第1章 第7話「城内にて」
薄暗い路地裏に、煌めく朝日が差し込む。それに照らされ、俺は目を覚ました。
頭の下に何か柔らかい感触を感じ、それを確認してすぐ飛び起きた。
「ひざ、まくら……」
ルチアは俺に膝枕をしながら、壁にもたれかかって寝ていた。
「お前の剣となる」と誓ったはずだった俺が守るべき対象に守られていたと気がつき、物凄い羞恥心に駆られた。恥ずかしさの余り、顔が熱い。
それに離れて初めて、ルチアが地面に直接正座をしている事に気がついた。本当に、この少女のお人好しさには何度も驚かされる。
俺は、路地裏から朝日が指す方向を見た。眩く輝くその場所からは、徐々に人の声も聞こえつつあった。
ルチアが目を覚ますまでに、そこまで時間は要らなかった。果たして彼女の足は限界状態だったみたいだが。
ルチアの足の痺れが治るのを待ち、そこからようやっと街の中心部──城下町へと向かう事にした。先刻俺を襲ってきた刺客の事もあり、警戒レベルは最大だ。剣の柄に手を当てているのが、その何よりの証拠であろう。
相変わらず街の景色を見てはしゃぐルチアを横目に、俺はすれ違う人々に睨みを効かせる。余談ではあるが、俺の余りの鋭い眼光に、人々は俺たちに道を開けてくれた。
街の中心部に着くまでに、そこまで時間はかからなかった。そこら中で穢界では見ないような楽器の数々が音色を奏で、広場のような場所では踊り子たちが明快な踊りを踊っていた。そこに出来た人だかりを避けつつ、俺たちは城への1本道へと差し掛かったのだった。
眼前に聳え立つ雄大な純白の城は、太陽に照らされて眩いばかりの輝きを放っていた。広大な土地をふんだんに使って建てたであろうそれは、穢界の人々からすれば圧巻の景色であった。俺は呆気に取られてその場に立ち尽くし、ルチアは口をあんぐり開けている。
俺たちの目の前には、この前通った関所のものとは比べ物にならない程の巨大な城門があった。
その門下には兵士が両脇にそれぞれ立っていて、見たところ城門の中程の高さの場所の窓から人が覗いている気配もあり、その城門の上には巨大な何かを発射する「装置」が設置してあった。クレオ・デウスにあるような大砲とは違い、何やら細長いものを発射するもののようだ。
見慣れないものに驚きつつも、俺たちは城門へと近づいていった。今は建国祭の最中であり、城門は開かれている。
門を通過しようとした所で、俺たちは兵士に止められた。どうやら検問らしく、俺たちは身体検査を受けた。
兵士は安全の為と称して、俺たちの「刃物或いは危険物になり得るもの」を一時保管した。そうしてやっと通行を許可されたので、俺たちは門を潜った。
城に入る時にこうなる事を予想していなかった訳などなく、俺は隠し持っていた予備の短刀を2本取り出し、ルチアに1本を差し出した。
「王子ファトゥス暗殺命令」。これは今回の任務であり、現在遂行中である。
王子ファトゥスは、この城内にいる。この手で探し出して、必ず殺さなくては。
* * *
「……ファトゥス様、穢界から運ばれた採れたての果物です──」
「要らん要らん! 穢界に住む下民共が作ったゴミなど、見たくもない!」
ファトゥスは傲慢であった。子に恵まれなかった王家グレゴリオ家の、たった1人の子供として産まれてきた彼は、今までの人生をとにかく甘やかされて育てられてきた。親からの寵愛の証は、その縦にも横にも大きい体であった。
戦争にも内政にも長けていた「賢神」と言われた父ヴィルヘルムと、この大陸随一の美貌を持ち「女神」と言われた母ヴィーナスを持っているファトゥスは、何もかもが恵まれていたのだ。
──いや、恵まれすぎていたのだ。
「はぁ? 勉強なんかやるもんか!! やったところで、将来何の役に立つんだよ!!」
「はぁ? 風呂なんか入るもんか!! 入ったところで、明日また汚れるだろ!!」
