第1章 間話「『ティンジェンディ・インディカム』」
雲の間から溢れ出た陽光が、ステンドグラスを淡く照らす。その直線上にある女神像が、後光が差したかのように輝く。
像の前に跪いていた少女は、その表を上げる。彼女の目に映った像は、まるで本物の女神のような神々しさを帯びていた。
「女神様……この不条理な世界をお救いくださいませ…………」
そう彼女が願いを呟くと、像はその輝きを増す。それを見た少女は、女神の存在を過信する。
「…………」
──神に縋った所で、意味など無いのに。
ベネディクティオ──又の名を神父ノクスは、眼前で跪く少女を脇目に見ながら、そんな事を考えていた。
「ノクス様、本日の神託をお聞かせ下さいませ」
ベネディクティオは少女にそう頼まれ、渋々神託を読み上げる。
「……分かった」
ベネディクティオは目を閉じた。すると、彼の全身が神々しい覇気を纏い始める。ベネディクティオが天使であった頃の──堕天使になる前の──賜物である。
「……『南方より福来たる。されど、北方より禍来たる。禍を福と成せる業、此の世の物にあらず。然れども、未来さえも福へと転ずる事能わん能力、南方より来たる。其の能力、此の世を変えんと欲す』」
それは、ベネディクティオが天使であった時代に聞いた、創造神ルミナスが告げていた神託の1つであった。
神ではないベネディクティオに、神託を告げる能力は無い。しかし、自分の見聞から神託を引用する能力はあった。
神父を演じなければならない以上、迂闊な事は喋れない為、引用したまでである。
「──っ! 分かりました! これからも最高神ベネディクティオ様に祈りを捧げていきます!」
満面の笑みと異常なまでの狂信ぶりを見せた少女は、ベネディクティオにそう言ってその場を去っていった。
──彼女が話している対象がベネディクティオだとは知らずに。
ベネディクティオは少女が教会を出るなり、扉に鍵をかけた。──そして、「招集」を行う。
地面に伸びたベネディクティオの影から、「招集」に応じた“四皇”が出て来る。
「ベネディクティオ様、お呼びでしょうか?」
ヴィリディス。“四皇”で「風」を司っている。
無造作な黒髪は肩まで伸びており、周囲の光を呑み込むような漆黒だ。長身で細身の肉体を覆っている漆黒のローブは、“眼狩り”の象徴である。体からは微風が吹いており、ヴィリディスの長い黒髪を靡かせていた。
「ベネっち、呼んだぁ〜?」
エテルノス。“四皇”で「水」を司っている。
よく櫛で解かされたサイドポニーは、白銀の輝きを帯びている。説教壇から顔が半分出る程しか無い背丈に、衣服から出るしなやかかつ艶やかな手足。藍色を基調としたワンピースには霞んだ翠玉の宝石が施されている。エテルノスの周囲には水の粒が浮いており、彼女は度々それをつついて遊んでいる。
「ベネディクティオ、『招集』か?」
レペルカッソ。“四皇”で「炎」を司っている。
年齢を感じさせる広い額とつるりとした頭頂部を持ち、周囲に残った黒髪が頭をぐるりと囲んでいる。ヴィリディスとエテルノスの間程の背丈で、身に纏っている白装束は、まるで俗世とのつながりを断ち切ったかのように静かで、穏やかな空気を纏っていた。体には熱を帯びており、周囲の気温を上げていた。
「ベネくぅ〜ん。お姉さん今からお風呂入りたかったのに……」
グラーチェス。“四皇”で「氷」を司っている。
豊満な胸まで垂れるウェーブヘアは、霞んだ灰色をしている。レペルカッソより少し高い程の背丈で、露出の多い瑠璃色のベアトップのドレスは腿の辺りまで伸びており、そこから流麗かつしなやかな足が見えている。体表からは冷気が出ており、レペルカッソの熱気の鬩ぎ合って気流を起こしている。
ベネディクティオは、“四皇”たち全員の顔を確認し、口を開いた。
「……全員揃ったな」
ベネディクティオが言葉を発すると、弛んでいたその場の空気が重圧を増す。それを感じ取った“四皇”たちはその場に跪いた。
「流石はベネディクティオ様。ここまでの覇気は、ベネディクティオ様にしか出せない……!」
「ベネっち、なんか嫌な事でもあったのかな……?」
「──ええい貴様ら、その口を閉さんか! ベネディクティオが話をしようとしてるではないか!!」
「そういうレペが1番五月蝿いじゃない。お姉さんの鼓膜が破れそうよ?」
「──ほざくな!!」
「レペっち、頭冷やしなよっと!」
“四皇”たちの騒がしさは、エテルノスがレペルカッソの頭上に滝のような水を浴びせた事で静まった。
それを無言で見届けたベネディクティオが、いよいよ本題を口にする。
「……“神眼”が7つ集まると、ルミナスが復活するらしい」
突如として告げられたそれは、この場にいる全員を驚かせるのには充分であった。
静まったと思っていた“四皇”たちが、再び騒ぎ始めた。
