第1章 第8話「『謎の男』」
俺とルチアは早速、城内の構造を把握する為にひたすら歩き回っていた。逃走路を確保したり、ファトゥス王子の部屋を探したりした。──ルチアが観光を楽しんでるように見えるのは気のせいかもしれないが。
一通り城内を見尽くしたところで、情報をまとめておこう。建国祭で開放されていない場所は玉座と城の人々の居住スペース、厨房、倉庫、そして図書館の禁書コーナーだけ。それ以外は全て立ち入りが可能となっている。
ヴィルヘルム王とヴィーナス妃は基本玉座にいるようだ。あそこだけ守りのレベルが違う。──恐らく、ファトゥス王子もそこにいるのだろう。
玉座に侵入する事は藪をつついて蛇を出す結果になる。やはり孤立した時間を狙うのがベストか。
となると、やはり夜に作戦を決行するしかないか。残された時間も少ない。じきに怪しまれ、監視の目が付くだろう。──だからこそ、その前にやり終えなければならない。
俺は自分の拳を固く握った。いつも人を殺す前にやっている、決意を固める為のものだ。今日もまた、自分の手を汚す。全ては、穢界の人々の為に。
日はとうに沈み、城内に静寂が舞い降りた。窓から差し込む月光が淡く廊下を照らす。
廊下には、重装備をした兵士が死角を作らないように見張りを行っている。
そんな中、俺は屋根裏を伝って、グレゴリオ一家の自室近くまで来ていた。もう目と鼻の先に扉はある。しかし、その両脇には鋼鉄の鎧に身を包んだ兵士2人が聳え立っている。そこに隙などなく、見つかろうものなら制裁を受ける事になるだろう。
彼らの注意を引く為にも、ルチアの作戦が成功すれば良いのだが……
その刹那であった。巨大な爆発音と城が燃え盛る轟音と共に、兵士たちの悲鳴が轟いた。扉横の兵士たちは爆発音のした方向を向き、腰に携えている長剣を抜いた。
2人は「敵か?」とか「そうだろうな」と会話を交わしているが、あくまで彼らが動く気配はなく、ただただ爆発音のした方を警戒しているだけだ。プランAは失敗だな。
──だったら、プランBを決行するまでだ。
俺は懐にしまっていた通信端末を取り出した。ルチアが爆発を起こした時は連絡をすると言っていたが、まだメッセージは来ていなかった。
ルチアの事だから忘れたのだろう、と内心ルチアに呆れつつ、待っている時間は無いので、とっとと連絡を済ませる。……果たしてルチアは俺のメッセージを見るのだろうか。
『プランAは失敗した。プランBだ』
そのまま画面を見つめたが、数秒待っても返事が来る様子が無かったので、通信端末を一旦しまった。そして、ルチアがプランBを決行するのを待った。
再び兵士たちの方でも見ようかと扉の方向を向く。そして、異変に気がついた。
「──いない!?」
そう。扉の横に立っていたはずの兵士たちがいなくなっていたのだ。焦って扉の近くを探すが、それらしき姿はない。
こちらは屋根裏だ。気が付かれないよう万全を尽くしてはいるので、ルチアの持っているような異能力でも使えない限りは俺を見つけ出す事は難しいだろう。
……周囲に気配は感じない。もしや、爆発音の方向へと向かったのだろうか。
しかし、俺はそれをすぐに否定した。とある「違和感」を感じたからだ。
──何故あれほどの爆発音と火が燃える轟音がしなくなったのか。
例えプランAが失敗して扉横の兵士を動かせなかったとしても、爆発によって城は業火に包まれる予定ではあったのだ。それなのに、何故こんなにも静かなのだろうか。
そして、その原因が分かる。俺の鼻に、微かによく知った臭いがした。鉄のような臭い──血の臭いだ。
その臭いがするのと同時に、眼下の光景の端から真紅の液体が流れてきた。あれは、紛れもなく血である。
俺は換気扇の蓋を開け、手鏡を出して目の届かない──血が流れてきた方向を見た。すると、そこには漆黒のローブに身を包んだ剣士が立っていた。
それは、俺のよく見知った姿と似ていた。
──俺の両親を殺した、あの『謎の男』と。
腹の底から湧き上がってくる殺戮衝動を、理性で必死に抑える。今そこに立っているのは、間違いなくあの『謎の男』だろう。確証などはどこにもない。俺の勘がそう告げている。
そして、彼が脇に抱えている「もの」を見て俺の理性は完全に負けた。
「ルチア──ッ!!」
俺は屋根裏から飛び降り、剣を抜いた状態で地面に着地した。『謎の男』は俺に気がつき、ゆっくりと振り返る。
そのフードの中は、俺のよく知ったあの余裕の笑みを浮かべていた。
「テメェは──ッ!?」
その笑みで確信した。その証拠として、俺の剣は既に斬りかかっていた。
金属と金属とがぶつかり合う甲高い音が、廊下中に響き渡る。男は余裕の姿勢を崩さず、俺の剣を見事に受け流してみせている。
そこで、男が俺と距離を取ったかと思ったら口を開いた。
「お前のいるところに、“眼”は集まるのだな」
俺は『謎の男』の言葉を聞いて、戦慄を覚えた。
“眼”。プレジデントが俺、そしてニゲルを含む幹部たちに極秘に集めさせているもの。その真意は分からないが、以前それを握った時にどこからか神かがった力が湧き上がってきたのを覚えている。
では、何故そんな“眼”の存在を『謎の男』が知っているのだろうか。その答えは、ある程度絞られていた。
しかし、今はそれを推理している心の余裕は残されていなかった。俺は即座に間合いを詰め、『謎の男』に斬りかかった。しかし──
「そんなに焦るな。剣が乱れているぞ」
『謎の男』がそう呟いた時には既に遅かった。俺の四肢は既に体から斬り離され、地面に落ちていた。足を失った事で地面に倒れ、手を失った事で受け身を取る事も出来ない。
俺は地面に顔をぶつけた。そこから起き上がる事も、立ち上がる事も──『謎の男』に足掻く事も出来なかった。
手が、足が、何もない。血が流れ出て、地面一帯を濡らしている。血が流れ出た事による貧血と切断部分から感じる激痛で、思考すらろくに出来ない。そんな絶望的な状況でも、どうやら耳だけは生きていたらしい。
「無様だな」
確かに『謎の男』がそう吐き捨てるように言ったのだけは聞き取れた。その言葉に煮えたぎるような怒りを覚えたが、なまじ反抗出来ないだけに苛立ちを感じる。──いや、苛立ちなんて生ぬるいものではない。憤怒だ。憤り怒る俺は、理性などはとうに失っている。
視界は今も地面だけを映している。『謎の男』も、ルチアも見えない。ただ俺の耳だけが、遠ざかっていく男の足音を聞いている。
やがて、俺は意識が遠のいていく感覚に襲われた。執念でどうにか耐え凌ごうとしたが、その努力も虚しく俺はそのままその場で気絶した。──絶命するのも、ほぼ決まったようなものだ。
俺は果たして、意識を手放した。




