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勇者じゃなかった俺の地方再建生活  作者: 犬山三郎丸


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6/6

魔物の罠



 ガルドが一日だけ付き合ってやると言った翌朝、俺はまたバルカ武具店に来ていた。


 店の奥では、すでに槌の音がしている。


 かん、かん、かん。


 金属を叩く乾いた音。

 炉に火が入り、炭の匂いと熱が店の中に満ちていた。


 昨日まで客の気配がなかった店に、今日は少しだけ生き物の気配が戻っている。


「早いな」


 俺が声をかけると、奥で作業していたガルドが顔を上げた。


「職人は朝が早い」


「昨日は一日だけと言っていたのに、やる気はあるんだな」


「勘違いするな。あの罠が本当に使えるか確かめるだけだ」


 そう言いながら、ガルドの手は止まらない。


 床に置かれているのは、昨日見た古い魔獣罠だった。


 太い鉄の輪。

 噛み合わせるための金具。

 地面へ固定する杭。

 獲物の足を絡め取る鎖。


 魔獣相手に使うには頼りなく、普通の獣相手には重すぎる。

 そんな半端な道具。


 だが、だからこそ今の用途には合う。


 俺はしゃがみ込み、金具の部分を覗いた。


「締める力、少し落としたのか」


「ああ。お前が言った通り、殺すためじゃなく足を止めるためなら、このくらいでいい。強すぎると肉も骨も駄目になる」


「いい判断だ」


「お前に褒められる筋合いはねえ」


 ガルドは不機嫌そうに言った。


 だが、耳のあたりが少しだけ赤い。


 褒められ慣れていないのかもしれない。


「レオンさん、おはようございます」


 店の横から、ミナが顔を出した。


 両手には布と革紐、それから小さな工具箱を抱えている。

 昨日より表情は明るい。


 父親が槌を握っていることが嬉しいのだろう。


「おはよう。よく眠れたか」


「はい。昨日は久しぶりに、父さんも少し食べてくれたので」


「そうか」


 それはよかった。


 ガルドは聞こえていないふりをしているが、槌を振る音が少しだけ強くなった。


 分かりやすい親父だ。


「で、ミナ。お前は何をしてる」


「罠を運ぶ準備です。革紐と布で、金具がぶつからないようにして……」


「森には来るなよ」


 俺が言うと、ミナの動きが止まった。


「え」


「大猪を獲るんだ。危ない」


「で、でも、私も手伝います」


「店で手伝え」


「店では手伝いました」


「じゃあ村で待ってろ」


「嫌です」


 ミナは珍しく、はっきり言った。


 俺は少し驚いて彼女を見る。


 ミナは工具箱を抱えたまま、真剣な顔をしていた。


「私、父さんの武器が使われるところを見たいです」


「遊びじゃないぞ」


「分かってます」


「大猪は人を跳ね飛ばす。牙で腹を裂かれたら、治療が間に合わないこともある」


「分かってます。でも……見たいんです」


 ミナは一度、ガルドの方を見た。


「父さんが作ったものが、まだ誰かの役に立つところを」


 ガルドの槌が止まった。


 店の中に沈黙が落ちる。


 ガルドはしばらくミナを見ていた。

 やがて、深く息を吐く。


「足手まといになるなよ」


「父さん……!」


「森の奥までは行かせねえ。見晴らしのいい場所までだ。レオン、お前もそれでいいな」


「勝手に決めるな」


「嫌なら罠は貸さん」


「職人は頑固だな」


「元冒険者も大概だ」


 俺はため息をついた。


 正直、連れていきたくはない。

 だが、ミナの気持ちも分かる。


 父親の仕事が終わっていないと、自分の目で確かめたいのだろう。


「分かった。ただし、俺の指示には絶対従え」


「はい!」


「走るな。叫ぶな。獣に近づくな。俺が戻れと言ったら戻れ」


「はい!」


「返事だけはいいな」


「が、頑張ります」


 ミナは胸の前で拳を握った。


 不安は残る。

 だが、その表情は昨日までよりずっと力がある。


 ガルドが罠の最後の金具を締め、重い音を立てて床に置いた。


「できたぞ」


 俺は罠を持ち上げる。


 重い。


 だが、昨日より扱いやすい。余計な部品が外され、鎖の長さも調整されている。

 地面に固定する杭も、打ち込みやすい形に削られていた。


「一晩でここまで直すか」


「元が俺の作ったもんだ。どこを削ればいいかくらい分かる」


「腕は本物だな」


「だから慰めはいらねえ」


「褒めてる」


「余計いらねえ」


 面倒な男だ。


