3-4
ポンコツ校長の乱入事件(と学生主事の捕物劇)から数日後。
俺は、部活を中抜けし自転車を走らせ、地元の小さな楽器屋に来ていた。
今の弦を張ってから、そろそろ1年が経つ。
先輩たちからは「弦は早めに張り替えろ」と呆れられたが、一見常識から外れたこの行為には明確な理由がある。
LUNA SEAのSUGIZOが、『ギターの弦は何年も張り替えない』と音楽雑誌の『GiGS』で公言していたからだ。5年張り替えてないギターもあるとか。
SUGIZOに少しでも近づきたくて、俺は練習のたびに部室でこまめに弦の保護スプレーを吹きかけ、クロスで弦を拭き上げ、執念でサビを防ぎながら1年間大切に使い続けてきた。
そんな努力を重ねていたが、弦が完全にへたってしまい、バンドの中で鳴らすとどうしても高域の出が悪くなってきた。
1セット500円の安物では、ここまでが限界だ。
そこで少し高い弦を使ってみようと思い立ち、楽器屋にいるというわけだ。お目当ての弦はアーニーボールの10-46、初心者からステップアップするにはちょうど良いと言われるサイズだ。
9-42だと弦が細くて、どうしても音にパワーが乗らなかったり、サスティンが弱くて音が伸びていかない。
かといって、あまり太い弦にすると指が痛くなってしまう。
さて、アーニーボールは、と……
「おー!山谷じゃん。ギター続けてたんだ。どう? かなり上手くなったでしょ?」
不意に背後から声をかけられ、振り返る。
そこに立っていたのは、中3の文化祭で一緒にバンドを組んだ天才ギタリスト──ウルトラベロシティーズの久光だった。
相変わらず、悪気なく人の心をざわつかせるな。無邪気な天才が吐く言葉は、いちいち凡人の俺に突き刺さるんだ。
もちろん、こいつのギターの腕は天才そのものだ。中学時代に嫌というほど目の当たりにした。
「久光か、久しぶり。元気してる? ギターはそれなりに弾けるようになったよ」
「おう、元気してるよ! バンドは組んでる?」
「高専で軽音部みたいなとこ入ってさ、後輩たちとバンド組んだんだ」
「バンドやってんだ! ライブやるなら教えてよ。あ、そうだ。今週末にライブするんだ。SOUTHERN CROSSってライブハウス。チケットあげるから来てよ。じゃ、また!」
そう言って、久光が出るライブのチケットを4枚、俺の手に押し付けて去っていった。
相変わらずだなーと呆然としながら、久光の広い背中を見送った。
さて、久光に託されたチケットは4枚。
オーディオ部の後輩である金谷と鈴森を誘うのは、部室に戻ってすぐに決まった。あいつらにも、同世代でトップレベルのギターを見せておくのは絶対に良い刺激になる。
問題は、余った最後の1枚だ。
久しぶりに部室に来ていた中山先輩を誘ったが、その日はスタジオ練とのことで断られ、三谷先輩を誘ってみたら、
「あ、その日吉田と買い物行くわ。ごめんなー」
吉田先輩って、あの文芸部の先輩だよな。
買い物?
「買い物行くって仲良いんですねー」
「そりゃ彼女だしさ、買い物ぐらい行くよ」
かの、じょ……?
「え、先輩……彼女って、吉田先輩と付き合ってるんですか!?」
「うん。言ってなかったっけ?」
言ってないよ。むしろ言われた今も信じられないよ。
だって吉田先輩、あの想像力だよ……?
「言うな山谷。そこは俺もどうにもできん」
しまった、顔に出てた。
そんなわけでチケットは、1枚余ったままだ。
別に余らせてもいいんだろうけど、少しだけ俺のしょーもないプライドがそれを許さない。
うーん、どうしよう。
(あ。……武田、誘うか?)
