4-15
冷え切ったフロアを横目に、俺たちZERO SOUNDは、ステージへと足を踏み入れる。
ここから眺めてみれば、森山の愚行がよりハッキリと見える。
まだ耳にダメージを負う人、床にへたり込む人、フラフラで会場から出ていく人。
待っててくれ、俺たちの音で全員ブチ上げる。
ステージ上に持ち込んだ機材は、先ほどの森山の何十万もする要塞のようなアンプ群と比べれば、あまりにも貧相だ。部室の隅で活躍する時を失っていた、寄せ集めの小型アンプと、俺たちの手元で鈍い光を放つ楽器たち。
最前列に残っていた観客たちは、俺たちの安っぽい機材を見て、興味なさそうに視線を落としている。
いつまでそんな顔してられるかな。
俺たちの音楽は、機材の値段なんかで計れるものじゃない。
夏休み、東京の狭い六畳間で叔父と音で語り合い、外部スタジオの密室で血の滲むような思いをし、東田さんにアドバイスをもらって、たくさんの人と構築した音だ。
エフェクターをセットし、アンプの電源を入れる。体育館で濁りの原因となる低中音域を思い切り削り落とし、吉田先輩の歌声の居場所となる中高音域も大げさに空けておく。
単体で聴けば、無駄な肉を完全に削ぎ落とした、骨組みだけのような音。
ギタリスト単体で目立ちたい、そんなくだらないエゴを満たす要素などない、極限まで引いた、だが徹底的に計算されたセッティング。
鈴森のベースも、無駄に音を圧迫する低音の濁りをバッサリとカットし、音の芯と、アタック音だけをタイトに残している。
金谷もエフェクターを踏み込み、俺と同じくアンサンブルに収まる音を呼び出した。
準備を終え、俺は全員と視線を交わす。最後に、ドラムセットに鎮座する三谷先輩と視線を交わした。
──いつでも、大丈夫です。
その視線を受け、三谷先輩が短く頷き、ハイハットを激しく4カウント打ち鳴らす。
全員が同時に腕を振り抜き、1音目を会場に叩き込む。
瞬間、体育館の空気は一変した。
森山の轟音で耳が麻痺していた観客たちも、一斉に弾かれたように顔を上げる。
よし、いける!
ピックを振り抜き、空間を切り裂く。
ステージの照明が全開で輝く。その輝きを受け、三谷先輩が破裂寸前の打撃音を放つ。会場の空気全てを振動させ、鈴森の音が暴れる空気を締め上げる。輪郭を浮き彫りにしたベースの旋律。それは無秩序に膨張しようと暴れるバスドラムの低音に絡みつき、一つの鋭いインパクトに変わり、会場にいる観客たちの腹の底にズンッと突き刺さる。
インパクトはさらに、鋭利な刃物のように極限まで削ぎ落とされたギターのリフに切り裂かれ、グルーヴを縛り上げる。
ステージ上にいる俺たちの耳には、足元のモニターから聞こえる少し物足りない中音。どの音が目立っている、誰が飛び抜けて主張する実感はない。
だが、ステージの外──観客のいるフロアの音響空間には、東田さんと俺が構築した外音がステージのアンプたちから、ドラムセットから放たれる音と重なり合う。
その瞬間、会場に産み落とされたのは、すべての音が飽和し空気を押し広げ、逃げ場を無くした圧力で押し固められた音の壁。
的確なPA操作によって、この空間の音は完全に支配された。
体育館に起こる忌まわしい物理現象である、硬い壁と床による乱反射。
特にローミッドの帯域は頭上でぶつかり合い、音が濁って大渋滞を起こす最悪の音響環境。
森山は、自分のギターの音量を力任せに上げたせいでこの帯域の濁りを飽和させ、自らの音を騒音の塊へと変えてフロアの熱を絶対零度にまで突き落とした。
だが、俺たちは最初から、その濁る原因となる帯域を、ステージ上のアンプと東田さんのPAミキサーの両側から削ぎ落としていた。
これらの計算から生まれた、タイトに引き締まった音は体育館の空間に放たれ、壁に反射した瞬間、生み出される過剰な残響成分。ステージに上がったバンド全てが頭を悩ませ、最後まで御しきれなかったものを逆手に取り、音の構成要件として利用した。
その結果生み出されたものは、ステージのフロアで、極上のロックサウンドとして組み上がったのだ。
音が濁らない。渋滞しない。膨大な音の塊はその形を少しずつ露わにしていく。
全ての楽器の輪郭が、ここが体育館であることを忘れるほどクリアに観客の鼓膜へと届く。
(……よしっ!)
