3-10
持ち時間にしてわずか20分弱、それでも全員汗だくになり、息も切れ切れな中、ZERO SOUNDの初ライブは終わった。
数秒の空白。
やがて──パラ、パラとまばらに響き始めた拍手は、瞬く間にうねりを伴った大歓声と指笛に変わり、野外ステージを大きく揺らした。
「うおおおおおっ!! すげえええええ!!」
「アンコール! アンコール!!」
「マジですげー音だった!!」
──ステージの熱気が嘘のように、心地よい夜風が汗ばんだ肌を撫でる。俺は大きく息を吐き出しながら、愛機Lunarのネックから手を離した。
首にかけたタオルで汗を拭いながら横を見ると、金谷と鈴森が肩で息をしながら、焦点の定まらない目で客席を見下ろしている。三谷先輩は満足げにスティックを放り投げ、吉田先輩の左側に体を預ける。
そして、つい数秒前まで、悪魔を屠るような慈愛と破壊の入り混じった天使の歌声で、観客の命を削り取っていた絶対的な支配者は。
「ありがとうございました……」
と一言だけ観客に告げると、肩で息をしながらマイクスタンドを置き、投げ捨てたメガネを拾い、髪を結い直し──
さっきまでの姿が嘘のように、元の猫背でおどおどした、いつもの文芸部スタイルに戻る。
この落差……知っていても毎回脳が理解を拒絶するんだよなあ。
「よーしお前ら! 挨拶して撤収だー!!」
三谷先輩の号令で、俺たちはステージの前に並び、深く一礼した。
湧き上がる歓声と拍手。
こんな最悪の音響でも、俺たちは見事に空間を支配し、観客の心をさらっていった。
機材の片付けを終え、ステージ裏-の階段を降りる。
達成感と疲労感がないまぜになった、音楽を知る者だけが味わえる至福の瞬間。
ふと前方に目をやると、ステージを降りた先に黒山の人だかりができているのが見えた。
最前列でヤジを飛ばしていた武田のギャル友達連中。焼きそばを片手に持った地元の中高生たち。さらには、ゲートボール帰りかと思われるおじいちゃんとおばあちゃんの集団までが、目をキラキラさせてこちらを待ち構えている。
──まいったな、来てしまったのか。
歩きながらも自然と口角は上がる。それを止めるだけの理性は残っていなかった。
空間を支配した俺の音響理論。一条の光となって空気を貫いた俺のリードギター。あの最悪の環境をひっくり返した金髪のギタリストの雄姿に、観客たちは心を奪われたに違いない。
(ふ、ふふふふふ……ついに俺にも、ファンってやつができてしまったというのか)
サインの準備なんてしていないが仕方ない。その代わり、握手と、気の利いたコメントぐらいならいくらでもしてやろう。音楽雑誌をボロボロになるまで読み込み暗記した、SUGIZOのインタビュー記事にある数々の名言。俺が言ったってことにしてもバレないだろう。
そうだ、俺のギターに惚れたんだ、ピックの一枚でもプレゼントすれば、あの中高生たちは一生の宝物にするだろう。
いや、待てよ。あのギャル連中が「金髪のギターの人、超イケてたよ! 連絡先教えてー!」なんて群がってきたらどうする?
いやいや、俺はあくまで音楽に身を捧げ、ロックの神を信奉する求道者。女遊びにかまけている暇はない。ここはクールに、「ごめんね、俺の恋人は……このECLIPSEだけなんだ」なんて言ってかわすのが一番カッコいいんじゃないか?
