの『ROSIER』と『TRUE BLUE』、この2曲で行く」
やった……!
俺が一番やりたかった2曲。テレビで見て、俺の人生を狂わせたあの曲。
誰の意見も聞かず、すでに曲を決められていたことなど一瞬で忘れ、俺は思わず身を乗り出した。
「いいなそれ……! 俺もその2曲、ずっと練習してて──」
「あ、大丈夫。俺、もう2曲とも完コピしてるから」
俺の言葉は、久光の即答に遮られた。
「だから、リードのSUGIZOパートは俺が弾くよ。山谷は……そうだな、サイドのINORANパートをやったらいいよ。あっちの方が単調なフレーズばっかりで簡単だから、真太郎でもすぐ弾けるようになるよ!」
息が止まる。同時に時間も止まってしまったような錯覚に襲われ、景色まで歪む。
当然だと言わんばかりに告げた久光の目には、俺をバカにする色も、マウントを取る色も一切なかった。
その目は純粋に『難しい方は俺がやってあげるから、真太郎は簡単な方でいいよ』という、100%の善意でキラキラと輝いている。
しかしその善意が、どれほど俺の期待をズタズタに引き裂くか、久光は微塵も理解していない。
ああ、本当に俺のためを思って言ってるんだな。
俺の意思を無視して。
意を決して、俺は久光に思いをぶつける。
「……俺、『ROSIER』のSUGIZOパート、練習してるよ……」
控えめに。
「そうなんだ、すごいじゃん! でも山谷、文化祭まで時間はあっても、俺よりSUGIZOパート弾けるようにはならないんじゃない?」
本当に善意なのか、これ?
疑問は浮かぶ。しかし、言ってることは紛れもなく事実だ。
「上手い方がリードパートってことでいいじゃん。木本も歌いやすいだろ? な? 木本」
木本に同意を求める久光。
「よくわかんねえけど、もう久光が弾けてるんならそれで」
反論は届かない。
多数決でもない。
トップダウン。
圧倒的な才能を持つ王が、善意という名の強権を振りかざす。すべてを久光の意のままに決定していき、出来上がるのは王が組み上げた、王のための楽園。
俺が求めた場所には、最初から久光が立っていた。
そんな俺に与えられたのは、主役であるリードギターを引き立てるサイドギター。
実力がないと、希望は誰にも届かないまま全て誰かに決められるのだ。
認めたくなかったけど、この決定を覆す逆転の一手は、俺の手にはなかった。
だから。
「……わかった。俺、INORANパートやるよ」
「山谷、わかってくれたならいいよ。よし……これで最高のバンドになるね!」
無邪気に笑う久光の前で、俺はどんな顔をして立っているのだろう。
想像できないし、したくもない。
醜い劣等感が浮かぶ顔なんて、思い浮かべたくなかった。
家に帰り、すぐに自分の部屋に駆け込みギターを手に取る。
悔しい。
負けたままは嫌だ。
久光より上手くなりたい。
それに、聞いてくれた人の心を鷲掴みにするような音を響かせたい。
ギターを弾く手には熱が入る。
今できることは、せめてINORANパートだけでも、久光より上手く弾けるようになりたい。そのためには、とにかく1秒でも長く練習を重ねるだけだ。
同時に、どうしたらINORANの音を再現できるかをずっと模索していた。
毎日INORANパートを聴きながら練習する中で、気付いたことが二つあった。
一つはINORANの音だ。例えるなら磨き抜かれた水晶のような透明感と、深海のような深みがある。
今まで歪んだ音ばかり出してきた俺には、圧倒的に耳に優しく、新鮮な音だった。
そしてもう一つ、俺はアルペジオとコード弾きが下手すぎた。自分がかっこいいと思うフレーズばかり弾いていたので、それらのプレイを練習したことがなかったから。
最初のうち、深く澄んだクリーントーンを奏でたつもりでいても、何が原因かは分からないが濁ったような音になってしまう。
これの原因は、左手をよくよく確認してみるとすぐに気付いた。
俺の指はそんなに長くない。そのせいで、凝ったフィンガーポジションになると上手く押さえられずに弦がビビって濁っていたのだ。
もっと指をしっかり動かせるように、ストレッチも始めた。
少しでもいい演奏がしたい。
負けたくない。
そうして練習を重ねる傍ら、親に泣きつき、頼み込み、マルチエフェクター『BOSS ME-30』を買った。
プラスチックの筐体に、最低限の機能。見た目はコーちゃんが持っていた『GT-5』のような重厚感はなく、まるでおもちゃのようだった。
だが、必要な機能はこの機材にちゃんと入っていた。
初めて手に入れた魔法の箱、そのポテンシャルを一点の抜けもなく全て引き出すために、毎日学校が終われば部屋に駆け込み、ギターを弾き、ボロボロになるまで説明書を読み込み、エフェクターをいじり倒した。
「どうすれば、あの『ROSIER』のINORANに近づける?」
手持ちのカードは少ない。
エフェクトの種類も、EQの効きも、上位機種とは比べ物にならない。
それでも毎日、アンプのツマミとME-30のパラメーターを、誇張なく1メモリずつ、狂ったように微調整し続けた。
音が濁らないギリギリのコーラスの揺れ幅、深海を演出するディレイの反響音。限られた機材のポテンシャルを120%引き出すため、自分の耳だけを頼りに『バンドサウンドの中で埋もれない、かつ出しゃばらない音』の最適解を探し求める日々。
焦りは消えなかったが、少しずつINORANの音に近づいていくのを実感するたびに、妙な高揚感が顔を出していた。
そして迎えた、文化祭のステージ。