ステージの遥か前方、PA卓に座る東田さんを見た。
東田さんは、ミキサーのフェーダーから手を離し、腕を組んで深く頷いている。そのキャップの奥の瞳は「見事だ」と笑っていた。
俺たちの計算は、完璧に機能した。
自らエゴを捨て、削り落とした周波数の空白が、誰もできなかった『音響の支配』を成し遂げたのだ。
ステージの照明は激しく明滅し、全員の姿を強く、時に妖しく浮かび上がらせる。
熱いスポットライトが、体温をジリジリと高めていく。ステージ上の誰もが、開始数十秒で汗を飛び散らせながら楽器を振り回す。
そして。
ステージの中央で、ずっとうつむいていた吉田先輩が、いつもと違う雰囲気を纏いながらゆっくりと顔を上げた。
両手でマイクスタンドを握りしめ、大きく息を吸い込む。
短くマイクに乗るブレス音。
鋭く輝く、紅い眼光。
次の瞬間。
彼女が天上を指差し放った天使の歌声は、俺たちが心血を注いで作り出した音の壁を、一条の強烈な光となって真っ直ぐに突き抜けた。
一切の障害物がない空間。
ギターにもベースにも邪魔されない、彼女のためだけに用意された玉座。
天使の圧倒的な声帯の振動は、体育館の過剰な残響すら、巨大な大聖堂の荘厳なリバーブへ変えてしまった。
規格外の声量、耳に届くその声は、鼓膜を直接撫でるような甘さと、空間を切り裂くような鋭さを併せ持った、暴力的なまでの美しさ。
俺たちはもはや、彼女の声を際立たせるための背景でしかなかった。
だが、それでいい。
いや、それこそが俺の求めていた『バンドの正解』だ。
俺たちが放つ音は、彼女の歌声を空高く羽ばたかせ、決して一人では生み出せない極彩色の音楽となって空間を満たしていく。
スポットライトの熱に晒され、大粒の汗を流しながら歌う吉田先輩は、誰よりも輝いていた。
その姿を否応なく目にする観客。
先ほどまで、耳を塞いで死んだような顔をしていたというのに、ステージから放たれた信じられない音の塊から、もう目は離せなかった。
ここにはあの汚れた雑音はないのだ。
あるのはただ、スポットライトを浴び、魂を燃焼させ精一杯に音を放ち、一人でも多くの人に曲を届けようとする、ZERO SOUNDの姿。
観客たちはステージから溢れる気迫に、音のプレッシャーに、一瞬だけ息を呑み、硬直した。
「立ち上がれぇぇぇぇぇ!!! 拳を上げろぉぉぉぉぉ!!!!!」
赤く輝く瞳を見開き、吉田先輩が叫ぶ。
そして数秒後。魔法をかけられたように立ち上がる観客。
その一人一人から放たれる歓声。
麻痺した聴力も忘れ、耳を塞ぐのをやめた者、立ち上がり拳を突き上げる者。
外に避難していた者が一人、また一人とステージに戻る。
地鳴りのような大歓声が、ステージに向かって津波のように押し寄せてくる。
最前列では興奮のあまり観客がもみくちゃに絡み合い、無数の拳が天に向かって突き上げられている。
この巨大な空間の全てが、ZERO SOUNDという一つの巨大な生き物に完全に飲み込まれていた。
スポットライトから放たれる熱も忘れ、滴る汗を拭うことすら忘れ、夢中で弦を切り裂く。
三谷先輩が空気を炸裂させ、鈴森が震わせた空気を締め上げる。金谷と俺が叩き込む空気の速度を上げる。そして、吉田先輩の歌声が、会場の空気を激しく燃え上がらせる。
観客の熱狂はもう止まらない。
背筋を駆け上がる、全身の血が沸騰するような強烈な高揚感が、会場すべての人々に熱を叩き込み、フロアの温度は加速度的に上昇する。
ギターソロの瞬間、スポットライトの全てが俺に集まる。
いいよ、もっと熱くさせてやる。
エフェクターのペダルを踏み込み、指をハイフレットに走らせる。
初めて知った。スポットライトがこんなに熱いなんて。
初めて知った。ステージの上がこんなに熱いなんて。
初めて知った。会場の視線を一身に浴びるのが、こんなに熱くなれるなんて。
縦横無尽にフレットを走り回る指。
息つく間も無く弦を切り裂く右手。
頭で考えなくても、みんなの音を受け、自然に音を奏でられる。
観客を見る。
最前列で頭を振る集団。
拳を突き上げ、精一杯に声を張り上げるたくさんの観客。
後ろの観客たちも、思い思いに曲にノり、楽しんでくれている。
これだ。
俺が見たかった景色が、想像じゃない目の前に広がっていた。
──気がつくと、最後の曲の一音が、大歓声の中。
天上に、溶けてゆく。
やがて、音の余韻も耳から離れ消えてゆく。
「ZERO SOUND……頂点を、目指す者たち……ありがとうございましたっ!!」
吉田先輩が息を切らせながらも、最後の言葉を口にした。
割れるような歓声を浴びながら、全員で深く頭を下げ、ステージを降りる。
これが、俺たちが目指した頂点だ。