俺は前髪を軽く手で払い、この世の全てを悟ったような、最高にアンニュイでクールな表情を作り上げた。
昨日の夜まで鏡の前で数え切れないぐらい練習を重ねた。
すでに俺の表情筋は掌握済みだ。
さあ来い、俺のファンたち。
押さないでくれ、真太郎は逃げないぞ。
足を踏み出し、歓声を上げる群衆の前に躍り出た、その瞬間。
「きゃああああ!! お姉さまあああああ!!!」
「ボーカルすげええええ!! マジで感動したっす!!」
「あんた、ええ声しとるねぇ。美空ひばりみたいやったわぁ」
群衆は、最高にクールな表情を作って待ち構えていた俺の脇を、まるで俺がここに存在していないかのように完全スルーし駆け抜け、俺の後ろ、三谷先輩に寄り添うように歩いていた吉田先輩の元へ、一斉になだれ込んだ。
「ひええええっ!? な、なに!? 近い、みんな近いよおおおっ!?」
「吉田やったなー! お前にもファンが……俺は……俺は嬉しいぞっっ!!」
わー、おとこなきがさまにになっててかっこいいなー、みたにせんぱい。
「姐さん! マジで最初あなどってました、すんませんっした!!」
ギャルの一人が、吉田先輩の手を両手でガッチリと握りしめて頭を下げる。
「いや、あ、あの、ヤンキーこわい、ごめんなさい……!」
「お姉さま! 普段は大人しいのにステージだと豹変するギャップ、最高すぎます! 私と結婚してください!!」
「結婚!? わたし、み、三谷くんっていう心に決めた人が……あわわわわ!」
「お嬢ちゃん、これ、お祭りの福引きで当たったティッシュボックスや。持って帰り」
「ティッシュ!? あ、ありがとうございます、大事に使いますぅぅ……!」
ヤンキー、中高生、さらには老人会まで。
老若男女問わず、全ての人間が吉田先輩という天使に心を奪われ、熱烈な賛辞と供物を捧げている。
そこには、音響の魔術師の姿を探す者も、一条の光を放ったリードギタリストの姿を追いかける者もなかった。
俺は、中途半端に前髪を払ったポーズのまま、初夏の生ぬるい夜風に吹かれて完全に石化していた。
俺の……俺の初ファンは……?
あの、「金髪のギターの人カッコいいー!」っていう黄色い歓声は……?
……ボーカルだけじゃねーかァ!!!
これが、バンドの現実。
どれだけ楽器隊が完璧な壁を作ろうが、どれだけ裏方として音響を計算し尽くそうが。一般の観客の目と耳に一番届くのは、いつだってステージのド真ん中で歌い上げるボーカルなのだ。
そう、俺たちZERO SOUNDは、例えるならば『吉田せんぱいと愉快な仲間たち』なのだ。
分かってはいた。理解ってはいたが……
ここまであからさまに楽器隊が空気扱いされると、さすがに涙が出てくる。
「……っくくく。あっははははははははっ!!」
石化している俺の耳に、腹の底から絞り出すような、遠慮のない爆笑が飛び込んできた。
視線を向けると、少し離れた自販機の前で、プラスチックのコップを持った武田が、腹を抱えて笑い転げていた。
「な、なんだよ……笑うなよお」
「いや、だって……あはははっ! あんたの顔! 今、完全に『俺にファンが群がってくるぜ』ってキメ顔で待ち構えてたんでしょ!? なのに全員スルー! マジで最高! 今日イチで面白いんだけど!!」
「ち、違う違う! 俺はただ、風向きを確認してただけで……!」
「はいはい、風向きね風向き。金髪が風に揺れて秋の草原みたいだったねー。あーお腹痛い」
目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら、武田が俺の隣に歩み寄ってくる。
そして、コップに入った冷たいお茶を、俺の頬に遠慮なしに押し当てた。
「ひゃっ!? 何すん──」「ほら、お疲れ。機材運ぶのって汗かくんでしょ、飲みな」
「あ、ありがと……」
俺がコップを受け取ると、武田は群衆に揉みくちゃにされている吉田先輩たちを眺めながら、ふっと表情を和らげた。
「あんたのギター、悪くなかったよ」
武田の言葉に、俺は思わず目を丸くした。
「最初、あのスピーカー見た時は『うわ、町内会のカラオケ大会かよ』って思ったけどさ。あんたがステージ走り回ってなんか機械イジり出したら、急に音がデカい塊みたいになって飛んできたじゃん」
「……」
「あれ、あんたがやったんでしょ? 素人のアタシでも分かったよ。あー、こいつがこの音を全部作ってるんだなーって」
照れ隠しなのか、武田はそっぽを向いたまま、爪先で地面の砂利を蹴飛ばした。
「……まあ、ボーカルの先輩が凄すぎて、最後の方はあんたのギターの音なんて完全に忘れてたけどね!」
「一言余計! 素直に褒めてくれよ今日ぐらい……」
「無理無理! ちゃんとオチもつけなきゃ面白くないじゃん!
んじゃアタシ、友達呼んでくるから。たこ焼きの準備しときなさいよ子分1号!」
武田はケラケラと笑いながら踵を返す。
金髪が舞い、吉田先輩に群がるギャル連中の方へと走っていった。
「ほらあんたたちー! ボーカルの先輩困ってるじゃん。速やかに離れろー!」と武田の怒声が響く。
なんだかんだ言って、ちゃんと見てくれてるじゃないか。
俺の作った音の壁。俺の計算した空間。
それがたった一人にでも伝わったのなら、俺は本望だ。
……俺自身に、ファンは一人もできなかったわけだが。




