第1章 第6話「パクス・ウォビスクム」
「……ここにもいない」
正気に帰ってから、俺は必死にルチアを探し続けていた。
家族を失ってからというものの、失ってからすぐの辺りにはこのような症状が現れる事は度々あった。しかし、最近になってようやくそれから逃れられたと思った矢先、起こってしまったのが先程の事件である。
……忘れられたと思っていたのに。
しかし、もう起こってしまった結末は書き換えられない。今はただ、ルチアを探す事を考えよう。任務の事もあるし、何より彼女に謝らなければいけないと思ったからだ。
街の賑わう人の声など、とうに耳には届かない。今はただ、あの金髪の少女の姿を捉える事にだけ全神経を注いでいるのだ。
その刹那であった。俺は路地裏へと入っていく金髪の人の姿が見えたようにを感じた。即座にその姿を追いかけ路地に入るが、路地の中程で何やら危険を感じた俺は素早く体を前に逸らし、「何か」の軌道から逃れた。
「……よォ、あんちゃん。オレの剣を躱すとは、中々素速いじゃねぇか」
「……誰だ」
突如として俺の背後に現れた男は、俺が問いかけると不敵な笑みを浮かべた。そして、こう答えた。
「そう聞かれて、素直に答える奴に見えるか?」
その言葉と一緒に、ありったけの斬撃を添えて。
捉えられない程ではないその斬撃をいなしつつ、俺は改めて男を観察した。
男はフードを被ったり顔を隠したりする訳でもなく、そのままの素顔を曝け出していた。短く切り揃えられた黒髪に、光がまるで宿っていない漆黒の双眸。細身の体から繰り出される斬撃から判断するに、相当の手練れである。見た事の無い顔ではあったが、これだけは確実に言える。
相手に顔を見られても問題無い──即ち、ここで俺を確実に殺し切るつもりなのだ。単に馬鹿なだけかもしれないが、相手の自信の有り様と技術から判断しても前者で間違いないだろう。
「やるじゃねぇか! 血が沸るぜェ!!」
「お前が正体を喋らないというのなら、喋らせるまでだ」
「──やれるもんなら、やってみろよォ!!」
金属と金属がぶつかり合う澄んだ音が、路地裏にこだまする。それは速くなるでも遅くなるでもなく、ずっと一定のペースを保っていた。絶え間なく鳴り響くそれは、もはや芸術とも言える。
しかし、ここで若干男の剣が加速する。
「いいぜいいぜェ……! 血が、筋肉が、心が! 俺の全てが、沸っていくぜェ──ッ!!」
先程までは手を抜いていたのだろうか、攻撃の速度はほぼ倍になっていた。俺もまだ本気を出していた訳では無いので、それに応じてこちらも加速する。
しかし、技術ではこちらが上回っていたものの、相手の剣の方が切れ味は良かった様で。
「──嘘、だろ!?」
甲高い金属音が、俺を置き去りにして鳴った。俺の剣から折れた刃が、スローモーションでどこかへと飛んでいく。
「──勝機ッ!!」
俺の剣を折った男の剣は、そのまま真っ直ぐ俺に向かって進んでくる。既に、俺の首は剣の軌道上にある。
急激な脳の処理速度の上昇によりこれを視認出来てはいるが、それに伴って俺の動きが速くなっている訳では無い。この剣がこのまま俺の首を一刀両断する事など、誰の目から見ても明らかなのであった。
──“未来改変”でも起こらない限りは。
「やったか──」
状況を判断するのに時間は要らなかった。
「──黙って眠ってろ」
それは、任務で幾度も経験しているからだ。
「……ルチア」
よく見知った金髪の少女が、男の向こう側に立っていた。彼女は息を切らしながらそこに立っていたが、男が倒れたのを見ると──疲労によるものなのか安堵によるものなのかは分からないが──彼女もその場に倒れた。
俺は男を縛ってから、改めて倒れているルチアの側にしゃがみ込んだ。
「……ありがとう、ルチア」
「…………んっ」
ルチアが目を覚ますのに、そこまで時間はかからなかった。
俺は男の監視を一旦中断し、ルチアに頭を下げた。
「先程は、店で心無い事を言ってすまなかった。ルチアの気持ちも考えないで……無神経だったよ、本当に」
「──っ」
ルチアは俺の言葉を聞くなり、そっぽを向いてしまった。
だが、俺はそれでも言葉を続ける。
「路地裏での事も、“能力”を使ってまで助けてもらってすまなかった……」
俺は頭を上げなかった。ルチアを傷つけて、更に迷惑までかけて。彼女に向ける顔が無かったからだ。
路地裏を抜けた所から、街の賑わう人の声が微かに聞こえてくる。しかし、それすらを飲み込む静寂が、この場に訪れた。
暫く間を置いて、ルチアは何も言わずに立ち上がった。彼女にかけておいた俺のコートは、いつの間にか畳まれている。
ルチアは、そのまま俺に近づいて来た。何かを言うでもなく、何かをするでもなく。
俺は思わず顔を上げた。そして視界に入って来たのは、俺の事を真っ直ぐに見つめるルチアだった。
「ヴォイドさん」
凛とした声で、ルチアは俺の名前を呼んだ。それに呼応する様に、俺は首を縦に振った。
しかし、ルチアは俺の名前の次に言葉を続けなかった。その代わりに、俺の事を優しく抱擁した。彼女の体温と穏やかな心臓の鼓動が、肌を伝って感じられる。
──よく、母さんも俺を抱きしめてくれたな……
過去の記憶が、再び脳裏に蘇る。しかし、今の俺の心は波1つ無く穏やかだ。もう、あの店での過ちを繰り返したりはしない。
俺は無意識の内に、ルチアに抱きついていた。母親の様な少女に青年が抱きつくという絵は、側から見れば滑稽なのかもしれない。しかし、今の俺には羞恥心なんてものは無かった。
ルチアは俺の頭を優しく撫でながら、こう言った。
「──パクス・ウォビスクム」
ルチアの艶やかな唇から出たそれは、俺のよく知る言葉でもあった。
「私の幼い頃の、唯一の記憶。ルミーネ家に拾われる前に、母が私にかけてくれた言葉……」
ルチアの声の調子は落ち着いており、まるで子供に子守唄を歌う母親の様であった。
──『あなたに安らぎあれ。ヴォイド、辛い事があっても泣かないのよ』
──やはり、似ている。ルチアが俺の妹に似ているという事は、それと同時に母さんに似ているという事……
「母さん……」
我慢出来ない。耐えきれない。抑えられない。
「……俺の守ろうとしたものは、全部──ッ……」
涙が溢れて止まらない。ルチアが頭を撫でてくれている事で──その仕草が母のものとよく似ている事で──、俺の本音が口から溢れ出てくる。
「──何で消えていくんだよ!!」
俺は、声と涙が枯れるまで泣き続けた。その間にルチアは何を感じて、何を思っていたのかは知らない。彼女はただ、息子を宥める母親の様に、俺を抱きしめながらその頭を撫でていたのだから。




