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翌日、俺は学校で一番マセていた──すでに整髪料の匂いをさせ、休み時間に『BANDやろうぜ』を読んでいた同級生の中島を捕まえ、頭を下げる。
「中島、LUNA SEAのCD持ってたよね。貸してくれない?」
「や、山谷!? お前、しゃべれたのかよ!」
「あー、ごめん……でも頼む……CD貸して……」
今まで何も興味を持たなかった、空っぽの人間だった同級生が、一晩で豹変した時、誰もが戸惑いうろたえるはずだ。
マセている上に、学年の半分以上が友達と豪語する社交的な中島も、それは例外ではなかったようで、声には若干の恐怖も混じっていたかもしれない。
「わかった! わかったから!! 何があったかは聞かせてくれって」
俺は昨日、テレビで見たLUNA SEAの音に衝撃を受けた話を中島に話した。途中で熱がこもりすぎて、中島が恐ろしいものを見るような目になっていたのさえ気付かずに。
一通りの話を聞き終わるや否や、中島は俺の手を掴み、ぶんぶんと振り回した。
「なんだよ! お前もLUNA SEA好きになっちゃったのかよ! 早く言えよー!!」
「うん、だから今話した……って、そんな振り回されたら腕痛い……」
聞けば中島の彼女は、LUNA SEAボーカルのRYUICHIにご執心とのことだ。
デートの間もRYUICHIの話をする彼女。当然のように中島はヤキモチを焼いて、もうRYUICHIの話はしないでと彼女に懇願したらしい。
そんな彼女は、あろうことか中島にCDを貸して布教したとのことだ。
中島、大変な彼女を持ったな……。
そして、彼女の作戦は非常に効果的だったようで、今は中島の方がLUNA SEAにハマってしまったと言うことらしい。
──中島、心配になってきたぞ。
そのまま休み時間が終わるまで、中島はLUNA SEAを語りに語った。
そして俺は翌日、念願だったLUNA SEAのCDを借りることができた。
放課後が待ち遠しい。早く聴きたい。
俺の心臓はずっと早鐘を打っていた。
帰宅するなり父さんの部屋に鎮座するCDラジカセにCDを突っ込み、まっさらのカセットテープにダビングする。誤って上書きしないように、プラスチックのツマミを折った。
それからというもの、俺の生活は一変した。
夜、家族が寝静まった後。
布団を頭から被り、ウォークマンもどきの安いポータブルプレイヤーにイヤホンを挿す。再生ボタンを押し込むと、「サーーー」というテープ特有のヒスノイズの奥から、あの分厚い音の壁が、ギターの狂ったような叫びが鼓膜に雪崩れ込んでくる。
テープが伸びて音が揺れ始めるまで、それこそ文字通り、擦り切れるまで俺は狂ったようにリピートし続けた。
ボーカルの歌声なんてどうでもいい。
ただ、後ろで鳴り続けている凶暴なギターの音の正体が知りたい。どうやったら、こんな空気を引き裂くような音が出せるのか。
「……俺も、これが弾きたい」
暗闇の中で、擦り切れたテープのノイズを聴きながら、俺は確信に近い衝動を抱え込んでいた。
「真太郎、コーちゃんからギターの資料きたよ」
「ありがと母さん、早く見せて」
「最初の1本は私たちで買ってあげるからね。一番欲しいものを選ぶのよ」
始まりの日から一週間。
各メーカーの、エレキギターのカタログが届いた。
届いたカタログを食い入るように読み込み、たくさんの資料をめくっていく。
そして、あるページを開いた俺は、資料に釘付けになった。
そこに映っていたのは、あのギタリスト。名前はSUGIZOと書かれていた。
そして、あの日弾いていたSUGIZOのギターが、カタログに載っていたのだ。
「母さん……これが欲しい」
「えー、もう決まったの? 早いねー……って! これは絶対無理!!」
「……え? なんで……?」
「値段見て! 値段!!」
そこに書かれていた価格。
330,000円。
「真太郎……33万って、この冷蔵庫が買える金額なの。さすがにそれは高すぎよ」
