3-5
ライブが終わった後。
俺はどうしても久光の音楽《今》が気になり、会うことに少しの気まずさを残しながら、出番の終わった彼を地元のファミレスに誘った。
春の終わり、深夜帯に差し掛かろうとしている店内は、ドリンクバーに群がる高校生や、所在なさげにタバコを吸う大人たちで適度に騒がしかった。
俺と久光は窓際のボックス席に向かい合って座り、武田と後輩二人は、「久しぶりの友達なんだから二人で話してきなよ」と気を利かせたつもりか、少し離れた別の席に陣取っていた。
「今日のライブ──」「すげーだろあれ! 頑張ったんだよ俺」
相変わらずだ。無邪気だからこそのトップダウン。話を遮ることにも悪気はない。
「まさかシーケンサーでギター以外の音を流すとは思わなかった。びっくりしたよ」
久光はその言葉を、相変わらずたくましさ溢れる大柄な体で嬉しそうに受け止める。
「あれ、高校入ってしばらくしてから買ったんだよ。
機械って便利だよな! 指示した音を正確に出してくれるから、弾いてて何の心配もないんだよ」
その言葉に織り込まれた、ほんの少しの不穏な雰囲気。
「不安なくいつでもバンドの音でギター弾けるからかな、どんどん難しい曲も弾けるようになっていってさ──」
聞くなら、今ここしかない。
「久光、なんで一人でやってんの? 中学の頃みたいに、誰かとバンド組まないの?」
俺が単刀直入に聞くと、久光はドリンクバーのグラスに入った爽やかな緑色のメロンソーダをストローでカラカラと混ぜながら、淡々と話し出した。
「ああ。最初は学校でメンバー探したんだ。うち工業高校だから男しかいないじゃん? 楽器やってるやつは多いから、メンバー探しは何の苦労もなかったんだけど、みんなすぐ辞めちゃったんだよね」
「辞めた?」
「そう。ドラムもベースも、ギターの相方も全員。抜けたメンバーの補充もしたんだけど、またすぐ辞めて」
長続きしないバンド。
久光だけが固定メンバー。
辞めた理由を誰一人語りはしなかったが、そんな評価をされた久光のバンドには、校内で入りたいってやつはいなくなった。
「そっか、じゃあそれからシーケンサーを?」
「いや、しばらくは学校の外でメンバー探したよ。」
それでもすぐ辞めてしまう。時にはケンカ別れもあった。
そんな話を聞いていた俺は、中学の頃久光と組んでいたバンドのことを思い出していた。
無邪気で純粋、だからこそのトップダウンという、《《横暴》》。
俺も本当はあのバンドでSUGIZOのパートを弾きたかった。
それを黙殺し、INORANパートを俺に与えた張本人。
それは俺じゃなくても、いい気持ちになるやつはいないだろう。
誰だって自分が好きなパート、好きな楽器をやりたい。
好きな曲なら尚更だ。
しかし事実として、俺の意思はこいつには一切伝わらなかった。
ただ、「上手い方が弾いたらいい」という現実を突きつけた。
それはきっと、高校になったからといって変わるものじゃない。
同じことをしたのだろう。学校の中で、外で。
バンドにおいて、楽器を奏でる相手は人間だ。意志も心もある。
誰もがあの頃の俺たちみたいに、久光に意見できるほど自分の技術に自信がないわけじゃない。あの頃の俺だって傷ついたのに、高校生になって自我が成長した人間はもっと傷つくだろう。
むしろ自分の音こそ世界で一番、誰も俺には敵わないって自信のあるやつが、この世界には多い。
そんな自信のあるプレイヤーが、誰かのトップダウンで勝手に全て決められることを、はいそうですかと承服できるはずがないのだ。
──俺だって、今なら言い返してしまうだろう。
そう思えば……こいつが今、一人でライブをしていることは、至極当たり前のことなのかもしれない。
そうして周りから人が消え、残ったのは自分とギター。
