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少し言葉を選びながら──叔父はぽつぽつと話を続ける。
「ギターを始める前のお前は、なんて言えばいいのか……空っぽだっただろ?」
……そうだ。
俺は、ECLIPSEと出会うまで、なんにもなかった。
音楽と出会い、ギターと出会い、変わったんだ。
「姉ちゃんとは昔から仲が良かったから、俺が東京に行ってもよく長電話してたけど、お前がギターを始めるまで、いっつもお前のこと心配だって話してた」
「……」
「真太郎は、学校でも楽しくなさそうだし、麻耶とも仲良くない、この子は何がしたくて、何を考えてるのか全然わからないって、そう言ってたんだ」
居心地、悪かったなぁ、あの頃は。妹とも壁を感じるというか、あー、嫌われてるなーって、自分でよくわかってた。
「うん、ずっと家が居心地悪くて、自分の部屋にずっとこもってた。ファミコンとかは人並みにやってたけど、なんかそこまでハマらなかったというか」
「俺もそうだったよ。家が複雑だったから、ってのもあるけど、いつも親は家にいなくて、頼れるのは姉ちゃんだけだった」
母さんの家庭環境は、お世辞にもいいとはいえないものらしい。それを聞いたのは、俺の中学の文化祭で叔父が家に帰ってきてた時。夜に母さんとコーちゃんが話してたのを聞いた。
「だからかな、姉ちゃんは家族が仲良くいられるようにしたい、真太郎のことも分かってあげたいっていつも言ってた」
「そんなこと考えてたんだ、母さん……悪いことしたかも」
「で、ある時姉ちゃんに言われたんだよ、お前がギター買ったって」
そんな話もしてたんだ。知らなかった。
「だからしばらくして、宇部に帰ったんだ。たぶん最初の壁にぶち当たるだろうな、って頃に」
「え、そうなの? 偶然帰ってきたもんだと思ってた」
「ギターの先輩だからな、そういうの何となく分かるんだよ」
叔父は少しだけ微笑みながら続ける。
「俺も通った道だからな」
そうか。
叔父にもギター始めた頃はあったし、俺がぶつかってきた壁にもきっとぶつかってた。それでも諦めずに壁を乗り越えて、乗り越えて、歩き続けた先が今なんだ。
「それからは姉ちゃん、真太郎が変わったって、嬉しそうに電話で話すようになったよ」
その言葉に誘われるように、心の内が言葉になって溢れ出す。
「俺、ギター始めて世界が変わったんだ。今までそんなに仲良くなかったやつと音楽の話したり、話したこともなかったやつとバンド組んで音楽やったりさ」
「分かるぞ」
「音の世界を知って、その世界の作り方を知って、世界の形が見えてきて。そこに生きる人たちのことが見えてきたら、周りの人たちは俺のこと嫌ったりしてない、壁は自分の思い込みだったんだって……そう思えるようになった」
それから、自分の周りにいる人をもっと知ろう、知りたいって思い始めて、関わるようになったんだ。
「そう思い立つ原点は音楽だった。けど」
「今の俺の原点は、音楽と出会った時、じゃないんだ」
叔父は黙って俺の話を聞く。
「文化祭に来てくれたとき、俺の音が誰にも届かなかったって悔しくて泣いた時に、空間の帯域を支配しろって、言ってくれたよね」
あの言葉は、どうしようもないほどに胸の奥をざわつかせ、心臓に熱を叩き込んだ。
ECLIPSEの、SIONのリードギターに憧れて、自分が一番目立つことだけを夢見ながらも、その夢が手からこぼれていった中3のあの日。
だからこそ、裏方としてのバッキングの重要性に気付き、ギターの練習に加えてエフェクターのつまみと睨み合いながら積み上げてきた経験。
すべては、あの言葉があったから。
「あれか、今考えると、少しカッコつけすぎたかもしれねえな」
「そんなことない。あの言葉があったから、今の俺がいるんだ」
そう。俺が音の全体に目を向けるようになったきっかけ。それは間違いなく、叔父のあの言葉だった。
