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連日の熱帯夜に耐え、夏服が汗に張り付く季節は、秋の訪れとともに嘘のように過ぎ去った。やがて制服が学ランに戻り、朝夕の風に肌寒さを感じるようになった頃。年に一度の一大イベントである『高専祭』がやってきた。
毎年この季節になると、学校全体がどこか浮ついたような、それでいて妙な熱を帯びた空気に包まれる。
実習工場からは、お化け屋敷のセットを作るための木材の粉塵や、展示用の電子回路に当てるハンダの焦げる匂いが漂ってくる。徹夜で出し物の準備をする学生たちの、疲労と興奮がないまぜになった叫び声。
学校全体の視察と称して毎日のように仕事をサボる校長と、それを捕らえて校長室に引きずり戻す学生主事。
普通の高校の文化祭とは違う、この学校特有の不器用で暴力的なまでの熱狂が、学校の端にある第二体育館に組み立てられたライブステージの上まで満ちていた。
そんな神聖なステージ、と言いたいところだが、バンドサウンドを掻き鳴らす者たちにとって、この体育館という会場は決して歓迎すべき場所ではない。
壁面に貼り付けられたお情け程度の集成材と、硬い木のフロアで覆われた巨大な密閉空間。それらは音を無秩序に反射させ、音の干渉を引き起こす。出来上がった反響は、あらゆる音を打ち消し、共振させ、血と汗を流しながら練習して組み立てた曲をただの騒々しい雑音へと変えてしまう、最悪の音響環境なのだ。
ZERO SOUNDが外部スタジオで猛特訓し、全員が納得できる演奏をできるようになったのは高専祭の4日前。最後まで音響の組み立てが終わらず、メンバーに負担を強いてしまった。
果たして、その成果は……全員の笑顔を見ればよくわかるものだった。
ライブステージでは、前日のリハーサルが朝から行われている。俺たちは13時から。余裕を持って昼ごはんを食べ、全員でステージへ向かう。
体育館に入ると、改めてしっかりしたステージが組まれているものだと感動した。一般的な学校と比べ、高専の体育館は倍ほどの広さがある。それに合わせた巨大なステージ。去年は下から見ているだけだったが、今年はこの上に立つんだと思うと、自然と背筋が伸びていく。
「すっ……げ。プロのライブでもできそうっすねこれ」
金谷が圧倒されていた。
「それがうちの学校のいいとこだよ。こんなステージ、学生じゃなかなか上がれない」
だが、この会場のサイズが、慣れない者にはプレッシャーとなってしまうのだ。現に鈴森は、ステージを見つめて固まっている。
「鈴森、大丈夫か?」
「先輩……俺、こんなすごいステージで演奏、できますかね……」
その感想は当然だ。夏祭りのライブで上がったステージの約2倍。上がったらさらに広く思えるだろう。
俺も、少し緊張してる。けど。
「大丈夫、あれだけ練習して、音も作り込んだ。俺たちがステージの歓声を全部さらってやろう」
「……はい!」
最後のスタジオ練の後、メンバー全員で誓ったことがある。
『俺たちは、高専祭のライブで頂点を目指す』、と。
突拍子もない目標。
誰かが採点してくれるわけじゃない。目に見える指標もないのに、決めようもないことだ。
だから俺たちは、目に見えない、でも耳には届く指標──観客の歓声を全て俺たちのものにしようと決めた。
さて、あと事前にやっておくことは、と。
ギターをスタンドに立てかけ、ステージから飛び降りる。
向かうのはステージ下の中央に設置された巨大な要塞……PA卓。
そこには無精髭を生やし、黒いキャップを深く被った男がいた。
高専祭の音響を請け負ってくれているプロのPAエンジニア、東田さんだ。
