4-9
東京での時間は、今までの自分への答え合わせとなった。あの夜通しのセッションの余韻と、睡眠の足りないぼんやりした頭を抱えながら、新幹線に揺られ、東京と何ら暑さの変わらない山口へと帰ってきた。
家の玄関を開けるなり、出迎えてくれた母親に「コーちゃん元気だったよ。タバコの本数も変わってなかった」と手短に報告を済ませる。それと。
「母さん、コーちゃんから聞いた。長いこと心配かけてごめん。もう大丈夫」
それを聞いた母さんの瞳は、少しだけ潤んでいた。
照れ臭さから、返事も聞かずに荷物を自室に放り投げ、俺はLunarの入ったギターケースだけを背負い直して、すぐに家を飛び出した。
向かう先は、高専のオーディオ部。
東京のけたたましい喧騒とは違う、地元特有の鼓膜に張り付くようなセミの声。
アスファルトから立ち昇る陽炎の中を歩きながら、俺の頭の中は叔父と交わした音の対話、そしてあの謎のポエムで埋め尽くされていた。
早く、みんなと音を合わせたい。ZERO SOUNDの音をもっといいものにしたい。はやる気持ちを抑えきれない足は、自然と小走りになっていた。
「おつかれでーす」
夏休み特有の、どこか気の抜けた静寂に包まれた校舎。
オーディオ部の扉を開けると、ZERO SOUNDのメンバーと、オーディオ部の面々が出迎えてくれた。
「おっ、山谷! おかえり!」
「先輩、東京どうでした!?」
少しだけ人口密度の高い部室の中では、三谷先輩がスネアのヘッドを張り替え、金谷と鈴森がアンプに繋がない生音で、地味な基礎練習をしていた。
「ただいまー。色々勉強になったよ!」
俺はパイプ椅子を引き寄せ、ギターケースを床に置いた。
そのままの勢いで、三谷先輩に質問する。
「先輩、今年の秋の高専祭ですけど。俺たち『ZERO SOUND』も、当然出ますよね?」
「あったり前だろー! あの野外ライブ一発で終わるなんてもったいないじゃん!」
三谷先輩がチューニングキーを回しながら、ニヤリと笑って即答する。
「それに咲希が、次のライブはいつだ、どこでやるんだって毎日のようにうるさ──」「そういうのいいっす三谷先輩。僕たち心に傷負ってるんで」
金谷、厳しいねー。あの合コンがそんなにトラウマなのか……。
あ、鈴森が何か思い出して震え出した。
が、すぐに我に返り、
「そうっす出ましょう! 高専祭のステージでも、観客全員を屈服させてやるっすよ!」
「俺たち、あのライブで完全に覚醒したんですから、今こそ完全体を見せる時です!」
もうやる気なのか二人とも。いいことじゃないか。
「「ここで活躍……女子……ちやほや……彼女……」」
……なんか聞こえた気がしたけど、触れないでおこう。
頼むから、優しい女子と付き合ってくれよお前ら……
気を取り直し、全員に声をかける。
「東京で、バンド全体の音をまとめるための新しいアイデアをもらってきたんだ。今年の高専祭は、俺たちの音で学校中を湧かせられると思う!」
俺の言葉に、三人の顔がパッと明るくなる。三谷先輩まで、後輩たちとおんなじ顔で俺を見る。そういう顔は吉田先輩にだけ向けてください。
その話を聞いた先輩たちがわらわらと寄ってきた。
「マジかよ山谷! 俺らのバンドにも頼むよー!」
「腕はお前らよりいいんだから、そのアイデア使ったら俺らのバンドが一番湧かせられるんだけど!?」
「ダメです、これは俺がバンドにいる特典みたいなものなんですから」
「けちー」
「ずるいー」
「きんぱつー」
「彼女なしー」
誰だ後半2つ言ったやつ。
「とにかくダメです! 俺はZERO SOUNDの真太郎なんですから!!」
あー、何回でも口に出したくなるな。いいじゃないか“ZERO SOUNDの真太郎”。
……っと、そうだった。大事なこと言うの忘れてた。
「三谷先輩、金谷、鈴森。提案があるんだ」
全員の目を見る。
そして俺の視線は、部室の奥──『一番良い機材』が陣取っている、あの男の特等席へと視線を向けた。
「高専祭が終わるまで、俺たちの練習は『外部の有料スタジオ』でやらないか?」
「……えっ?」
金谷と鈴森が、豆鉄砲を食らったような顔で瞬きをした。
「外部スタジオですか? なんでわざわざ金払って……学校の部室使えば、タダで練習し放題じゃないですか」
「そうっすよ。冷房の効きは悪いですけど、機材だって一応揃ってるし……」
