第1章 第5話「休暇はやって来ない(2)」
数十分程走り続け、俺たちはやっとの事で街へと辿り着いた。
その賑わいっぷりは、穢界のそれとは比べ物にならない程だった。
「いらっしゃい! 野菜と果物はいかがですか?」
「らっしゃい! 良い新鮮な魚が入ってるぞ!」
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 出来立てホヤホヤのパンだよ!」
そこら中を人々の声が行き交い、悲鳴などは全く聞こえない。悪臭もしないし、それどころか良い匂いがする。人々の目は曇り一つなく、希望に満ち溢れている。
ふと隣を見ると、街の光景に唖然としているルチアが突っ立っていた。通行の邪魔になっていたので、取り敢えず手を引いて道の脇にはけた。
「ねぇ、ヴォイドさん。そのっ……何か食べても良いですか?」
「……今から人を殺すってのに、随分と呑気だな」
「だって! 目の前にこんな色々あったら、全部1個1個見て回りたくなるじゃん!!」
……こういう所は、まだまだお子様だな。
──『ねぇ、ヴォイド兄! 何か食べた〜い!』
そんなお子様じみたルチアを見て、ふと何かを思い出しかけた。しかし、それよりも早くルチアの眩い目線に意識を持ってかれた。
巾着袋を1つ取り出して、金を入れる。まるで「待て」をされている犬のようなルチアに、渋々それを渡す。ルチアは巾着袋を受け取るなり、「ありがとうございます!」と礼を述べてその場から消えた。
「……早く戻って来いよ?」
ルチアがいた場所に向けて、そう言い残しておいた。……俺も散策して、時間を潰すか。
ニゲルに適当な土産でも買っていってやろうと、その辺の店に立ち寄る。店員の押し売りのような態度にはうざったさを感じるが、そういう店に限って品揃えが良いので立ち退けない。果たしてその店で適当な品を買ってしまうのだ。
「毎度あり〜!」
……しかし、買った品を包装してくれるとは、平界の人たちのサービス精神はどうかしてるな。クレオ・デウスの商業課にも、この事を案として提案してみるか。
先程の店を後にしてその辺をほっつき歩いていると、ルチアが骨董品屋にいたのを見つけた。少し様子を見に行こうとしたら、彼女はこちらの気配に気づいた。
「ヴォイドさんも、骨董品が欲しいんですか?」
「……その言葉、そのまま返すぞ」
「別に、好きで見てるだけですけど……?」
殆どが品定めをしている鋭い眼光の年配しかいないというのに、ルチアという少女が目を輝かせながら骨董品を眺めるという構図が滑稽で仕方ない。
内心ではそんな事を考えつつ、俺はルチアが手に持っている物に気づいた。何か小さな物を立てかける物のように見える。
「……それ、ここの品か?」
ルチアにそう問いかけると、彼女は首を縦に振った。そして、ズボンのポケットから1枚の写真を取り出し、こちらに見せた。
端が破れたり少し色褪せたり、はたまた少し血がついたりしているその写真には、ルチアとイーグル、そしてサージャの3人が映っていた。
「……本当は肌身離さず持っていたいんですけど、最近の任務の影響もあってか劣化が進んできて……」
ルチアはそこまで言って、写真を見つめた。
「だから、母が好きだった骨董品に飾って、部屋に置いておこうかなって……丁度ここに写真立てに使えそうな骨董品があったので、値は張りますが、買おうかなって」
刹那の間、騒がしかった筈のこの場所に静寂が訪れた。それは、ルチアという1人の少女に、俺が「とあるもの」を重ねて見ていたからである。
「母が平界に行ってまで現像してくれたこの写真は、私の宝物なんです」
──『ヴォイド兄、平界でママが家族写真現像してくれたよ!!』
脳裏に過ぎる1人の少女が、ルチアに重なって見える。彼女と同じように金髪で、少し無造作なストレートで。真紅の双眸に、スッとした鼻筋。整った顔立ちは、ほぼ瓜二つである。
「……ヴォイドさん、泣いてるんですか?」
──『……ヴォイド兄、泣いてるの?』
ふと想起された昔の思い出が、まるで走馬灯のように頭をよぎる。
いつ流したかすらも覚えていない透明な液体を目頭に感じる。それに羞恥心を感じ、思わずルチアから顔を逸らした。そして、こう呟いた。
「なんでこんな時に……あいつの顔が出てくるんだよ…………」
ずっと、考えないように、目を背けていた事実。時に脳裏に浮かんでは、無理矢理自分で否定していた。
コピア・オレグ。俺──ヴォイド・オレグの実の妹である。彼女がまだ10歳になったばかりの頃。彼女は、両親を殺した正体不明の仮面男に誘拐されたのだ。
それは丁度、俺が妹に「生涯お前を守り続ける」と誓った時でもあった。
「俺が守ろうとしたものは、必ず俺の手から零れ落ちていく……!」
あの日、両親を守れなかった俺は、家族を皆失った。
そんな、思い出したくもなかった記憶が、頭に濁流のように流れ込んでくる。
──『ヴォイド。お前は俺の誇りの息子だ』
いや。そんな事はない。
──『ヴォイド。あなたは私の自慢の息子よ』
違う。そんな事はない。
──『ヴォイド兄は、私の最高のお兄ちゃん!!』
否、そんな事はない。
──「ヴォイド、さん? 大丈夫ですか?」
眼前のこの少女でさえ、俺が守ろうとすればきっと消えてしまうのだろう。
──「体調が悪いんですか?」
……五月蝿い。
──「誰か人を呼んできましょうか?」
……黙れ。
「……あのっ、ヴォイドさん? 本当に大丈夫なんですか──」
「──黙れ」
俺はそこで我に帰った。自分が口にしてしまった一言の恐ろしさを、たった今理解した。
「だま、れ……?」
自分の事を心配してくれていた少女に発してしまったその一言は、短くとも刃物としては抜群の切れ味をしていた。
ルチアは俺の言葉を聞いて、怒った様子は見せなかった。彼女は自分の手に持っていた骨董品を店員の元へと持っていき、手早く会計を済ませた。そして、俺の横を通り過ぎていった。
「……ヴォイドさんは、私の事が邪魔なんですね」
ただ一言、そう言い残して。
※この後はあとがきとして、「心的外傷後ストレス障害」──PTSDの説明をさせて頂きます。読み飛ばして頂いても構いません。
皆さんは「心的外傷後ストレス障害」──「PTSD」をご存知でしょうか?
PTSDとは、生死に関わる災害、事故、暴力などの強烈な恐怖体験が原因で、1ヶ月以上心身に深刻な不調が続く疾患の事です。
今回の5話の最後、ヴォイドはルチアの姿を見て妹の姿を思い出します。ここで発表したのは、PTSDの症状の1つである、再体験(侵入症状)です。簡単に言えば、フラッシュバックです。
まだ幼かったヴォイドは、「仮面の男」による「両親の殺害」と「妹の誘拐」が強烈な恐怖体験として心の傷になっています。
つまり、ヴォイドはルチアが自分妹に見えた事で、今まで忘れていたその体験が想起されてしまった、という訳です。
少し描写として分かりづらくはなってしまったのですが、ご理解の程をよろしくお願いします。
長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
……余談ではありますが、このPTSDは「【推しの子】」のアクアからインスピレーションを得ています。




