3-6
久光との再会から数日後。
放課後のオーディオ部では、金谷、鈴森、俺の3人が、まるで去年のノストラダムスの予言が的中してしまったかのような、世界の終わりを思わせる顔でうなだれていた。
ボーカルの存在を、忘れていたからだ。
「あああやばい……なんでボーカルいないの気づかなかったんだろ……」
金谷が携帯のバイブよろしく小刻みに震えている。この振動は何Hzだろう。
「ボーカルのアテ……誰か……あ、こいつ! 電話してみよ」
鈴森は意外と冷静なのか、携帯のメモリから歌えそうな人を探している。
……えっ、1年生で携帯使ってんの? しかも折りたたみでカメラ付き?
なんてうらやましい。
そんな後輩を横目に、俺は。
「すまん二人とも……やっちまったよ……」
ただヘコんでいた。
PHSのメモリに入っている交友関係は、部活関係を除けば家族と武田、中学の頃仲良かった数人だけだ。アテはない。
「こんなことなら中学時代にもっと友達作っとくんだった……無理だったと思うけど」
「先輩、悲しくなるんでやめて……」
金谷が顔を覆い始める。
そんな演技はやめて、余計悲しくなるから。
「三谷先輩って、ボーカルのアテあったりしませんかね」
おっと鈴森、ナイスアシスト!
「そうだな、明日は三谷先輩来るって言ってたし、聞いてみるか」
「そうっすね先輩、俺、少しだけ希望が見えてきまし……あああああああ……」
金谷の振動は、この問題が解決するまで止まりそうもない。
翌日の放課後。
授業が終わると同時に部室に走る。
はやる気持ちで勢いよくドアを開けると、そこにはすでにドラムのセッティングの確認をしている三谷先輩の姿があった。
俺たち3人は、息を切らしながら三谷先輩の前に整列し、一糸乱れぬ土下座を披露した。
「三谷先輩! 助けてください!!」
「うおっ、なんだお前ら。土下座ってまさかバンド辞めたいのか!?」
「違います! そんなわけないじゃないですか!!」
「おおお落ち着け! まずは事情を話そう。な!?」
俺が必死に事情を説明する。
X JAPANのコピーをやるのに、ボーカルの存在をすっかり忘れてしまったまま話を進めてしまい、ボーカルがいないこと、ボーカルのアテがないこと。
「……お前ら、アホだな」
「すんませんっ! ……でも先輩も、ボーカルの存在、忘れてませんでしたか」
三谷先輩は分厚い胸板を大きく張り、
「んなわけないじゃん。いるよボーカル」
「「「なんですってーーーーーーー!!!」」」
3人が同時に叫ぶ。見事なハモリだった。
三谷先輩はスティックを回しながら、ハモリに唖然とし。
そして、ニヤリと笑った。
「俺だっていろんなバンドやってきたんだから、どこかのパートが足りないとかは真っ先に気づくって。それにな──」
先輩の次の言葉を待つ時間が、やけに長く感じた。
「って、早く教えてくださいって!」
「悪い悪い、でもこういうの、一度はやってみたいじゃん? 映画とかでもよく見るよな? ものすごくセリフ溜めて、さらっと言うやつ」
ほんとこの先輩は……
「そのボーカル、Xの曲なら初期から最新アルバムまで全曲原キーで歌えて、ハイトーンも完璧なんだ。
ちょうど今日も、そこに来てるよ」
そこ?
どこ?
おもむろに三谷先輩はドラムの椅子から立ち上がると、部室のドアを開け、隣の文芸部の扉をコンコンと叩いた。
「吉田ー。今時間ある?」
ん? 吉田先輩? なんで? 急に彼女に会いたくなったの?