「えー……」
結局、母さんとカタログを見ながら、これでいいじゃないのと半ば勝手に選ばれた『初心者向けストラトキャスター・入門2万円セット』を購入した。
セットにアンプは含まれなかったので、母さんの知り合いから「もう使わないからあげるよ」と譲ってもらった。
……SUGIZOの背中に立ってたアンプよりはずいぶん小さいけど、これであの音が出せる。
アンプが届いた日、綺麗に拭き掃除をしてピカピカにした。そして、さらに数日。ついにギターが届いた。
学校から帰ってきて、部屋の前に大きな段ボールが置かれているのを見た瞬間、すぐに部屋で開封し、届いたものに不足がないか確認する。
チェックはもういい。
すぐに弾きたい。SUGIZOのようなかっこいい音を出したい。
だが、ギターをアンプに繋ぎ、初めて鳴らした瞬間。
「え……?」
あの衝撃は忘れない。
ペラペラで、ひたすら耳障りな高周波。まるで蚊の羽音をマイクで拾ったような、テレビのノイズの方がいくばくかマシだと思うほどに貧相な音だった。
「なんでだ……こんなのROSIERで聞こえる音じゃない」
自分の腕がないから、とはカケラも思わなかった。
そうして知識のない初心者は、とんでもない暴論に行き着く。
「……形が違うからだ。SUGIZOが使ってるのと同じ形じゃなきゃ、あの重低音は出ないんだ」
無知な13歳は、出音のすべてを機材のせいにした。
俺はリビングへ駆け込み、両親に土下座をして『来年のお年玉の前借り』という中学生にとって最大の禁じ手を使い、無理やり資金を捻出させた。
そして数ヶ月後。
せっかく資金を捻出してECLIPSEを買いに行こうとしたが、宇部市の楽器店にはどこにも置かれていなかった。もし取り寄せるとなると数ヶ月以上かかる。
そんなに待てないと両親に泣きついたところ、叔父に東京で買っておいてもらい、正月の帰省に合わせて届けてもらうことになったのだ。
もちろん、SUGIZOが構える33万の本家『ESP』には到底手が届くはずもなく、小遣いと借金を絞り出したとて買えたのは廉価版の『Grass Roots』のECLIPSE。
それでも、LUNA SEAのリードギター、SUGIZOの持つそれと同じ、鈍い輝きを放つ黒いギターは間違いなく俺の真の武器になる。
「真太郎、明けましておめでとう。新しいギターだぞ」
コーちゃんが俺にギターを手渡す。
当時30代前半。18で東京へ出て、プロからの誘いを蹴り飛ばし、今も東京の地下深くでギラギラとギターを鳴らし続けているという、親族における『生きた伝説』。母さんからはいつも「ちゃんと食べてる?」「音楽の調子はどう?」と、手のかかる弟として扱われている。
着古した革ジャンからは、ライブハウスの酒とタバコが入り混じった独特の匂いがした。
「明けましておめでとう、それと、ギター届けてくれてありがとうコーちゃん……今から弾いてくる」
「おう、楽しんできな」
「おかえりコーちゃん、ギター重かったでしょ?」
「車で帰ってきたから大丈夫。それより姉ちゃん、また太った?」
「あんた……帰ってきて早々いい度胸じゃない……ところで、その黒いケースは何?」
「まあ、秘密兵器ってとこだよ──」
背中に姉弟の会話を聞きながら階段を駆け上がり、部屋に飛び込む。
すぐにECLIPSEをアンプに繋ぎ、震える手でピックを握りしめた。
『ROSIER』のイントロ。
俺は今から、あの音の壁をここに作り出す。
SUGIZOのように思い切り、弦をピックで切り裂いた。
──しかし、スピーカーから吐き出されたのは、初心者向けギターで出した音と幾分も違わない、ひたすら耳障りでノイズまみれの、輪郭の薄れた音。
焦ってアンプのゲインのツマミを最大まで回す。だが、歪めば歪むほど音の輪郭は潰れ、ただ安っぽい金属片が擦れ合うような無残なノイズが部屋に響くだけだった。
「……なんで……?」
ギターを買い替えても、何も変わらなかった。
もしかして、ギターのせいじゃないのか?
