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勇者じゃなかった俺の地方再建生活  作者: 犬山三郎丸


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離れの小屋

離れの小屋


 地図の端に書かれていた村は、思っていたよりも小さかった。


 名前は、エルム村。


 王都から続く大街道を外れ、森沿いの細い道を半日ほど歩いた先にある。

 村と呼ぶには家の数が少なく、集落と呼ぶには畑が広い。そんな場所だった。


 村の入口には、古びた木の看板が立っている。


 ――エルム村。旅人は村長宅へ。


 丁寧な字だったが、看板の端は欠けていて、雨風でだいぶ色あせていた。


「……ここか」


 俺は肩から荷物を下ろし、ひと息ついた。


 ラグナを出てから、何日か経っている。

 途中の宿場町で一泊し、野宿を二度して、ようやくたどり着いた。


 体は疲れていたが、悪い疲れではなかった。


 歩いている間は、余計なことを考えなくて済む。

 足を前に出す。

 腹が減ったら飯を食う。

 暗くなったら火を起こす。

 魔物ではなく、ただの獣の気配に注意する。


 それだけで一日が終わる。


 魔王を倒せなかっただの、勇者ではなかっただの、そういう考えは消えない。

 けれど、歩いている間は少しだけ遠くなる。


 それが今の俺にはありがたかった。


 村に入ると、何人かの村人がこちらを見た。


 鍬を持った老人。

 洗濯物を抱えた女。

 水桶を運んでいた少年。


 全員が、俺の腰の剣を見てから、顔を上げる。


 無理もない。


 この時代、剣を持った余所者はだいたい面倒の種だ。

 冒険者か、傭兵か、盗賊崩れか。

 ろくでもない者も多い。


 俺はなるべく怪しまれないように、両手を軽く上げた。


「宿を探してる。村長の家はどこだ?」


 そう尋ねると、少年がびくっと肩を跳ねさせ、近くの大きめの家を指さした。


「あ、あそこ……」


「助かった」


 礼を言うと、少年は返事もせずに走っていった。


 ……まあ、予想通りだ。


 勇者候補と呼ばれていた頃は、街に入れば冒険者や兵士から声をかけられることが多かった。

 ここではただの怪しい余所者である。


 それが少しだけ、気楽だった。


 村長の家は、村の中央にあった。

 大きいといっても、王都やラグナの建物と比べれば質素なものだ。

 ただ、庭はよく手入れされていて、薪の積み方もきれいだった。


 扉を叩くと、しばらくして白髪の老人が出てきた。


「旅のお方か」


「ああ。レオンという。しばらくこの村で休める場所を探している」


 老人は俺を上から下まで見る。


 剣。外套。荷物。靴の泥。

 視線は鋭いが、敵意はない。


「わしはオルド。この村の村長をしておる」


「宿はあるか?」


「残念ながら、うちの村に宿はない。商人も滅多に来んのでな」


「そうか」


 まあ、そんな気はしていた。


 村の規模を見れば分かる。

 宿屋を維持できるほど人の出入りはない。


「ただ、空いている小屋ならある」


 オルド村長は、少し考えてからそう言った。


「村の外れに、昔使っていた猟師小屋がある。持ち主は何年も前に亡くなって、今は誰も住んでおらん。屋根は少し傷んでいるが、雨風はしのげる」


「借りられるなら助かる。金は払う」


「金よりも、修繕をしてくれる方がありがたいな。放っておけば、いずれ崩れる」


「それでいいなら、やる」


 俺は即答した。


 壊れかけの小屋を直すくらいなら、野営よりずっとましだ。

 体を動かしている方が、余計なことも考えずに済む。


 村長は少しだけ目を細めた。


「元冒険者か?」


「……まあ、そんなところだ」


「魔王討伐の関係か」


 俺は一瞬、返事に詰まった。


 だが、村長はすぐに手を振った。


「言いたくなければ構わん。うちの村にも、言いたくない事情を抱えた者くらいおる」


「助かる」


「ただし、村で騒ぎは起こさんでくれ。ここは小さい村だ。大きな揉め事を抱える余裕はない」


「約束する」


 俺がそう答えると、村長は頷いた。