もしかすると、こいつだって傷ついたかもしれない。悩んだかもしれない。
そんな時に、シーケンサーと出会い、一人でもライブをする手段を見つけ、今ステージに立っている。
それは誰にでもできることじゃない。もしも、俺が同じ状況になったら、同じことができるか。
──自信、ないな。
そんなことを考えていると、久光が俺を呼ぶ。
「山谷、バンドってやっぱいいな!」
「──そうだな」
「何よりシーケンサー、あれはいいよ、勝手に辞めないし、ミスもない」
その言葉を受けて、俺はどうしても気になっていたことを問いかける。
「久光さ、なんでみんながバンドやめたか、知ってる?」
「いや、やめたんだしもういいよ。やる気なかったんじゃない?」
ああ、こいつは──
何も変わってないんだ。あの頃から何も。
そんな俺の心中をよそに、久光はメロンソーダを一口すすり、窓ガラスに映る自分自身の姿に目を向けた。深夜の国道を走り去る車のヘッドライトが、彼の横顔を無機質に照らしては消えていく。
そこには、圧倒的な技術を持つ天才特有の傲慢さと、それゆえの深い孤独が張り付いていた。
久光はテーブルの上で、見えないギターのネックを握るように指を動かした。
「音楽ってのは、完璧なピッチと完璧なリズムで構築するのが最高なんだよ。アマチュアの奴らが感情とかノリって言葉でBPMのブレとかミスをかっこよく言ったってさ、プロから見ればただのミスだしね。……結局、完璧な音楽って、最後は人間がいなくなって完成するんじゃないかな」
「──っ」
その言葉を聞いて、俺は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。
(人間なんていらない。機材だけで、俺だけの完璧な音を作ればいい)
それは──。
それはかつて、自分の音を誰にも届けられず、6畳間で一人ルーパーとMTRに引きこもり、他人との関わりを絶って音響の世界に逃げ込もうとしていた、過去の俺の思想そのものだったからだ。
もしあのまま、あの挫折から逃げ出して引きこもっていたら。
先輩たちとセッションしてなかったら。
後輩たちとバンド組まなかったら。
もしかしたら、そこに座っているのは俺だったかもしれない。
久光の演奏は、確かに機械のように完璧だった。
だが、その音には『血』が通っていない。
俺はふと、視線を別のテーブルに向けた。
そこでは、武田が金谷と鈴森の山盛りポテトを勝手に横取りして、ギャーギャーと騒ぎが起きていた。
「あーーー武田先輩! それ俺のっす!」
「アタシがアンタたちのために、チケットの恩恵にあずからせてやったんだけど、もしかしてお気づきでない? だからポテトの一本や二本でガタガタ言わない! ほら金谷、アンタの軟骨唐揚げもよこしな!」
「うわーんヤンキーっす! ギャルこわいっすよー! 先輩助けてーっ!」
「だいたいチケットは先輩からもらったって言ってたじゃないですか! 武田先輩のどこにチケットの恩恵があるのかわかりませんって!!」
「やかましい! お店で騒ぐんじゃない1年坊主!! 山谷はアタシの……ほら、子分みたいなもんだから!」
……武田、俺はいつお前の子分になったんだ。
騒ぐ後輩たちを、武田がケラケラと笑いながらあしらっている。
うるさくて、ガサツで、思い通りになんて絶対にならない他人。
それを見ながら、俺の胸の中にストンと落ちるものがあった。
俺たちのバンドは、久光のように完璧じゃない。
ミスもある。テンポも走る。チューニングだって狂うかもしれない。
でも、ポンコツな校長が乱入してきて全員で腹を抱えて笑い合ったり、三谷先輩のドラムに合わせて全員の呼吸がピタリと合う瞬間の、あの鳥肌が立つような熱量。
生身の人間と目を合わせて、時にぶつかり合いながら、不器用に音を紡ぐ。