もしかして、弾く人でギターの音は変わるのか?
手に入れたばかりの相棒がただの重たい木材に思えて、絶望で目の前が真っ暗になった。
その時。
「そりゃ真太郎、機材の使い方を知らないからだ」
コーちゃんはそう言いながら部屋の前にいた。
「まずはアンプを使えるようにならないと、何年経ってもいい音は出ないんだ」
アンプの前にしゃがみ込み、迷いなくツマミをいじり始める。マックスまで上がっていたゲインを半分以下に削り落とし、代わりに中音域のツマミを少しだけ押し上げる。
コーちゃんは振り返り言う。
「いいか。お前がCDで聴いてる音ってのはな、ギター単体の音じゃない。ベースの重低音、ドラムのシンバルの高音、ボーカルの真ん中の声。その全部の『周波数』がパズルみたいに綺麗に組み合わさって、初めてあの『音の壁』ができる」
……さっぱり何を言ってるのかわからない。
コーちゃんは俺のギターを手に取ると、ピックも使わず指で軽くコードを鳴らした。
さっきまでの耳障りな雑音が嘘のように、かっこいいギターの音に変わる。
「え……なにこれ……?」
「弘法筆を選ばず、って言うだろ。例えば高級なアンプを何も考えずにフルテンにしても、単体ならいい音に聞こえる。でもそこに、ボーカル、ベース、ドラム……他の帯域とぶつかって音が濁る。猛獣を放し飼いにするんじゃない。周波数の檻を作って、一番響く特等席に座らせてやるんだよ。本家のVSPだろうが廉価版のLunarだろうが、『帯域』の棲み分けさえ知ってれば、機材なんていくらでも化ける」
「待ってコーちゃん、フルテンって、周波数ってなに?」
コーちゃんは「じゃあ、フルテンの音を聞かせようか」と言い、アンプのツマミを全て最大まで回す。
アンプから出るノイズが大きくなった。
そして、ピックが6本の弦を引っ掻く。
瞬間、鼓膜をとんでもない音圧が殴りつける。
身構えることを忘れて、音の暴力を無防備に受けた。耳が痛い……。
「これがフルテン、音の歪み具合とか、低域、中域、高域の強さを全て10、最大まで出す」
俺の顔を見てコーちゃんはニヤリと笑い、黒いケースから何か取り出す。
「フルテンでいい音を出すアンプもあるが、これはそういう代物じゃないな。こういう時はこれを使うんだ……よっ、と」
取り出した鉄の箱を足元に置いた。
無数のスイッチと液晶ディスプレイが並ぶ、重厚な機械。
「これはエフェクターって言ってな、あらゆる音を作り出せる魔法の箱だ」
鼓動が突き上がる。
あらゆる音を、作り出せる……?
ROSIERで鳴ってる、あの音も?
「このBOSS GT-5を使えば、SUGIZOが出してる作り込まれた音も、かなりの精度で再現できるんだ。そうだな……歪みはこのぐらいで、ここの帯域を持ち上げて……」
そうして数分。
よし、とコーちゃんが言い、ピックを振り下ろした瞬間。
目の前のアンプから、あの日テレビで聴いたROSIERの音が襲いかかってきた。
まさか、廉価版のギターともらい物のアンプからこんな音が出るなんて。
信じられない気持ちで、声が出なかった。
「音ってのは、こうやって作るんだ」
自分の指先の技術だけではなく、音という目に見えない波を支配する。
これが、俺と音楽の本当の出会い。
──何者でもなかった俺の人生が、テクニックとか技術じゃない『音』そのものに狂わされた瞬間だった。




