第1章 第13話「“闇”」
「ど、どうしてここに……」
「君がそんなに驚くなんて珍しいね。オジサンもびっくり仰天だよ……」
驚きの余り、脳の処理が追いつかない。ニゲルは今頃、娘の看病をしている筈だが……これもまたプレジデントがニゲルに無理を言ったのか?
「な、何でここにいるんだ?」
「2度も同じ質問をするなんて、よっぽど知りたいんだねぇ……オジサンはただ、ルチアが重症だって聞いて、ただお見舞いの品を持ってきただけなんだけどねぇ……」
ニゲルは、その飄々とした態度を変えない。その相変わらずの姿に、少しばかり安堵を覚えた。
「ほら、今日もまた貯金をはたいてカツ丼を買ってきたんだけどねぇ……ヴォイドったら、随分とカッカしてるじゃないか」
「別に、カッカなんてしてないですよ。今はただ、貴方がいる事に驚いただけですって……」
「まぁまぁ、そんな冷たい事言わないで、自分に素直になってくれないかい? オジサンだって、素直な人の方が好きだよ?」
からかい混じりのニゲルの言葉に「何ふざけた事言ってるんですか」と否定を交える。
そして、俺はニゲルに耳打ちをした。
「……“眼”は確保しました」
「まさか、ルチアの“眼”を──」
「そのまさかです。……ただ、俺が“眼”を盗ったのをルチアに気づかれたザマがこれです……」
俺とニゲルは頭を抱えた。確かにこのまま“眼”をプレジデントの元へと持っていくのは簡単だ。しかし、それをすればルチアから拭い去ったクレオ・デウスに対する恨みが再発しかねない。
ルチアは、クレオ・デウス第4課にとってはかなり優秀な人材であった。戦いこそ不得意なものの、人々から慕われ自ら率先して行動する力はピカイチだった。──そして何より、ルチアを殺す事はしたくなかったのだ。
ここで“眼”をプレジデントに渡すという行為は、俺たちの中にいるルチア・ルミーネという少女を殺す事でもあるのだ。それを捨てきてない今、俺とニゲルは判断に困った。
「……ルチアの“能力”は任務で必要です。今回の任務でも、“能力”に助けられましたから……」
「確かにそうだねぇ。彼女の“能力”は少し無鉄砲なところのあるヴォイドとは相性がいい。──だが、オジサンたちはプレジデントに“眼”を渡す、という任務を担ってる立場だ」
ニゲルの言う通り、そこが1番の懸念点なのだ。
「オジサンも、本当ならルチアに“眼”を返したいんだけどねぇ。クレオ・デウスの構成員である以上、引くに引けないんだよねぇ……」
結局、話が堂々巡りになるばかりで、俺たちは結論を出せずにいた。
そこへ、なんと間の悪い事か、ルードが病室へ戻ってきたのだった。
「──ち、ちょっと2人とも許可なく勝手に入らないでくださいよ! 警備員を呼びますよ……!!」
ルードが赤いボタンに指を置いたかと思うと、隣にいたニゲルがフッと消える。すると、病室の扉に立っていたルードが突然前に倒れた。そして消えた筈のニゲルはルードが倒れる直前のところで彼女を支え、そのまま椅子に座らせた。
ったく、この人はどんな速さをしてるんだか。未だに動いた残像すら見えないな。
「……さて、ヴォイド。オジサンはまず“眼”がどうこうというよりかは、一旦ルチアの快復を待つ事にしようと思うんだけど……君はどう思う?」
ニゲルはそう言って虚な眼をしたルチアを見た。彼女は何かをするでも寝るでもなく、体を起こした状態で呆けていた。
俺は首を縦に振った。“眼”についての結論を出すのは、ルチアが快復してからでも遅くはないと思ったからだ。
俺とニゲルは病室の椅子に腰掛けた。何かを話すでもなく、2人でただルチアを見守りながら。
何時間経っただろうか。陽が傾き始め、窓から差し込んできた夕陽で目を覚ます。ニゲルはまだ寝ているようだ。
カーテンを閉めようとしたが、手に取る前にその手を引っ込めた。ルチアが夕陽を見つめていたからだ。
耳を凝らすと、ルチアは腹話術のように口を動かさずに何か言葉を発していた──いや、それは言葉というより唸り声に近かった。
しかし、夕陽に反応を示したというのは列記とした事実である。今まで虚な眼をしていた彼女の眼には、微かに真紅が戻りつつある。
「……い。太陽……が…………」
唸り声が、言葉になる。
「手を……ば、暖かい…………」
夕陽に向かって、手を伸ばす。
「…………た、光…………」
再び言葉は、唸り声となる。
「……………………」
そして、沈黙が訪れた。
ルチアは、夕陽を見つめたまま体を寝かせた。そして布団もかけずに目を閉じた。
夕陽が、水平線の彼方へと沈む。やがて太陽の輝きはこの世から姿を消し、闇がやってくる──
* * *