その時にしか生まれない『熱』。それこそが、久光の完璧なシーケンサーには絶対に生み出せない、音楽の本当の魔法なんだ。
いつまでも騒いでいる仲間たちを見ながら。
「久光、お前のやり方はすごいよ。俺じゃ絶対できない芸当だ。同期音源に合わせてギターを弾くなんて、俺程度の実力じゃ絶対にできない」
「大丈夫大丈夫、練習すれば山谷だっ──」「でもさ、それだと俺は音楽が続けられないんだ」
久光は、何も言わない。俺は話を続ける。
「俺はさ、完璧じゃない、ミスもする、BPMも一定しない、そんな音楽に自分の求める音の形を見たんだ」
そう。
俺の求める音の形。それは、学校のみんなと、仲間と作り出す音楽なんだ。
「だから、お前みたいなすごいことはできない。俺は俺の作りたい音を、仲間たちと作っていきたいんだ」
しばらくの沈黙。そして、
「……そっか。まあ、お前らしいな」
久光は呟くように言った。
彼には彼の音楽の正解がある。機械のように正確なプレイを極めるのも、一つの圧倒的な才能だ。
だが、俺は違う。
俺はもう、孤独な6畳間のギターヒーローには戻らない。
下手くそでもいい。血の通ったこいつらと作る、泥臭くて熱いバンドがやりたい。
ファミレスの喧騒に耳を傾けながら、俺は確かな「自分の居場所」を再確認した。
「じゃあな、久光。ライブ面白かったよ」
「おー。山谷も、ライブあったら呼んでな」
話がひととおり終わり、店の外で別れる。
久光は最後まで無邪気にそう言って手をヒラヒラと振った。
背中を向けて夜の街へ歩き出す孤独な天才の後ろ姿を、俺たちは黙って見送った。
これから金谷の家で音合わせをするからと、帰り道の途中で金谷と鈴森が別れる。
武田を送って帰りながら、ライブの感想を話していると、
「……山谷。アンタ、久光と何話してたの?」
武田が少し聞きづらそうに聞いてきた。俺は少しだけ笑って、首を振る。
「いや、ただの機材の話。……それより! 次は俺たちもライブやるから」
「はあ? アンタいつバンド組んだの」
「少し前に。それこそ金谷と鈴森、あと部活の先輩と」
「そうなんだー、いいじゃん。高校デビューは順調なようですな」
「まあ、1年も経ったんだから、そろそろ中身も外見に追いついてこないと」
「いいね、なんかたまごっぴ育ててる気分になってきた」
おおよそ同級生に投げかけるものでない言葉が飛び出すが、今の俺は気分がいいんだ、聞かなかったことにしておくぞ。
「そんなわけで、日程決まったらチケット持ってくから。絶対来てくれよ!」
「はいはいわかった──って、あれ?」
何かに気づいたような顔をして、武田が立ち止まる。
「山谷、今メンバー何人?」
「4人だね」
「それぞれパートは?」
「三谷先輩がドラム、鈴森がベースで、金谷と俺がギター」
「ボーカルは?」
「……あああああっ!!!!!」
もしかすると俺は、気の合う仲間とバンドを組めたこと、セッションが楽しかったこと、リードギターを任されたこと、校長がボーカルで乱入してきたこと……
あ、校長はどうでもいいや。
これらの嬉しい出来事に、自分が想像していたよりもずっと浮かれていたのかもしれない。
ボーカルが、いない。
インストバンドじゃないんだからボーカルは絶対必要だ。というかボーカルいないとただのカラオケの伴奏だ。
なんてこった、こんな初歩的なトラップに気づかなかったなんて!
「あー、これはボーカルの存在忘れてたな」
武田がニヤつきながら、俺の心を的確に読み取る。やめて……。
ライブをする。
その前に……ボーカルどうしよう。
「ちなみに武田、歌は……」
「絶対やんない! ギャラリーの人数はカラオケで限界だし」
だれか、X JAPANの曲、歌えませんか……?




