盾の鉄板
「できるわけねえだろうが!」
森の中に、ガルドの怒鳴り声が響いた。
鳥が数羽、ばさばさと枝を揺らして飛び立つ。
ミナがびくっと肩を跳ねさせ、俺は担いでいた大猪の肉を落としかけた。
「声がでかい。獣が寄ってくるぞ」
「お前が馬鹿なことを言うからだ!」
「馬鹿なことか?」
「馬鹿なことだろうが! 盾を鉄板にする鍛冶屋がどこにいる!」
「ここにいるかもしれない」
「いねえ!」
ガルドは即答した。
さすがに反応が早い。
俺たちは仕留めた大猪をその場で解体し、肉と皮と牙に分けていた。
大猪は想像以上に大きく、三人だけで丸ごと運ぶのは無理だった。
だから、森で最低限の処理をして、運べる分だけを担いで村へ戻ることにしたのだ。
ガルドは肉の塊を肩に担ぎながら、まだ怒っている。
「盾はな、人を守るために作るもんだ。肉を焼くためじゃねえ」
「その人を守るってのは、魔物の牙から守るって意味だけか?」
「あ?」
「腹を空かせた人間に肉を食わせるのも、広い意味では守ることになるんじゃないか」
ガルドは口を開きかけ、言葉を止めた。
ミナが目を丸くして俺を見る。
「レオンさん……」
「今のは少し綺麗に言いすぎたな」
「自分で言うんですか」
「慣れないことを言うと落ち着かない」
俺がそう返すと、ミナは小さく笑った。
ガルドは渋い顔のまま、鼻を鳴らす。
「屁理屈だ」
「そうかもしれない」
「だが……」
ガルドは担いだ肉を見て、次に村の方を見た。
「この量の肉を焼くなら、普通の鍋や小さい鉄板じゃ足りねえ」
「だろ」
「火を受けても歪みにくい厚い板がいる」
「ちょうどいい盾があったな」
「ちょうどよくねえ!」
怒鳴りつつも、否定が少し弱くなっていた。
俺はそれ以上言わなかった。
ガルドも、もう考え始めている。
職人の顔だった。
村に戻ると、最初に俺たちを見つけたのは井戸端にいた老婆だった。
「あらまあ、何を担いで……って、猪かい!?」
「畑を荒らしてたやつだ」
俺が答えると、近くにいた村人たちが次々と集まってきた。
「でかいな」
「あいつか? うちの芋畑を掘り返したやつ」
「よく仕留めたな」
「誰がやったんだ?」
視線が俺に集まる。
それから、肉を担いだガルドと、そばにいるミナにも向いた。
ガルドは気まずそうに顔を背けた。
この村で、武器屋は最近あまり良い目で見られていなかったのだろう。
売れない武器を抱えた店。
時代に置いていかれた職人。
きっと、村人たちもどう声をかければいいか分からなかった。
ミナもそれを感じているのか、俺の後ろに半歩隠れる。
「ガルドの罠で止めた」
俺は村人たちに向けて言った。
「俺が仕留めたが、罠がなければ危なかった。畑を荒らしていた大猪を獲れたのは、バルカ武具店の道具のおかげだ」
周囲が少しざわついた。
「武器屋の罠か」
「あの魔物用のか?」
「まだ使えたのか」
ガルドが口を開きかけた。
たぶん、「余計なことを言うな」と言いたかったのだろう。
だが、ミナが父親の袖をそっと掴んだ。
ガルドはそれに気づき、黙った。
「この肉、村で焼いて分けようと思う」
俺が言うと、村人たちの目がさらに丸くなった。
「いいのか?」
「全部持って帰っても食いきれない。畑を荒らしてたなら、村の問題でもあるだろ」
「そりゃ助かるが……どうやって焼くんだ?」
その問いに、俺はガルドを見た。
ガルドはものすごく嫌そうな顔をした。
「……店に、使ってねえ大盾がある」
村人たちが首を傾げる。
「大盾?」
「火にかければ、肉を焼く板にはなる」
ガルドは絞り出すように言った。
「ただし! 盾を鉄板にするわけじゃねえ! 一時的に使うだけだ! 分かったな!」
「分かった分かった」
「お前に言ってるんだ、レオン!」
「分かった」
俺が頷くと、ミナが口元を押さえて笑った。
それからの動きは早かった。
村の広場に薪が集められた。
大鍋を持ってくる者。
塩を持ってくる者。
香草を摘みに走る子供。
古い長机を運び出す男たち。
俺は肉をさらに切り分け、余分な脂を落とした。
ガルドは店から大盾を運んできた。
改めて見ると、かなり大きい。
人一人を隠せるほどの盾だ。厚みもあり、表面はわずかに丸みを帯びている。
魔物の突進を受け流すためのものだったのだろう。
ガルドは盾の表面を布で拭き、火にかける前に何度も角度を調整していた。
「そのまま置くと脂が片側に流れる。石を噛ませろ」
「これでいいか」
「もう少し右だ。違う、右だと言ってるだろ」
「俺から見て右か?」
「盾から見て右だ」
「盾に左右はあるのか」
「ある!」
何にでもこだわる男だった。
だが、そのこだわりのおかげで、大盾は見事な鉄板になった。
火が入ると、盾の表面がじわりと熱を持つ。
肉を一切れ置くと、じゅう、と音がした。
脂が弾け、香ばしい匂いが広場に広がる。
その瞬間、村人たちの視線が一斉に集まった。
「……いい匂いだな」
「猪肉なんて久しぶりだ」
「子供たち、近づきすぎるんじゃないよ!」
遠巻きに見ていた村人たちが、少しずつ近づいてくる。
俺は肉を返しながら、ガルドを見る。
「火の通りがいい」
