2-6
森山という絶対的なエゴイストとの遭遇以降、俺の足はオーディオ部の部室からすっかり遠のいていた。
放課後のチャイムが鳴っても、部室には向かわない。
かといって、まっすぐ家に帰って6畳間に引きこもるのも、森山から逃げて安物の機材に逃避しているようで気が滅入った。
あの威圧的な真空管アンプの青い光と、俺のECLIPSEを「ゴミ」と吐き捨てた嘲笑が、頭から離れない。
(……結局、音楽なんて機材の暴力と、声のデカい奴のエゴが勝つんだ)
行き場を失った俺は、退屈な放課後を地元のショッピングモールのフードコートで潰すようになっていた。
ホットドッグとミルクティーをちびちびと啜りながら、分厚い機材カタログを無意味にパラパラとめくる。何十万もするハイエンド機材のページを見ると、胃の奥がチクチクと痛んだ。
「山谷。なんか今日……いつもに増して負のオーラ全開じゃん。なんかあった?」
不意に、正面のプラスチックの椅子が乱暴に引かれ、ドカッと誰かが座った。
顔を上げると、制服のボタンを開けてカーディガンを羽織った武田が、呆れたような顔でこちらを覗き込んでいた。
……前会った時より、スカート短くなりすぎてない? もう冬だよ?
「……武田こそ、なんでここに?」
「友達とプリクラ撮りに来たの。そしたら、フードコートの隅っこで枯れたススキみたいな金髪がいるからさ。突撃インタビューってわけ」
武田は俺のミルクティーを勝手に一口飲む。……って、
「なんで当然のように俺の飲み物とってんのお前」
「うっさい。で、何があったのさ。話してみ」
と、真っ直ぐに聞いてきた。無視かよ。
でも──
普通なら適当にはぐらかすところだが、この時の俺は、誰かにこの惨めなフラストレーションを吐き出したくて仕方がなかったのかもしれない。
俺はポツポツと、オーディオ部での出来事を話した。
何十万もする要塞のような高級機材。周波数を無視した理不尽な爆音。そして、徹夜でハンダ付けした俺のギターが、ただの「貧乏くさいゴミ」として足蹴にされたこと。
「……だから、もう部室には行かない。あんなバケモノみたいな機材とエゴの塊に、俺の自作エフェクターとか安ギターで太刀打ちできるわけがない。俺は6畳間でルーパーとチマチマ遊んでるのがお似合いだったんだよ」
自嘲気味に笑いながらそう締めくくると、武田はしばらく黙って、手元のストローをカラカラと回していた。
やがて、彼女はふっと短く息を吐き、俺の顔をまっすぐに見据えた。
「アンタさ。なんのためにそんな髪色にしたのさ」
「……え?」
「前さ、『ロックやるには金髪じゃん』とか言って、アタシにブリーチのやり方聞いてきたことあったじゃん。そのパサパサの金髪は、6畳間で一人で引きこもるためのもんだったわけ?」
痛いところを突かれ、俺は言葉に詰まった。
違う。
俺は「まずは見た目だけでもロックスターになりたい」とイキって、親を騙してまでこの髪を手に入れたはずだった。嘘がバレた時も、バリカンは必死で阻止した。
「……アタシはね、自分を変えたかったから染めたんだよ」
ぽつりと、武田が言った。
その声のトーンがいつもより少しだけ低くて、俺は思わず顔を上げた。
「……武田が?」
「そ。知ってるでしょ、中学の時のアタシがどんなだったか」
言われてみれば、そうだ。
今でこそ金髪で、スカートも会うたび短くなり、ギャルのお手本のような格好をしている武田だが、中学時代の彼女は、こんな性格ではなかった。
黒髪のセミロングにメガネ。生徒会書記を務め、校則は絶対に守り、誰かからの頼まれごとは絶対に断らない、絵に描いたような優等生側の人間だった。
「うち、家が厳しいじゃん。だからずっと親の言う、素晴らしい人間、慕われる人間って枠から外れないように生きてきた。あのみんなから向けられる『優等生で親切な武田さん』っていう視線が、ずっとずーっと息苦しくて大っ嫌いだった。周りの目を気にして、言いたいことも言えなくて。……だから、高校デビューって笑われてもいいから、絶対に自分を変えてやろうって決めたんだ」
武田は自分の金髪を指先でくるくると弄りながら、自嘲するように、でもどこか誇らしげに笑った。
「形から入るのって、別に悪いことじゃないでしょ。
──髪を明るくしたら、少しだけ強くなれるような気がして、その通りになった。そうしたら、言いたいことを言えるようになった。できない頼まれごとを、できないってはっきり断れるようになったの。この髪色は、アタシがアタシの意思で『こうありたい』って決めた証」
「そう……そうだよ。俺は、空っぽの自分じゃない何かになりたくて、ギター始めて、髪も染めて──」
「それでいいんだよ、アンタも立派に高校デビューできたんじゃん」
武田の真っ直ぐな言葉が、胸の奥にストンと落ちていく。
「きっと誰だって、何もしなきゃ何にもなれないし、そう──からっぽのままなんだ」
その言葉を聞いた時、
『ゴミにいくら細工したって、出てくる音はゴミなんだよ』
森山の言葉がフラッシュバックする。
違う。
俺がECLIPSEのボディにドリルで空けた不格好なザグリは、ゴミなんかじゃない。
どうすれば理想の音が出るのか。どうすればノイズのない完璧な波を作り出せるのか。金がないなら、知識と技術で補うしかない。あの無骨な配線は、俺が俺の手で「自分の音を支配する」ために選び取った、意思の塊だ。
「何十万のギターだって、高級アンプだって、親のお金で買ったものなんて全部与えられたもの、借り物なんだ。そんなものが自分の実力なわけないでしょ」
武田が、テーブルに身を乗り出して俺に顔を近づけた。
「アンタのそのギターは、アンタ自身が血と汗流して作り上げたんでしょ。だったら、その安物ってバカにされたギターで、その偉そうな先輩の何十万の音、ぶっ潰してやりなよ。
……ロックやるんでしょ、金髪くん?」
武田の挑発的な笑みを見た瞬間、俺の中でくすぶっていた冷たいフラストレーションが、明確な『熱』を帯びて引火するのを感じた。
(……そうだ)
親の金で買った機材に寄りかかり、他人の音を不快な爆音で踏み躙るだけの男に、なんで俺が引け目を感じなきゃならない?
俺には、吹奏楽の低音で培った帯域の棲み分けの感覚がある。MTRで研究し尽くした空間構築のロジックがある。そして何より、この手で組み上げた無骨な回路図と、叔父や松永さんも認めたこの『耳』があるじゃないか。
「……武田」
「ん?」
「お前、やっぱ良いやつだな」
「サンキュー! じゃこのホットドッグももらってくね!!」
「あ! それはやめて……」
俺は薄暗いフードコートの照明の下で、久しぶりに光を取り戻した気がした。
あんなやつに負けてる場合じゃない。
俺には、目指すものがあるから。
形にしたい音があるから。