いや、待て。本当に吉田って呼んだか? 実は安田を聞き間違えて吉田って聞こえたとか……たまたま同じ苗字の、めちゃくちゃ歌が上手い屈強な男の先輩が文芸部にいる可能性だって──。
「あ、あの……三谷くん、どうかした……?」
ひょこっ、と部室の入り口から顔を出したのは。
おさげ髪にメガネ。少し猫背で、両手で大事そうに一冊の文庫本を抱きしめている、紛れもない『あの』吉田先輩だった。
「うわああああああっ! 吉田先輩!!?」
俺の脳内に、先日聞かされた『リズム隊の憂鬱と、金髪の彼』というおぞましいBL妄想の記憶がフラッシュバックする。
しかも、あろうことかこの人は、自分の彼氏をそのBL妄想に登場させているのだ。
シンプルにこわいよ。
「あ、山谷くん……と、初めまして、一年生の子たちだね。こんにちは……」
「さて紹介しよう!」
三谷先輩がひときわ大きな声で、吉田先輩を紹介する。
「俺が知ってる中で、こいつ以上にX JAPANを歌い切るやつは一人もいない。
──紹介しよう、俺の彼女、そしてうちのボーカル、吉田咲希!」
「よ、よろしくおねがいします…………もう吉田くん、恥ずかしいから…………」
消え入りそうな声でモジモジと挨拶をする吉田先輩。
正体を知らなければ、図書館でゲーテ、シェイクスピアを黙々と読んでいるような、どこから見ても引っ込み思案な文学少女だ。
とてもこんな華奢な女子が、メタルを歌い上げるような肺活量も、失礼を承知で言えばオーラも感じられない。
「三谷先輩!? なんで吉田先輩なんですか!? 確かに彼女さんだし、ひいき目に見ちゃう気持ちはわかりますけど……Xの曲ですよ!? 紅ですよ!?」
俺が慌てて三谷先輩に耳打ちすると、彼は機材スペースから一本のボーカルマイクを引っ張り出し、ケーブルをPAシステムに繋ぎながら笑った。
「まあ、まずは音出してみなよ山谷。金谷と鈴森はチューニングできてる? 昨日と同じ、半音下げチューニングね」
「は、はあ……」
「吉田。お前、俺らとライブでXのボーカルやらねえ?」
三谷先輩がマイクを差し出すと、吉田先輩の周りに花畑が広がった──ように見えた。これが文学部の能力か……と妄想していると、
「えっ……! ほ、ほんとに!? 私が、三谷くんの後ろで歌っていいの!?」
なんと吉田先輩は、完全にやる気だ。
「おう。……ってボーカルはドラムの前だって。やってくれるか?」
「……やる! 三谷くんと!!」
先ほどまでの消え入りそうな態度が嘘のように、吉田先輩はひったくるようにマイクを握りしめた。
「……15秒ちょうだい、準備する」
言うが早いか、メガネを外し、髪をほどき、艶めく黒髪のロングヘアーが解放される。その瞳には、先ほどの文学少女のそれではなく、獲物を狙う肉食獣のように鋭い光を秘めていた。
気のせいだろうか。
きっと気のせいだ。
「よし、お前ら行くぞ!」
心なしか、三谷先輩のハイハットカウントはいつもより荒々しい。
今はとにかく弾くか!
昨日と同じ『紅』の激しいイントロが部室に炸裂する。
俺たち楽器隊は、半信半疑のまま音の壁を構築していく。
ドコドコと鳴るツーバス。重厚なベース。ツインギターのハーモニー。
音の飽和が頂点に達し、Aメロのボーカルが入る直前──俺は、さっきの吉田先輩が瞳に秘めた鋭い光を思い出す。
背筋に冷たいものが走った、その瞬間。
「……なっ!?」
部室の空気が、一段階激しく震えた。
俺の、いや、俺たちの耳を疑うほどの、圧倒的なハイトーンボイス。
ただ金切り声を上げて、力任せに叫び散らしているのではない。
X JAPANのボーカル、TOSHIの『天使の歌声』と評された芯の太い、どこまでも突き抜けるような声量と、完璧にコントロールされた深いヴィブラート。
まさに、天使の歌声と呼ぶにふさわしい声。
(なっ……んだ、これ……!!?)
俺たちが作り上げた重厚な音の空間をたやすくブチ壊し、そのさらに上、天空を舞う天使の歌声。
しかしその実態は、わずかにでも気を抜いた瞬間、慈愛に満ちた鋭い牙で目の前にある全てを無惨に食い荒らし、後には塵一つ残さない破壊の化身。
まさに、メタルを歌うために作られた存在。
ヤバいこれ、マジで全力出さないとギターが食われる!