彼は高専祭のステージPAを毎年引き受けてくれている。オーディオ部のOBに頼み込まれたことで、日当も格安でプロ用のミキサーやスピーカーを持ち込み、たった一人でこの魔物の棲む体育館の音響をコントロールする、文字通りの『職人』である。
ライブステージはオーディオ部の管轄だ。去年はこの風貌にビビり散らして、挨拶だけして逃げ出したが……今年はもっと関わりたいな。あわよくば音響のこと教えてくれないかな。
なんて下心は心の奥深くにしまいこんで、東田さんに駆け寄る。
「東田さん、山谷です。去年に引き続き、今年もよろしくお願いします!」
頭を下げると、ミキサーの無数のツマミをいじっていた東田さんは、チラリとこちらへ視線を向けた。
「おう山谷。去年はさっさと逃げ出してたが、今年はなんか違うな」
「あー、去年はまだ子供だったんで……」
「何言ってんだ、俺からしたら今もガキだって。それよりお前、まだ金髪なのか。学生主事に目ぇつけられてねえか?」
「まあ、オーディオ部は暗いから目立たないんで。それより東田さん、今年は俺もバンドで出ます。頼りにしてますよ!」
「調子のいいやつだなお前は……変な音出したら(音を)殺すぞ。俺がいる以上、ダセえ音は1dBも許さねぇ」
おお……殺すって言われちゃったよ。
これは頑張らないと……。
あ、そうだ。肝心なこと聞き忘れてた。
「東田さん、一つ教えてください」
「あん? どうした。俺は同年代の女優全員愛してるぞ」
「とんでもない浮気者じゃないですか……じゃなくて」
俺はポケットからメモを取り出した。
「この会場、音の反響がムチャクチャじゃないですか。ステージ上でできる対策とかあれば教えてください」
東田さんはタバコを咥えながら、呆けたような顔をしている。
「東田さん?」
「お、おお、すまん。あまりに予想外の質問すぎてな」
タバコを灰皿に置き、さっきまでの軽口を消したプロの顔で告げる。
「対策は三つだ。まず一つ、アンプ側のEQ設定。ベースと被る100から400Hzはバッサリ削れ。体育館じゃそこが一番大渋滞を起こして大暴れするからな。それから、シンバルやギターが耳に刺さる2kから4kHzも少し落としとけ」
「なるほど……それで反響は収まりますか?」
俺の質問に、東田さんは鼻で笑った。
「バカ言え。EQは魔法じゃねえんだ。どんだけ帯域を削ろうが、壁がある以上音は絶対に跳ね返る。そこで二つ目の対策だ。──『アンプの音量を限界まで下げる』こと」
東田さんはミキサーのフェーダーを指差した。
「アンプの音がデカけりゃ、それだけ壁にぶつかるエネルギーが増えて音が暴れ出す。だから中音は極限まで絞って、客席にはPAスピーカーから全開で音を届ける。これがこの会場を制する基本だ」
「アンプの音量を下げる……引く勇気、ですね」
「いいこと言うじゃねえか、お前、師匠でもいんのか? それとも雑誌か」
東田さんはタバコをひと吸いし、続ける。
「学生でそんなこと言うやつ初めてだ。まあ任せとけ」
東田さんはニヤリと笑い、誰もいない体育館のフロアを見渡した。
「今は音がムチャクチャに響いて聞こえるだろうが心配すんな。最後の対策はお客だ」
「お客、ですか?」
「ああ。何百人もの人間の服と体が、最強の吸音材になって壁の反射を吸い取ってくれる。お前らがステージ上でしっかり音を引いてりゃ、本番でバチッとハマるようにこっちで料理してやる」
「ありがとうございます! 頼みますよ、師匠!」
「誰が師匠だ。まあいい、そろそろ時間だ。次はお前らだろ? 行ってこい」
俺は深く頭を下げ、確かな手応えと共にPA卓を後にした。
これで、俺たちが頂点を獲る準備は全て整った。
東田さんという最強の味方を得た今、何も怖いものはない。