「嘘だろ……!? ルミナスが“神眼”を残したのはその為だったのか……!! 小生が未然に防がねば……!!」
「えぇ〜!? わたしそんな事ルミナス様から聞いてないよぉ〜!?」
「ルミナス様が復活……ルミナス様が復活……ルミナス様が復活……ルミナス様が復活……」
「ちょっとアンタたち、本当に五月蝿いわねぇ。さっきも言ったけど、お姉さんの鼓膜をもう少し労ってくれないかしら?」
まだ話の続きがあるぞと言わんばかりにベネディクティオが溜め息をつくと、再び“四皇”たちは静けさを取り戻した。
「……だからこそ、ヴィリディス」
「──はっ」
「……お前には、これからも“眼狩り”を続けて欲しいと思う」
「仰せのままに」
ベネディクティオはヴィリディスの承諾を聞くなり、そのまま黙り込んだ。
暫くの間、この場に完全なる静寂が訪れた。真っ先にそれを破ったのはエテルノスだった。
「──ちょっと待ってよ!? ヴィリっちに“眼狩り”をお願いするだけだったら、わたしたち全員に『招集』をかける必要なんて無かったよね!?」
「そうよそうよ! お姉さんだって、ベネくんと2人きりになってあんな事やこんな事を──」
そうやってエテルノスとグラーチェスが異議申し立てをしている中、ここでレペルカッソが2人の地雷を踏んでしまう。
「生意気娘と破廉恥ババアは黙っておれ! ベネディクティオにはベネディクティオなりの考えがあるのじゃろう」
「なま、いき……?」
エテルノスのこめかみがピクピクと動き──
「──どぅぅぅぅあれが『ババア』じゃボケ!! エテルノスよりも歳下のこのピチピチツヤツヤ美女お姉さんが、何でテメェみてぇなクソジジイにババア呼ばわりされなきゃならないのよ!! ──しかも、なんでエテルノスは『娘』なのよ!!」
グラーチェスはその美しい声を荒げた。しかし、それで引っ込むようなレペルカッソではなかった。
「──あぁん!? 誰が『ジジイ』じゃボケ!! 儂だってまだエテルノスより若いわっ!!」
「テメェは耄碌クソジジイだろうが!! どの面下げて自分がジジイじゃねぇって言ってんだよ!! このピチピチツヤツヤ美女お姉さんに、美貌では1ミリも勝ってない癖に!!」
「儂だって若くなろうと思えばなれるしぃ〜! この見た目の方が貫禄があってええじゃろう!?」
「私だって自分で外見を無理矢理いじらずに、しっかりケアしてるんですぅ〜!! だからこの国宝級の美貌を保ってるんですぅ〜!!」
横でエテルノスの怒りが最高潮に達しそうな中、グラーチェスとレペルカッソの子供じみた口論は止まる歯止めがない。それを傍観するヴィリディスの拳も強く握られている。しかし──
「静粛に」
ベネディクティオが短くそう告げると、全員がその冷静さと静けさを取り戻した。
「……当然、此俺はヴィリディスに“眼狩り”を頼む為に『招集』をかけたのではない。同胞たちよ、君たちには伝えてなかった事実がある」
ベネディクティオはそこまで言って一旦間をおく。そして、
「──ヴィリディスの『分身体』が殺された」
平然と衝撃の事実を言ってのけたのだった。
「嘘でしょ!? お姉さんでも勝てるか怪しいヴィリくんを……!?」
「──ヴィリちゃん、それ本当なの!?」
「あぁ。紛れもない真実だ」
「ヴィリディスの『分身体』を殺せる程の実力者が、天界の外にもいたのか……」
全員に激震が走る中、ベネディクティオは言葉を続ける。
「……だからこそ、此俺は同胞たちにヴィリディスの『分身体』を殺した男を見つけ出して、殺して欲しいと思っている」
ベネディクティオは視線で同意を仰いだ。当然、“四皇”たちの答えは1つであった。
「「「任せなさい!!」」」
「ヴィリっちが負けるなんて信じられないけど……でも、ヴィリっちに勝った人間と戦ってみた〜い!」
「あら、それ良いじゃない。お姉さんも混ぜて〜!」
「……確かに、儂もそんな人間は気になるわい」
「……すまない。小生が弱いばかりに…………」
ベネディクティオは、仲間たちの変わらないその姿を見て安堵した。
先刻も話した通り、ヴィリディスから自分の「分身体」を破った人間がいると聞いた時は、正直自分の耳を疑った。“四皇”の中で、対人戦闘においてはヴィリディスが最強なのだから。
因みに、対軍戦闘においてはエテルノスが最強なのだが、それはまた別の話だ。
そんなヴィリディスを破ったのだから、その人間はベネディクティオにとって危険因子となり得る。今はまだ圧倒していても、人間という生物は人智を超えた速度で成長をすると聞いた事がある。いつかは越されてしまうかもしれない。
ベネディクティオは臆病だった。しかし、臆病だからこそ慎重でもあるのだ。自身の目的──“神眼”を集め、破壊する事の為に、この件は見逃せなかったのだ。
“四皇”は、再びベネディクティオの影に入っていった。ヴィリディスの「分身体」を殺した人間──ヴォイド・オレグを殺す為に。