自分の意思に反して、全身に力が入りギターを掻き鳴らす。
16分の刻みが、いつもより鋭く入る。
金谷と鈴森は大丈夫か。横目で確認する。
「うわあ……何これ……!!」
「マジかよ……CDよりすげえ……!!」
二人が戦慄したように吉田先輩を見上げ、彼らもいつもより研ぎ澄まされた音を叩き出していた。
歌っている吉田先輩は、文芸部の大人しいおさげ女子ではなかった。
マイクスタンドを握りしめ、激しくも優しいハイトーンを華奢な身体から吐き出すその姿は、本物のボーカリストだと認めるに十分なものだった。
このボーカルは、空間の音を支配し踏みつけ、空間全てに鋭く叩き込む。
オーディエンスの命さえも、慈悲深く削り取る。
呑まれるな、食われるな、抗え。
──そんな願い虚しく、俺の音は天使に屈した。
最後の超高音シャウトが部室に響き渡り、やがて音は余韻もなく消えていく。
アンプのノイズだけが鳴る部室で、俺たち三人は完全に魂を抜かれたように立ち尽くしていた。
「はぁ……はぁ……。あ、あの、どうだった、かな……?」
曲が終わった瞬間、吉田先輩はマイクを両手で持ち、いつもの猫背なモジモジした文芸部女子に戻っていた。
「……三谷先輩。なんですか、これ……」
俺が生きも切れ切れに呟くと、三谷先輩は自慢げに鼻を鳴らした。
「いや、まあこうなったのは俺のせいというか……んー……」
急に顔を真っ赤にしながら、吉田先輩の過去を話しだす三谷先輩。
「俺、ドラム始めたのって小3なんだ。で、嬉しくてそのこと吉田に言ったんだよ。そしたら『私も三谷くんと一緒にバンドやりたい』って言い出してさ。
でも……吉田の家、母ちゃんが一人で吉田と妹育ててんだ。だからギターもベースも、楽器なんて買う余裕全然なくて」
「……」
「だから小3の吉田は考えたんだ、『お金がなくてもできる楽器はないか』って。それで見つけたのがボーカル」
「あの時はね、本当にすっごく考えたんだよ。どうしても吉田くんと一緒にいたかったから……」
吉田先輩の顔が紅く染まる。かわいい人だな。
妄想たくましいけど。
「んで、俺がX好きになって、覚えたてのドラム叩いて聴かせたらさ、『どんな曲か知りたい』って俺にCDせがんできてな。それから毎日毎日、擦り切れるくらいCDかけながら、狂ったように歌の練習し続けてたんだよ」
三谷先輩は、昔を懐かしむように目を細めた。
「ただ力任せに叫んでたわけじゃない。美しいハイトーンを出すにはどうしたらいいか。逆に、低音はどう響かせたらドラムの音圧に負けないか。いろんな歌手の声を聴き込んでは真似して、自分の『声』っていう楽器の鳴らし方をずっと試行錯誤し続けてた」
「……」
「喉から血の味がするまで叫び続けて、声帯が完全に潰れてカスカスの息しか出なくなっても、こいつは絶対に歌うのをやめなかったんだよ」
三谷先輩は、吉田先輩の頭を優しく撫でた。
(試行錯誤と、執念)
その言葉を思い浮かべ、俺はハッとした。
それはまるで、俺が6畳間でエフェクターのツマミをいじり、理想の音を探し求めていたあの途方もない時間と同じ──
いや、違う。この華奢な先輩は、自分の「身体」そのものを限界まで削り、ぶっ壊れそうになりながらも、その泥臭い探究を何年間も続けてきたのだ。
あんな声が、才能だけで出せるはずがない。
「で……小6の時に告白されて、付き合うことになったんだけど……その時に『いつか絶対、一緒にステージ立とうね』って約束したんだよ」
三谷先輩が俺たちに向き直る。
「だからさ、お前たちにお願いしたいんだ。吉田の夢を、俺と一緒に叶えてくれないかな」
その言葉を聞いた瞬間。
金谷と鈴森が、同時に床に膝をつき、吉田先輩に向かって深々と土下座をした。
「姐さん! 俺たちのボーカルになってください!!」
「一生ついていきます、姐さん!」
「えっ!? あ、ちょっ、頭上げて!? 姐さんって呼ぶのやめて!?」
慌てふためく吉田先輩を見て、俺は思わず吹き出してしまった。
妄想の世界を支配する変人先輩。金がないからボーカルを極めた女子。そして、三谷先輩との小学生からの純愛。
情報量が多すぎる。それにもうあなた方の歴史が文学だよ。
なにより。
すっげーーーーーうらやましい!!!
っと、現実に戻ろう。
「……吉田先輩。よろしくお願いします。俺たちで、最高のステージにしましょう!」
「山谷くん……! うん、よろしくね!」
そして俺は三谷先輩の目をまっすぐ見つめ、ニヤニヤを前面に押し出しながら
「 ね、三谷せーんぱい!!」
「山谷……お前後で居残りな」
俺はECLIPSEのネックを握りしめながら、確かな手応えを感じていた。
これだ。
この歌声があって、俺たちの音は完成する。
シーケンサーじゃ絶対に作れない。
不器用で、泥臭くて、最高に熱い人間たちが集まった、俺たちだけの最強のバンドが、今ここに誕生したのだ。




