第1章 第14話「少女は嗤うだけ」
気がつくと、いつの間にか朝日が昇り始める時間となっていた。徐々に色を取り戻し始める空には、まだ星が浮かんでいる。少し薄い雲がかかったそれは、翡翠に染まっていた。
ニゲルは荷物だけを置いてどこかに出掛けており、ルードはまだ気絶している。力なく垂れる腕は、血の気が無い。彼女、死んではないよな……?
そして、ルチアはというと──
「あ、ヴォイ……さん!」
「…………は?」
余りの状況の変化に、思考が追いつかない。昨日までは虚な目をしながら言葉1つ発しなかったルチアが、ベッドから出て立ち上がり、俺に声をかけてきたのだ。
「もう、大丈夫なのか……?」
「うん! ヴォイドさんのお陰で元気いっぱいだよ!!」
そう言って笑って見せるルチアの姿は、相変わらずであった。まるで別人のような口調で、その調子が明るくなった気もしなくはないが、いつもと変わらない彼女の姿に安堵する。
しかし、ルチアの姿に安堵している場合ではない。彼女に此度の件について謝らなければならないのだ。
「ルチア、その──」
「あぁ、私が持ってたこれの事でしょ?」
俺が言い終えるのよりも早く、ルチアは裾の部分に付いていたポケットから“眼”を取り出してみせた。それを見て慌てて“眼”を仕舞った筈の場所を探すが、そこに“眼”は無かった。
「…‥元はと言えば、俺が取ったのが悪かった」
「そんな事、別に気にしなくていいよ! 私はただ、ヴォイドさんがいてくれるだけで嬉しいから!!」
ルチアはそう言って俺に抱きつき、俺の過ちを赦した。……ひょっとすると、ルチアの自殺の動機は、“眼”の件じゃなかったのか?
しかし、これではルチアがまるで別人みたいじゃないか。一体、この自殺の件の内に、彼女には何が起こってしまったのだろうか……?
「ルチア、随分と上機嫌だな」
「えぇ? 別にいつも通りだと思うけどな〜」
いつものルチアだったら、もう少し理性的で、人との接し方には慎重な筈だ。しかも口調だって、もう少し敬体だったと思うが……?
「まぁ、そんな事気にしないでさ! ニゲルさんも来てるんでしょ?」
「どうしてそれを──」
「決まってるでしょ? 私、ヴォイドさんの事なら何でも知ってるんだよ?」
違和感極まりないルチアの姿に、俺は先程まで感じていた安堵を掻き消されていた。今度は逆に、戦慄を覚えてすらいる。
そこへ、先程まで出掛けていたニゲルが帰ってきた。「ただいま〜」と言って帰るニゲルは、ルチアを見るなりその場に固まった。買ってきた物が入っている袋を手から落とし、まるでルチアを迂回するかのように部屋の端を歩きながら入ってきた。
そして俺のいる場所まで着くと、俺の耳元に囁き始めた。
「ちょっと、ヴォイド。これは一体どういう事なんだい……?」
「俺だってよく分かりませんよ。でも、確かなのはルチアがまるで別人みたいだという事です」
「別人みたい、ねぇ……確かに、たった1日でここまで変貌を遂げるとは、オジサン腰を抜かしそうだよ……」
2人で内緒話をしている横でも、ルチアはまるでこちらを観察するかのような目を向けてくる。そして、ある程度話が終わるなり、ルチアは何かを呟いてから再び話し始めた。
「ニゲルさんもいたんだ! いやぁ、少し見ない間にカッコよさが増しましたね!」
「ん、あぁ……そうかい」
胡散臭いその言葉に、ニゲルは苦笑する。もう既に剣の柄に手をかけているニゲルを見て、俺も刀に片手を置いた。ニゲルから、アイコンタクトで合図を受ける。
『オジサンの合図で、ルチアを取り押さえるよ』
『了解した』
その最中もベラベラと話しているルチアを横目に、俺はニゲルの合図を待った。そして、ニゲルが人差し指を立てたのを合図に、俺は抜刀してルチアの首に刃を当てた。
「ルチア・ルミーネ。1歩でも動けば、君の首は胴体と永遠におさらばだよ。もし逃げても、オジサンが君を切り刻む──」
「へぇ、殺人ごっこでもするんだぁ?」
刹那であった。思考が書き換えられたかのような奇妙な感覚に陥り、俺は瞬きをする──
『──けど、私の動きを封じようとするその努力は、ただ虚しいだけだよ?』
──その最中も俺と2人で話しているルチアを横目に、俺はニゲルの買った物を見た。何故か人差し指を上げているニゲルの横には、大量の子供向けおもちゃやら軽食やらが沢山入っていた。
「……あれ? オジサンはなんで、人差し指を立てたんだっけ?
「ニゲルさん、きっと疲れてるんだよ。だって昨日から私の隣でずっと見守ってくれてたじゃん?」
「あ、あぁ。そうだったね……?」
思考と行動の乖離に気がついたニゲルが、呆気に取られたような顔をしながら自分の手を見つめている。俺もまた、自身が剣の柄に手を置いている事に気がついた。
「ルチア、随分と上機嫌だな──」
…………この言葉、以前も言わなかったか?
「えぇ? 別にいつも通りだと思うけどな〜」
どこか、以前このやり取りをしたような気がするが、いまいち思い出す決定打に欠ける。結局諦め、ルチアとの会話を続ける。
「そうか? いつもならもう少し落ち着いていると思ったんだが──」
『──そんな事、ないでしょ?』
どこか、以前このやり取りをしたような…………いや、こんなやり取りはしていないな。記憶に無い。俺は何を疑っているのだろうか。
「──そうだな。いつも上機嫌だったな」
「そうでしょ〜? そうだよねぇ〜!」
ルチアは嗤っていた。その笑い声が鼓膜を、骨髄を、脳を震わせる。アハハハ。アハハハハハハハ──
「アハハハハハハハハハハハハハハハ」




