4-7
あの『地獄の合コン』の翌月。
未だ心の傷が少しも癒えないというのに、高専ではうだるような暑さと共に、前期末試験があっという間に終わり、待ちに待った夏休みがやってきた。
俺は蝉の鳴き声がコンクリートの校舎に反響する地元を離れ、新幹線に乗り込んでいた。
冷房の効いた車内で、窓の外を高速で流れていく景色をぼんやりと眺める。
向かっているのは東京。
中3の文化祭でどうしようもない挫折を味わった俺を救い出し、エフェクターという魔法と、音作りの基礎を叩き込んでくれた恩人──叔父の住む街だ。
あの文化祭の後、俺が高専に進学してから一度も会っていなかった。およそ二年ぶりの再会になる。
膝の上に置いたギターケースの中には、相棒のギター『Lunar』が眠っている。この二年間で、俺がどれだけ音楽と真剣に向き合ってきたか。言葉ではなく、俺の奏でる音で証明したかった。
……俺は、上手くなれたのだろうか。
新しい曲を覚え、ライブで披露し、歓声は浴びたが、元来の弱気な自分はたびたび顔をのぞかせる。
自分が上手くなった自信なんて、どうしたら持てるのだろう。難しい曲が弾けるようになった時も、音響の理論がステージにバチッとハマった時も、喜びはあれど上手くなった、レベルが上がった自信にはならなかった。
だからこそ、叔父に今の俺を聴いてもらって評価してもらいたい。
新幹線を降り、まとわりつくような熱気と人混みを掻き分けて、記憶を頼りに東京の電車を乗り継ぐ。宇部に住んでると公共交通機関なんて使うことがないので、駅探しに路線探し、乗り換えにはとにかく迷った。
やっとの思いで着いた上石神井駅。この時点で体力は尽きかけていた。
アスファルトから照り返す熱気に残り少ない体力を削られながら、30分歩いた先にあるとんでもなく古いアパート。
初めて来たが、これは……なんというか。
大きな木の看板には『篠山荘』と書かれている。〇〇荘なんて、地元でも見ないぞ。アパート名といえば、ドゥエラ〇〇とか、サンコーポ〇〇とかのイメージしかない俺にとって、この名前はカルチャーショックだ。建物の古さも相まって。
確か叔父の家は……ここだ、A-2号室。
インターフォンを鳴らすが、壊れてるのか音が鳴った気配はない。
「……コーちゃん、いるー?」
少し緊張しながら待っていると、しばらくして中から足音が聞こえ、ガチャリとドアが開いた。
「おー、真太郎じゃん! 無事に着いたんだ。つーか金髪!」
「ロックといえば金髪、でしょ?」
「分かってるねー! 俺は染めてないけど。まあ上がりなよ」
家でも綺麗な柄のシャツをを着た叔父は、煙草の煙を吐き出しながら部屋に入る。俺もついて中に入り、扉を開けると──
「うわー…… すっげー……」
部屋に入ってまず目に入ったのは、左右に鎮座するアンプ。
真ん中には20、いや、30本はあろうかというギター。どれも年季が入ったヴィンテージだ。使い込めれて塗装のはげたもの、長年ピックに削られて傷だらけのピックガード、どれも雑誌で見たプロの楽器のような、仕事をしている痕跡がある。
そして足元にはたくさんのエフェクターとケーブルが、生物の神経のように張り巡らされている。GTS-5も現役で使われているようで、メモがびっしりと貼り付けられていた。
「ここに来たのは初めてだもんな、すげーだろ?」
「なんて言えばいいのか……俺もこんな部屋に住みたい」
「そっかー! わかるかこの良さ!!」
「うん、アンプが左右に2台あるのは──」
「まあ待て、まずは麦茶でも飲めよ」
「ありがとー……もう限界……」
麦茶を飲みながら、Lunarの入ったケースを丁寧に床へ下ろし、叔父と向かい合って座った。叔父は灰皿に煙草を押し付け、興味深そうに俺のギターケースを見つめた。
「姉ちゃんから聞いてるよ、真太郎。この前ライブやったんだろ?」
「あー、母さんから聞いたんだね。うん、夏祭りのステージで」
「それって駅前のやつだろ? 俺も昔出たんだよそのステージ」
「マジで!? 知らなかった……」
「お前が生まれる前だからな、そりゃ知らないよ」
まさか叔父と同じステージに立って、ライブをしていたとは。世間は狭いな。
一緒に演奏したわけじゃないけど、時間を超えて同じステージに立っていたということが、たまらなく誇らしくなった。
「それで真太郎、あれからどうだった?」
「そうだなー、話すと長いんだけどさ……」
俺は、この二年間で起きたことをゆっくりと語り始めた。
高専でオーディオ部と吹奏楽部に入ったこと、オーケストラの音響構築、とある先輩の理不尽に心が折れかけたこと。
ボーカルがいなかったことに気付かず、後輩と頭を抱えたうちのバンド。
そして、三谷先輩が連れてきたあのボーカル――吉田先輩の歌声に驚愕し、ついにメンバーが揃いライブに出た『ZERO SOUND』の話。
「あの会場の音響設備が最悪でさ、最低限の機能しかないPA卓に、あんまりに貧弱なスピーカーが二つだけ。野外だから音の反響もない。普通に音を出せば、ただ音が散って消えてしまうような環境だった」
「……で、真太郎はどうしたんだ?」
叔父が、口元に笑みを浮かべて先を促す。
「全員の機材をセッティングして、空間の周波数を支配した」
俺は、あのステージ上で構築した音響理論を、叔父に答え合わせをするように語った。一通りの音響構築を説明し、そこで一度言葉を区切る。
思い出すだけで鳥肌が立つ、あの吉田先輩の全てを支配する歌声を思い出しながら。
「音を引いたんだ。主役の座を降りて、果てしなく広がる空を作った。……ボーカルの、あの天使の歌声が、空間の全てを支配できるように」
俺の話を聞き終えた叔父は、ゆっくりと立ち上がり、部屋の隅にある小さな冷蔵庫からコーラを取り出してプシュッと開けた。
そして、深く頷いた。
「……『引く勇気』を、覚えたな」
「引く……勇気?」
「ああ。バンドマンってやつはどうしても、自分の音をとにかく目立たせようとする。アンプのボリュームを上げ、中音域や高音域を無駄に持ち上げ前に前に音を押し出す」
頭に思い出したくない人物の輪郭が浮かぶ。
「その結果どうなるか。全員の音が帯域同士ぶつかり合って、周波数のスペースを全て塗りつぶしちまう。そうするとどうだ、ボーカルの居場所は完全になくなるよな? つまり、楽器の音がボーカルを完全にかき消して潰しちまう。そうしてできるものは、ただの騒音の塊、音楽なんて言えないゴミだ」
叔父はこちらを振り向き、ビールを一口飲んで続けた。
「だけどな、プロは……いや、プロ以外でもいるが、本当に空間を支配できる奴は、ボーカルや他の楽器が居座れる帯域を理解して、そこに自分の音が被らないように、あえて自分の音を『引く』ことができるんだ。自分が前に出るんじゃなく、他人が輝くためのスペースを音響的にデザインする」
叔父の言葉は、俺が手探りで辿り着いた感覚を、完璧な言語として定義してくれた。
「自分が主役を降りることで、結果的にバンド全体を支配する。……真太郎、お前、立派な音の魔術師になったじゃねえか」
「なっ! なんでそのあだ名を……」
「姉ちゃんだよ」
「母さん……ホント余計なことを……」
「心配してたんだよ」
え、心配?
どういうことだ?