「なら、案内しよう」


 村長に連れられて歩くと、村人たちの視線がついてきた。


 あれは誰だ。

 剣を持っている。

 村長と一緒だ。

 元冒険者か。


 ひそひそ声が聞こえる。


 別に気にはならない。


 魔王が討たれたと知った時、周囲の歓声の中に一人で立っていたことに比べれば、村人に警戒されるくらいどうということはない。


 村の外れまで来ると、畑の先に小さな小屋が見えた。


 森を背にした、古い木造の小屋だ。

 壁はところどころ黒ずみ、屋根の板も何枚か浮いている。

 扉は少し傾いていて、窓にはひびが入っていた。


 住めるかと聞かれれば、ぎりぎり住める。


 快適かと聞かれれば、まったく快適ではない。


 だが、俺には十分だった。


「悪くない」


 俺が言うと、村長は眉を上げた。


「これを見て悪くないと言うか」


「雨が入らなくて、壁があって、火を焚ける場所があるなら上等だ」


「冒険者というのは、たくましいものだな」


「野宿よりは贅沢だ」


 村長は少し笑った。


 小屋の中には、古い寝台と、ぐらつく机、それから石組みの炉があった。

 床には埃が積もっていて、隅には蜘蛛の巣が張っている。


 俺は荷物を下ろし、部屋の中を見回した。


 ここが、しばらくの俺の居場所になる。


「畑は使ってもいいのか?」


 小屋の脇には、小さな荒れ地があった。

 昔は畑だったのだろう。土は固くなっているが、手を入れれば使えそうだった。


「構わん。どうせ誰も使っておらん。ただし、水は村の井戸から汲むことになる」


「問題ない」


「食料は?」


「少しはある。あとは森で獲る」


「村の近くで狩りをするなら、一度声をかけてくれ。罠の場所と、子供が入る道がある」


「分かった」


 こういう確認ができる村長は信用できる。

 村を守る立場の人間として、見るべきところを見ている。


 オルド村長は帰り際、俺を振り返った。


「レオン殿」


「何だ」


「この村では、魔王が討たれたと聞いて喜ぶ者が多い。だが、皆が皆、手放しで喜んでいるわけでもない」


「……どういう意味だ?」


「いずれ分かる」


 村長はそれだけ言って、村へ戻っていった。


 俺はその背中を見送る。


 魔王が討たれたのに、喜べない者がいる。


 その言葉は、妙に胸に引っかかった。


「……まあ、今は小屋だな」


 考えても仕方ない。


 俺は外套を脱ぎ、袖をまくった。


 まずは掃除。

 次に屋根の修繕。

 それから水と薪の確保。

 寝る場所を作る。


 勇者ではなくても、埃を払うくらいはできる。


 そう思うと、少しだけ笑えた。


 その日から、俺の村外れの生活が始まった。


 朝は井戸で水を汲む。

 村人に会えば、軽く頭を下げる。

 返事をする者もいれば、警戒したまま目を逸らす者もいる。


 昼は小屋を直す。


 屋根板を打ち直し、割れた窓を板で塞ぎ、炉の煤を落とす。

 ぐらつく机は脚を削って整えた。

 寝台は縄を張り直し、上に干し草を敷いた。


 夜は森に入る。


 魔物はほとんど出なかった。

 代わりに、兎や鳥、たまに鹿の足跡がある。

 俺は森の入口に簡単な罠を仕掛け、必要な分だけ獲った。


 魔物を倒すために覚えた知識が、獣を獲るのにも役立つ。


 魔狼の足跡を読むために覚えた観察眼。

 魔獣の縄張りを避けるために身につけた風の読み方。

 野営で生き延びるために覚えた火の扱い。


 どれも、魔王を倒すことには使えなかった。


 けれど、今日の飯にはなった。


「……無駄じゃない、か」


 ある晩、兎肉を炙りながら、俺はロイドの言葉を思い出した。


 君の剣は無駄じゃない。


 まだ素直には頷けない。


 だが、手元の串から脂が落ちて、火が小さく跳ねるのを見ると、少なくとも空腹は満たせている。


 それだけでも、まあ、少しはましなのかもしれない。


 畑も少しずつ形になった。


 村長に頼んで古い鍬を借り、固くなった土を起こす。

 石を拾い、雑草を抜き、森から腐葉土を運ぶ。

 セリアにもらった薬草袋は、眠れない夜に使うつもりだったが、その中にいくつか種が混じっていた。


 間違えて入れたのか、わざとなのかは分からない。


