第1章 第11話「ペンダントの中身」
陽が傾き始め、夕闇がこの世界に顕現する。海風は陸風へと変わり、昼の賑わいをどこか遠くへと運んでいく。
ケーキを食べた後に昼寝をし、そのまま夕方を迎えた。隣のベッドは空いている。恐らくそこにいた筈の男──ヴォイド・オレグは訓練に行っている。
──本当に、そういう所が努力家なんだから。
私は部屋を出て、まだおぼつかない足取りで宿屋のバルコニーへと向かった。海の見える、この宿とっておきのバルコニーである。
太陽が水平線に触れ、接触面から続く水面を琥珀色に照らしている。陸風によって運ばれる自分の髪が、まるで夕日に吸い寄せられるように靡いている。
「ヴォイドさんと、この景色を見たかったなぁ……」
ここは共有バルコニーであったが、中途半端な時間だからか人がいない。それを確認するなり、私は自分の内ポケットに手を入れた。1人っきりの時間に、あのペンダントを見て勇気を貰う──
「……あれ? 入ってない?」
いつもならばそこに入っているペンダントが無い。焦って服中のポケットを探すと──
「上着の胸ポケット……」
昨日の夜までは肌着の内ポケットに入っていた筈のそれは、何故か上着の胸ポケットに移動している。
私がやった訳ではない。いつも肌に近い場所に閉まっておきたいと思っているから、わざわざこんな事はしない。夢遊病の類の話は母から聞いた事はないので、自分がやったという可能性はゼロに近い。
──誰かがペンダントを移動させた。
その結論を導き出すのと同時に、ペンダントの中身の事が怖くなった。もしあの真紅の宝石──母の形見が盗まれでもしていたら……
私はすぐさまロケットペンダントを取り出した。しかし、それを開けはしなかった。もしこの中にあの宝石がはまっていなかったらと恐ろしくなってきたからだ。
手汗が滲み、ペンダントを握る手が滑る。心拍数が上がり、呼吸が荒くなる。
ボタンひとつで簡単に開けられる筈のペンダントだが、それを開ける事が──持っている事すら──仰々しくなってくる。
既に私の親指はボタンに乗っている。あとはそれに力を込めて中身を見るだけ、の筈なのだが……
「うわぁぁぁああああああっっっ!!!」
おどろおどろしい悲鳴と共に、私の指に力が入る。金属が少し軋む音を立てながら、ペンダントは開いた。そして──
「──っ!!」
最初から、分かりきっていた事だった。いとも簡単に予想出来たこの事実を、私の脳は否定したくてたまらなかった。何故ならば、そこにあった筈の真紅の宝石を盗んだ者に確実な心当たりがあり、その彼をよく知っていたからだ。
「ヴォイド・オレグ……!」
信じていた自身の相棒に──愛していた自身の意中の人に、窃盗の疑いは濃厚であった。
胸のどこかでは、この事実を否定したくてたまらないのだ。しかし、私はこの疑いを確定させる為の当事者でもあったのだ。
今日の午前中に、ヴォイドは私の服を脱がせ、「何か」をしてから再び着せた。寝惚けた頭では彼が何をしていたかなどは考えられなかったし、何より体を触られていた事に感じた羞恥心が思考を掻き乱してしまっていた。
ペンダントが手から零れ落ちた。しかし、私にはそれを拾う気力は無かった。
胸の内から、失望と憤怒が湧き上がってくる。それと同時に、不安が私を襲った。
──ヴォイドは、あの宝石をプレジデントに渡すのではないか。
以前、クレオ・デウスの本部でプレジデントにあった際、彼は明らかにあの宝石を知っている素振りをしていた。
プレジデントはあの日から、ヴォイドに私の宝石を奪うように命じたのではないか。
そこからヴォイドは私と任務を共にし、ある信頼関係を作ってから、任務中に私の心を奪って、私の寝込みを狙った……に決まってる。
脳内に、ヴォイドとの思い出が走馬灯のように浮かび始める。どれも、母を失って壊れた私の心を埋めてくれた。彼のさり気ない優しさが、私の心を奪ったのだ。
しかし、今まさにその思い出を否定せざるを得ない。ヴォイドへの様々な思いが濁流のように脳内に流れる。
胸が張り裂けそうだ。頭が割れそうだ。嫌だ、嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ──
「──なんで、こんな事をしたの?」
ふと口から漏れ出たそれは、私の本心であった。ヴォイドがこんな事をしなければ、私は彼を信頼し続ける事が出来たのに。
頬を伝う涙など、もはやどうでも良くなっていた。口に達している鼻水を啜る力すら湧き上がってこない。
全身の力が抜け、立っているので精一杯だ。突如として吐き気に襲われ、その場にうずくまる。
吐瀉物が、喉の奥まで来ている。先程ヴォイドと2人で食べたケーキを、体が拒んでいる。胃酸のせいで、食道の辺りに痛みが走る。
しかし、私の中で何かが音を立てて切れた。溜飲が下がり、気分も落ち着いてきた。
何も考えられない。今はただ、この虚無に浸っていたい。真紅の宝石など、もはやどうでも良くなった。ヴォイドとの記憶が──家族との記憶が、白く霞み始めた。やがて世界が遠のいていく感覚に襲われ、私の脳は思考をやめた。
私はバルコニーのフェンスによじ登った。既に夕日は水平線の彼方に顔を隠している。
背後から、闇が私の背中を押す。私は、沈んでいく太陽の方向へと身を乗り出した。重力のままに、空を切って落ちていく感覚に包まれながら、私は目を閉じた。




