第1章 間話「父として」
ミカレ・アロガンティア。ニゲルの最愛の娘である彼女は、幼少の頃から世にも奇妙な病に侵されていた。
「……おたくの娘さんは、皮裂病という病気を患っている。少なくとも私には、亀裂の進行を遅らせる程度しか出来ない」
世界一と言われた医者ですら、これを見放さざるを得ないのだ。
皮裂病。体のどこかに生じた僅かなヒビ割れのような傷が、やがて年月をかけて全身へと広がっていくという病だ。
この病気は、亀裂のような痣が浮き出るとか、亀裂が入ったような痛みを感じるだとか、そんな生ぬるいものではない。被患者の皮膚に亀裂が生じ、やがてはそれが破れ死に至るという、如何にも恐ろしい症状が発現するのだ。
治療法は、この世の医学では不可能。精々足掻いたところでも亀裂の進行を遅らせる程度で、しかもその効き目も焼け石に水というレベルなのだ。
不幸中の幸いは、この病気は感染病ではないという事くらいだろうか。
ニゲルは、ミカレの治療費の為に今日も汚れ仕事だってやってのける。
「…………」
そんな皮裂病に罹患した人を、ニゲルはもう1人知っていた。自身の妻──つまり、今はもう亡きミカレの母である。
ニゲルは、かつて自身の妻が生きていた頃にしていた話を思い出した。
『私の母は、『皮裂病』っていう病気で早死にしちゃったのよね。母は私に、『どうか貴女だけは長生きしてちょうだい』って言ってたっけ……』
これら全ての事を繋ぎ合わせる事で、ニゲルは1つの結論を導き出した。皮裂病は、親から子に遺伝するのだ。例え被患者に皮裂病の症状が出ていなかろうと、被患者の子供には皮裂病がDNAごと受け継がれてしまうのだ。
「……まぁ、そんな事が分かった所で、ミカレの病気が治る訳じゃないんだけどねぇ……」
病室のベッドの横で、ニゲルは顔を撫で下ろし、深いため息をついた。天井を見上げるが、それはいつもより遠くにある気がした。手を伸ばしてみても、そうする事で自身の存在が矮小に見えて、結局やめた。
すると、ニゲルの懐に入っていた通信端末が振動した。ニゲルが通知を許可しているのは家族と、自身より位の高い上司、そしてヴォイドだけ。先述の者からの連絡だろうと1度通信端末を取り出して確認を取る。
そこに書かれたタイミングの悪すぎる内容に、ニゲルは思わずため息をついた。
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宛先:ニゲル・アロガンティア
件名:ルチア・ルミーネについて
差出人:プレジデント
『先日未明、身元不明の少女ルチア・ルミーネ(推定10) が、王都内の宿ヘスティアに併設されている2階バルコニーから飛び降り自殺未遂。発見時、本人は意識不明の重体。その後国立治療センターにて意識を取り戻したが、こちらの言葉に応じる様子がなく、本人も行動の意思は無い。恐らく、自殺に至るまでの動機が彼女をそうさせたのだろう』
上の文章は、先日王都内にて発布された国立治療センターの文書だ。そこに、君のいる第4課のルチア・ルミーネの名があった。どうやら当のルチアも意識が無いようなので、万が一“眼”を奪われるのを未然に防ぐ為にも、君が国立治療センターに行ってはくれないだろうか。
頼んだぞ、我が息子よ。
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「…………はぁ」
ニゲルは項垂れた。折角部下たちに頼み込んでまでこの機会を得たというのに、またもやその機会を手放してしまうのだから。
ミカレは、静かに眠っていた。その胸は一定の間隔で上下しており、脈も正常だ。
ニゲルは、握っていた手──亀裂だらけのミカレの手を、更に強く握った。1度この手を離してしまえば、もう2度と繋げない。そんな嫌な予感がしたからである。
しかし、ニゲルとてクレオ・デウスの一員である。しかも、実の父──プレジデントからの命令であれば、逆らう事は不可能なのだ。
ニゲルは、ミカレの頬にお別れのキスをしようと、顔を近づけた。しかし、脳裏にミカレの言葉が浮かんでそれをやめた。
──『パパのお髭チクチクしてていた〜い!!』
「…………フッ。チクチクしてて、ごめんよ」
そこには、口元にうっすら慈愛の笑みを浮かべた、1人の父親が立っていただけだった。