 俺はそれを畑の端に埋めた。


「苦い薬草じゃなくて、うまい野菜の種を入れてくれればよかったのにな」


 誰もいない畑でそう呟く。


 返事はない。


 けれど、不思議と嫌な静けさではなかった。


 村人たちも、少しずつ俺に慣れてきた。


 最初に話しかけてきたのは、井戸端で水を汲んでいた老婆だった。


「兄さん、屋根を直せるのかい?」


「多少なら」


「うちの納屋の板が浮いててねえ。暇なら見てくれないかい」


「いいぞ」


 納屋の屋根を直すと、老婆は芋をくれた。


 次に、薪割りに困っていた男を手伝った。

 礼に豆をもらった。


 子供が森の入口で転んで泣いていた時は、家まで送った。

 翌日、その母親から硬いパンをもらった。


 どうやらこの村では、金より食べ物で礼をすることが多いらしい。


 悪くない。


 むしろありがたい。


 俺は芋と豆と兎肉を鍋に放り込み、適当に煮た。


 味は薄い。

 見た目も良くない。

 だが腹は膨れる。


「勇者様の食事には見えないな」


 そう呟いてから、自分で苦笑する。


「まあ、勇者じゃないしな」


 以前なら、その言葉を口にするだけで胸が痛んだ。


 今も痛まないわけではない。


 けれど、少しだけ意味が変わってきていた。


 勇者じゃない。


 だから、魔王城に向かわなくていい。


 勇者じゃない。


 だから、畑を耕していてもいい。


 勇者じゃない。


 だから、焦らなくてもいい。


 そう考えると、ほんの少しだけ息がしやすかった。


 それでも、夜になると眠れないことはあった。


 火を落とした小屋の中で、天井を見つめる。


 目を閉じると、ラグナの鐘が聞こえる気がする。

 魔王討伐を祝う声。

 勇者を称える歌。

 そして、誰かの何気ない一言。


 あいつが勇者じゃなかったのかよ。


 そういう夜は、セリアの薬草を湯に入れて飲んだ。


 本当に苦かった。


「……あいつ、わざと苦いやつを入れたな」


 顔をしかめながら飲み干すと、不思議と少し眠れた。


 季節は、春の終わりから初夏へ向かっていた。


 畑には小さな芽が出た。

 何の芽かは分からない。

 薬草かもしれないし、ただの雑草かもしれない。


 それでも毎朝、水をやった。


 芽が出ると、少しだけ明日が気になる。


 明日、伸びているだろうか。

 明日、枯れていないだろうか。


 魔王を倒すという大きすぎる目標に比べれば、あまりに小さい。


 けれど今の俺には、そのくらいがちょうどよかった。


 そんなある夜のことだった。


 月は雲に隠れ、森の影がいつもより濃い。

 俺は炉の火を落とし、寝台に横になっていた。


 その時、外でかすかな音がした。


 かさり。


 風ではない。


 獣にしては、音が軽い。

 だが、ただの枝が落ちた音でもない。


 俺は目を開けた。


 旅をしていた頃の癖で、手は自然と枕元の短剣に伸びていた。


 耳を澄ます。


 また、音。


 今度は畑の方だ。


 土を踏む音。

 それから、小さく息を呑むような気配。


 俺は音を立てずに起き上がり、短剣を腰に差した。

 扉の隙間から外を見る。


 畑の端に、人影があった。


 小さい。


 子供か、背の低い女か。


 人影は周囲を何度も見回しながら、畑にしゃがみ込んでいる。

 そして、まだ育ちきってもいない葉物を、震える手で引き抜こうとしていた。


 俺はゆっくりと扉を開けた。


 蝶番が、きい、と鳴る。


 人影がびくりと肩を震わせた。


 逃げようとした。


 俺は一歩で距離を詰め、相手の手首を掴む。


「ひっ……!」


 小さな悲鳴。


 月明かりが雲の切れ間から差し込む。


 そこにいたのは、痩せた少女だった。


 古びた服。

 泥のついた膝。

 荒れた指先。

 そして、泣き出しそうな大きな目。


 少女の手には、俺の畑から抜かれかけた小さな葉が握られていた。


 俺はその葉と、少女の顔を見比べる。


 それから、ため息をついた。


「……泥棒か」

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