 だが、道具はいい。


 俺は罠を担ぎ、森へ向かった。


 ガルド、ミナとともに村の北側へ歩く。


 村の畑を抜けると、森の匂いが濃くなった。

 湿った土。若葉。獣の糞。折れた枝。


 何度か狩りで入った場所だが、今日は少し空気が違って感じる。


 獲物を探す狩りではない。

 村を荒らす獣を仕留めるための狩りだ。


「ここからは声を落とせ」


 俺が言うと、ミナは慌てて両手で口を押さえた。


 そこまでしなくてもいい。


 ガルドは周囲を見回しながら言った。


「本当にいるのか」


「いる」


 俺は地面を指さした。


 柔らかい土に、大きな蹄の跡が残っている。

 普通の猪より一回り大きい。


「昨夜か、今朝方だな。こっちへ向かってる」


「足跡で分かるんですか」


 ミナが小声で尋ねる。


「昔、嫌でも覚えた。魔物の足跡を見落とすと死ぬからな」


「……やっぱり、すごいです」


「生き残るために必要だっただけだ」


 そう言いながら、俺は折れた低木を見る。


 幹の低い位置が擦れている。

 牙か、体当たりか。

 近くの地面は鼻で掘り返され、根が露出していた。


「畑に降りるなら、この獣道を使うはずだ」


 俺は森の中の細い道を示した。


 人間には歩きにくい。

 だが、獣が何度も通った跡がある。


「罠はここに置く」


 少し開けた場所だった。


 片側は低い崖。

 反対側には太い木が二本。

 大猪が突っ込んできても、左右へ逃げにくい。


「罠で足を止める。俺は木の陰から出て、首筋を狙う」


「正面から受ける気か」


 ガルドが眉をひそめる。


「正面からは受けない。受け流す」


「猪相手にか」


「魔狼よりは素直だ」


「比較対象がおかしいんだよ、お前は」


 ガルドはそう言いながらも、罠を設置し始めた。


 手つきは早い。


 杭を打つ角度。

 鎖の遊び。

 金具の噛み合わせ。


 俺が言う前に、必要な調整をしていく。


 ミナは布を渡したり、工具を取ったりしながら補助していた。

 ぎこちないが、慣れている。普段から父親の仕事を手伝っているのだろう。


 親子の呼吸は悪くない。


「ミナ、楔」


「はい」


「違う。そっちは細い方だ」


「あ、こっちですね」


「……まあ、合ってる」


 ガルドはぶっきらぼうだが、声は少し柔らかかった。


 ミナもそれが嬉しいのか、真剣な顔の中に少し笑みが混じっている。


 俺はその様子を見て、少しだけ胸が軽くなった。


 この罠がうまくいけば、少なくとも二人にとって何かが変わるかもしれない。


 やがて罠の設置が終わった。


「よし。ミナ、ここから先は下がれ」


「でも」


「約束だ」


 俺が言うと、ミナは唇を噛んだ。


 だが、すぐに頷く。


「……はい」


 ガルドがミナを少し離れた大木の陰へ連れていく。


 そこなら、罠の場所は見えるが、大猪の突進線上ではない。


 俺は風向きを確認した。


 こちらの匂いは獣道へ流れていない。

 問題ない。


 あとは、待つだけだ。


 待つのは得意ではない。


 魔王城へ向かっていた頃は、いつも前へ進むことばかり考えていた。

 敵を見つけ、斬り、進む。

 立ち止まる時間が嫌いだった。


 だが狩りは違う。


 焦れば逃げられる。

 焦れば死ぬ。


 静かに息を整え、森の音を聞く。


 鳥の声。

 葉擦れ。

 遠くの水音。


 そして。


 ずし、と低い音がした。


 来た。


 俺は木の陰に身を沈める。


 茂みの奥から、大きな影が現れた。


 普通の猪ではない。


 肩までが人の胸ほどもある。

 毛は黒く、背には泥が固まっている。

 口元からは、太く曲がった牙が二本伸びていた。


 魔物ではない。

 だが、人を殺すには十分すぎる獣だ。


 ミナが息を呑む気配がした。


 俺は手で制する。


 大猪は鼻を鳴らしながら獣道を進む。

 足元の土を掘り、低木を押しのけ、まっすぐ罠の方へ。


 あと三歩。


 二歩。


 一歩。


 がしゃん、と鉄が鳴った。


 大猪の前脚に罠が絡む。


 同時に、鎖が張った。


「今だ!」


 俺は木の陰から飛び出した。


 大猪が吠える。


 いや、猪は吠えない。

 だがそれは、吠え声と言っていいほどの轟音だった。


 巨体が暴れ、土が跳ねる。

 罠は完全に止めているわけではない。

 一瞬だけ動きを鈍らせているだけだ。


 それでいい。


 俺は正面を避け、左へ回り込む。


 大猪が首を振る。

 牙が空気を裂いた。


 まともに受ければ腹を裂かれる。

 俺は半歩下がり、牙をかわしながら剣を抜く。