「盾の厚みがあるからな。薄い鉄板より熱が逃げにくい」
「本当に鉄板向きだな」
「だから鉄板じゃねえ!」
怒鳴りながらも、ガルドの目は真剣だった。
焦げそうな部分には水を少し垂らし、火が弱い場所には薪を足す。
肉を焼いているのは俺だが、火と盾を支配しているのはガルドだった。
ミナは村人たちに木皿を配っていた。
「あ、熱いので気をつけてください」
「ミナちゃん、手伝ってるのかい」
「はい。えっと、こちらに並んでください」
「久しぶりだねえ、あんたの店がこんなに賑やかなのは」
老婆がそう言うと、ミナは一瞬だけ目を伏せた。
けれどすぐに顔を上げる。
「はい。ありがとうございます」
その声は震えていたが、笑っていた。
最初に焼けた肉を、村の子供たちに渡す。
子供たちは熱そうに息を吹きかけながら、肉にかぶりついた。
「うまい!」
「もっと!」
「これ、本当にあの猪?」
その声で、広場の空気が一気に緩んだ。
大人たちも笑う。
誰かが酒を持ってきた。
別の誰かが芋を焼き始めた。
いつの間にか、ただの肉焼きが小さな祭りのようになっていた。
ミナは忙しそうに動き回っていた。
木皿を渡し、肉を運び、子供に水を飲ませ、老人には柔らかい部分を選んで渡す。
その姿は、昨日まで空腹で俺の畑に忍び込んでいた少女とは違って見えた。
自分の居場所を取り戻そうとしている顔だった。
「レオンさん」
肉を焼いていると、ミナがそっと近づいてきた。
「どうした。疲れたか」
「いえ。その……ありがとうございます」
「礼なら、猪とガルドの盾に言え」
「言いました。父さんにも、盾にも」
「盾にも言ったのか」
「はい」
真面目だ。
俺が少し笑うと、ミナは頬を赤くした。
「でも、レオンさんにも言いたかったんです」
「俺は肉を焼いてるだけだ」
「それでもです」
ミナは広場を見回した。
村人たちは肉を食べ、笑い、ガルドの大盾を珍しそうに眺めている。
「父さんの作ったものを、みんなが見てくれています」
ミナの目に、涙が浮かんでいた。
「もう誰にも必要とされないんだと思ってました。でも、違ったんですね」
「まだ全部が解決したわけじゃない」
「分かってます」
ミナは頷いた。
「でも、今日だけは……嬉しいです」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
代わりに、焼けた肉を一切れ木皿に乗せて差し出す。
「食え。働きすぎだ」
「え、でも私は配る方で……」
「腹が減って倒れられたら困る」
ミナは皿を受け取り、小さく笑った。
「レオンさん、やっぱり優しいです」
「肉が余っただけだ」
「そういうことにしておきます」
ミナは肉を少し冷ましてから口に入れた。
そして、幸せそうに目を細める。
その表情を見て、俺はなぜか少しだけ視線を逸らした。
「おい、レオン」
ガルドの声が飛んできた。
「焦げるぞ」
「分かってる」
「分かってねえから言ってるんだ」
ガルドは俺の隣に立ち、肉の並べ方を勝手に直し始めた。
「火が強いところに脂の多い肉を置くな。燃える。赤身はこっちだ。薄い肉は端でいい」
「武器屋なのに肉焼きに詳しいな」
「金属も肉も、火加減を間違えたら駄目になる」
「なるほど」
「感心するな。俺は何を言ってるんだ」
自分で言って落ち込んでいた。
だが、周囲の村人たちはそんなガルドを見て笑っている。
悪意のある笑いではない。
久しぶりに見た職人の顔を、少し安心して眺めているような笑いだった。
やがて、村人の一人がガルドに声をかけた。
「なあ、ガルド。うちの薪割り斧、刃が欠けてるんだが、見てもらえるか?」
ガルドが顔を上げる。
「斧?」
「ああ。武器じゃねえが、直せるか?」
「……見なきゃ分からん」
「じゃあ明日持っていく」
別の男も言った。
「うちの畑にも猪が来る。ああいう罠、小さく作れねえか?」
「子供が踏まないようにできるなら、俺も欲しい」
「祭りの時、この大盾を借りられないかね。肉を焼くのに便利そうだ」
「だから盾だと言ってるだろうが!」
ガルドが怒鳴る。
だが、村人たちは笑った。
怖がってはいない。
ガルドもそれ以上怒鳴らなかった。
ミナはそのやり取りを見て、両手を胸の前で握っていた。
泣きそうな顔で、けれど笑っている。
よかったな、と言おうとして、俺はやめた。
言わなくても、たぶん伝わっている。
肉が残り少なくなった頃、広場の端にオルド村長の姿が見えた。
村長は杖をつきながら、広場の様子を静かに眺めていた。
村人たちが笑っている。
ミナが忙しそうに動いている。
ガルドが大盾の前で文句を言いながら火を調整している。
そして、俺はなぜか肉を焼いている。
村長は俺のところまで歩いてきた。
「レオン殿」
「村長。肉ならまだ少しあるぞ」
「ありがたい。だが、その前に少し話がある」
村長の目は穏やかだった。
けれど、その奥には何か考え込むような色があった。
俺は肉を裏返しながら尋ねる。
「今じゃないと駄目か?」
「今だからこそ、だな」
村長は広場を見回した。
「この村は、少し変わり始めているのかもしれん」
それから、俺に向き直る。
「レオン殿。少し、話がある」