不思議そうに首を傾げる後輩二人に対し、三谷先輩だけはスティックを持つ手を止め、少し考え……何かを察したように深く、重いため息をついた。
「なるほどなるほど……森山対策だな、山谷」
その名前が出た瞬間。部室の空気が、スッと数度下がったような気がした。
金谷と鈴森の肩が、ビクッと跳ねる。
「そうです。森山先輩と会わないように……です」
俺は重々しく頷いた。
森山は今年も、自分のバンドを率いて高専祭のステージに出演する。毎年のように、目をつけた後輩を無理やり勧誘し、その場限りのバンドで参加している。
奴は自己顕示欲の塊だ。自分の音楽に対するプライド“だけ”異常に高く、それゆえ認めたくないが腕はいい。しかし……周囲の人間を自分の引き立て役として平然とこき使い、罵倒し、すり潰してしまう。
固定メンバーにされないだけまだマシ……とは言いたくないぐらい、今まで勧誘されて高専祭に駆り出された人たちは例外なく、音楽が少し嫌いになってしまう。そのまま音楽をやめてしまった人だって、何人も見てきた。
だからわかるのだ。高専祭の時期が近づけば、間違いなく森山は自分のバンドの練習のために、この部室と学校の機材を我が物顔で独占し始める。
「その顔を見るに……お前らも森山先輩に会ってるみたいだな」
俺が尋ねると、金谷が青ざめた顔でコクリと頷いた。
「……忘れるわけないっす。入部して少し経った頃……俺と鈴森が部室でアンプセッティングの練習してたら、森山先輩が入ってきて……」
「『うるせえんだクソガキ、1年のゴミカスなんかが俺の耳を汚すな、失せろや!』って言われて、俺のベース、蹴り倒されたんです……」
鈴森が怯えたように俯く。
アイツ、本当にどうしようもないな。絶対友達いないだろ。
「それに、あいつは自分たちが練習する時は、アンプのボリュームをフルテンにして、他の音が一切聞こえないレベルの汚い爆音を鳴らし続ける」
俺は過去の忌まわしい記憶を呼び起こしながら続ける。
「俺たちが隣で練習をしてようがお構いなしだ。少しでも文句を言えば、『天才の音を聴けるだけありがたいと思え、金はそこに置いていけ』なんて凄んでくる。……そんな環境で、バンドの繊細な音作りなんかできるわけがない」
1年生の頃から、森山の傍若無人な暴力と理不尽を見てきた俺たちにとって、アイツを刺激せず、視界に入らないように上手く立ち回ることは、このオーディオ部で生き残るための『生存戦略』だった。
「部室の機材はタダだけど、森山先輩の機嫌を伺いながらビクビク練習するのはもうごめんだ。……それに、外部の有料スタジオなら、プロ仕様のPAシステムや、ちゃんとしたミキサーが揃ってる」
俺は、叔父からの『引く勇気』のメモを思い出しながら言った。
「高専祭のステージは、野外じゃない。音が乱反射して風呂場みたいに残響が回る『体育館』っていう特殊な環境なんだ。あの魔窟を制圧するための精密な音作りを研究するには、機材の整った外部スタジオの方が絶対に好都合なんだ」
俺の説明を聞き、金谷と鈴森は顔を見合わせた。
少しの間があった後、鈴森が意を決したように口を開いた。
「……わかりました。俺、外部スタジオ賛成です」
「俺もっす」
金谷も強く頷く。
「あの森山先輩の爆音の中で精神削られるくらいなら、金払ってでも快適な環境で練習したいっす。……ただ、スタジオ代は全員で割り勘っすよね。俺たち、ちょっと金欠気味で……」
「俺は問題ないよ。夏休み中ガッツリバイトしてるしな」
三谷先輩が、胸を叩いて笑う。
「じゃあ俺たちも、せっかくですしバイト始めます! 痛い出費ですけど……あの『地獄の合コン』であの女子たちに搾り取られた理不尽な出費に比べれば、音楽のための出費なんて安いもんっす!!」
「そうです! あの合コンは……ひどかっ……ぁああああああああああ……」
鈴森は、未だトラウマから脱却できてないようだ。
「よし、決まり! 早速、知ってるスタジオの空き状況を確認してみるよ」
俺の言葉に、男四人の拳が力強く突き合わされた。
森山という理不尽な権力から逃れ、俺たちだけの完璧な音を作る。その決意が、部室の熱気をさらに一段階押し上げた。
と、そこに。
「あ、あの……ごめんね、遅くなっちゃって」
部室の鉄扉が開き、いつも通り引っ込み思案の吉田先輩が入ってきた。
「おお、咲希! 待ってたぞ」
三谷先輩が、先ほどまでの真剣な表情から一転、どろんどろんに溶けきっただらしない笑顔で立ち上がる。え、先輩そんな顔するんですか?