「だから俺は、ギターも弾きたいけど……もっと、完璧な音ってやつを作りたい。俺があの日、音楽で人生が変わったように、そんな感動を届けられるようになりたい」
「それは、音楽の世界で生きるってことか?」
叔父は心なしか、躊躇いがちに聞いてきた。
「プロになりたいとか、そこまで大それたことは言わないよ、曲も作ったことないし、まだまだ弾ける曲なんてそう多くもない。音響の知識も全然足りない」
「だったらその音は、誰に届けるんだ?」
「俺と関わってくれてる、俺の手が届く人たち。それで充分だよ」
なるほどと呟きながら、叔父は小さなため息をこぼす。
「そうか、お前もいろいろと考えて音楽やってんだな。成長したじゃねえか! じゃあ──」
叔父はニヤリと笑い、ギターコレクションの中心にあったFinder Japanのテレキャスターを手に取る。
「そろそろ、音の魔術師の腕を見せてもらおうか」
俺は無言でLunarをケースから取り出し、床に転がっていたシールドを拾って、ひときわ大きなスタックアンプへと繋ぐ。
言葉は、もう必要なかった。
叔父が、ブルージーで枯れたコード進行を弾き始める。
その音を聞きながらアンプのトーンを調整し、叔父のコードの隙間を縫うような、少し高音域を強調したクランチサウンドでリードのフレーズを乗せていく。
俺がテンションを上げて音を前に押し出せば、叔父はスッと一歩引き、低音域でリズムの土台を支えるバッキングへと回る。叔父が鋭いカッティングで空間を切り裂いてくれば、俺は即座に音の帯域を譲り、空間の背景へと溶け込む。
それは、音という言語を使った対話だった。
息をするように周波数を分け合い、互いの思考を読み取りながら、一つの音楽を構築していく。俺が目指している音の在り方が、この空間に今、確かに存在していた。
二人で音を重ね合わせるたびに、頭の中のパズルがカチリ、カチリとはまっていくような心地よさ。
時間が経つのも忘れ、俺たちは夜通しギターを弾き続けた。
アンプの真空管が発する微かな熱と、弦と指が擦れる摩擦の感触だけが、俺の世界の全てだった。
やがて、窓の外が白み始め、東京の空に朝焼けが差し込んできた頃。
俺はLunarを抱きしめたまま、畳の上で泥のように深い眠りに落ちていた。
目を覚ますと、すでに昼前だった。
窓の外からは、けたたましい都会の喧騒が聞こえてくる。
部屋の中に叔父の姿はない。仕事に行ったのだろう。
体を起こし、床に置いたままだったLunarをケースにしまおうとした時。
ギターケースの上に、一枚のルーズリーフが置かれているのに気がついた。
『音の魔術師へ。上手くなったな。いつでも来いよ』
──上手くなったな。
上手く、なってるんだ、俺。
たまらなく、嬉しかった。
嬉しさの余韻に浸りながら、先ほどのルーズリーフに目をやると、ポエムのような一文が添えられていた。
『選ばれない月は、太陽を閉じ込める』
「……太陽を、閉じ込める?」
俺は寝ぼけ眼で、そのルーズリーフを食い入るように見つめた。この中二病くさいポエムは一体なんだ。コーちゃん、いまでも中二病から抜け出せていないのか? はたまた、歳食ってついに頭のネジでも飛んだのか?
いくら考えても、この言葉が意図するものの正体について、全く想像がつかなかった。意味不明なメモに首を傾げながらも、俺はそのルーズリーフを四つ折りにし、ギターケースのポケットの奥深くに突っ込んだ。
考えても仕方ない。徹夜でギター弾き続けたんだ。叔父も深夜テンションのノリで書いたんだろう。
荷物をまとめ、静まり返った聖域に小さく「お邪魔しました」と呟いて、アパートを後にした。鍵は植木鉢の下に置いといたらいいって言ってたけど……ここ東京だよね? 大丈夫?
とはいえ、言われた以上はそれに従うしかない。もし泥棒に入られても俺は悪くないぞ、っと。
新幹線までは時間がある。東京の楽器店に行ってみよう。面白い機材あったらいいな。
えーっと、どこだったっけ。お茶の水、だったかな──
東京のうだるような暑さの中、俺の頭の中はやはり、音楽のことで埋め尽くされていた。