 魔物相手のような派手な一撃ではない。


 狙うのは一点。


 首筋の、毛の薄い場所。

 動脈に近いところ。


 大猪が再び突っ込もうとした瞬間、罠の鎖が張った。


 動きが止まる。


 俺は踏み込み、剣を振った。


 刃が毛皮を裂き、肉に入る。


 浅い。


 だが、十分だ。


 大猪は暴れた。

 俺はさらに横へ回り、二撃目を入れる。


 今度は深い。


 獣の巨体が揺れた。


 まだ倒れない。


 最後に、俺は首の反対側へ回り込んで、短く剣を突き込んだ。


 大猪の動きが止まる。


 地面が震えるような音を立てて、その巨体が倒れた。


 森が静かになる。


 俺はしばらく剣を構えたまま待った。


 完全に動かないことを確認してから、息を吐く。


「終わったぞ」


 その言葉で、ミナが木の陰から飛び出してきた。


「レオンさん!」


「走るなと言っただろ」


「あっ、すみません!」


 ミナは途中で慌てて止まり、そこから小走りになった。

 あまり変わっていない。


 ガルドも罠の方へ歩いてくる。


 彼は倒れた大猪と、足に絡んだ罠をじっと見た。


「……止めたな」


「ああ」


「殺さず、足だけ止めた」


「だから言っただろ」


 ガルドはしゃがみ込み、罠の金具を見る。


 壊れてはいない。

 鎖も持っている。

 杭も抜けていない。


 彼はしばらく黙っていた。


 やがて、低く呟く。


「使えたのか」


 それは俺に向けた言葉ではなかった。


 たぶん、自分自身に向けた言葉だ。


 ミナの目が潤む。


「父さんの罠、ちゃんと使えたね」


「……ああ」


 ガルドは短く答えた。


 その声は、少しだけ掠れていた。


 俺は剣を拭い、鞘に納める。


「これだけの大猪なら、肉は村で分けられる。畑を荒らしていたなら、村人も助かるだろう」


「皮も牙も使える」


 ガルドが言った。


「骨も加工できる。脂も捨てるな。全部使える」


「詳しいな」


「昔は、魔獣の素材も扱ってたからな」


 その顔には、さっきまでとは違う熱があった。


 役目を失った職人ではない。

 素材を前に、どう使うか考える職人の顔だ。


 ミナはその横顔を見て、嬉しそうに笑っていた。


 それから、俺の方を向く。


「レオンさんって、やっぱりすごいです」


「罠と地形があったからだ」


「でも、最後に仕留めたのはレオンさんです」


「勇者なら、こんな獣くらい一振りなんだろうな」


 何気なく口にしたつもりだった。


 だが、ミナは少しむっとした顔になった。


「またそういうこと言うんですか」


「何だ」


「勇者様がどうとか、関係ありません」


 ミナは倒れた大猪を指さした。


「今、村を助けてくれたのはレオンさんです。父さんの罠を使えるって見つけてくれたのも、レオンさんです」


「俺だけじゃない。罠を直したのはガルドだ」


「それでもです」


 ミナはまっすぐ俺を見た。


「私たちを助けてくれたのは、レオンさんです」


 言葉に詰まった。


 褒められるのは慣れていない。

 勇者候補だと言われていた頃は、周囲の期待を背負うことに必死で、素直に受け取る余裕などなかった。


 今は今で、自分にはそんな価値はないと思ってしまう。


 けれど、ミナの言葉を否定するのは、少し違う気がした。


「……そうか」


 俺がそう答えると、ミナは嬉しそうに笑った。


 ガルドが咳払いをする。


「村まで運ぶぞ。ここで腐らせるわけにはいかん」


「この大きさを三人でか?」


「お前、元冒険者だろ」


「元冒険者は荷馬じゃない」


「大差ないだろ」


「今のは聞き捨てならないな」


 ミナがくすくす笑った。


 結局、俺たちは大猪をその場で簡単に解体し、運べる分に分けて村へ持ち帰ることにした。


 作業をしながら、俺はふと、バルカ武具店にあった分厚い大盾を思い出す。


 あれだけ大きくて平らなら、火にも耐える。

 肉を焼くにはちょうどいい。


 ガルドは怒るだろう。


 間違いなく怒る。


 だが、村人にこの肉を振る舞えば、バルカの道具を見直すきっかけになるかもしれない。


 俺は肉の塊を担ぎ上げながら、ガルドに言った。


「なあ、ガルド」


「何だ」


「店にあった、あの馬鹿でかい大盾」


「あれがどうした」


 俺は少しだけ笑った。


「ガルド。あれ、鉄板にできないか?」


 森の中に、ガルドの怒鳴り声が響いた。


「できるわけねえだろうが!」

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