6畳間のベッドの上でチケットを眺めながら俺の頭に浮かんだのは、あの金髪ギャルの姿だった。
正直、高校デビューを果たして派手なナリになった武田を、自分から休日のライブに誘うなんて、コミュ障の俺としては死ぬほどハードルが高い。絶対に「えー? なんでアタシが山谷なんかと休みの日に〜?」とかニヤニヤされていじられるに決まっている。
とはいえ武田は同じ中学出身だ。もちろん久光のことも知ってる。
俺は前日の夜まで、PHSを握りしめたまま部屋でウンウンと悩み続けた。
だが、結局「やっぱチケット余らせるのはなあ……」という謎の負けん気が勝り、勇気を出して武田にメッセージを送信した。
案の定、数分後に、
『暇だし付き合ってあげてもいいよ(笑)久光かー、どんな音楽やるんだろ』
という、武田らしい返信が来て、俺も久光がどんな音楽をやるのか想像しながら眠りについた。
久光のライブ当日。
ライブフロアに上がる階段は薄暗く、タバコと酒の匂いがうっすら染み付いた市内のライブハウス、SOUTHERN CROSSのフロアで、俺たち4人はステージを見上げていた。
「ねえ。久光のバンドって、出番次なんだよね? まだ久光しかステージにいないけど」
ドリンクカウンターでもらったコーラのプラスチックカップを片手に、武田が首を傾げた。
「久光、詳しく聞く前に帰っていったから俺もよく分かんないんだよな……」
俺がステージに目をやると、セッティングが終わったというのに、そこに立っているのは愛用のギターを抱えた久光ただ一人だった。
背後にはドラムセットも、ベースアンプもない。マイクスタンドすらない。
ただ、久光のアンプの上に、ポツンと『シーケンサー』が置かれているだけだった。
「シーケンサー、ギターだけ……まさか」
次の瞬間、ライブが始まった。
久光がシーケンサーの再生キーを押す。
その瞬間、ハイハットの4カウントがPAスピーカーから流れたかと思うと、寸分の狂いもなくプログラミングされた、完璧なドラムとベースの同期音源《打ち込み》だった。
正確に流れるオケに、久光の指先がギターの指板を恐ろしいスピードで駆け巡りオケと同期する。
「……うおっ、すげえ。なんだあの速弾き……!」
「ピッキングの粒が全部揃ってる……マジでバケモノっすね……」
金谷と鈴森は、ステージに釘付けになりながら度肝を抜かれたように声を漏らす。
上手い。中学の頃より圧倒的にレベルが上がってる。
久光の演奏は圧倒的だった。
シーケンサーが正確にBPMを刻む。そんな冷徹な機械が奏でるオケに1msのズレもなく重なる完璧なカッティング。流れるようなスウィープピッキング。ソロではタッピング、スウィープを組み合わせた超絶技巧とも言うべき音の嵐。
どこを切り取っても、教則本のお手本のようにミス一つなく、正確な音符を配置してゆく。
技術だけで言えば、オーディオ部の俺たちが束になっても絶対に敵わない、正真正銘の『天才』の音だ。
──だが。
(なんだ、この違和感)
俺の耳は、シーケンサーのビートに寸分違えず音を乗せる久光の完璧な演奏に、どうしてもノリきれずにいた。
上手い。確かにバカみたいに上手いのに、心が全く揺さぶられないのだ。
理由は、曲の半分まで進んだあたりで理解できた。
シーケンサーから流れるドラムの音には、三谷先輩が力任せに叩くツーバスのような、空気を物理的に押し出してくる音圧がない。
ベースの音には、鈴森の拙いながらも必死にドラムの音に食らいつく、指先から生み出す鼓動がない。
メロディに寄り添うようなグルーヴは確かにある。ただそれは、機械に設定されたシーケンスが敷いてゆくレールの上を、その音に最適化された無機質なギターのフレーズがものすごいスピードで走り抜けていくだけ。
まるで、精巧に作られたロボットの展示を見せられているような、どこまでも冷たくて、完璧な、機械しかステージにいない音楽。
拍手もまばらなフロアの中で、ステージの上で一人ギターを機械的に弾き倒す久光の姿からは、俺が仲間達から与えられた、情熱とか衝動なんてものを見出すことはできなかった。