漆黒の世界。私の意識は、そこにある闇の霧の中心に取り残されていた。そこから這い出ようとする気力も湧かず、そこにただお山座りをしている。
霧の向こう側で、母が泣き喚くイーグルをあやしている。今更ながら、現世にイーグルを置いて行ってしまった事を少し悔やむ。
しかし、そんな悔いは消え去った。その右側に立っていた男──ヴォイド・オレグの姿が見えたからだ。
私を騙し、裏切った男。
──そして、私の初恋の人。
「…………はぁ」
少し開いた唇の隙間から、ため息のようなものが出た。意図しないそれは、霧へと吸われていく。
やはり、生きる意思が消え去ってしまった。本当ならば弟の為にここから這い出なければならない筈なのに、何故かその気が起きない。
やはり、ヴォイドの裏切りが強いのだろうか。
それが、私を変えてしまったのだろうか。
「──ルチア」
突然、霧の外側から、母が私を呼ぶ声がした。
「私たちと一緒に、あっちへ行きましょう」
母が指を差した先には、かつての私の家──聖教会があった。恩師であるノクス神父と、母がいた、私の思い出の場所。
「また、ノクス神父様に昔話をしてもらいましょう?」
普段は寡黙なノクス神父が、時折りしてくれる昔話。イーグルを寝かせて休んでいると、わざわざ近くに来てまで話してくれたものだ。
「イーグルも、これから大きくなるわよ」
母の腕で眠っているイーグルは、いつもとは変わらない。少し痩せ気味の、小柄な体。しかし、その頬だけはぷっくりと膨らんでいる。いつも私が指でつつくと、それに呼応するかのように声を出してくれた。
胸の中に、突如として生きる希望が湧いてきた。またあの教会で、母とイーグルと暮らしながら、ノクス神父様の昔話を聞いて、他の子供たちと遊んで。
「……く」
──また、人生をやり直したい。
「──私も、そっちに行く!!」
私の声に反応したかのように、霧が一気に晴れた。先程まで霞んでいた景色が明瞭になる。
周囲の漆黒が、輝きを帯びた漆黒へと変化する。漆黒に変わりはないが、先程までの色合いではない。
私は母の元へ一目散に駆け出した。頬を伝う熱いものにも構わず、横で呼びかけてくるヴォイドを無視して。
もう少し。あと少し。そんなところで、「それ」は起こった。
『──キミはそこへ行くべきじゃないよ』
突然、足元が氷になったかのように滑った。足を掬われ、顔面から地面に着地する。
鼻の骨に激痛が走り、血が滴り落ちる。鼻を抑えつつ、私は顔を上げた。
そこには、“黒い人”が立っていた。
『やぁ、ルチア。──いや、“私”』
──そこに立っていたのは、“私”だった。
「──っ。何をする気!?」
『別に、私はキミの抜け殻をリサイクルしようとしてるだけさ。こんな考え方は、キミのいた世界では大切なんだろ?』
姿、そして声は似ている。しかし、話し方や口調は私とは少し違う。──そして何より、その声にはどこか悪意が漂っていた。
警戒心を強め、いつもナイフをしまっている場所に手を当て、臨戦体制をとる。
「……私の体は、好きにはさせない!」
『へぇ。随分と自信があるみたいじゃないか。キミは、そんな金属如きで私に攻撃出来るかな?』
私は滑らないような体制で、“私”に斬りかかった。刃が彼女に突き刺さり、確かな手応えを感じた。
──そして、何かが突き刺さるような痛みに悶絶した。
『ほーら、言わんこっちゃない』
“私”の脇腹に深々と突き刺さったナイフからは、血らしきものは流れ出ていない。その代わりに、私の脇腹から血が溢れ出てきた。
『だから言っただろう? 私は、キミだと』
“私”は手を大きく広げて、こちらへと歩み寄ってくる。その悠々たる態度は、私をまるで脅威と見なしていなかった。
『抵抗なんて無駄だ。そして、キミが生きる事も無駄だ。だから大人しく、私にその体を明け渡すんだ』
“私”の体から、闇の触手が生え、私の体をがんじがらめにする。四肢を拘束され、全く身動きが取れない。
私は辛うじて動く口で、罵声を浴びせる。しかし、それで“私”の歩みが止まる訳じゃなかった。
『さて、そろそろ時間切れだ。キミの必死な抵抗は、余興としては楽しかったよ』
闇が、耳から、鼻から、口から──体中のありとあらゆる隙間から侵入してくる。
『それじゃあ、また会おうじゃないか、ルチア』
“私”は、嗤っていた。その背後で手招きをしている母の姿が、霞んでいく。
動く事が出来ない。呼吸が出来ない。言葉を発する事が出来ない。考える事も出来ない。
意識が遠のくのに、時間は必要無かった。私の意識は、闇に呑まれたのだった。
『さようなら、ルチア・ルミーネ。私はこれから、大切な人と会ってくるね……!』
そこには、彷彿とした笑みを浮かべた少女が立っていただけだった。