「はぁ? 剣の訓練なんかやるもんか!! やったところで、僕はどうせ戦わないだろ!!」
とまぁ我儘の数々で家臣たちを困らせてきた訳だが。
そんな事をして、悪名が付かない訳など無く。「我儘王子」だの、「傲慢王子」だの、「肉団子」だの。数々の呼ばれ方をしているファトゥスであったが、彼にはたった1つ野望があった。
この国を自身の手中に収め、両親に認められ、世界最高のハーレムを作る。それが、ファトゥスの野望であった。
ファトゥスは今日、父親であるヴィルヘルムに呼び出しを受けていた。いつもこういう時は「ファトゥスよ、お小遣いをやるぞ」か、「ファトゥスよ、今度ゆっくり旅行でもしないか」の2パターンであった。だからファトゥスはこの呼び出しに応じたし、何の心配事も無かった。
鼻歌混じりのステップを踏みつつ、異常な程までに前に突き出た腹を揺らす。その足取りは──物理的には重いのだが──軽く、ファトゥスは玉座に繋がる扉を「パパー!!」と叫びながら勢い良く開けた。
部屋の中へズカズカと入っていくファトゥスだったが、父の前に立った時に初めてこの部屋の違和感に気がついたのだ。
いつも直立不動で両脇に並び立つ兵士たちが、全員こちらを見ているのが分かった。違和感はそれだけではない。いつも柔和な笑みを浮かべている父の顔が険しく、いつも慈愛の笑みを浮かべている母はそっぽを向いていた。
ファトゥスの「パパ……? ママ……?」と呟く声も虚しく、両親には届いていない様子であった。
ヴィルヘルムが「ファトゥス」と名前を呼ぶ声は低く、重かった。威厳と覇気の混じったそれは、ファトゥスの心を焦燥させるのには充分すぎた。
そして、ヴィルヘルムはファトゥスにこう告げた。
「お前はもう、儂の息子ではない」
それは、ファトゥスにとっては衝撃の事実であった。つい昨晩まで自分を甘やかしてくれていた父が、突如として変貌を遂げたのだ。何故か自分に冷酷な目線を向け、意味の分からない事を口走っている。
そんな現状が、ファトゥスを混乱に陥れていく。ファトゥスが「ねぇ、嘘だよね?」とヴィルヘルム問いかけても、応じてはくれない。父──ヴィルヘルム王は息子であるファトゥス王子に、冷酷な決断を下したまでなのだから。
脇に立っていた兵士が槍でファトゥスをヴィルヘルムから引き離す。「離せよ!!」と叫ぶファトゥスの命令は、兵士たちには既に通じない。この場に立っているのは「ファトゥス王子」なのではなく、「ただの一般人」なのだから。
ファトゥスは兵士たちに両腕を拘束されつつ、城門まで連行された。城門に着くと、兵士の1人がファトゥスに袋を渡した。
兵士の話によると、それは母であるヴィーナスが父に内緒で渡してくれたものらしい。兵士もこの事を目を瞑ってくれると言ってくれたが、そんな袋を受け取っても尚ファトゥスの心が平常心を取り戻す事はなかった。
今感じているのは悲しみや怒りなどではない。──虚無。そこに宿っている感情は、虚無以外の何物でもなかった。
ファトゥスはその場に立ち尽くした。近くを通りかかった馬車から、「邪魔なんだよ、とっとと退け!!」と罵声を浴びせられても尚、ファトゥスはその場を動く気力などは湧き上がってこなかった。
ファトゥスはヴィーナスが渡してくれた袋の中からパンを取り出し、口に放り込んだ。パンを口に入れたまま、全く噛む事はせずにファトゥスは城下町の外の方向へと歩いた。人や物にぶつかったりもした。しかし、ファトゥスはそんな事は感じもしないし覚えてすらいない。
ファトゥスは歩き続けた。城下町を出て、やがて人気のない道を歩き続けた。今のファトゥスには、母が渡してくれた──既に中身の無い──袋以外の物は残っていなかった。今口に入っているパンが唯一の食糧である事など、ファトゥスには気がつくはずがなかったのだ。
──そして、ここから終わりの無い旅が幕を開けたのだった。