「えへへ……剛くん」
あの……そういえばさっきも気になってたんだけど。
三谷先輩、吉田先輩のことを、『咲希』って、呼んでたんだよね。
それに今、吉田先輩、三谷先輩のこと、剛くんって、名前で呼んでたんだよ。
俺、三谷先輩の名前初めて知ったんだけど。
隣を見てみれば、甘ったるい空気を肺いっぱいに吸い込んだであろう後輩二人が、トラウマと積算されたダメージで真っ白に燃え尽きていた。
吉田先輩は、先日の話し合いから今に至るまで、完全に何かのタガが外れてしまったみたいだ。男四人が密集しているむさ苦しい空間にも関わらず、迷うことなく三谷先輩の隣へ直行。そのまま、パイプ椅子に座る三谷先輩の太い二の腕に、セミのように身を寄せたのだ。夏だね。
「あのね、文芸部で夏休み明けに作品集出すんだけど、その打ち合わせが長引いちゃって……剛くんに早く会いたかったのにぃ」
上目遣いで、甘ったるい声を出す吉田先輩。やめて、後輩が消滅しちゃう。
あ、金谷の存在値がマイナスに反転した。鈴森は……同じく。
というか今、作品集って言った? まさか、またあの……
これは聞かないと! 何なら内容の検閲を……!!
「お疲れさん。ほら、暑かっただろ。俺の飲んでた冷たいお茶飲むか?」
「うんっ。剛くんがペットボトルのキャップ開けて」
「しょうがねえなー。ほら、こぼすなよ」
「ん……冷たくて美味しい。あ、剛くんも飲む?」
「おう、もらうわ」
「…………」
かつては他人の目を見て話すことすらできなかった図書委員の面影は、もはやどこにもない。堂々の間接キス。それも、俺たち全員の目があるというのに、距離にしてわずか1メートル足らずの至近距離で行われた、堂々たる間接キス。
完全に、二人だけの世界。
これじゃ検閲とか無理、というか二人の間に割って入って、「吉田先輩、作品集ってまたアレな小説ですか!?」なんて聞けるわけないじゃん。至近距離でこの空気浴びたら、もう跡形も残らないから。
彼らの周囲だけ、明らかに温度が三度ほど高く、思春期男子の心をバッキバキに粉砕する色のオーラが実体化して漂っているように見えた。
ある者は目に涙を浮かべ、またある者は下唇を噛み、床の味を知る者まで現れる。
部室に屍の山が積み上げられていく。もうやめて三谷&吉田ペア。このままだと青春の落伍者が全員命を霧消させるから……。
「ねえ剛くん、今日の練習終わったら、一緒にアイス食べに行こ?」
「いいよ。咲希は何味がいい?」
「剛くんと一緒なら、なんでもいい……えへへ」
「やめろって、みんなが見てるから」
「もうっ、恥ずかしいよぉ……」
この2分間で、すでに剛くん呼びを6回、咲希呼びを……なんで俺、こんなの数えてんだ。
そのとき。
隣で、金谷が膝から崩れ落ちた。
「……金谷?」
「……先輩」
金谷は虚ろな目で、部室の天井を見上げていた。
「おれ……バンド……つらい……れんしゅうのたびにこれ……むり……」
鈴森は、何かを思い出すように呟く。
「バンド内恋愛で、解散する理由……分かっちゃったかもしれません……」
うちのバンド、大丈夫かな。
「と……とにかく、今すぐ電話して一番早く入れるスタジオ探すから!」
震える手でPHSを取り出し、スタジオの予約を急ぐのだった。




