4-2
翌日の放課後。
部室でスネアのメンテナンスをしていた三谷先輩は、深くため息をついた。
「……俺、嫌われたのかな」
普段の豪快なドラマーからは想像もつかない、弱々しい声。
「もしかして……勝手に『付き合ってる』って公言しようとしたの、嫌だったのか……? 吉田はもしかしたら、隠れてひっそり付き合いたかったのかな……」
肩を落とし、スネアのボルトを無意味に締めたり緩めたりしている。
見かねた俺は、ギターの弦を張り替えながら口を開いた。
「嫌われてるわけないじゃないですか。あの野外ライブの後、ヤンキーに囲まれて怯えながらも、一直線に先輩の腕の中に逃げ込んだ人が、先輩のこと嫌いなわけないでしょ」
「そうかなあ……」
「そうっすよ!」
金谷が強く同意する。
「吉田先輩、ただ恥ずかしすぎてどう接していいか分かんなくなってるだけっす。ほら、女子ってそういうとこあるじゃないですか!」
少女マンガで勉強したのか、金谷は得意げに男と女の恋愛論を展開する。
本人に経験があるのか、はなはだ怪しいものだ。
「……そ、そうかな?」
「三谷先輩、付き合って何年経つんです? 先輩たちの絆って、そんな簡単なことで壊れるほど脆くないですよ」
鈴森も少女マンガの主人公みたく輝いた瞳で、とんでもなくかっこいいことを言う。
こいつも経験があるのかは怪しいが……金谷よりは可能性がありそうだ。真面目だし、言葉も丁寧だし。
「絶対二人きりで話した方がいいです。……このままじゃ俺たちも練習に集中できませんし……さあ、いきましょう先輩!」
俺が半ば強引に背中を押すと、三谷先輩は顔を上げ、決意を固めたように立ち上がった。
「……わかった。ちょっと文芸部に行って、吉田捕まえてくるわ」
三谷先輩が部室を出て行った後、俺たち三人は「よし、お膳立ては完璧だな」と頷き合った。
数分後、抵抗する小動物を捕獲したような状態で、顔を真っ赤にした吉田先輩を連れて三谷先輩が戻ってくる。
「じゃあ俺ら、ちょっと購買でジュース買ってきますんで!」
「一時間くらい戻りませんから! ごゆっくり!!」
俺たちはわざとらしく大声を出し、部室からそそくさと退出した。
ドアを閉める直前、三谷先輩が「お前ら、サンキュな」と口パクで伝えてきた。
もちろん、本当に一時間も離れるわけがない。
俺たち三人は、部室のドアから少し離れた廊下の角に身を潜め、息を殺して中の様子を窺っていた。
悪趣味だとは思うが、バンド崩壊の危機である。見届けないわけにはいかない。いや、むしろ見届けたい。
……決して、よこしまな気持ちではないんだ。
部室の中からは、小さな声が漏れ聞こえてきた。
「……ごめん、吉田。俺が勝手に付き合ってるって言いふらしたから、嫌だったか?」
三谷先輩の、どこまでも優しく、少し不安そうな声。
「そ、そうじゃないの……!」
吉田先輩が慌てて否定する。
「そうじゃない……本当に、すっごく、嬉しかった……。三谷くんが、私のこと彼女だって言ってくれたの、すっごく嬉しかったんだよ。でも……」
「でも?」
「……私、地味だし、人見知りだし……文芸部でずっと妄想してるような女だし。三谷くんの隣にいる資格なんて、本当はないんじゃないかって……」
彼女の極度の自己評価の低さが、ここで爆発していた。
最後の妄想癖については、やめてとは言わないけど……俺たちを、いや、無理なら俺だけでもネタにするのはやめてくれたら……。
「学校のみんなが噂してるのを聞いてると……私なんかが三谷くんの彼女だなんて、三谷くんがみんなに笑われるんじゃないか、バカにされるんじゃないかって、怖くなって……」
俺たちは廊下の角で、胸を痛めた。
彼女のそのネガティブな感情は、痛いほど理解できた。圧倒的なボーカルの才能を持ちながらも、本質は臆病で自信のない少女なのだ。
だが、三谷先輩は。
「吉田。俺はさ……」
静かな、しかし力強い言葉が響く。
「吉田のこと、どれだけ好きか、普段から口にしないから……もしかしたらさ、お前を不安にさせてるのはそのせいなのかもしれないな。ごめん」
「そんなことないよ! 三谷くんの気持ちはちゃんと分かってる」
「小3からずっと一緒にいて、お前の歌のためにドラム叩いてきて、練習を重ねるお前の歌に誰よりも惚れ込んで惹かれ続けてる俺が、いまさら他の奴らの目なんか気にしないから」
「三谷、くん……」
隣を見ると、鈴森が俯いてる。
まさか……
「はっきり言うけどさ」
三谷先輩の声が、熱を帯びる。
「お前は可愛いよ、世界中の誰よりも」
金谷が俯く。
あ、だめだ。
俺も俯く。
「お前が可愛くないなんて言う奴がいたら連れて来て。無理なら誰か教えて。そいつがちゃんと理解するまで何時間でも、吉田の可愛いところ説明し続けてやる」
「それは……しなくていいけど」
「お前はさ、俺の世界でたった一人のボーカルで、誰にも代わりなんてできない、唯一の彼女だ」
「……」
「……だから、もう下向いて生きるのやめよう」
廊下で聞いていた俺たちは、同時に天を仰ぐ。
三人の目元は、少しだけ濡れていた。拳を天に突き上げ、涙を拭う。
三谷先輩、いやアニキ! 俺たちは一生アニキについていく!!
そんな俺たちの感動などつゆ知らず。
部室の中、少しの沈黙の後に。
「……う、うわああぁぁん! 三谷くぅぅぅん!」という吉田先輩の号泣と、何かを強く抱きしめるような衣擦れの音が聞こえてきた。
「よしよし。もう大丈夫だから。……って、おい! 俺の制服で鼻水拭くなあああ!!!」
「だっでええぇ……ずびっ……嬉じがっだんだもん……!」
金谷、鈴森の肩を叩き、俺たちは立ち上がる。
これ以上は蛇足、俺たちは静かに去るべきだ。
音を立てないように、購買へと向かう。




