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駅前公園での野外ライブから数日後。
俺たちの通う高専は今、夏休み前の浮き足だった空気に包まれ、クラスのみんなで海水浴に行くだのバーベキューをしようだのといった話題で持ちきりだ。
そんな中、さらにこの空気を浮つかせる、ある一つの『特大の噂』が囁かれていた。
「おい、聞いたか? オーディオ部の三谷先輩、彼女いるらしいぞ」
「マジで!? あのゴリラみたいにドラム叩く人だろ!? 相手誰だよ」
「文芸部の、おさげでメガネの……図書委員の吉田先輩」
「はああああっ!? あの美人でおとなしい吉田先輩!?」
学生食堂でも、実習工場でも、はたまた自動販売機の前でも。
その噂は聞かない日がなかった。
高専は男女比率が6:4と、工業系の学校にしては多い方だと思うが、夏休み前の恋愛沙汰に飢えきった空間において、この手の噂が広まる速度は異常だ。
そもそも三谷先輩は、ドラムのキャリアも長く、腕は言わずもがな、高専祭でのライブステージで毎年活躍しているのだから、当然校内では有名だ。
そんな有名人の三谷先輩が、先日のオープンステージで『天使の歌声』を響かせた圧倒的なボーカルでありながら、普段は図書室でひっそりと息を潜めている文学少女、吉田咲希と付き合っているとなれば、校内が大騒ぎになるのも当然である。
あの野外ライブの直後。
全ての演奏を終えて撤収した時、武田が呼んだギャルやヤンキー、ジジババといった観客たちが、吉田先輩を囲んで熱烈な賛辞を送っていた。
しかし吉田先輩は極度の人見知りである。そのおっかない風貌、今まで食らったことのない歓声を惜しみなく自分に向ける集団に耐えきれなくなり、涙目で三谷先輩の腕にすがりつき、「三谷くん……こわい、ヤンキーこわいよぉ」と泣きついていたのだ。
その姿は、誰がどう見ても『ライブ直後の熱気の中、人目もはばからず密着してイチャつくカップル』にしか見えないわけで。
その光景を遠巻きに見ていたうちの学生たちにとっては、有名人のスキャンダルにしか見えなかったらしい。
「……というわけで、学校中が先輩たちの関係に興味津々ですよ。せーんぱい!」
放課後のオーディオ部室。
俺はパイプ椅子に深く腰掛け、部室の真ん中でドラムパッドを叩いている三谷先輩に向かってニッコニコで報告した。
傍らでは、金谷と鈴森が「いいっすねぇ、青春っすねぇ……」と、クラスの女子に借りたという今流行りの恋愛マンガを読みながら三谷先輩を見つめている。
お前ら、それあとで俺にも貸して。
「いやー、さすがにバレるか。あっはっはーーー!」
三谷先輩はいつもの調子で、ドラムスティックで後頭部を掻きながら豪快に笑った。
「別に隠してたわけじゃないからさ。まー俺としては、吉田と付き合ってるって学校中に知れ渡るくらい、全然ウェルカムだし」
「おおー、この機会に公言するんですね!」
恋愛マンガにどっぷり浸かったままの鈴森が目を輝かせる。
「そりゃそうよ、だって小6からの付き合いだし。吉田が隠したがってるから黙ってたけど、俺は元々『小6の頃から付き合ってるよ』って言ったってよかったんだよ。悪いことしてるわけじゃないし、なんの問題もないじゃん」
分厚い胸板を張り、堂々と宣言する三谷先輩。
小学生からの純愛を貫き、一切の照れもなく彼女を誇るその姿は、男から見ても素直にカッコよかった。
「うおおおっ、三谷先輩マジ男っす! いや漢っす!!」
金谷が拍手喝采を送る。
「ですよね! 変に隠すより、堂々としてる方がカッコいいですよ! 俺も彼女できたら絶対そうします!!」
俺たちがそんな馬鹿話で盛り上がっていた、その時だった。
「……み、三谷、くん……」
開けっ放しになっていた部室のドアの隙間から、消え入りそうな声が聞こえた。
全員が振り返る。
そこには両手で文庫本の束を抱きしめ、顔を熟れたりんごのように真っ赤にした吉田先輩が立っていた。
どうやら今の三谷先輩の「付き合ってるよって言ったって〜」という言葉を、ばっちり聞いてしまったらしい。
「お、吉田。ちょうど良かった。今山谷たちに……」
三谷先輩が笑顔で手を差し伸べた瞬間。
「うひゃあっ!!」
吉田先輩は鼓膜を破るような短い悲鳴を上げ、クルッと踵を返すと、猛烈なスピードで廊下を駆け出していった。
それは、文学少女のそれとは到底思えない、まさに天使の羽ばたきのごとき速さだった。
「おい吉田ーーー! どうしたあっっ!?」
三谷先輩が慌ててドアの外に出るが、すでに彼女の姿は廊下の角に消えていた。
残された俺たち三人は、顔を見合わせた。
「恥ずかしさが限界突破したっぽいねー」
「っすね」
俺と金谷が真顔で頷く。
三谷先輩は「なんで逃げるんだよお……」と、呆気に取られたような顔で廊下の向こう側を見つめ立ち尽くしていた。
それから一週間。
吉田先輩の逃走スキルは、レベルがカンストどころか限界突破していた。
昼休み、学生食堂で三谷先輩が吉田先輩の姿を見かけた瞬間、お盆に持っていたうどんをこぼさぬように絶妙なバランスを取りながら、目にも止まらぬスピードで回れ右をして文芸部の部室へと逃げ込んだ。
放課後、オーディオ部の部室に向かおうとする三谷先輩と渡り廊下ですれ違いそうになると、咄嗟に近くにあった掃除用具入れの中に身を隠した。
……メガネが隙間からはみ出ており、バレバレだったが。
彼女は彼女なりに、学校中に噂が広まったことと、三谷先輩の堂々とした宣言が嬉しさと恥ずかしさのキャパシティを超え、完全にショートしてしまったのだろう。
決して嫌だったわけではなく、むしろ好きだからこそ避けてしまう思春期特有のアレだ。
だが、避けられ続けている側の三谷先輩は。
徐々に元気を無くし、心なしか筋肉さえも萎んでいるように見えた。




